2018年3月19日

2011.3.11 フクシマ FUKUSHIMA 福島事変 [震災5年]

東京電力福島第一原子力発電所重大事故レベル7
1号機(稼働中)、2号機(稼働中)、3号機(MOX燃料稼働中)、4号機(定期点検中)

[震災5年 あの時]
原発 突然の冷却不能
炉心溶融との闘い
2016年2月18日 読売新聞
http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160218-118-OYTPT50076

>2011年3月11日午後3時42分、東京電力福島第一原子力発電所(福島県大熊町・双葉町)の緊急時対策室で、吉田昌郎所長(当時56歳、13年死去)が「10条を通報します」と宣言した。

スケープゴート、サクリファイス、ポア、あぼーん、友愛、口封じ…

(追記2016/2/19)
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班目春樹「再臨界の「可能性はゼロではない」は、事実上ゼロ」

再臨界の可能性… 問題は、「再臨界」じゃなくて、稼働中の「臨界」状態が止まっていたかどうか…

[震災5年 証言]<3>「水素爆発」見通し甘く 元原子力安全委員長 班目春樹さん 67
2016年1月27日 読売新聞
http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160127-118-OYTPT50080

《3月12日午後3時36分、福島第一原子力発電所1号機の原子炉建屋から白煙が上がりました。そのテレビ映像を首相官邸の一室で見た時、すぐに悟りました。「ああ、水素爆発だ」

 津波で電源を失った原子炉は冷却できなくなり、燃料が過熱して水素が発生します。その日の朝、福島第一原発へ視察に向かうヘリの機内で、菅直人首相(当時)に水素の危険性を聞かれたのですが、「格納容器には(燃焼を防ぐ)窒素を入れている。水素による爆発はないでしょう」と話したばかりでした。

 それより私が心配したのは、高温の蒸気によって格納容器の圧力が限界を超え、容器が壊れて大量の放射性物質が飛散する事態でした。午後2時半、格納容器から蒸気を排出して圧力を下げる「ベント」が成功したと聞き、危機は去ったと喜んでいました。

 しかし、実は水素が格納容器の中にとどまらず、建屋内に漏れ出していたのです。それが爆発を起こしました。「考えてみれば当たり前の話。なぜ気付かなかったのだろう」。胸の内で、自分の見通しの甘さを何度も責めました。爆発は、科学者としての信用をも吹き飛ばしてしまいました。》

なんだかやけに「美しいストーリー」だなあ… 巧言令色はホニャララでナントカとか(笑)。


[震災5年 証言]<2>全村避難指示「まさか」 福島県飯舘村長 菅野典雄さん 69
2016年1月26日 読売新聞
http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160126-118-OYTPT50176

 かんの・のりお 1946年、飯舘村生まれ。帯広畜産大草地学科を卒業後、帰郷して酪農を営み、指導農業士としても若手農業者を育てる。89年に嘱託の村公民館長に就任。村の予算で、農家などの若い既婚女性をヨーロッパの農村で学ばせる「若妻の翼」事業を実施した。96年に村長に初当選。現在5期目。
http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160125-118-OYTPT50466


できるだけ大勢を残酷な運命から逃れられないようにする仕掛け
http://koibito2.blogspot.jp/2013/09/blog-post_5956.html



WEDGE REPORT
時を経て住民苦しめる放射性物質の脅威
前例見ぬほどの放射能汚染の可能性も…
2016年01月27日(Wed)  土方細秩子 (ジャーナリスト)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5957

福島の事故が起きた時、日本在住の自国民に対し「原発から80キロ以内に立ち入り禁止」命令をどこよりも早く出したのは米国だった。その同じ国が自国内の問題についてはこれほど腰が重いのは一体どういうわけなのだろうか。




(書きかけ)




「3号機 格納容器 爆発」(ぐぐる先生)

それがどのように起こったのか、いまだに真相は何も明らかにされていない…


「福島第一原発 中性子線 2011年3月」(ぐぐる先生)

関東でコンピュータX線撮影の画像に黒点が頻出:日経メディカル
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/hotnews/int/201103/519055.html




ラベル:福島第一原発



1995年は「阪神淡路大震災」と「オウム真理教・地下鉄サリン事件」の年、そして2011年は…

放射能汚染物質を広範囲に撒き散らすのも一種のテロのようなもの。


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《日本は、福島原発事故の処理という困難極まりない課題を抱えている。7年後でも収束には程遠いだろう。現場では、多くの人が放射能と戦っているはずだ。そして、故郷の家に戻れない人々も多数残っているだろう。こうした国で、なぜオリンピック開催がお祭り騒ぎになり得るのか、私は理解に苦しんでいる。》
(野口悠紀雄)
http://essays.noguchi.co.jp/archives/979


国民総ぐるみの「ええじゃないか」運動狂騒状態…一種の集団ヒステリー「一期は夢よ、ただ狂え」…


(おまけ)



班目春樹のページ
http://ponpo.jp/madarame/

《東電福島事故後の経験をマンガにしました。
静止画像でご覧になりたい方はこちら
flashでご覧になりたい方はこちらです。
東京大学在任中は
専門としていた「原子力安全工学」「原子力社会工学」だけでなく 「技術倫理」も教えていました。 その資料はこちらです。
基本的には マンガを含めて当時のまま復元しましたが、 他サイトへのリンク先のアドレスなどは直してあります。》



(2016年1月28日)(追記2/19、3/13)

215 件のコメント:

  1. [震災5年 証言]<3>「水素爆発」見通し甘く 元原子力安全委員長 班目春樹さん 67
    2016年1月27日3時0分

     3月12日午後3時36分、福島第一原子力発電所1号機の原子炉建屋から白煙が上がりました。そのテレビ映像を首相官邸の一室で見た時、すぐに悟りました。「ああ、水素爆発だ」

     津波で電源を失った原子炉は冷却できなくなり、燃料が過熱して水素が発生します。その日の朝、福島第一原発へ視察に向かうヘリの機内で、菅直人首相(当時)に水素の危険性を聞かれたのですが、「格納容器には(燃焼を防ぐ)窒素を入れている。水素による爆発はないでしょう」と話したばかりでした。

     それより私が心配したのは、高温の蒸気によって格納容器の圧力が限界を超え、容器が壊れて大量の放射性物質が飛散する事態でした。午後2時半、格納容器から蒸気を排出して圧力を下げる「ベント」が成功したと聞き、危機は去ったと喜んでいました。

     しかし、実は水素が格納容器の中にとどまらず、建屋内に漏れ出していたのです。それが爆発を起こしました。「考えてみれば当たり前の話。なぜ気付かなかったのだろう」。胸の内で、自分の見通しの甘さを何度も責めました。爆発は、科学者としての信用をも吹き飛ばしてしまいました。

     原子力安全委員会は、緊急時には政府に助言する専門家集団と位置づけられていました。官邸では、閣僚など政治家が次々とやって来て、私を質問攻めにしました。そこに私一人しか専門家がいなかったからです。難解な原子力分野の用語から今後の見通しまで、私はひたすら質問に答え続けました。助言役というよりも、解説者のようでした。

     安全委は事故直後、原子炉や放射線など様々な分野の専門家を招集しました。でも、官邸からは、なかなか外に連絡できません。知識を結集できないまま、大事な時間が過ぎていきました。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160127-118-OYTPT50080

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    1. [震災5年 証言]「万が一」の備え遅すぎた 元原子力安全委員長 班目春樹さん 67
      2016年1月27日3時0分

       首相官邸に呼び出されたのは、3月11日の夜でした。原発事故対応の拠点は小さな部屋で、私を含めて十数人。そこには、福島第一原発の情報がほとんど届きませんでした。原子力安全・保安院は、東京電力や現地の保安検査官から来るはずの情報を伝えてくれないし、原発の図面さえ持ってきません。

       限られた情報すら、官邸では共有されませんでした。細野豪志・首相補佐官は、福島第一原発の吉田昌郎まさお所長と電話で連絡を取っていたのですが、それを私は知りませんでした。後で知ってがくぜんとしました。

       情報が少ないからこそ、様々な角度から検討するべきでした。たとえば水素爆発の可能性も、専門家が数人で議論していたら事前に気付いたかもしれません。

       「こんな形で判断し続けるのか」。東電の方針が正しいかどうか、私一人の判断を求められ、悩み続けていました。でも、そんな問いかけをできる雰囲気ではありませんでした。

       12日朝、菅首相と一緒に福島第一原発まで行った時のことです。なぜベントがなかなかできないのか、東電の武藤栄副社長の説明は、とても参考になりました。電源や弁がどういう状態なのか分かったのです。次の対策を考えるため、原発で何が起きているのかをもっと聞き出したかった。ところが、首相はその話を遮ってしまった。大事な機会を逸しました。

       ■政治家との対話

       原子力を知らない政治家との対話には苦労しました。その一つが海水注入問題です。菅首相は海水によって再臨界が起きないかと聞いてきました。科学者はデータがない限り、断定的に言いません。それで私は「(可能性が)ゼロとは言えない」と答えました。これを、政治家たちは「危険性がある」と受け止めてしまった。科学者が使う言葉を、違う意味に取られてしまったのです。

       もちろん、自分自身に対する反省と後悔も大きいですよ。11日夕方、原子炉を冷やせない緊急状態になったことを伝える報告文が、東電から届きましたが、そこに書かれていた「念のために(報告する)」という言葉に引きずられ、「大丈夫だ」と思い込んでしまいました。私は甘かったのです。

       その結果、(炉内のデータを得るのに必要な)直流電源すら失っていた惨状に、思いが至りませんでした。福島第一原発へバッテリーを空輸するよう、早い段階で提案していたら、その後の相次ぐ爆発を食い止められたかもしれません。

       ■会合5日前に

       1986年、旧ソ連でチェルノブイリ原発事故が起きても、日本は過酷事故対策に向き合ってきませんでした。99年のJCO臨界事故の後に誕生した保安院も、万が一に備えた対策の強化には後ろ向きでした。想定を超えた事故を認めると、「原発は安全」という考え方を否定することになるからです。

       私は2010年に原子力安全委員長に就き、安全委で過酷事故対策を強化しようとしました。しかし、手始めとなる公開会合の5日前、福島の事故が起きてしまった。

       多くの被災者を生む事故を招いたことに、責任を感じています。なぜ、もっと全速力で改革に取り組まなかったのでしょう。結局、私は何ができたのか。今も同じ問いを繰り返す日々です。せめて、あの事故で何が起きたのかを忘れないうちに後世に伝えねばという思いで、最近は講演や執筆をしています。(聞き手 高田真之、肩書は当時)

      まだらめ・はるき 1948年3月、東京都生まれ。72年、東京大学大学院修了。東京芝浦電気(現・東芝)の総合研究所研究員を経て、90年に東京大学教授。2010年4月に内閣府原子力安全委員長となり、12年9月の廃止まで務めた。福島第一原発事故の際は官邸に詰め、事故対応の助言を行った

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    2. 東電会長が「ヘルプ・ミー」 元米原子力規制委員会 地域センター長 チャールズ・カストさん 60

      Charles CASTO 1955年、米ウェストバージニア州出身。ニューヨーク州立大学で原子力工学を学び、電力会社を経て米原子力規制委員会に就職。福島事故の際は日本に11か月間派遣された。ミシガンなど8州を管轄する地域センター長などを務め、2013年に退職。原発の安全性などのコンサルタント業を行っている


       原子力発電で高い技術力を持つ米国は、日本にいる米国人の保護や、事故対応への援助などのため、166人のチームを日本に送り込んだ。米原子力規制委員会(NRC)の技術者だったチャールズ・カスト氏はそのチームの代表を務めた。

                ◇

       日本行きの指示を受けたのは3月14日でした。福島第一原発と同じタイプの原子炉を電力会社で運転した経験もあり、事故対応には自信がありました。ところが、翌15日午後に東京に着き、想像を超えた多くの難題に直面することになりました。

       当時の原子力安全・保安院は、原子炉の状況をつかめていませんでした。計器類が動かなくて状況がつかみにくかったうえ、東電や政府の情報伝達も混乱していました。

       ■責任者分からず

       東京に着いて3日後、東電に勝俣恒久会長を訪ねました。彼は毅然きぜんとした態度で私の目を見つめ、「ヘルプ・ミー」と言いました。真剣に助けを求めているようでした。ところが、大使館に一度戻り、チームのメンバーと再び東電に駆けつけると、現場の担当者に協力を断られました。トップと現場で意思疎通ができていないと思いました。

       政府内でも、保安院が十分に機能せず、どこの役所が事故対応の責任者なのか、我々には分かりませんでした。菅首相に情報が集約されていませんでした。

       米国ではNRCが各原子力発電所に職員を配置しており、彼らから情報がホワイトハウスに届くようになっています。さらに、大統領が事態を理解して対応できるよう、技術に精通した専門家が補佐する体制になっています。

       ■建屋の姿に絶句

       事故から約1か月後、福島第一原発へ行きました。街にはセシウムまみれの車や子供のおもちゃが捨て置かれていました。住民に起きたことを考えると、息苦しくなりました。原子力の専門家として、こうした事故を繰り返してはならないと思いました。

       水素爆発した建屋の姿は、想像を絶するものでした。水素の危険性は私たちも認識していましたが、まさか建屋を吹き飛ばすとは……。こんな状況で、やれる限りのことを尽くした現場の技術者たちには、本当に敬服します。

       現在の(日本の)原子力規制委員会は、かつての保安院と異なり、強い力を持って規制に当たっていると思います。ただ、断層の評価など技術的な面が中心になっています。避難計画など非常時の対応に、もっと国が力を入れるべきです。最悪の事態が起きうることを常に肝に銘じ、対策を怠らないことが、福島事故の最大の教訓です。(聞き手 三井誠、肩書は当時)

      原子力安全・保安院  原発をめぐる行政は、かつて資源エネルギー庁が推進と規制の両方を担っていた。2001年、安全規制を独立して行う機関として保安院が作られた。しかし、二重に安全性を監視する立場だった内閣府原子力安全委員会とともに、規制の甘さが福島事故で表面化し、12年に廃止。法律で高い独立性を定めた原子力規制委員会へ引き継がれた。

      海水注入問題  福島第一原発事故の2日目(3月12日)、1号機の原子炉を冷やすための注水は、淡水が枯渇して海水に切り替えられた。しかし、「海水によって再び臨界(核分裂が続く状態)に達する」というほとんどありえない可能性が官邸内で指摘され、東京電力幹部が注水の中断を指示。現場の機転で注水は継続されたが、後に官邸側が「班目氏に再臨界の危険性を指摘された」と釈明、班目氏は激しく反論した。

      過酷事故  炉心(原子炉の核燃料)の溶融など、設計時の想定を超えて制御が難しくなった異常事態。福島第一原発事故のほか、1979年の米スリーマイル島原発事故、86年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故が該当する。安全委は92年、対策の必要性を認めつつも義務化はせず、電力会社の自主的な取り組みの対象にとどめてしまった。

      JCO臨界事故  核燃料のウランは、密集させると臨界に達する。茨城県東海村の核燃料加工会社「ジェー・シー・オー」で1999年9月30日、加工中に臨界となるのを防ぐ国の管理規定を無視して作業を簡略化したため、本来は原子炉の中で起きる臨界状態が、室内で発生。作業員3人が大量の放射線を浴び、うち2人が1年以内に死亡した。

      原子力規制委員会  保安院や安全委などが分担していた原子力の安全規制を、一括して担当する機関として2012年に発足した。様々な基準を抜本的に見直し、13年に原発の新規制基準を施行。過酷事故対策を義務化し、自然災害対策を大幅に強化した。この新基準に沿って、再稼働をめざす原発の審査を進めたり、福島第一原発の廃炉作業を監視したりしている。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160126-118-OYTPT50425

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  2. [震災5年 証言]<4>即断したトモダチ作戦…前駐日米大使 ジョン・ルースさん 60
    2016年1月28日3時0分

     東京・赤坂の米国大使館から外の駐車場に避難した後、私が最初にしたことは、ワシントンへの連絡でした。9階の自室で感じた激しい揺れは、地震が多いサンフランシスコで生まれ育ち、地震に慣れたつもりでいた私の想像をはるかに超えていました。米国は真夜中でしたが、オバマ大統領とクリントン国務長官(当時)は私の説明を真剣に聞いたうえで、こう言いました。「危機に直面している日本人を助けるため、必要なすべてのことをしてください」

     その直後、太平洋岸を大津波が襲い、福島県の原子力発電所が危険な状態にあるという情報が届きました。短時間のうちに恐ろしい出来事が次々と起きていく中、私は1本の電話を入れました。相手は在日米軍の司令官です。米軍を動員して、日本人と日本政府を支援することが最良の方法と考えました。これが「トモダチ作戦」です。作戦は米政府の了承のもと、すぐに展開され、兵士ら約2万4000人が被災地での救助・捜索活動などを行い、原発事故にも対応しました。

     日本の米大使としてはもちろん、在留米国人約15万人と日本で勤務する兵士ら約5万人の安否確認が最優先の業務でした。ですが、米国の最も重要な、深い絆で結ばれた日本のことを後回しにはできませんでした。いくつもの事案に同時に対処していく――。そればかり考えていました。

     朝から晩まで、米国から来た政府幹部や米軍関係者、原発の専門家らと被災地での様々な対応について協議を重ねました。忙しい日々でしたが、彼らの話を丁寧に聞くことに時間を割くよう努めました。私は弁護士です。プロの法律家として、問題をきちんと把握して分析した上でどう動くかを決めるという所作が身についていました。これまでの人生経験が本当に大事な場面で生かされたと思います。

     トモダチ作戦で実際に米国が果たせた役割は、ほんの一部だったと思います。それでも、援助物資の運搬なども含め、必要に応じてそれなりに展開できたことを誇りに思っています。(特集面に続く)
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160128-118-OYTPT50248

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    1. [震災5年 証言]若者に希望 日米つなぐ… 前駐日米大使 ジョン・ルースさん 60
      2016年1月28日3時0分

      (1面の続き)

       しばらくして、自分で被災地に足を運び、避難所となっていた宮城県石巻市の小学校を訪ねました。そこで経験したことは忘れられません。

       ひとりの少年が私に近づいてきました。その表情は、私が彼にとって必要な安らぎを与えられる人間だと言っているように見え、私たちは抱き合いました。他の人たちは冷静で、取り乱すこともありませんでした。少年も含めた被災者のみなさんが、困難を乗り越えて精いっぱい生きようとしている現実が身にしみました。その時に頭に浮かんだ言葉は、今もはっきりと覚えています。

       「自然の脅威は、人間の財産も、命までも奪ってしまうことがある。だけど、人間が生きようとする精神までも奪うことなど、できない」

       人生で、何かに対して完璧に準備して対応できることなどありえません。何かが起きた時は、本能や人生経験に基づいて動くことになる。東北の人たちはまさにそうしたのでしょう。彼らが震災直後に示した冷静さや、その後の復興へのたゆまぬ努力を思い返す度、日本人の強さを称賛せずにはいられません。

       一方で、原発事故への対応は、今も非常に複雑な問題を抱えていると考えます。私は原子力の重要性を強く認識しています。地球温暖化への対処を迫られる中、原子力は安全でクリーンなエネルギーです。ただ、事故が引き起こした衝撃については十分理解しています。だから、日本が原発利用の再開を軌道に乗せていくと考えるかと聞かれたら、私は「時間がかかるし、簡単なことではない」と答えるでしょう。

      「作戦」から「構想」

       2013年8月に日本を離れて米国に戻りましたが、日本には年に7、8回訪問するなど日本との関わりを持ち続けています。震災を機に取り組むと決めたことがあるからです。

       それを私は、トモダチ作戦に続いて、「 トモダチ構想 」と呼んでいます。在任中、被災地の東北地方と米国の若者をつなぐための留学支援などを行う非営利組織(NPO)を創設しました。そのきっかけは、岩手県陸前高田市を訪れた時に出会った、 戸羽太市長 の言葉です。米国が継続的に日本でできることは何かと彼に尋ねると、彼はこう言ったのです。

       「アメリカができる最も重要なことは、東北の子供たちに『希望』を与えることですね」

       津波で妻を亡くした市長の言葉を重く受け止め、この言葉をどうやって行動に移そうかと考えを巡らせました。そうして行き着いたのが、トモダチ構想でした。

       東北の子供たちの役に立とうと始めたこの構想は、東北以外の子供も含めこれまでに数千人規模が参加するものになっています。一方の米国側は、私の出身のサンフランシスコに近く、米国の頭脳が集まる シリコンバレー の子供や若者らが中心です。

      「人と人」関係重要

       日本の若者は内向き志向だと言われています。実際、日本から米国に留学する人の数が劇的に減っているのは心配ですが、大丈夫ではないかという気もします。

       在任中、私は47都道府県を全て訪れました。その際、その土地の大学生や高校生と直接会話する機会を持つようにしました。学生らの話に耳を傾けると、興味や関心のあるテーマが明確で、そのために留学などを考えている人が結構いることに気づきました。若者の起業が盛んなシリコンバレーとの関係が強まれば、日本の若者はもっと刺激を受けるのではないでしょうか。特に東北の若者たちが活気づき、被災地の復興を後押しすることになると願っています。

       震災後の日米関係は、非常に緊密になってきていると思います。特に、 環太平洋経済連携協定(TPP) は日米両国にとって戦略的にも経済的にも重要で、両国の距離を縮めていくことになるでしょう。そして、国と国の結びつきが強まるのに合わせ、人と人との関係も強くしていかなければなりません。その役目を、あの震災を体験した私が今後も担っていきたいと思います。(聞き手 ロサンゼルス支局 田原徳容、写真も)

      John Roos 1955年、米国カリフォルニア州サンフランシスコ生まれ。米スタンフォード大学法科大学院を修了し、弁護士として活動。2008年の大統領選で民主党候補となったバラク・オバマ氏の陣営に参加し、同氏の大統領就任に貢献した。09年、オバマ氏の指名を受け駐日米大使に就任。同年から13年まで4年間務めた。在任中は、被爆地の広島、長崎の式典に出席。東日本大震災も経験した。

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    2.        ◇

        トモダチ構想  東日本大震災の復興支援を機に始まった、日米の官民が教育や文化・スポーツなどの交流を通じて若者を支援する構想(TOMODACHI Initiative)。米軍と自衛隊が協力して被災地支援を展開した「トモダチ作戦」の友情精神を生かすのが目的とされる。公益財団法人「米日カウンシル―ジャパン」と在日米国大使館が主導し、経営者などを志す若者の留学を支援するなど、日米の次世代リーダーの育成に取り組んでいる。

        戸羽太市長  1965年、神奈川県生まれ。会社員を経て95年から岩手県陸前高田市議3期、同副市長などを歴任。2011年2月、同市長に初当選。就任直後に起きた東日本大震災では、妻が行方不明のまま職務を続け、妻は同年4月に死亡が確認された。15年2月に大差で再選され、2期目に入った。同市は震災で市役所が全壊。死者・行方不明者は約1800人。

        シリコンバレー  米カリフォルニア州サンフランシスコの南、サンノゼ周辺の地域で、アップルやグーグルなど世界的なIT(情報技術)企業が本社を置く一帯を指す。半導体の原料となるシリコンと渓谷(Valley)の地形から名付けられたとされる。名門のスタンフォード大学があり、グーグルの創業者ラリー・ペイジ氏など著名な富裕層も多く居を構えている。

        環太平洋経済連携協定(TPP)  工業製品と農産品にかかるほとんどの関税の撤廃を目指し、太平洋を囲む12か国が昨年10月に大筋合意した協定。参加国の経済規模を示す国内総生産(GDP)の総額は約3100兆円で、世界の約4割を占める巨大経済圏が誕生することになる。政府間交渉は2010年3月に8か国で開始。日本は13年に12番目の交渉参加国となった。TPPは、Trans‐Pacific Partnershipの略。

      米兵の献身 忘れない…元防衛相 北沢俊美さん 77

       民主党の北沢俊美参院議員は、防衛相として原子力発電所事故への対応や、米軍との調整にあたった。(肩書は当時)

             ◇

       東日本大震災から6日後の3月17日、原発を冷やすため、自衛隊ヘリによる上空からの放水を行いました。様々なルートで米国側から原発事故へのさらなる対応を要望する声が伝わってきていました。放水は高い放射線にさらされる危険な任務です。隊員の人選について「子育てなどを控えた若い人に配慮したらどうか」と幹部に伝えました。しかし、若い隊員から「特別扱いしないでほしい」との声が上がり、感激しました。

      ◆「全力」伝わる

       震災直後、菅首相から米国との調整を指示されました。私とルース駐日米大使は以前から親交があり、地元・長野のリンゴと、カリフォルニアワインをお互いに贈りあったこともありました。そんな縁もあり、通常は外務省が務める米国との窓口役を防衛省で引き受けました。異例の対応でしたが、3月22日に日米両政府の連絡調整会議が設置されるまで、防衛省内で日米の会議が続きました。放水で、米国は日本政府が全力を尽くしていることを理解してくれたのでしょう。米軍の「トモダチ作戦」の展開にもつながったと思います。

      ◆寄せ書きの旗

       自衛隊と米軍は被災地で歓迎されました。被災者からは「自衛隊員の迷彩服姿を見ると安心する」と言ってもらえました。米軍の若い兵士らは「手伝えることは何でもやるから言ってくれ」と積極的で、被災者救助にとどまらず、生徒と一緒に津波に襲われた学校の清掃もしてくれました。

       4月には、三陸沖で活動していた米原子力空母「ロナルド・レーガン」を訪問しました。艦上では約2500人の乗組員が整列して出迎えてくれ、「ニッポンがんばれ」などと寄せ書きされた旗をプレゼントされました。私は「日米同盟の長い歴史で、これほど成果を上げたのは初めてだろう。日本国民は忘れない」と謝意を伝えました。生涯であれほど感動したことは、そうはありません。寄せ書きは統合幕僚監部に今も、大切に保管されています。(聞き手 森山雄太)

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    3. 「トモダチ作戦」とは…救援や原発 長期支援

       被災地で救援活動を展開した米軍の「トモダチ作戦」では、陸海空と海兵隊の4軍から最大時約2万4000人が動員された。2011年版の防衛白書によると、約140機の航空機や10隻を超す艦船も投入。このうち空母「ロナルド・レーガン」は、韓国沖での演習参加を取りやめて三陸沖に停泊し、艦載ヘリコプターなどが行方不明者の捜索や救援物資の輸送を担った。揚陸艦「トーテュガ」も活動し、北海道の陸上自衛隊員300人や車両100台を被災地に運ぶ役目を果たした。

       津波で被災した宮城県東松島市の浜市小学校(13年に近隣の小学校と統合)では、震災直後から1週間、米軍兵士約20人が重機を使い、校舎や体育館に流れ込んだがれきを撤去したり、泥をかき出したりした。教頭だった阿部達哉さん(59)(現・石巻市立大街道小教頭)は「職員は疲れ切っていて、重たいがれきを片づけるのは大変。子供たちのケアもしなければならなかったあの状況で、米軍の支援はとてもありがたかった」と振り返る。

       「トモダチ作戦」は、自衛隊と緊密な連携を図りながら実施された。自衛隊と米軍は、東京と仙台に「日米共同調整所」を設け、部隊の運用計画を立てた。

       米軍は初期の救援活動に続き、原発事故の対応などでも協力。原子炉に注水する真水を運ぶ「はしけ船」や防護服などを日本側に提供し、長期にわたる支援を続けた。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160127-118-OYTPT50473

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    4. 3号機の爆発時、活動中の米軍と自衛隊の負傷者が運ばれたとかのニュースがあったと思ったが、その後、その話はほぼかき消されてしまったかのよう…

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    5. 津波から一ヶ月ほどたってからタービン棟だかから行方不明の東電社員2名の遺体が発見とか… 死因は全身の強い打撲とか… 不審な死…

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  3. [震災5年]「風化させない」決意 最期まで 自衛隊10万人を指揮 君塚さん…昨年末に死去
    2016年1月28日3時0分

    「必ずまた来る」語り続け

     東日本大震災で、陸海空自衛隊の統合任務部隊(JTF)指揮官を務めた前陸上幕僚長の君塚栄治さん(63)が昨年12月28日、肺がんで亡くなった。10万人もの大部隊を率いて生存者の捜索などに当たった指揮官は、死去の直前に読売新聞の取材に応じ、「大震災は必ずまた来る。教訓を風化させないことが私の使命だ」と、震災を語り続ける決意を最期まで示していた。

     君塚さんは震災発生時、陸自の東北方面総監。2011年3月11日は、仙台駐屯地(仙台市宮城野区)の総監室にいた。いすから投げ出されるほどの揺れの中、「非常呼集!」と叫んだ。

     総監室で航空隊のヘリコプターからの映像を見た。黒い波が、逃げる車をのみ込んでいた。あの日の津波を上空からとらえた初めての映像。「とにかく速度重視の人命救助だ」と思ったが、部下らには「あわてるな」と冷静な対応を呼びかけた。

     JTFの指揮官を任されたのは3日後の14日。災害対応では初の編成で、マニュアルもなかった。「東北の部隊だけでは人員が圧倒的に足りない」という状況の中、覚悟を決めた。

     JTFには最大時、10万7000人の自衛隊員が集結。母親が津波にのまれて動転した隊員は任務から外した。「私は家族全員を失いました。部隊で役目を果たすしかない」と申し出てきた隊員もいた。「修羅場だった」と振り返る。

     最も判断が難しかったのは、不明者捜索から避難生活の支援に力点を変更するタイミングだったという。「最後の一人まで見つけることに追われると、避難所で凍えている命を見捨てることになる」。ただ、生存率が大幅に下がる被災後72時間を超えても、家族らの望みを断つ決断は苦しく、実行に移したのは1週間近く後だった。

     JTFが7月に解散した後、陸自トップの陸幕長に就任。13年に退任してからは、南海トラフ巨大地震などが想定される静岡県の危機管理担当補佐官に就くなど、ノウハウを災害対応の現場に伝える道を選んだ。

     東京都内の病院に入院していた昨年12月上旬、取材に応じた。時折せき込みながらも手帳に目を落とし、「自衛官生活の最後に直面した国民の危機は、災害だった。自衛隊がそのための準備もしなければならないということを、国民に理解してもらわないといけない」などと語った。

     大みそかにあった告別式には、中谷防衛相や陸幕長経験者らが参列。「何事にも動じない人だった」などと惜しむ声が上がる中、ひつぎは敬礼に見送られて斎場を後にした。

     【統合任務部隊】 防衛有事や大規模災害時、自衛隊法に基づいて編成される。2009年の北朝鮮によるミサイル発射の際にも、空自と海自でつくった。災害への対応を目的に、陸海空で編成したのは東日本大震災が初めて。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160128-118-OYTPT50149

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    1. 【訃報】君塚栄治氏=前陸上幕僚長
      2015年12月30日5時20分

       君塚栄治氏 63歳(きみづか・えいじ=前陸上幕僚長)28日死去。葬儀は近親者で行う。陸上自衛隊第8師団長、東北方面総監などを歴任し、2011年の東日本大震災の時には、10万人を超える陸海空自衛隊を一元的に運用する「統合任務部隊」の指揮官として救援活動に当たった。同年8月に陸自トップの陸上幕僚長に就任し、13年に退任した。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160105-118-OYT1T50037

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    2. 君塚栄治氏が死去…東日本大震災で救援活動指揮
      2015年12月29日18時54分

       前陸上幕僚長の君塚栄治(きみづか・えいじ)氏が28日死去。

       63歳。葬儀は近親者で行う。陸上自衛隊第8師団長、東北方面総監などを歴任し、2011年の東日本大震災の時には、10万人を超える陸海空自衛隊を一元的に運用する「統合任務部隊」の指揮官として救援活動に当たった。同年8月に陸自トップの陸上幕僚長に就任し、13年に退任した。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20151229-118-OYT1T50088

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  4. 原発事故時の避難 職員がバス運転へ 福井・高浜町
    1月28日 5時55分

    29日再稼働する関西電力・高浜原子力発電所が立地する福井県高浜町は、原発事故が起きた際の住民の避難にバスを運転できる免許を持つ町の職員を活用することになりました。

    福井県は原発事故が起きた際、学校にいる子どもやお年寄りなど自力で避難することが難しい人たちをバスで避難させる計画です。
    このうち高浜町はバス会社や関西電力と取り決め、必要な車両の台数を確保したとしていますが、計画どおりバスの運転手を確保できないときに備えてバスを運転できる免許を持つ町の職員を活用することになりました。町によりますと、職員の7%にあたる11人が大型免許を持っているということです。
    町は今後、こうした職員が定年退職することも踏まえて、国や県と協議しながら職員が免許を取得する費用を補助したいとしています。
    原子力防災を担当する内閣府によりますと、原発の立地自治体の避難計画で、住民の避難に使うバスの運転に職員を活用する例はないということで、高浜町の野瀬豊町長は「いざというときに備え、町でもできる準備はしておきたい」と話しています。
    住民の避難を支援するバスの運転手や自治体の職員には被ばくのリスクや業務の具体的な内容についての事前の研修などが必要とされ、内閣府は今後、被ばく対策の手引きを示すことにしています。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160128/k10010388461000.html

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  5. WEDGE REPORT
    時を経て住民苦しめる放射性物質の脅威
    前例見ぬほどの放射能汚染の可能性も…
    2016年01月27日(Wed)  土方細秩子 (ジャーナリスト)

    マンハッタン計画、といえば日本への原爆投下につながった第二次世界大戦中の米英カナダが協力した核開発プログラム。しかしその負の遺産が今、米住民を苦しめている。

    杜撰極まりない核廃棄物処理

     マンハッタン計画の中心となったハンフォード研究所は現在国の歴史公園に指定されている。しかし現在クローズアップされているのはあまり知られていないウラン濃縮施設があったミズーリ州セントルイス周辺だ。人口300万人の大都市周辺で、放射性物質が次々検出され住民の不安をあおっている。

     マンハッタン計画で出た核廃棄物は、1973年にセントルイス市のゴミ処理業者リパブリックサービス社が引き受け、同市郊外のウエストレイク周辺の埋め立てに使われた。しかし当時は核廃棄物の危険性がそれほど知られておらず、地中15センチから1メートルに覆いもせず埋める、という杜撰なものだった。

     2008年に米環境保護局(EPA)が核廃棄物を粘土、砂利、土などで囲い込むプランを発表したが、「 放射能への対応としては不十分」という指摘を受け撤回した。その後「対応が遅すぎる」という批判を受けながらもEPAは実際的な行動を起こしていない。

     問題はこのウエストレイクの埋め立て地で2010年頃から地下火災が起こっている、という点だ。ミズーリ州検察局はリパブリックに対し訴訟を起こし、裁判は今年3月からが予定されている。地中から煙が立ち上り、付近住民が健康被害などを訴えているが火災原因は不明だ。

     この地下火災が、核廃棄物埋め立て地までわずか数百メートルまで迫りつつある。このためEPAはリパブリックに対し、廃棄物周辺にバリアを施し火災が埋め立てに及ばないよう防護するよう命令を下した。リパブリック側は「火災が核処理物に到達する可能性はきわめて低い」としている。

     しかし同州の環境保護団体トップであるエド・スミス氏は「地下や地上の火災が放射性物質に引火する恐れのない唯一の方法は廃棄物をそっくり移動させること」と、リパブリック、EPA双方に反発している。リパブリックの火災が引火する可能性は低い、という主張は全く根拠がなく、EPAのバリアは問題の根本的解決にはならない。
    http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5957

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    1. ウエストレイク周辺にガン患者が多いという事実も

       なぜEPAの対応がこれほど遅いのか、というと、誰も「どれだけの放射性物質が廃棄されたのか正確に知らない」という驚くべき事実に至る。マンハッタン計画当時には濃縮ウランの危険性は知られていたが、その製造過程で出る数多の廃棄物についての扱いは実に杜撰で、リパブリックのような民間の処理業社が処理を任される、というケースが全米で起きていた。

       しかも、問題は火災だけではない。環境団体などが調査した結果、埋め立て地から放射性物質が漏れ出し、周辺に広がっていることが確認されている。EPAはこの件に関しても「測定の結果、放射性物質は検出されたが国のガイドライン以下で健康被害にはつながらない」としている。

       しかし、ウエストレイク周辺にガン患者が多いことは州の調査でも明らかな事実だ。政府の対応に不満を覚えた住民が政府資料を精査した結果、国が「放射能汚染レベルは予想よりも遥かに重篤である可能性がある」と把握していた証拠となる文書を発見した。原子力専門家によると「前例のないほどのレベルの放射能汚染の可能性がある」という。もしこの廃棄物に火災が生じた場合、何が起こるのかは誰にもわからない。「ミズーリ州の真ん中で放射能緊急事態が発生する」と付近住民は恐れている。

       何より、付近住民にとって問題なのは、「もうここには住めない。住宅の価値もゼロに等しくなった。政府は我々に何を補償してくれるのか」という訴えだ。娘の友人が21歳の若さでガンを発症した、というある住民は「この地での人生は終わった。政府は私たちを見殺しにするつもりだ」と嘆く。

       1990年の時点でウエストレイクの放射性廃棄物の危険性はすでに指摘されていた。しかしリパブリックは廃棄物の移動命令に従わず、「安全」を繰り返してきた。事実は違法な投棄でリパブリック自身もどれだけの廃棄物がどれだけの広範囲にわたって埋め立てに使われたのか把握していないのだ。

       福島の事故が起きた時、日本在住の自国民に対し「原発から80キロ以内に立ち入り禁止」命令をどこよりも早く出したのは米国だった。その同じ国が自国内の問題についてはこれほど腰が重いのは一体どういうわけなのだろうか。
      http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5957?page=2

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  6. 第一原発1・2号機へのロボット投入を延期
    2016年1月28日 21:17 日テレNEWS24

     福島第一原発の廃炉に向け、格納容器の中にロボットを入れる調査が難航していて、東京電力は、今年3月までに予定していた1号機と2号機の調査を来年度に延期することを決めた。

     福島第一原発の1号機と2号機では、格納容器の中に入れて溶け落ちた核燃料の状態を調べるロボットが開発され、今年3月までに調査を行う予定だった。

     しかし、1号機では格納容器内部の視界が極めて悪く、また、2号機ではロボットを投入する入り口の放射線量が高くて作業員が近づけない状態が続いている。

     こうしたことから東京電力は28日、調査を来年度に延期すると発表した。溶け落ちた核燃料の取り出しは廃炉に向けて最も大きな課題であり、ロボット投入の延期は今後の作業の進捗(しんちょく)に影響を与えそうだ。
    http://www.news24.jp/articles/2016/01/28/07321034.html

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    1. 福島第一原発1号機 ロボット調査の延期公表
      1月29日 4時32分

      東京電力福島第一原子力発電所1号機で、ロボットを投入して溶け落ちた核燃料の状態を把握する調査について、国と東京電力などは調査の延期を正式に公表しました。

      福島第一原発1号機では、核燃料の大部分が、溶け落ちて原子炉を突き抜け、その外側を覆う「格納容器」の底にたまっている汚染水の中にあるとみられています。
      国と東京電力は、去年4月に格納容器の中にロボットを投入して内部の状況を確認したのに続き、今年度中をめどに水中を進むことができる別のロボットで詳しい調査を行う計画でした。
      ところが、汚染水の濁りがひどく、調査に支障を来すおそれがあることが分かり、東京電力などは調査を延期したうえで計画を見直すことを決め、28日、正式に公表しました。
      具体的には、去年4月に使ったロボットをベースに新たなロボットを作り、作業用の足場を移動させながら、汚染水の中に線量計とカメラをワイヤーでつり下げ、放射線量のデータと映像から核燃料の状態や分布を調べる方針で、来年度のできるだけ早くに調査を行いたいとしてます。
      一方、2号機でも今年度中をめどに、原子炉の真下にロボットを投入して、溶け落ちた核燃料の状態を調べる予定でしたが、ロボットの投入作業を行う現場周辺の線量が下がらず、実施のめどが立たない状態が続いています。
      http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160129/k10010389701000.html

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  7. 福島第一原発 凍土壁ほぼ完成も運用めど立たず
    1月29日 5時01分

    東京電力福島第一原子力発電所の汚染水対策の柱として建設が進められてきた「凍土壁」は、29日、ほぼ完成する見通しです。ところが、原子力規制委員会の認可が出ず、今年度中としていた運用開始のめどが立たない事態となっています。

    福島第一原発では、建屋の中に大量の地下水が流れ込んで汚染水を増やし続けていて、これをどう抑えるかが大きな課題となっています。
    これに対して、凍土壁は、1号機から4号機の周囲の地盤を凍らせて、全長1.5キロの氷の壁で囲み、建屋に流れ込む地下水の量を、現在の10分の1以下の1日10トンまで抑えるのがねらいです。
    おととし6月に着工し、国が345億円をつぎ込んで建設を進めた結果、29日でほとんどの工程が終わり、地中に打ち込んだパイプに「冷却材」と呼ばれる液体を詰める作業が終われば、設備は完成します。
    ところが原子力規制委員会は、いまだに凍土壁の運用開始を認めていません。
    現在、建屋内の汚染水の水位は周囲の地下水より低く保たれていますが、凍土壁によって地下水の水位が下がりすぎて、上下が逆転すると、最悪の場合、汚染水が漏れ出し、汚染が拡大するおそれがあるというのです。
    東京電力側は、地下水の水位を細かく監視し、水位が下がり過ぎた場合は水を注入するなどとしていますが、原子力規制委員会は、地下水を巡っては想定外の事態が起きかねず、説明が不十分だとしています。
    凍土壁は汚染水対策の柱として導入が急がれたことから、建設を先行させ、汚染拡大への対策などは建設と並行して議論することになっていましたが、完成を目前にしても、東京電力側と原子力規制委員会の隔たりが埋まらず、今年度中に計画していた凍結開始のめどが立たない事態となっています。

    汚染水対策 手探り続く

    福島第一原発では、事故が起きた直後には毎日およそ400トンの地下水が建屋内に流れ込み、核燃料を冷やしたあとの水と混ざって、汚染水を増やし続けていました。
    このため東京電力は、建屋から汚染水をくみ上げ、大半の放射性物質を取り除いたうえでタンクに保管していますが、すでにタンクは1000基を超え、いかに汚染水の増加を抑えるかが大きな課題となっています。
    その後、建屋より上流側で地下水をくみ上げる「地下水バイパス」や、建屋の周囲にある「サブドレン」と呼ばれる井戸から地下水をくみ上げる対策などで、流入量は1日およそ150トンまで減っています。
    国と東京電力は、「凍土壁」が完成すれば、建屋への流入量は1日10トン程度となり、汚染水対策は大きく進むとしています。
    一方で、去年10月、汚染された地下水が海に流れ出るのを抑える「遮水壁」と呼ばれる設備が完成したあと、せき止めた地下水の量や放射性物質の濃度が想定を上回ったため、処理しきれない地下水を建屋に入れざるをえなくなり、結果的に汚染水を増やしてしまうという、新たな課題も生じています。
    地下水の流れや汚染の状況は直接確認することができないだけに、手探りの対策が続いています。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160129/k10010389691000.html

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  8. 福島県で屋外活動制限の公立学校なくなる
    1月29日 4時03分

    東京電力福島第一原発の事故による放射線の影響で、福島県内では一時、400を超える公立の小中学校や高校などで体育の授業などの屋外活動が制限されていましたが、放射線量の低下とともに、こうした活動を制限する公立学校はこれまでにすべてなくなったことが分かりました。

    原発事故直後の平成23年6月の時点で、福島県内では公立の小中学校や高校、それに特別支援学校の合わせて827校のうち、半数を超える465校が、子どもたちの屋外活動を制限していました。
    その後、学校の校庭の放射線量が下がったことや、保護者の理解が得られたことから、こうした制限をする学校は次第に少なくなり、昨年度は16校にまで減っていましたが、これまでにすべてなくなったことが、福島県への取材で分かりました。
    福島県では、肥満傾向の子どもの割合が改善は見られるものの、全国的に高い水準にあり、屋外活動の制限で運動の機会が減っていたことが要因の1つとみられています。福島県は、楽しみながらできる運動を各学校に紹介するなどして、子どもたちの運動不足の解消に取り組みたいとしています。
    一方、NHKが各地の自治体などに取材したところ、福島県内の公立の幼稚園では今も屋外活動を制限しているところが4つあり、これらの幼稚園は「保護者の間ではしっかり外で遊ばせてほしいとの意見の一方、一部で放射線への不安の声もあるため、制限を続けている」などと話しています。

    学校の現場では

    屋外活動の制限を取りやめた学校では、子どもたちが制限を気にせず、休み時間などに遊びや運動を楽しむ姿が見られるようになっています。
    福島県西郷村では、村内にある5つの小学校で屋外活動を1日4時間以内に制限していましたが、校庭の放射線量が十分低いと確認されたとして、今年度、すべての小学校が制限を取りやめました。
    このうち、全校生徒およそ70人の羽太小学校では、休み時間に多くの子どもたちが校庭に出て、縄跳びをしたり雪合戦をしたりして遊ぶ姿が見られるようになりました。
    小学校によりますと、制限があったときは、運動会が午前中だけになったり、児童の登下校を保護者が車で送り迎えしたりしていたほか、子どもたちも制限を意識して萎縮している様子があったということです。
    屋外活動の制限がなくなったことについて、女子児童の1人は「制限がなくなって、体が動かせるのはいいと思う」と話していました。また、男子児童の1人は「みんなと外で遊べるようになってうれしい」と話していました。
    一方、この小学校では、植物の栽培など土を触る活動のときは、子どもたちにマスクや手袋をさせるなどの対策をとっているほか、震災以降、平日は毎日行っている校内の放射線量の測定を、今後も続けることにしています。
    羽太小学校の稲林敬教頭は、「子どもたちが時間の制限なく外で元気に遊ぶのが、学校教育の理想です。ただ、震災から5年となり、放射線への意識が薄れてもいけないので、子どもたちが放射線の数値や影響を自分で判断できるよう教育していきたい」と話しています。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160129/k10010389771000.html

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    1. 「東北六魂祭」ことしを最後に終了へ
      1月29日 5時44分

      東日本大震災からの復興の願いを込めて、東北6県の夏祭りを一堂に集めて毎年開かれてきた、「東北六魂祭」について、県庁所在地の市などで作る実行委員会は、震災から5年となることし、青森市での開催を最後に、終了させる方針を固めました。

      「東北六魂祭」は、東日本大震災で犠牲になった人たちへの追悼と復興の願いを込めて、震災の年に始まり、毎年1回、「青森ねぶた祭」や秋田の「竿燈まつり」など、東北6県の代表的な夏祭りを一堂に集めて開かれています。
      関係者によりますと、東北地方の県庁所在地の市などで作る実行委員会は、ことし、「東北六魂祭」を青森市での開催を最後に、終了させる方針を固めました。
      祭りの終了は、6県での開催が一巡することに加えて、運営を支えてきた企業の協賛金が年々少なくなってきたことが背景にあるということです。
      「東北六魂祭」の終了は、29日、東北地方の県庁所在地の6市の市長が集まって青森市で開く共同の記者会見で正式に発表されるということです。
      最後となる「東北六魂祭」は、青森市を会場に6月25日から2日間の日程で行われる予定です。
      http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160129/k10010389921000.html

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  9. 福島原発事故に伴う森林除染の方針 再検討
    2016年1月29日 16:18 日テレNEWS24

     東京電力・福島第一原発事故に伴う森林の除染について、丸川環境相は29日、生活圏から離れた森林では、除染を行わないとする基本方針を、再検討することを明らかにした。

     福島第一原発事故に伴う除染について、環境省は先月、生活圏から約20メートル離れた森林では除染を行わない方針を決めていた。

     しかし、森林で作業をする人などからは不安の声が上がり、県や地元自治体からは、「除染の方針を再検討してほしい」「里山全体を除染してほしい」といった要望が出されていた。

     丸川環境相は29日の閣議後の記者会見で、こうした要望を受けたことを踏まえ、環境省や復興庁、林野庁などで新たな検討会を立ち上げ、森林除染や林業の再生について再検討することを明らかにした。

     検討会は来月中にも開かれる予定で、丸川環境相は「地元の皆さんの思いをよく踏まえて連携して取り組みたい」と話している。
    http://www.news24.jp/articles/2016/01/29/07321097.html

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  10. 溶融燃料「議論できない」=福島第1の危険性低減案―規制委
    時事通信 1月27日(水)17時31分配信

     原子力規制委員会は27日、東京電力福島第1原発が抱える危険性を段階的に減らすため作成した「中期的リスクの低減目標マップ案」を示した。
     1~3号機で溶け落ちた核燃料(デブリ)については明確な記述がなく、同日の検討会で座長役の更田豊志委員長代理は「議論できる状況に至っていない。取り出さない可能性も完全には否定できない」と述べた。
     マップ案は2020年ごろまでの作業を想定。3号機使用済み燃料プールのがれき撤去は今年3月ごろ終了し、1号機は17年ごろから燃料プールのがれき撤去が始まるとしている。
     一方、デブリ取り出しについて更田氏は「(20年ごろまでの)時間の範囲で考えるようなものではないので触れていない」と説明した。
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160127-00000108-jij-soci

    「福島第1原発」
    http://www.2nn.jp/word/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%AC%AC1%E5%8E%9F%E7%99%BA

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  11. 【漁業】福島県漁連、漁業自粛の縮小決定 福島第1の10キロ圏内まで
    http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1453874558/

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  12. 【福島】電気代が想定以上...見通し甘く? 南相馬の植物工場が操業停止
    http://potato.2ch.net/test/read.cgi/femnewsplus/1454065516/

    【福島】トマト工場で安全アピール 南相馬の農業法人
    http://potato.2ch.net/test/read.cgi/femnewsplus/1453376695/

    「植物工場」に関連するニュース
    http://www.2nn.jp/word/%E6%A4%8D%E7%89%A9%E5%B7%A5%E5%A0%B4

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  13. 福島の住民 裁判通じ原発事故解明求める団体設立
    1月30日 20時41分

    福島第一原子力発電所の事故を巡って、今後、東京電力の旧経営陣の刑事責任を問う裁判が開かれることから、福島県の住民などが、裁判を通じて事故の真相解明を求めていく新たな団体を発足させました。

    福島県の住民や弁護士、ジャーナリストなどは、原発事故の真相解明を求める「福島原発刑事訴訟支援団」を発足させ、30日東京都内で開いた集会には400人余りが参加しました。集会では、福島県の住民で副団長の武藤類子さんが「原発事故から5年になるが、福島の現状は非常に厳しい。一人一人ができることをやっていきましょう」と呼びかけました。
    福島第一原発の事故を巡っては、東京電力の元会長ら旧経営陣3人が検察審査会の議決によって、近く業務上過失致死傷の罪で強制的に起訴されることになっています。今後開かれる裁判では、旧経営陣が巨大な津波を予測できたかどうかが争われる見通しで、3人が法廷で当時の認識を説明するほか、さまざまな資料が証拠として提出されるとみられます。
    支援団は、公開されていない資料を法廷で明らかにするよう求めるとともに、裁判を傍聴した内容を情報発信していくことにしています。福島県川俣町から避難し、支援団に参加した女性は「裁判で事故の原因を解明し、風化を防げるよう頑張っていきたい」と話していました。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160130/k10010391811000.html

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  14. チェルノブイリ原発 事故30年 二重の「石棺」
    2016年1月31日3時0分

      老朽化著しく

     【キエフ=船越翔】史上最悪の事故から今年4月で30年となるウクライナのチェルノブイリ原子力発電所を、25日に取材した。爆発した原子炉を覆う「石棺」は老朽化が著しく、放射性物質の飛散を防ぐための覆いが新たに造られている。

     「毎時19マイクロ・シーベルト」。4号機まで約300メートルの場所で放射線の測定値が跳ね上がった。がんのリスクが上がるといわれる100ミリ・シーベルトに、7か月余で達する線量だ。福島第一原発と違って原子炉の格納容器がなかったチェルノブイリでは、事故で溶けた核燃料が建屋の地下などに流れ込み、コンクリートや砂と一緒に固まった。これ以上は近づけない。

     コンクリート製の石棺は隙間だらけ。表面の鉄板は赤くさびついている。石棺内に溶剤を散布し、粉じんの外への飛散を抑えているという。

     この4号機を石棺ごと外側からすっぽり覆う鉄製シェルターが造られていた。完成後、レール上を約300メートル水平移動させ、4号機の位置まで運ぶ計画だ。

     

    事故30年 チェルノブイリ遠い廃炉 燃料1300トン 取り出し困難

     チェルノブイリ原発4号機を覆うためのシェルターは、巨大なかまぼこ形で、高さ110メートル、幅260メートル、奥行き150メートル。完成予定は何度も延期され、今は来年の夏頃を目指している。

     作業に時間がかかる大きな原因の一つは、厳しい寒さだ。冬場は最高気温が0度を下回る日が多い。この日は氷点下10度で雪が降る中、作業員らがシェルターの側壁を取り付けていたが、10分も外にいると防寒着の中の手足に感覚がなくなってくる。

     シェルターの総工費は15億ユーロ(約2000億円)で、日本も一部を拠出している。放射性物質の飛散を防ぐだけでなく、内側にクレーンを取り付け、建屋の解体などに使う計画だ。

     しかし、廃炉の具体的な工程は決まっていない。同原発国際協力情報部によると、コンクリートなどと共に固まって残る核燃料の総量は1300トン。

     同原発安全部門のアレクサンドル・ノビコフ副技師長(51)は「固まった燃料は硬く、少量の分析試料を取り出すのも難しい」と話す。

     

    福島 「40年後廃炉」へ工程

     2011年3月に起きた福島第一原発事故は、国際的な事故評価ではチェルノブイリ事故と同じ「レベル7」となったものの、事故で放出された放射性物質の量は約6分の1で、事故後の状況も異なる。政府と東京電力は、事故から40年後の51年までに廃炉を完了するため、具体的な工程を定めている。

     最大の課題は、1~3号機の格納容器内に溶け落ちた核燃料(溶融燃料)の取り出しだ。最初に溶融燃料を取り出す原子炉を、18年度前半をめどに決め、21年に作業を始める。

     現在は宇宙線を使って建屋を透視し、溶融燃料の位置や状態を調べている。取り出し作業の安全を確保するため、格納容器を水で満たして放射線を遮る工法の検討や、ロボットアームの開発を進めている。

     福島第一原発では、建屋にある放射性物質を含んだ汚染水が、迅速な作業を阻む壁となっている。政府と東電は、汚染水の抑制策を進め、20年に建屋内の汚染水処理を完了するのが目標だ。

      チェルノブイリ原子力発電所  ソ連時代の1986年4月26日に4号機が爆発。火災も起きて大量の放射性物質が広く飛散し、特に汚染がひどい30キロ・メートル圏などが居住禁止となった。構造上の欠陥や作業員の人為ミスなどが重なって起きたと考えられている。作業員や消防士、甲状腺がんを発症した住民など約60人が死亡した。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160131-118-OYTPT50156

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    1. 事故30年、二重の「石棺」…チェルノブイリ
      2016年1月31日13時41分

       【キエフ=船越翔】史上最悪の事故から今年4月で30年となるウクライナのチェルノブイリ原子力発電所を、25日に取材した。

       爆発した原子炉を覆う「石棺」は老朽化が著しく、放射性物質の飛散を防ぐための覆いが新たに造られている。

       「毎時19マイクロ・シーベルト」。4号機まで約300メートルの場所で放射線の測定値が跳ね上がった。がんのリスクが上がるといわれる100ミリ・シーベルトに、7か月余で達する線量だ。福島第一原発と違って原子炉の格納容器がなかったチェルノブイリでは、事故で溶けた核燃料が建屋の地下などに流れ込み、コンクリートや砂と一緒に固まった。これ以上は近づけない。

       コンクリート製の石棺は隙間だらけ。表面の鉄板は赤くさびついている。石棺内に溶剤を散布し、粉じんの外への飛散を抑えているという。

       この4号機を石棺ごと外側からすっぽり覆う鉄製シェルターが造られていた。完成後、レール上を約300メートル水平移動させ、4号機の位置まで運ぶ計画だ。

       ◆チェルノブイリ原子力発電所=ソ連時代の1986年4月26日に4号機が爆発。火災も起きて大量の放射性物質が広く飛散し、特に汚染がひどい30キロ・メートル圏などが居住禁止となった。構造上の欠陥や作業員の人為ミスなどが重なって起きたと考えられている。作業員や消防士、甲状腺がんを発症した住民など約60人が死亡した。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160131-118-OYT1T50004

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  15. [震災5年 証言]<6>最終回 復興予算 膨らみすぎ反省…政策研究大学院大教授 飯尾潤さん 53
    2016年1月31日3時0分

     「東日本大震災復興構想会議」(五百旗頭いおきべ真議長)がスタートした2011年4月、政治は「真空状態」にありました。菅首相らは原子力発電所事故や与野党が首相交代を求めた「菅おろし」政局への対応で手いっぱいだったと思います。

     政治の機能不全は、皮肉にも官僚の総力を結集した提言につながりました。復興はあと5年間でほぼ完了するでしょう。私が検討部会長として参加した構想会議が示した「創造的復興」「市町村中心の復興」という方向性は基本的に正しかったと思います。

     反省もあります。復興予算が15年度末までで約26兆円と膨らみすぎたことです。提言が道筋をつけた復興増税で、財源問題は事実上、解消されました。「せっかく全額予算が付くのなら」と被災自治体で大規模な公共事業が多くなりすぎた面は否定できません。

     (特集面に続く)
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160131-118-OYTPT50149

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    1. 福島復興「国の責任」明記…政策研究大学院大教授 飯尾潤さん 53
      2016年1月31日3時0分

       (1面の続き)

       東日本大震災復興構想会議は混乱状態の中、始まりました。

       最初、首相官邸側からは、「2011年中に提言の取りまとめを」と要請されました。しかし、それでは来年度(12年度)予算に反映できません。「6月までにまとめる」と半年間、前倒ししましたが、基本的なことを考慮していない菅首相の発想に驚きました。

       会議の人選にも疑問を感じました。たとえば岩手、宮城、福島の被災3県知事も委員に加わりました。知事の意見を聞くのはいいのですが、当事者である知事が委員では、自由な議論と提言のまとめが難しくなります。

       構想会議では、粗い議論が多く、何時間議論しても方向性が定まりません。構想会議議長の五百旗頭いおきべ真防衛大学校長、議長代理の御厨みくりや貴東大教授、検討部会長の私の3人で議論の進め方をどう工夫するかを協議し、乗り切りました。これは後に、「3人会」などと呼ばれたようです。

        政治主導とは

       菅内閣は、「東北の文化を考慮した将来像」みたいなふわっとした提言を想定していたと思います。悠長なことを言っている状況ではなかったのですが。

       菅首相は「会議には役人の同席は許さず」との考えでしたが、これでは具体的な政策につながりません。また、事務局を担当した官僚も当初10人以下しかいませんでした。政治主導は大切です。しかし、復興は大筋では反対する人がいない政策です。「どうやって復興するか」という手段の議論は、実務を知る官僚なしでは成り立ちません。

       そこで、会議に官僚の出席を許し、約1か月かけて各省庁から官僚を集めました。官僚たちは土日関係なく猛烈に働いてくれました。特に提言のまとめの時期はほとんど寝る時間もなく、過労で倒れた若手官僚が何人もいたようです。

        官僚フル回転

       そのうち、各省庁には「構想会議に提案した政策は実現する」との期待が出てきたようです。財務省幹部には「各省庁の提案を事前チェックしないでほしい」と頼んでありました。せっかく各省庁が考えた政策のアイデアが、予算がかかりすぎることなどを理由に構想会議まで上がってこないことを心配したためです。

       各省庁の官僚たちは、制約が少ない状態で、存分に政策を考えられたという面もあったと思います。

        「日本の危機」

       財務省は、賠償額がどれだけふくれあがるか分からない原子力発電所事故を提言で扱うことを警戒していました。最終的に経済産業省や会議の委員が巻き返し、「国は復興について責任を持って対応すべき」と明記しました。東京電力の賠償を国が肩代わりするための立法措置を求める文言も入りました。

       東日本大震災では、東京も大きく揺れました。霞が関には「日本の危機だ」という意識があり、財務省も復興予算で渋いことを言いにくかったと思います。阪神大震災との違いです。

       安倍首相は「復興を加速する」という表現を使っています。提言が示した復興の方向性は、政権交代後も大きく変わることなく、引き継がれています。(聞き手 後藤香代)

        いいお・じゅん  1962年、神戸市生まれ。92年、東大大学院法学政治学研究科博士課程修了。埼玉大助教授などを経て、2000年から現職。専門は政治学、現代日本政治論。著書「日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ」で、07年にサントリー学芸賞(政治・経済部門)、08年に読売・吉野作造賞受賞。

        東日本大震災復興構想会議

       【議長】五百旗頭真(防衛大学校長)

       【議長代理】安藤忠雄(建築家)、御厨貴(東大教授)

       【委員】赤坂憲雄(学習院大教授)、内館牧子(脚本家)、大西隆(東大大学院教授)、河田恵昭(関西大社会安全学部長)、玄侑宗久(臨済宗福聚寺住職)、佐藤雄平(福島県知事)、清家篤(慶応義塾長)、高成田享(仙台大教授)、達増拓也(岩手県知事)、中鉢良治(ソニー副会長)、橋本五郎(読売新聞特別編集委員)、村井嘉浩(宮城県知事)

      検討部会(実務担当)【部会長】飯尾潤(政策研究大学院大教授)

       【部会長代理】森民夫(全国市長会会長)

       【専門委員】五十嵐敬喜(法政大教授)、池田昌弘(東北関東大震災・共同支援ネットワーク事務局長)、今村文彦(東北大大学院教授)、植田和弘(京大大学院教授)、大武健一郎(大塚ホールディングス副会長)、玄田有史(東大教授)、河野龍太郎(BNPパリバ証券チーフエコノミスト)、西郷真理子(都市計画家)、佐々木経世(イーソリューションズ社長)、荘林幹太郎(学習院女子大教授)、白波瀬佐和子(東大大学院教授)、神成淳司(慶大准教授)、竹村真一(京都造形芸術大教授)、団野久茂(連合副事務局長)、馬場治(東京海洋大教授)、広田純一(岩手大教授)、藻谷浩介(日本政策投資銀行参事役)

       (敬称略。肩書は当時。五十音順)

        復興予算  政府は2011~15年度を「集中復興期間」と位置づけ、被災自治体の厳しい財政事情などに配慮し、復興事業の財源26.3兆円を全額国費で確保した。16~20年度の「復興・創生期間」では6.5兆円程度の事業費を見込んでおり、引き続き復興増税や国有資産の売却益などで確保する。政府は16年度から全額国費負担の方針を転換し、高台移転など基幹的な事業や東京電力福島第一原発事故からの復興などを除く一部事業で、自治体にも一部負担を求めることにしている。

      被災者生活支援特別対策本部 菅首相(当時)が2011年3月17日、被災者の支援強化を目的に設置を指示した。本部長に松本龍防災相(同)が就任。事務局は約100人体制とし、各省庁から参加した。業務は〈1〉食料品、燃料、医薬品など支援物資の調達〈2〉被災3県や原発事故関係市町村との窓口〈3〉避難所の調整――と多岐にわたった。活動の概要は、今後の震災対応に役立てる目的で内閣府HP上に保存されている。

       

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    2. 首相直属 予算も管轄 復興庁

       東日本大震災の復興について、政府の司令塔の役割を担うのが、2012年2月に発足した復興庁だ。

       組織のモデルは、1923年(大正12年)の関東大震災後に作られた首相直属機関「帝都復興院」だ。震災直前まで東京市長を務めた後藤新平が、復興院総裁に就任し、政府主導で大規模な復興計画をまとめた。

        誕生には曲折

       95年の阪神大震災後、村山政権内で復興院のような新しい官庁の設置が検討された。しかし、自民、社会、さきがけの与党3党は「行革の流れに反する」などとして、実現しなかった。

       復興庁の誕生までには曲折もあった。東日本大震災当時の民主党政権は設置に慎重で、復興基本法案には付則で「1年以内をめどに立法措置を講じる」と記すにとどめた。これに対し、野党の自民、公明両党が復興庁の創設を強く主張。民主党は自公両党の修正案をほぼ丸のみし、基本法は2011年6月20日に成立した。

       復興庁は復興院と同様、首相をトップとし、担当閣僚の復興相は「実務の責任者」と位置づけられた。他の省庁より強い権限を持つ「格上」の官庁となっている。復興関連事業について、被災自治体からの要望などを一元的に受け付ける「ワンストップ」を掲げた。復興予算に関する復興特別会計も管轄している。

       復興庁の設置は時限措置で、20年度末までには廃止される予定だ。政府内には「南海トラフ巨大地震などを見据えて組織を残すべきだ」との声もある。

        自治体・民間の力

       復興庁など政府主導の災害対応には限界もある。

       復興庁の前身は、震災直後に被災者支援を担った「被災者生活支援特別対策本部」だ。被災地の要望に応じて対策本部は、支援物資を大量に送ったが、中継基地が物資であふれかえり「パンク状態」となったこともあった。政府が民間の宅配業者に対処を依頼したところ、すぐに解消されたという。

       この教訓から、政府は災害時に、支援物資の配送を宅配業者に委託する契約を結んだ。

       宮城県東松島市では、津波によるがれきを「金属類」「木材」「たたみ」など19種類に分別して収集した。混在すればすべて「ゴミ」となるが、分別したことで金属類を売却することなどが可能になった。

       対策本部で事務局次長を務めた復興庁の岡本全勝まさかつ次官は、「大災害への対応を『中央集権』で国が全部やるのは無理がある。自治体や民間の力が必要だ」と語る。

       

      自治体 受け止め様々

       被災自治体の復興庁に対する評価は様々だ。

       岩手県庁の中村一郎復興局長は「国から補助金をもらうために様々な復興事業の説明を国にする際、ワンストップの窓口となってくれたことは大きかった」と振り返る。施行された法律について、復興庁職員が県職員と共に沿岸自治体に足を運び、複雑な手続きを説明したこともあったという。

       約1800人の死者・行方不明者が出た岩手県陸前高田市の戸羽太市長は「東京の目線で、被災地全体を同一視している。現場の実情を知らないと感じた」と語る。同じ県内でも、被害が大きかった自治体とそうでない自治体とは、事情や復興の進み具合が大きく異なる。被災地では、自治体ごとの実情に応じたきめ細かな対応を求める声が強い。

       陸前高田市の菊池満夫理事は「市が提出した都市計画案などを、復興庁がいったん了解したのに、担当省庁である国土交通省や農林水産省からダメと言われたこともある」と話す。

       他の省庁より強い権限を与えられた復興庁だが、現実は異なるとの指摘は多い。被災自治体関係者の一人は、「他省庁から集められた復興庁職員は、出身省庁の方を向きがちだ。人事異動も頻繁で、担当者が代わると一から説明しなくてはいけないこともある」と語った。

       「予算を巡って財務省とやり合うくらい、被災地の立場に立ってほしい」

       被災自治体の本音だ。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160130-118-OYTPT50514

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  16. 治山治水は政治の要諦といえどもおのずと限界はある。

    巨大地震と巨大津波には抗うことは不可能であるということの前提を思い知っておくべき。

    より現実的な対策は、それを踏まえて実行すべきである。

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  17. 『老子』第五章
    https://www.google.co.jp/search?q=%E8%80%81%E5%AD%90+%E7%AC%AC%E4%BA%94%E7%AB%A0

    天地不仁 以萬物爲芻狗
    聖人不仁 以百姓爲芻狗
    天地之間 其猶槖籥乎
    虛而不屈 動而愈出
    多言數窮 不如守中

    天地は仁ならず、万物をもって芻狗(すうく)となす。聖人は仁ならず、百姓(ひゃくせい)をもって芻狗となす。天と地の間は、其(そ)れ猶(な)お槖籥(たくやく)のごときか。虚(むな)しくして屈(つ)きず、動きていよいよ出ず。多言はしばしば窮(きゅう)す。中(ちゅう)を守るに如(し)かず。
    http://blog.mage8.com/roushi-05

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  18. 福島・楢葉町に復興診療所 住民帰還促進へ
    2月1日 18時23分

    原発事故による避難指示が去年9月に解除された福島県楢葉町に、1日、県立の診療所がオープンしました。楢葉町ではこれまで医療機関が1か所しか再開しておらず、町は医療態勢を充実させることで住民の帰還を促進させたいとしています。

    福島県楢葉町の北田地区にオープンしたのは、県立の「ふたば復興診療所」です。午前9時の受け付け開始から楢葉町や南隣の広野町などから患者が続々と訪れ、診察を受けたりレントゲンやCT検査を受けたりしていました。
    楢葉町では原発事故による避難指示が去年9月に解除されて以降、民間の医療機関が1か所、診療を再開していますが、町に戻った住民はごく一部にとどまっていて、町は住民の帰還の促進には医療態勢の充実が欠かせないとしています。
    診療所を訪れた56歳の男性は、「問診も丁寧でよかった。いわき市の病院に行くと1日がかりだったので、近くに医療機関ができてありがたい」と話していました。ふたば復興診療所の伊藤博元所長は、「多くの人が利用してくれてうれしく思う。診療所があることで住民が安心し、地元に帰ろうと考える人が増えればいいと思う」と話していました。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160201/k10010393271000.html

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  19. 原発20キロ圏「海中がれきどう処分」

     東京電力福島第一原発から半径20キロ圏内の海中にある災害がれきについて、水産庁は県に補助金を交付して撤去する方針を固めた。実施主体をめぐり、国と県の間で調整が難航していた。ただ、県は「荷揚げ場所などの調整が難しい」としており、開始時期は不透明だ。東日本大震災と原発事故から間もなく丸5年。県漁連は試験操業の海域を福島第一原発から半径10~20キロ圏に拡大する方針で、関係者から早急な撤去を求める声が上がっている。

    ■手付かず

     県は平成23年度から、水産庁の補助を受けて福島第一原発から半径20キロ圏外の海中がれきの撤去を進めてきた。23年度は3万3430トン、24年度は2241トン、25年度は664トン、26年度は213トンを回収し、27年度も継続している。
     県が県漁連を通じて漁業者に撤去作業を依頼し、家屋や乗用車などの大型のがれきの撤去は業者に委託している。水産庁からの補助金は26年度までで計47億9759万円に上る。
     一方、旧警戒区域だった福島第一原発から20キロ圏内については実施主体が定まっておらず、手付かずになっていた。水産庁は、県漁連による10~20キロ圏への試験操業の海域拡大に備え、20キロ圏内の海中がれきを早急に撤去する必要があると判断。20キロ圏外と同様に漁場復旧対策支援事業を活用し、県に補助する形で実施する。

    ■国も関与すべき

     実施主体となる県は今後、20キロ圏内の海中がれきの荷揚げ先や保管場所を確保するため、関係市町村と本格的な協議に入る。
     ただ、20キロ圏内にある富岡漁港(富岡町)と請戸漁港(浪江町)はいずれも災害復旧工事中で、早くても29年度以降の完成となる予定。20キロ圏外の最寄りの漁港としては、真野川漁港(南相馬市)と久之浜漁港(いわき市)があるが、20キロ圏内の海中がれきを荷揚げすることで風評被害を招く恐れがあると懸念する地元住民は少なくないという。担当者は「回収はできても、荷揚げ先や保管場所の調整は容易ではない」と頭を悩ませ、「国も積極的に関与すべきだ」と訴える。

    ■家屋や車確認

     県漁連は早ければ3月にも、試験操業の海域を福島第一原発から半径10~20キロ圏まで拡大したい考えだ。
     県が25年度に行った20キロ圏内の海中調査では、災害がれきの総量は判明できなかったが、家屋や乗用車、消波ブロックなどの災害がれきが確認されている。
     相馬双葉漁協は「がれきが網に引っ掛かるなどの危険性があるので、早急に実施してほしい」と求めている。

    ( 2016/01/31 08:55 福島民報 )
    http://www.minpo.jp/news/detail/2016013128478

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    1. 【震災/原発事故】原発20キロ圏「海中がれきどう処分」[福島民報]
      http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1454336323/

      「福島第一原発」
      http://www.2nn.jp/word/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%8E%9F%E7%99%BA

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  20. 福島第一原発事故の思わぬ影響?
    関東でコンピュータX線撮影の画像に黒点が頻出
    2011/3/24 久保田文=日経メディカル

     関東周辺の医療機関から、「コンピュータX線撮影(CR)の画像に黒い点が認められる」という報告が相次いでいる。黒点は、東京電力福島第一原子力発電所から放出された微量の放射性物質の影響を受けたものとみられ、CR装置を販売する各社は対応に乗り出している。

     CRでは、X線フィルムの代わりに再使用可能なイメージングプレートを使う。イメージングプレートは、人体に影響のない宇宙線やわずかなX線などの放射線も検出できるほど感度が高い上、放射線のエネルギーを蓄積して記録する機能があるため、放射線の強さと照射時間に比例して、記録量が増加する。イメージングプレートを装填するカセッテに放射性物質が長時間付着すると、微弱な放射線が蓄積して画像上に黒点となって現れる。

     CR画像に黒点が頻出する現象は、これまで埼玉県や茨城県、東京都などの医療機関から報告されている。富士フイルム メディカルは問い合わせを受け、ウェブサイトで同現象の原因や対処方法について告知。黒点が現われた場合は、カセッテおよびイメージングプレートの裏表のクリーニングやCR装置撮影面側の全面クリーニングを実施し、長時間使用していないカセッテやCR装置については撮影前に一次消去するように呼び掛けている。同社の担当者は、「一次消去は、毎朝実施すればいいのではないか」と話している。
    http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/hotnews/int/201103/519055.html

    「X線 画像 黒点 2011年」
    https://www.google.co.jp/search?q=%EF%BC%B8%E7%B7%9A+%E7%94%BB%E5%83%8F+%E9%BB%92%E7%82%B9+2011%E5%B9%B4

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    1. X線フィルム撮影画像に黒点が発生する現象について
      2011年4月5日
      富士フイルム株式会社

      お客さま各位

      平素は富士フイルム製品をご愛顧賜り、厚く御礼申し上げます。
      2011年3月22日付の当社サイトにて、FCR画像に黒点が発生する現象についてお知らせいたしましたが、当社医療用X線フィルムを使用した撮影画像におきましても、福島第一原子力発電所の事故の影響と推察される黒点発生の報告が1件ありました。そこで、黒点発生の推定原因と、発生が懸念される場合の対処方法につきまして、以下の通りお知らせいたします。



      1.現象

      医療用X線フィルムを使用した撮影画像に、小さな黒点がランダムに発生することがあります。

      2.推定原因

      微弱な放射線を発する微小な放射性物質でも、カセッテの表面、あるいは内部の増感紙またはX線フィルムに付着した状態で長時間おかれますと、増感紙を介してX線フィルムが感知し黒点が発生することがあります。(フィルム撮影での長時間露光に相当します。)
      今回の報告は、発生時期、発生地域から、福島第一原子力発電所の事故により放出された極めて微弱な放射性物質を、増感紙を介してX線フィルムが検出したものと推察されます。

      3.黒点発生が懸念される場合の対処方法

      黒点の発生が懸念される場合には、X線フィルムをカセッテに装てんする前に、カセッテの表面および内部の増感紙の表面をクリーニングしてご使用いただきますようお願いいたします。
      また、X線フィルム、カセッテ、増感紙の保管につきましては、外部からの異物が付着しないように、保管場所や環境などに留意いただきますようお願いいたします。
      http://fujifilm.jp/information/articlead_0101.html

      削除
    2. お客さまへの重要なご連絡

      FCR画像に黒点が発生する現象について
      2011年3月30日 更新
      2011年3月28日 更新
      2011年3月22日
      富士フイルム株式会社

      お客さま各位

      平素は富士フイルム製品をご愛顧賜り、厚く御礼申し上げます。
      この度、多くのお客さまからお問い合わせをいただいております「FCR画像に黒点が発生する件」に関しての原因と対処方法につきまして下記のとおりお知らせいたします。



      1.現象

      FCR画像にランダムな黒い点が発生することがあります。

      2.調査結果

      FCRシステムで使用しているイメージングプレート(以下IP)は極めて感度が高く、X線ばかりでなく、地球上に降り注いでいる人体に影響のないレベルの宇宙線や、自然界に一般に存在する放射性元素などの影響を受けます。そのため、IPを長時間放置した後に、FCRシステムで画像化すると、微少な黒点がランダムに現れることがあります。
      この度、東北・関東の都県にて黒点発生の報告が複数あり、発生画像の解析結果および発生時期、発生地域から、福島第一原子力発電所の事故により放出された極めて微弱な放射性物質をIPが検出したものと推察いたしました。

      3.黒点が視認される理由

      (1) 通常画像で視認される理由

      IPは放射線のエネルギーを蓄積記録する機能を有しており、放射線の強さと照射時間に比例して記録量が増加します。放射性物質がカセッテやIP面に長時間付着していると、微弱な放射線が蓄積されて画像上に黒点として視認されるようになります。
      放射性物質の放射線の強さは非常に微弱であり、通常の胸部撮影における放射線に対して1万分の1以下と考えられます。

      (2) X線未曝射IPの画像で黒点が視認される理由

      IPに画像情報が無い為、読取装置の最高感度で読み取っており、上述の胸部撮影の例に当てはめると通常画像の100万分の1程度の極めて微弱な放射線でも画像上に黒点として視認されます。

      4.発生時の対処方法

      黒点が発生した場合は、カセッテおよびIPの表裏クリーニング、またビルトイン装置撮影面側の全面クリーニングの実施と一次消去をお願いいたします。
      FCR装置の取扱説明書にも記載されていますように、宇宙線などの影響を除去することも含めて、長時間使用していないカセッテ/ビルトイン装置については、撮影前の一次消去をお勧めいたします。
      http://fujifilm.jp/important/article_20110322.html

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    3. 東日本大震災に伴う重要なお知らせ

      3月29日
      医療用X線診断画像における異常黒点発生について(第2報)
      3月24日
      医療用X線診断装置REGIUSにおける異常黒点発生について

      http://www.konicaminolta.jp/healthcare/topics/earthquake.html

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  21. 「極めて可能性低い」 内部被ばくによる健康被害 ときわ会いわき市民ら検査

     いわき市で常磐病院などを運営するときわ会グループの研究チームは、いわき市など東京電力福島第一原発の南側に住む県民に、原発事故による内部被ばくによって健康被害が起きる可能性は極めて低いとする調査結果をまとめた。
     原発事故の約1年後から、いわき市などの4歳以上の約9200人をホールボディーカウンター(WBC)で調査した。検出された体内の放射性セシウム量はいずれも、国が一般の年間被ばく限度とする1ミリシーベルトを下回った。
     体内から放射性物質を排出するのが難しい可能性が高いとされる透析患者111人も検査した。2人からWBCの検出限界値250ベクレルを超える放射性セシウムを検出したが、年間に換算した内部被ばく量は0・008~0・009ミリシーベルトだった。
     結果は昨年11月に米国の国際学術誌、12月に英国の医学系学術誌のウェブ誌に掲載された。
     研究には常磐病院長の新村浩明氏、南相馬市立総合病院非常勤医師の坪倉正治氏らが参加した。新村氏は「これまで福島第一原発北側の調査報告はあったが、いわき市では初めてとなる見込みで意義深い研究と言えるのではないか」と話した。

    ( 2016/01/30 08:52 福島民報 )
    http://www.minpo.jp/news/detail/2016013028475

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    1. 【原発事故】内部被ばくによる健康被害「極めて可能性低い」 いわき市民ら検査 [福島民報]
      http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1454412862/

      「被ばく」に関連するニュース
      http://www.2nn.jp/word/%E8%A2%AB%E3%81%B0%E3%81%8F

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    2. >いわき市など東京電力福島第一原発の南側に住む県民

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  22. 原発80キロ圏、線量65%減少
    事故後4年半、マップ公表

    2016年2月2日 21時50分 共同通信

     原子力規制委員会は2日、東京電力福島第1原発事故が発生してから4年半後の昨年9月時点の原発半径80キロ圏の放射線量分布マップを公表した。比較可能な2011年11月時点のデータと比べ、放射線量は65%減少した。

     原発から北西方向に広がっていた毎時19マイクロシーベルト(年間追加被ばく線量で100ミリシーベルト相当)超の地域はこの4年半で大幅に減少。福島県北部から南西方向に延びていた0・5~1・9マイクロシーベルトの地域も大きく線量が下がった。宮城県南部と福島県南部、茨城県北部では0・1マイクロシーベルト以下の地域が増えた。
    http://this.kiji.is/67235672245780483

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    1. >比較可能な2011年11月時点のデータと比べ、放射線量は65%減少

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    2. かろうじて「80キロ圏外」はマシなほうだったはず、問題はその内側のほう…

      「福島第一原発 避難 80キロ圏外 2011年3月」
      https://www.google.co.jp/search?q=%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%8E%9F%E7%99%BA+%E9%81%BF%E9%9B%A3+80%E3%82%AD%E3%83%AD%E5%9C%8F%E5%A4%96+2011%E5%B9%B43%E6%9C%88

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    3. >原子力規制委員会は2日、東京電力福島第1原発事故が発生してから4年半後の昨年9月時点の原発半径80キロ圏の放射線量分布マップを公表した

      最初から差し障りのない無意味なデータ公表…

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  23. 福島第1原発南側で貝類など減る
    国立環境研調査

    2016年2月4日 19時53分 共同通信

     東京電力福島第1原発事故後、同原発の南側の海岸で、貝類など無脊椎動物の種類や生息数が減少したとの調査結果を国立環境研究所(茨城県つくば市)のチームが4日、発表した。

     同研究所の堀口敏宏室長は「原因は分からないが、東日本大震災の津波の影響だけでは説明できない。原発事故で漏れ出た放射性物質や化学物質が親潮の流れで南下した可能性もあり、室内実験をして原因を調べたい」としている。

     チームは2013年5~6月、宮城、福島、茨城県内の7地点で、潮の満ち引きで海になったり陸になったりする「潮間帯」と呼ばれる海岸に生息する貝など無脊椎動物の種類数や生息数を分析した。
    http://this.kiji.is/67930928601875961

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    1. 福島第一原発周辺 巻き貝 減少か
      2月5日 5時31分

      国立環境研究所が東京電力福島第一原子力発電所周辺の沿岸部で巻き貝などの生息状況を調べたところ、ほかの地域と比べて生息数や種類が少ないことが分かりました。原発事故による生態系の変化や放射線の影響で減少した可能性もあるとみて詳しく分析しています。

      国立環境研究所は原発事故のあと、平成25年にかけて千葉県から岩手県までの5つの県の沿岸43か所で、「イボニシ」や「チヂミボラ」と呼ばれる巻き貝などの生息状況を調べました。
      その結果、福島第一原発から20キロ圏内の沿岸部ではほかの地域に比べて生息数や種類が少ない傾向が確認されたということです。具体的には、宮城県石巻市では1平方メートル当たり最大3万5000個が確認されたのに対し、原発から1キロ余り離れた福島県大熊町では2800個、9キロ余り離れた富岡町では2400個でした。これらの結果はイギリスの科学雑誌、サイエンティフィックリポーツに掲載されました。
      調査を行った国立環境研究所の堀口敏宏室長によりますと、巻き貝などは比較的、放射性物質の影響を受けにくいということですが、今後、放射線の影響を調べるとともに原発事故で周辺海域の餌や魚などの生態系が変化したことで減少した可能性もあるとみて詳しく分析しています。
      http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160205/k10010397921000.html

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    2. 原発事故影響か、福島の海岸でフジツボなど減少
      2016年2月6日17時58分

       福島第一原子力発電所から南に10キロ・メートル以内の海岸で、原発事故後にフジツボなどの「付着生物」が減少しているとの調査結果を、国立環境研究所が発表した。

       原発事故との関係ははっきりしないが、「海に出た放射性物質などの影響で、一時的に大量死した可能性がある」と分析している。

       2013年5~6月、福島、宮城、茨城の3県7地点の海岸にある消波ブロックに付着したフジツボや巻き貝などを50センチ四方の範囲で採取し、数などを調べた。

       4か所ある福島県内の調査地点のうち、原発の南1・2キロ・メートル(大熊町)では1平方メートルに換算して2864匹、9・5キロ・メートル南(富岡町)では2404匹だった。残る5地点の平均は1万8592匹で、原発北側の福島県内の2か所(南相馬市、双葉町)ではそれぞれ、3万1728匹、5324匹が採取され、大熊町、富岡町の調査地点より多かった。

       調査した堀口敏宏・生態系影響評価研究室長は「原発に近く、潮の流れに沿った南側の減少が著しい。付着生物の回復状況などの調査を続ける」と話している。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160206-118-OYT1T50090

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    3. 直接の因果関係は何も解明できず、最初から解明する気もない…

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  24. 米原子力艦船の事故時の避難範囲を試算
    2月4日 20時26分

    アメリカ軍の原子力空母などで事故が起きた際に、避難の対象となる範囲を検討する国の有識者会議が開かれ、空母が平均的な出力で運転していた場合、直ちに避難する範囲を半径500メートル程度、屋内退避する範囲を半径2.1キロ程度とする試算が示されました。有識者会議は今後、さまざまな条件で試算して対象範囲の検討を進めるとしています。

    福島第一原発の事故のあと、国の原子力防災の指針が見直されたことを受けて、有識者会議は、アメリカ軍の国内の基地に入る原子力空母や原子力潜水艦で事故が起きた場合の避難の基準作りを進めています。
    4日の会合では、避難などの対象となる範囲を検討するため、空母で事故があった場合、周辺に放射性物質がどのように広がるか試算した結果が示されました。
    それによりますと、空母の原子炉の平均の出力を15%と仮定して計算すると、直ちに避難する範囲は半径およそ500メートル、屋内退避する範囲は半径2.1キロ余りになりました。これは一般の原発で事故があった場合の放射性物質の広がりを計算する方法を使い、空母の出力や運転期間を当てはめるなどして試算したということです。
    現在、原子力空母で事故が起きた場合の対象範囲は、直ちに避難が半径1キロ、屋内退避が半径3キロとなっていて、有識者会議は今後、さまざまな条件で試算したうえで対象範囲をどう見直すか検討を進めることにしています。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160204/k10010397611000.html

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  25. 原発周辺議会 生活圏から離れた森林も除染要望
    2月3日 21時27分

    東京電力福島第一原発周辺の自治体の議長らが環境省に対し、住民の生活圏から離れた森林を除染しない国の方針は住民の帰還意欲をそぐなどとして、森林の除染を実施するよう要望しました。

    福島第一原発の事故に伴う森林の除染を巡って、国は原則として住民の生活圏から20メートルの範囲とキャンプ場など日常的に人が立ち入る場所に限って行っていて、そのほかの大部分の森林は、除染を行わない方針を示しています。
    これについて、原発周辺の福島県双葉郡の8つの自治体の議長らが3日、東京の環境省で井上環境副大臣と会談しました。
    この中で双葉町議会の佐々木清一議長は、国の方針は住民の帰還意欲をそぐとして、住民の生活圏以外の森林についても除染を行うよう要望しました。
    これに対し、井上副大臣は、「住民の皆さんが日常立ち入るような里山などについては、しっかり除染をやっていくのでご相談をいただきたい」と述べました。そのうえで、関係省庁が近く合同でプロジェクトチームを立ち上げ、住民が立ち入らない大部分の森林も含めて、森林全体の再生に向けた具体的な取り組みの検討を始める考えを示しました。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160203/k10010396151000.html

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  26. 49市町村、除染後も重点調査地域解除されず
    2016年1月23日14時46分

     東京電力福島第一原発事故で「汚染状況重点調査地域」に指定された自治体のうち、除染を終えたのに指定が解除されていない自治体が、福島を除く7県49市町村に上ることが、環境省への取材でわかった。

     同省が除染で出た汚染土の処理を解除条件としながら、福島以外では処分先が決まっていないのが原因。汚染土は学校敷地内などに保管されたままで、事故から間もなく5年となる中、自治体に困惑が広がっている。

     国は、放射線量が比較的高い地域を抱える8県の99市町村を汚染状況重点調査地域に指定している。局地的に線量の高い「ホットスポット」のあった首都圏の自治体も含まれる。うち福島を除く7県では58市町村が除染実施計画を作り、49市町村が昨年11月中旬までに除染を終えた。残る9市町は終えていない。

     環境省は、指定を解除するためには、放射線量の低減のほか汚染土を処理する必要があるとの見解。福島県では「除染特別地域」の汚染土などとともに中間貯蔵施設に保管することが決まっているものの、他の7県の処分先は未定。放射性物質濃度がより高い焼却灰など指定廃棄物の最終処分場さえも決まらず、「汚染土の処理方法を決めるまでの余裕がない」(環境省の担当者)というのが実情だ。

     7県で発生した汚染土は計約28万立方メートルで、各自治体は除染を行った住宅や学校の敷地内などで保管している。平均放射線量は指定基準を下回っているとみられるが、自治体は「風評被害を招きかねない」と、処理方法や処分先を早く決めるよう求めている。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160123-118-OYT1T50045

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    1. 除染後も「重点地域」 49自治体、処分先決まらず
      2016年1月23日15時0分

       東京電力福島第一原発事故で「汚染状況重点調査地域」に指定された自治体のうち、除染を終えたのに指定が解除されていない自治体が、福島を除く7県49市町村に上ることが、環境省への取材でわかった。同省が除染で出た汚染土の処理を解除条件としながら、福島以外では処分先が決まっていないのが原因。汚染土は学校敷地内などに保管されたままで、事故から間もなく5年となる中、自治体に困惑が広がっている。

       国は、放射線量が比較的高い地域を抱える8県の99市町村を汚染状況重点調査地域に指定している。局地的に線量の高い「ホットスポット」のあった首都圏の自治体も含まれる。うち福島を除く7県では58市町村が除染実施計画を作り、49市町村が昨年11月中旬までに除染を終えた。残る9市町は終えていない。

       環境省は、指定を解除するためには、放射線量の低減のほか汚染土を処理する必要があるとの見解。福島県では「除染特別地域」の汚染土などとともに中間貯蔵施設に保管することが決まっているものの、他の7県の処分先は未定。放射性物質濃度がより高い焼却灰など指定廃棄物の最終処分場さえも決まらず、「汚染土の処理方法を決めるまでの余裕がない」(環境省の担当者)というのが実情だ。

       7県で発生した汚染土は計約28万立方メートルで、各自治体は除染を行った住宅や学校の敷地内などで保管している。平均放射線量は指定基準を下回っているとみられるが、自治体は「風評被害を招きかねない」と、処理方法や処分先を早く決めるよう求めている。

       ◆ 汚染状況重点調査地域 =放射性物質汚染対処特措法に基づき、年間の被曝(ひばく)線量が1ミリ・シーベルトを超える可能性がある地域を対象に国が市町村単位で指定。2011年11月の航空機モニタリングなどで放射線量が毎時0・23マイクロ・シーベルト以上の地域を抱えることを目安にした。国が費用負担し、自治体が除染を実施する。国が直轄で除染する福島県の「除染特別地域」以外でも除染を進めるのが狙い。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160123-118-OYTPT50310

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  27. 丸川環境相 被ばく線量目標巡る発言を陳謝
    2月9日 12時52分

    丸川環境大臣は衆議院予算委員会で、福島県内の除染などで年間1ミリシーベルト以下の被ばく線量を長期的な目標としていることを巡り、「何の科学的根拠もなく、時の環境大臣が決めた」などと発言したと一部で報道されたことについて、「少なくともそういう言い回しをしなかったと思うが、ことば足らずで、おわびを申し上げたい」と述べ、陳謝しました。

    この中で、民主党の緒方政策調査会副会長は、丸川環境大臣が今月7日に行った講演で、福島県内の除染などで年間1ミリシーベルト以下の被ばく線量を長期的な目標としていることを巡り、「反放射能派と言うと変だが、どれだけ下げても心配だと言う人は世の中にいる。何の科学的根拠もなく、時の環境大臣が決めた」などと発言したと一部で報道されたことを説明したうえで、「重大な発言であり、何を根拠に発言したのか」とただしました。
    これに対し、丸川環境大臣は「こういう言い回しをしたという記憶を自分では持っていない。少なくとも私は『科学的根拠がない』という言い回しをしなかったと思うが、なぜ1ミリシーベルトに決めたのかを十分に説明しきれていなかったのではないかという趣旨のことを申し上げた。もし誤解を与えるようであれば、ことば足らずで、おわびを申し上げたい」と述べ、陳謝しました。
    一方、岩城法務大臣は、TPP=環太平洋パートナーシップ協定に盛り込まれた海外に進出して損害を受けた企業が国際的な仲裁機関に訴訟を起こす「ISDS」条項に関連して、日本の裁判所と判決内容が異なった場合の対応を問われたのに対し、「あくまでも最終的に国内裁判所の判断に基づく執行手続が優先される」と述べました。
    ただ、岩城大臣は「同じ紛争であっても、仲裁機関と国内の裁判所とでは法的な要件が異なったり、当事者が主張、立証する事実関係が異なることなどから、実質的に相反する内容の判断が出されることはありえる。必ずどちらかが優先し、劣後するというルールはない」と述べました。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160209/k10010403311000.html

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    1. 除染基準「根拠ない」…環境相が講演の発言陳謝
      2016年02月09日 22時14分

       9日の衆院予算委員会で、東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う除染の実施基準に関し、丸川環境相が自身の発言を陳謝する場面があった。

       丸川氏は7日、長野県松本市で講演し、国が除染の実施基準を年間被曝ひばく量「1ミリ・シーベルト以下」としていることについて、「どれだけ下げても心配だと言う人たちが騒いだので、その時の細野環境相が何の科学的根拠もなく急に言っ(て決め)た」と述べた。

       予算委では、民主党の緒方林太郎氏が「揶揄やゆするような言い方が被災地の気持ちを害している」と批判。丸川氏は「なぜ1ミリに決めたのか十分に説明し切れていないと(いう趣旨で)言った。誤解を与えたなら、言葉足らずだったことにはおわびしたい」と陳謝した。

       ただ、除染の枠組みを作った民主党政権は元々、国際放射線防護委員会(ICRP)の基準に沿って、年間積算線量が20ミリ・シーベルト未満なら居住可能との見解だった。徹底除染を求める地元の要望を受け、1ミリ・シーベルトとした経緯があり、政府内には「達成困難な目標が今も住民の帰還を阻み、復興を遅らせている」との声もある。
      http://www.yomiuri.co.jp/politics/20160209-OYT1T50180.html

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    2. じゃ、どのくらいゆるめたらよいのかの「科学的根拠」も実は曖昧模糊としたもの…

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    3. 専門家からいぶかる声
      丸川環境相の線量発言

      2016/2/9 20:52 共同通信

       東京電力福島第1原発事故後、国が「年間被ばく線量1ミリシーベルト」と定めた除染の長期目標をめぐり、丸川珠代環境相が講演で「何の根拠もなく時の環境大臣が決めた」などと発言した問題で、放射線の専門家からは9日、「根拠はある。発言の真意がよく分からない」といぶかる声が上がった。

       鈴木元国際医療福祉大教授(放射線疫学)は、1ミリシーベルトの目標は「事故で出た放射性物質と共存する状況にあって、年間1~20ミリシーベルトの幅で適切な防護をしながら長期的に1ミリシーベルトを目指すという国際放射線防護委員会(ICRP)の考え方に基づく」と指摘。
      http://this.kiji.is/69757771029710329

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    4. 環境相 被ばく線量巡る発言を撤回 陳謝
      2月12日 19時16分

      丸川環境大臣は、福島県内の除染などで年間1ミリシーベルト以下の被ばく線量を長期的な目標としていることを巡り、「何の科学的根拠もなく、時の環境大臣が決めた」などと発言したと一部で報道されたことについて、「私が発言したことを確認した。事実と異なるので発言を撤回させていただきたい」と述べて陳謝しました。

      丸川環境大臣は今月7日に行った講演で、福島県内の除染などで年間1ミリシーベルト以下の被ばく線量を長期的な目標としていることを巡り、「反放射能派と言うと変だが、どれだけ下げても心配だと言う人は世の中にいる。何の科学的根拠もなく、時の環境大臣が決めた」などと発言したと、一部で報道されました。
      これについて丸川大臣は12日夜、環境省で記者会見し、「私が『何の科学的根拠なく』などと発言したことを確認した。こうした発言は事実と異なり、福島に関する発言をすべて撤回させていただきたい」と述べました。
      そのうえで「福島をはじめとする被災者の皆様には誠に申し訳なく、改めて心からおわびしたい」と陳謝しました。
      一方で、「福島の皆様の思いにしっかりとこれからも応えていくことが私の大切な責務だと思う。引き続き職責を果たしたい」と述べ、辞任の考えはないことを強調しました。
      丸川大臣はこれまで、国会の予算委員会などで「こういう言い回しをしたという記憶を自分では持っていない」などと説明していました。
      http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160212/k10010407301000.html

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    5. 丸川氏、発言撤回も辞任否定 - 2016/2/12
      Yahoo!ニュース・トピックス
      http://news.yahoo.co.jp/pickup/6191016

      「根拠ない」発言を撤回=除染基準めぐり―丸川環境相
      時事通信 2月12日(金)18時38分配信

       丸川珠代環境相は12日夕、国が東京電力福島第1原発事故に伴う除染の基準値としている「年間被ばく線量1ミリシーベルト」について「何の根拠もない」などと語ったとされる問題で、発言を認めた上で撤回した。
       環境省内で開いた緊急記者会見で語った。
       丸川氏は「福島をはじめとする被災者の皆様には誠に申し訳なく、改めて心からおわび申し上げる」と謝罪。その上で、「引き続き職責を果たす」と環境相辞任を否定した。
       発言は7日に長野県松本市で講演した際のもの。民主党政権時に定めた数値について「何の科学的根拠もなく時の環境相が決めた」と述べたと信濃毎日新聞が報じた。1ミリシーベルトをめぐっては、国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告や福島県側の要望を踏まえ決められた経緯があり、野党から撤回を求める声が出ていた。 
      http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160212-00000130-jij-pol

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    6. 丸川環境相陳謝、除染目標巡る発言「全て撤回」
      2016年02月12日 19時02分

       丸川環境相は12日、環境省での記者会見で、東京電力福島第一原発事故の除染の長期目標として、国が追加被曝ひばく線量を年間1ミリ・シーベルト以下としていることについて、「何の科学的根拠もない」などと発言したことに関し、「事実と異なるものであるので、当日の福島に関連する発言を全て撤回する。福島を始めとする被災者の方には申し訳なく思う。改めて心からおわび申し上げたい」と述べた。

       丸川氏は今月7日、長野県松本市内で講演し、「どれだけ下げても心配だと言う人たちが騒いだので、その時の細野環境相が何の科学的根拠もなく急に言っ(て決め)た」と発言。衆院予算委員会で民主党の細野政調会長らが追及していた。
      http://www.yomiuri.co.jp/politics/20160212-OYT1T50131.html

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  28. 原発停止、地元生産額1908億円減…講師試算
    2016年02月09日 16時05分

     東京電力柏崎刈羽原子力発電所(新潟県柏崎市、刈羽村)の停止による新潟県柏崎市経済への影響について、新潟産業大学(柏崎市)の宇都宮仁専任講師が8日、講演した。

     宇都宮氏の試算では、全号機が停止すると少なくとも生産額は1908億円減るという。

     講演は市議会原子力発電所にかかわる調査特別委員会の研修として行われた。宇都宮氏は2015年、柏崎商工会議所の依頼を受け、五輪誘致などの経済効果を分析するのと同じ手法で試算。柏崎刈羽原発の全号機が稼働した05年と、全号機が停止した08年を比較してその影響を推計した。

     分析結果によると、全号機が停止すると、少なくとも同原発の生産額1467億円が減り、原材料の購入や雇用者の消費活動などに伴って減少する分も含めると生産額は1908億円の損失となり、雇用も6482人分がなくなる。05年の市内総生産額4815億円の約4割に相当し、「影響は甚大だ」とした。

     講演で宇都宮氏は「10年近く前のデータでの推計だが、根拠のある試算なので議論の足がかりにしてほしい」と話した。市議からは「実感と結びつかない。数字が独り歩きしている」などの意見があった。
    http://www.yomiuri.co.jp/economy/20160208-OYT1T50171.html

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  29. 福島第一原発 汚染防護服などの試験焼却処分開始へ
    2月10日 13時08分

    東京電力福島第一原子力発電所では、この5年近くの廃炉作業で出た使い捨ての防護服などが大量にたまり、大きな課題となっています。こうした廃棄物を焼却処分する施設が完成し、10日から実際に汚染された衣類を燃やす試験運転が始まります。

    福島第一原発では現在も1日当たり7000人の作業員が廃炉作業に携わっていて、使い捨ての防護服などの衣類やシート、木材といった廃棄物の量は、去年12月末の時点で6万6000立方メートルと、25メートルプールにして100杯分を超えています。
    今回完成した施設は、こうした廃棄物を焼いて灰にすることで体積を10分の1にするもので、10日から実際に汚染した衣類を燃やす試験運転を始める予定です。
    東京電力によりますと、この施設では、防護服のほか、手袋やマスク、ヘルメットなど1日最大でおよそ14トンの廃棄物を24時間連続で処分できるとしています。
    一方、灰にすることで放射性物質の濃度が上がってしまうことから、東京電力は、灰を密閉したドラム缶に詰め、放射線を遮る頑丈な建物で保管することにしています。
    また、排気筒には放射性物質を取り除くフィルターがつけられていて、東京電力は、今月18日までとしている試験運転の期間中、排気ガスに含まれる放射性物質の濃度などを確認したうえで、問題がなければ今年度中に本格的な運用を始める計画です。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160210/k10010404501000.html

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    1. 福島第一原発 廃炉作業での廃棄物 試験焼却開始
      2月25日 14時11分

      東京電力福島第一原子力発電所で、この5年近くの廃炉作業で出た廃棄物を焼却処分するための施設で、不具合のために延期されていた、汚染された防護服などを実際に燃やす試験運転が、25日朝から始まりました。

      福島第一原発では、使い捨ての防護服などの廃棄物の処分を進めるため、新たに焼却施設が建設され、今月10日に実際に廃棄物を燃やす試験運転が予定されていましたが、水漏れが見つかったため延期されていました。
      このため東京電力で修理や点検に当たった結果、2系統ある焼却炉のうち不具合が改善した片方で、25日午前8時半ごろから防護服などを燃やす作業が始まりました。
      福島第一原発では、事故から5年近くの間に出た防護服などの衣類やシート、それに木材といった廃棄物は、去年12月末の時点で6万6000立方メートルと、25メートルプールにして100杯分を超えています。
      25日の試験運転では4トンを処分するほか、もう一方の焼却炉でも今月28日から処分が始まる予定で、1日最大でおよそ14トンの廃棄物が処分できるとしています。
      廃棄物を灰にすることで体積が10分の1になる一方、放射性物質の濃度が上がるため、排気筒には放射性物質を取り除くフィルターが付けられているほか、灰は密閉したドラム缶に詰め、放射線を遮る建物で保管することにしています。
      http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160225/k10010421461000.html

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  30. 津波被災地の復興 「進まず」が過半数 NHK調査
    2月11日 7時23分

    東日本大震災の発生から5年になるのを前に、NHKが行った調査で、全体の過半数の人が、津波による被災地の復興が進んでいないと感じていることが分かりました。原発事故の除染が進んでいないと回答した人も、全体の80%近くに上り、多くの人が復興の進展を実感できていない現状が改めて示される形となりました。

    この調査は、NHK放送文化研究所が、東日本大震災や日頃の防災の意識を探るため、去年の12月に全国の16歳以上の3600人を対象に行い、71%に当たる2549人から回答を得ました。
    この中で、津波による被災地の復興がどの程度進んでいると思うか尋ねたところ、「あまり進んでいない」が48%、「全く進んでいない」が6%で、合わせて54%に上り、震災発生から3年を前に行った前回の調査と比べて10ポイント減少したものの、依然として全体の過半数が、「復興が進んでいない」と感じていることが分かりました。
    また、東京電力福島第一原子力発電所の事故の被災地の除染が進んでいると思うか訪ねたところ、「あまり進んでいない」が56%、「全く進んでいない」が22%で、依然として8割近くの人が除染が進んでいないと感じていると回答しました。
    また、国の復興対応についてどんなことが課題と考えるか複数回答で訪ねたところ、最も多かったのは「原発事故への対応」で73%、次いで「住宅再建への支援」が72%、「復興予算の使い道」が60%、「被災地の産業への支援」が57%、「心のケアへの支援」が54%でした。
    防災心理学が専門の兵庫県立大学の木村玲欧准教授は「震災発生から5年近くたっても、国民の多くが復興が進んでいることを実感できず、漠然とした“復興の遅れ”がイメージとして定着し始めているのではないか。イメージが固定化され無関心につながらないように、国は今後も被災地の復興状況や必要な支援策について、丁寧に示していく必要がある」と話しています。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160211/k10010405321000.html

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  31. 原発事故の生物への影響考えるシンポジウム
    2月11日 20時28分

    東日本大震災の発生から来月で5年になるのを前に、東京電力福島第一原子力発電所の事故による放射線が生物に与える影響について考えるシンポジウムが東京都内で開かれました。

    このシンポジウムは、動物の愛護活動を行うNPO法人が、東京・文京区の東京大学で開いたもので、原発事故に伴う放射線が野生生物や家畜などに与えた影響についての調査結果が発表されました。
    このうち、山階鳥類研究所の岩見恭子研究員は、21都道府県で震災の年に作られたツバメの巣を調べたところ、13都県で放射性セシウムが検出されたとする調査結果を発表しました。これまでのところ、ツバメの数や繁殖の状況に大きな変化はみられていないということです。また、原発から20キロ圏内でペットの保護活動を行った獣医師の渡邉正道さんは、保護された犬や猫の調査で、およそ3割に内部被ばくがみられたとする結果を紹介しました。その後、適切に管理したことで、およそ10か月後にはすべての犬や猫で体内の放射性セシウムが減少したということです。
    司会を務めた岩手大学の岡田啓司准教授は「世界でも、けうな原発事故が動物に与えた影響を知ってもらうことが重要だ。動物は今も草を食べるなどして被ばくし続けており、今後も調査を続けていきたい」と話していました。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160211/k10010406111000.html

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  32. 福島・楢葉町で災害公営住宅起工式
    2月12日 15時52分

    原発事故による避難指示が去年秋に解除された福島県楢葉町で、町内に建設される最も規模が大きい災害公営住宅の起工式が行われました。

    楢葉町は去年9月に避難指示が解除されたあとも7400人ほどの住民のうち、町に戻ったのは6%にとどまり、帰還を促進するため町内3か所に災害公営住宅を建設する計画です。
    このうち120世帯余りが入居できる町内で最も規模の大きい災害公営住宅の起工式が12日行われ、出席した町や国の担当者が工事の安全を祈りました。
    起工式が行われた災害公営住宅は木造平屋建てで、楢葉町が復興の拠点として住宅や商業施設、医療機関などを1か所に集めて整備する「コンパクトタウン」に建設されます。入居できるのは震災の津波などで住宅が半壊や全壊となった住民が対象で、来年春の入居開始を目指してます。
    楢葉町の片山利夫建設課長は、「コンパクトタウンの中では宅地の分譲も行い、避難者や新しい住民の受け皿として環境づくりを進めたい」と話していました。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160212/k10010407011000.html

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  33. 福島のセシウム「ガラス状」…森林で採取の葉
    2016年02月14日 11時37分

     福島県内の森林で採取した放射性の微粒子を分析したところ、ガラスの中にセシウムが溶け込んだ構造であることが分かったと、小暮敏博・東京大准教授らの研究チームが発表した。

     微粒子は、東京電力福島第一原子力発電所事故の際、原発の内部にあった物質が高温状態で混じってできたものとみられ、炉内で起きた反応などを知る手がかりになる可能性がある。英電子版科学誌「サイエンティフィック・リポーツ」に論文が掲載された。

     微粒子は2011年夏、杉の葉の表面で見つかった。大きさは数マイクロ・メートル程度。電子顕微鏡などで分析したところ、窓ガラスなどと同じケイ酸塩ガラスが主成分で、放射性セシウムのほかに鉄や亜鉛などが含まれていた。セシウムは微粒子の外側ほど高濃度で、徐々に粒子外へ溶け出すことも実験で判明した。

     小暮准教授は「飛散した微粒子の量や、セシウムが溶け出す条件などを詳しく調べれば、環境への影響の解明につながる」と話している。
    http://www.yomiuri.co.jp/science/20160213-OYT1T50061.html

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  34. 微細藻類から燃料 広野町、研究拠点誘致へ

     広野町は微細藻類を活用しバイオディーゼル燃料(BDF)などを生産する研究開発拠点を町内に設ける。町のJR広野駅東側開発整備事業・近代農業ゾーンに実証プラントや研究施設を誘致する。
     計画では、近代農業ゾーン約6・4ヘクタールのうち、約1・5ヘクタールに藻類の培養設備やBDFなどの製造施設、研究施設を整備する。藻類バイオマス研究の第一人者で筑波大名誉教授の前川孝昭氏が社長を務める筑波バイオテック研究所などが事業主体となる。微細藻類を使ったBDF生産などの大規模事業化にめどがつけば、町内の遊休農地や休耕地に藻類の培養農地を拡大する。
     町は27年度中にも地権者や地元住民に対する説明会を開き、同意を得た上で用地取得に入る。
     町は休耕田や休耕地を利用した収益力の高い農業モデルを確立するとともに、新たな産業創出につながると期待している。

    (2016/02/16 13:03 福島民報)
    http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2016/02/post_13235.html

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    1. 「バイオ燃料」
      https://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AA%E7%87%83%E6%96%99

      年間通じて、気温変動のなるべく小さなところじゃないと、効率のよい微生物育成は成り立たないだろ…

      っていうか「油藻」案件って、限りなく真っ黒に近いグレーな詐欺案件じゃないのかな。
      https://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AA%E7%87%83%E6%96%99+%E6%B2%B9+%E8%97%BB

      本当に有望な技術なら、民間投資が加速するはず。結局は公的研究費、公的補助金ねらいのタカリ案件でしかないでしょ。

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  35. 福島 子どもの甲状腺がん 長期的に検証必要
    2月16日 15時15分

    東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けて福島県が進めている子どもの甲状腺検査について、専門家などで作る福島県の検討委員会は、1巡目の検査で116人にがんやがんの疑いが見つかったことに関して、放射線の影響とは考えにくいものの、今後も検査を継続して長期的に検証する必要があるとの見解を示しました。

    福島県は、原発事故当時18歳以下だったおよそ38万人の子どもを対象に、甲状腺の状態を調べる検査を継続的に行っていて、1巡目の検査ではがんやがんの疑いが116人、現在行われている2巡目の検査ではこれまでに51人見つかっています。
    15日に福島市で医師などの専門家が1巡目の検査結果に関するとりまとめに向けた会議を開き、原発事故からがんが見つかるまでの期間が短いことや、外部被ばくの線量がチェルノブイリの事故と比べてはるかに少ないことなどから、「放射線の影響とは考えにくい」とする見解が示されました。一方、委員の中からは「原発事故から数年間の内部被ばくの線量を推計したうえで慎重に判断すべき」とする意見も出されました。
    会議のあと、検討委員会の星北斗座長は「検査や治療で子どもや保護者には負担をかけているが、被ばく線量の評価を含めて、放射線の影響の有無を長期的に検証していく」と述べ、今後も検査を継続して長期的に検証する必要があるとの見解を示しました。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160216/k10010411211000.html

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    1. がん確定1人増16人 2巡目子ども甲状腺検査

       東京電力福島第一原発事故を受け、平成26年4月に始まった2巡目の子どもの甲状腺検査(本格検査)で、昨年12月末までに甲状腺がんと確定したのは16人となり、前回公表(9月末現在)の15人から1人増えた。1巡目の先行検査と合わせるとがん確定は116人となった。

      ■「放射線影響考えにくい」座長見解
       15日に福島市で開かれた県民健康調査検討委員会で県と福島医大が明らかにした。星北斗座長(県医師会副会長)は「現時点で放射線の影響は考えにくい」との見解をあらためて示した。
       本格検査のがんの疑いは35人で9月末現在の24人から11人増えた。「確定」と「疑い」を合わせると51人になる。男女年齢別は男性21人、女性30人で、東日本大震災当時に6歳から18歳だった。事故から4カ月間の外部被ばく線量が推計できた29人のうち、最大は2・1ミリシーベルトで、1ミリシーベルト未満は10人だった。
       血液や細胞などを詳しく調べる2次検査に進んだのは計1819人で、市町村別人数などは【表(1)】の通り。26年度は15万5536人が1次検査を受診した。1260人が2次検査対象となった。27年度は8万1059人が1次検査を受け、2次検査対象は559人だった。
       23~25年度の先行検査の追加結果も報告された。がんの疑いは15人で9月末現在から2人増えた。

      ■座長、最終案示す 県民健康調査中間取りまとめ
       県民健康調査の今後の方針や、これまでの見解を集約する中間取りまとめの最終案を星北斗座長が示した。
       最終案では今後の調査目的について、「原発事故による被ばく線量の評価を行うとともに、被ばくによる健康への影響について考察する」などと明記した。さらに基本調査については「問診票の回答率向上を目標とせず、自らの被ばく線量を知りたい県民に対して窓口を用意するという方向にシフトすべき」とした。
       甲状腺がんの発生についてはチェルノブイリ原発事故で多く見つかった5歳以下からがんが見つかっていない点などを挙げ、「放射線の影響とは考えにくい」との見解を盛り込んだ。
       中間取りまとめは、さらに委員からの意見を反映させ、今年度中にもまとめる方針。


      ※甲状腺検査
       1巡目の先行検査は原発事故当時に18歳以下だった約37万人が対象で、2巡目の本格検査は事故後1年間に生まれた子どもを加えた約38万人が対象。それぞれ1次検査は超音波を使って甲状腺のしこりの大きさや形を調べ、程度の軽い方から「A1」「A2」「B」「C」と判定する。大きさが一定以上で「B」「C」とされれば、2次検査で血液や細胞などを詳しく調べる。

      (2016/02/16 15:05カテゴリー:福島第一原発事故 福島民報)
      http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2016/02/post_13237.html

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  36. 震災5年を前に気象庁長官「早く正確な津波情報を」
    2月18日 21時15分

    東日本大震災から来月で5年となるのを前に気象庁の西出則武長官は会見で、「沖合に設置された津波の観測データを活用し、より早く正確な津波情報の発表に努めたい」と述べました。

    気象庁の西出長官は18日の定例会見で、「震災から5年となるが、気象庁も今回の被害を忘れることなく、さまざまな防災情報の改善に取り組んでいく」と述べました。今後、力を入れて取り組む対策について、「海底に設置された津波の観測機器は次第に充実しており、今後は観測データを活用して今よりも早く正確な津波情報の発表に努めたい」としています。
    また、地震に備えた心構えについて、「日ごろから避難経路の点検や確認をすることや、津波のおそれがある場合は、より高いところを目指して逃げることなどを心がけてほしい」と呼びかけました。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160218/k10010413851000.html

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  37. [震災5年 あの時]原発 突然の冷却不能
    2016年2月18日3時0分

     2011年3月11日午後3時42分、東京電力福島第一原子力発電所(福島県大熊町・双葉町)の緊急時対策室で、吉田昌郎まさお所長(当時56歳、13年死去)が「10条を通報します」と宣言した。原子力災害対策特別措置法の10条に基づき、緊急事態に進展する可能性があることを、国などに伝える手続きだ。

     震度6強の揺れで、6基のうち運転中だった1~3号機は緊急停止したが、変電所などの損傷で外部からの電力供給が途絶えた。すぐに非常用ディーゼル発電機が作動し、その電力で原子炉の冷却設備を動かしていた。ところが、その発電機が止まり、発熱が続く3基の原子炉を十分冷やせなくなったのだ。

     海抜10メートルの地盤に立つ建屋が、高さ約13メートルの大津波に襲われ、建屋の地下にある非常用ディーゼル発電機は水没していた。ここから5日間、未曽有の事故が一気に深刻化していく。(特集面に続く)
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160218-118-OYTPT50076

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    1. [震災5年 あの時]炉心溶融との闘い
      2016年2月18日3時0分

      (1面の続き)

       東京電力福島第一原子力発電所は2011年3月11日、原子炉の冷却に必要な電源をすべて失った。大量発熱が続く1~3号機との闘いは、困難を極めた。

      「車のバッテリー使おう」 11日午後

       「SBOエスビーオー!」(ステーション・ブラックアウト)。原子炉の運転や管理に必要な交流電源が失われたことを知らせる声が、緊急時対策室に響いたのは、11日午後3時40分頃。津波襲来の数分後だった。

       「何でだ!」。1~4号機の責任者(ユニット所長)を務める福良ふくら昌敏(58)は、耳を疑った。発電所長の吉田昌郎まさお(当時56歳。13年死去)も「えっ」と驚いた表情を浮かべた。地震で外部電源が途絶えた後、原子炉冷却の命綱となっていた非常用ディーゼル発電機も止まったのだ。

       交流電源以外に、原子炉の水位や圧力などを制御盤に表示するための直流電源も、3号機以外は切れてしまった。非常時の対応を記した手順書には、交流も直流も全滅した場合という記述がなかった。

       制御盤の計器類を担当するグループが、妙案をひねり出した。「自動車の直流バッテリーを使おう」。バスや業務車両からかき集め、停電で真っ暗な中央制御室へ運び込んだ。それを、見たい計器一つ一つに順番に接続していく。

       電力なしに水を循環させる非常用冷却装置が、2、3号機では動いていたが、1号機は計器を見られない間に止まり、核燃料が損傷していた。

      所長「ベントしかない」 11日深夜

       バッテリーの工夫で断続的に計測していた1号機の格納容器の圧力が午後11時50分頃、設計圧力を大きく上回った。過熱した原子炉で蒸気が大量発生していたのだ。格納容器が壊れれば、膨大な放射性物質をまき散らす大惨事になる。

       「ベントしかない」。吉田は決断した。格納容器から蒸気を強制的に排出し、圧力を下げる対策だ。大惨事を防ぐためとはいえ、蒸気に含まれる放射性物質を、故意に建屋外へ放出することになる。世界でも例がない。

       「社会的影響は大きい。状況を伝える責任がある」。東京電力常務の小森明生あきお(63)は12日午前3時過ぎ、東京・霞が関の経済産業省で記者会見に臨んだ。「ベントの必要性を何とか理解していただきたかった」。会長と社長が出張中で、副社長は福島へ急行したため、小森が本店で事故対応のトップを務めていた。

       1号機は建屋内の放射線量が上がり、ベント作業を阻んだ。電源喪失で中央制御室からの遠隔操作ができず、建屋に入って配管の弁を開かねばならない。制御室で、当直長の伊沢郁夫(57)は運転員たちに「誰か行ってくれないか」と切り出した。2人1組の「決死隊」が交代で出動した。

       午後2時半頃、排気筒から白煙が出た。「ああ、ベントが成功した」。緊急時対策室で福良はテレビ中継を見て安心した。

       3時36分、対策室が激しく揺れた。皆、余震かと思った。しかし、それは1号機建屋の水素爆発の衝撃だった。

      「注水中止」本店へ一芝居 12日夜

       12日午後7時4分、1号機の原子炉を冷やすため、消防車を使って海水の注入が始まった。淡水は既に不足していた。

       「海水注入は?」。午後7時25分頃、首相官邸にいる東電フェローの武黒一郎(69)から、吉田に電話が入った。

       吉田が「やっていますよ」と答えると、武黒は「止めろ。官邸がもうグジグジ言ってんだよ」と遮ってきたという。海水注入の安全性を心配する首相の菅直人(69)の意向を気にしているようだった。

       吉田は一計を案じた。「中止命令はするけど、絶対に中止してはだめだ」。部下に指示した後、東京の本店などと結んだテレビ会議では「試験注水を中止します」と宣言した。注水は継続された。

       しかし、今度は3号機の状況が悪化。午後8時半頃、原子炉の水位が分からなくなった。13日未明には冷却装置の運転を続けられなくなった。

       14日午前11時1分、3号機の原子炉建屋が水素爆発。注水作業などを行っていた11人が、飛び散ったがれきで負傷した。当初は「40人以上が行方不明」という連絡が届き、責任を感じた吉田は「死のうと思った。腹を切ろうと思っていた」と、後に振り返った。

      2号機 打つ手なし 14日午後

       14日午後1時過ぎ、2号機の冷却装置が止まった。原子炉内から排気して圧力を下げ、外から注水冷却する必要がある。中央制御室の運転員らは、排気用の配管の弁を開こうとしたが、なぜか開かない。

       中央制御室で車載バッテリーを使って何度も操作を試み、ようやく午後6時過ぎ、重要な弁が開いた。原子炉の圧力が下がった瞬間に注水を始めれば、再び冷却できる。ところが、7時20分、注水用の消防車の燃料が切れているのが分かった。緊急時対策室に「ああっ」と声が上がった。圧力は再び上昇した。

       核燃料が圧力容器から格納容器へと溶け落ちる「メルトスルー」が現実味を帯びてきた。吉田は所長席から立ち上がり、ふらふらと歩いていた。「放射性物質が全部出て、東日本壊滅」。当時の切迫感を、吉田は後にこう語っている。

       15日午前6時12分、爆発音が生じた。吉田は2号機の格納容器が壊れたと判断。最低限の要員を残して650人が福島第二原発へ退避した。実は、3号機から流入した水素が4号機で爆発した音だったが、2号機の格納容器も既に壊れていた。この日以降、大量の放射性物質が大気中に飛散し、事故は国際尺度で「チェルノブイリ」と並ぶ最悪の「レベル7」になった。

      (文中敬称略。肩書は当時)

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    2. 「安全神話」悲劇生む

       福島第一原発事故は、「想定の甘さ」がもたらした悲劇だった。

       東京電力は、同原発が襲われる津波の高さを最大6・1メートルと想定していた。2008年には、過去の巨大地震を基にした試算で、10メートル超の津波の可能性も検討した。しかし、それが対策に反映されないまま、11年3月11日を迎えた。

       電源をすべて失う事態も、海外ではテロを念頭に対策を講じていたが、日本は無防備だった。

       国際原子力機関(IAEA)は、昨年公表した報告書で「日本では、原発は非常に安全で、大事故は考えられないという思い込みが広がっていた」ことが事故の主因だったと断じた。ユニット所長として苦闘した福良昌敏氏も、事故対策について「設備を増やしたり訓練を一生懸命やったりするなどの向上をせず、これぐらいのレベルでよいと思い込んでいた」と反省する。

       現場はマニュアルが役立たないだけでなく、がれきや漂流物が転がり、マンホールなどが開いた危険な状態だった。福良氏は「手前みそだが、本当に現場はよくやってくれた」と語る。

       しかし、その状況は、東京の東電本店や官邸には十分伝わらず、現場の努力を無にしかねない判断などもあった。常務として本店などで対応に当たった小森明生氏は「(現場の)情報や意思疎通が十分でなかった。情報が途絶えると不安になり、誤解も生まれる」と振り返り、「(福島を)大変な状況にしてしまった。申し訳ない」と語る。

       福島事故を教訓に、日本の原発の安全規制は、大転換された。12年に発足した原子力規制委員会は、「事故は起こらない」という考え方を排除し、炉心溶融などの重大事故も起きることを前提とした対策を義務化。水素爆発の防止策、放射性物質が漏れ出た場合に敷地外への拡散を抑える対策などを求めた。地震の揺れや津波の想定についても、規制委が電力会社に引き上げを求める例が相次いでいる。

      「第二」薄氷の安定化 唯一残った電源で冷却

       福島第一原発の南約12キロ・メートルにある福島第二原発(楢葉町、富岡町)でも、東日本大震災の津波によって、運転中だった4基のうち3基が危機に陥った。第一原発と違って外部電源が1回線だけ残り、5日目までに安定化(冷温停止)に成功した。

       海水を使って冷却する設備のポンプや電源盤が津波に襲われ、3号機を除いてほぼ全滅していた。復旧するには、ポンプの修理とともに、津波の難を免れた「廃棄物処理建屋」の電源盤から、ポンプがある建屋まで、総延長約9キロ・メートルのケーブルでつなぐ必要があった。

       発電所の内外からケーブルをかき集め、13日午前6時に敷設を本格的に始めた。ケーブルは200メートル当たり1トン以上。しかし、すぐに使える重機がなかった。2メートルおきに人が並んでケーブルをかつぎ、総勢200人で午後11時過ぎに敷設を終えた。

       まず14日午前1時24分、1号機の冷却システムが復旧した。1号機は温度と圧力の上昇が目立ち、あと2時間でベント(放射性物質を含む蒸気の排出)が必要だとみられていた。7時過ぎに2号機、午後4時前に4号機のシステムが復旧した。

              ◇

       総動員で復旧に挑むさなか、所長だった増田尚宏氏(57)は、本店(東京)とのテレビ会議で、耳を疑うような打診をされたことがある。「富岡線を切ってもいいですか」。富岡線とは、第二原発で生き残っていた唯一の外部電源。当時、東電は計画停電に踏み切ろうとしていた。「東京から離れたところにぽつんとある(電気)系統だから、切ってもいいと思ったのだろう。ふざけるな、いいかげんにしろと言ったか、バカヤローと言ったか……言葉は覚えてない」。増田氏は、本店との感覚のズレを強く感じた。

       もし、富岡線も失っていたら、第一原発と同じ運命をたどったのだろうか。政府の事故調査報告書は2012年、第一原発での対応の一部について「第二原発に比べて不適切だった」と指摘している。増田氏は「運転員はどちらも同じ能力を持っていた。結果だけを見て判断するのは難しい」と、複雑な表情を浮かべた。

      福島、今も避難10万人弱

       福島第一原発の全電源喪失は、複数の原子炉で次々と炉心溶融するという、前例のない大事故を招いた。過熱した核燃料は原子炉圧力容器の外まで溶け落ち、格納容器の破損や建屋の水素爆発を引き起こした。東電の推計では、旧ソ連・チェルノブイリ原発事故の約6分の1にあたる900ペタ・ベクレル(ペタは1000兆)の放射性物質が大気中に放出された。福島県では津波の被災者も含めて最大16万人以上が避難、今も9市町村で避難指示が続き、10万人弱が避難中だ。

      原子炉 10~40度台で安定

       1~3号機の原子炉は現在、溶けた核燃料を冷やすために注水され、おおむね10~40度台で安定している。しかし、その水が壊れた原子炉から外へ漏れ、大量の汚染水となっている。4号機にあった核燃料は、すべて別の安全な施設へ移された。東電は、2051年までに福島第一原発の廃炉を完了する計画。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160217-118-OYTPT50484

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    3. [震災5年]原発 日米緊迫の応酬
      2016年2月18日3時0分

       東京電力福島第一原子力発電所事故は、日米同盟にとっても試練となった。当初、情報不足から相互不信すら漂った日米関係を正常化したのは、「日米連絡調整会議」という極めて異例の会議だった。舞台裏を探った。(肩書は当時)

      異例の会合 情報共有、同盟正常化

       「菅首相から一任された。原発事故に関する対応は、すべてこの場で決める」

       日米連絡調整会議の初会合が開かれた2011年3月22日、細野豪志首相補佐官はそう宣言した。首相官邸近くのビルの会議室。日本側は細野氏、福山哲郎官房副長官、経済産業、外務、防衛など関係各省、自衛隊や東京電力の幹部、米国側は米原子力規制委員会(NRC)、軍関係者らが出席した。

       日本政府主導で設置された会議は非公開で、設置に法的裏付けはなかった。日米安全保障条約や日米原子力協定でも想定されていない。さらに、本来、意思決定にはかかわらない首相補佐官が、政府の対処方針を決める役割を果たした。異例ずくめだった。

       ■GHQになぞらえ

       米国が求めたのは「原発事故に関する全情報の提供」だった。初会合に出席した日本政府関係者はメモに「各省、まだ(米国側に)不信感」と記した。米国主導で原発事故への対応が決まるのではないか、との警戒心だ。会議を、戦後の日本占領政策を担った連合国軍総司令部(GHQ)になぞらえ、「原発版GHQ」とささやく声もあったほどだ。

       米国の関心の中心は第一原発4号機だった。定期点検中だった4号機には、計1535本の燃料集合体(燃料棒の束)が一時貯蔵プールに保管されていた。1~3号機(392~615本)の2倍以上。4号機も建屋が水素爆発で吹き飛び、プールを覆うものがなく、燃料棒の残留熱でプールの水が急速に蒸発するとの予測もあった。

       燃料棒が露出すれば大量の放射性物質が拡散し、東京など関東全域は人が住めなくなる――。米国側はそんな「最悪のシナリオ」を想定し、在京米国人9万人全員の避難や、東京の米国大使館を大阪へ移転させることも検討していた。

       初会合の前日の21日に開かれた「準備会合」でも、NRCのカスト氏が「最悪なのは、燃料プールの水が失われ、放射能が拡散することだ」と警告し、細野氏は「そうした可能性は低いと想定している」と反論する場面があった。

       ■晴れた疑念

       会議で、日本側は「目視で4号機のプールの表面は光っており、水があるように見える。実際、水も採取できており、プールは水で満たされている」と繰り返し説明したが米国側の納得は得られなかった。しかし、日本側が2度目の水の採取で、プールの水が維持されていることを立証。その後、日米協力もより円滑に進んでいったという。

       会議は当初、1日数回の頻度で開かれ、次第に1日1回、週1回程度となり、この年の12月、解散した。

       日米間の情報共有不足の教訓は、引き継がれた。15年4月改定の日米防衛協力の指針(ガイドライン)には、大災害などに備え、自衛隊と米軍が緊密に連絡・調整を行う協議機関「同盟調整メカニズム」を常設する方針が明記された。

      日本側、当初は縄張り争い…米大使館公使(当時) ロバート・ルーク氏

      Robert Luke 在中国大使館公使などを経て、2009年から13年まで在京米大使館政務担当公使。現在はコンサルタントとして米ワシントン州在住。

       米大使館の政務担当公使として日本政府との調整にあたったロバート・ルーク氏(62)に、当時を振り返ってもらった。

              ◇

       震災直後から、日本への支援の調整を行いました。福島第一原発の危機への対応にも力を入れました。

       米側は、4号機の使用済み核燃料一時貯蔵プールのことを最も心配していました。当初は必要な情報が得られず、いら立ちが募りました。燃料棒が溶けて放射性物質が上空に達し、風向きによっては東京にまで飛んできて、東京に人が住めなくなるという最悪のシナリオも検討されました。

       3月16日になり、防衛省が主催する形で経済産業省、外務省、東京電力と米側が協議する場ができました。米側責任者の私は、海水をくみ上げてプールに水を入れることができる米企業のポンピング・システムの設計図面や機材のリストを日本側に渡し、すぐに検討するように要請しました。しかし、会議を2、3回経ても、返事は来ませんでした。

       そのシステムは、100万ドル(当時の為替レートで約8000万円)以上でしたが、我々は日本の返事を待たずに購入、オーストラリアにあった機材一式を米軍横田基地(東京都)へ運びました。だが日本側は、希望していた「アーム型」ではなく、下から放水する「キャノン型」だったのを理由に「そんなものはいらない」と使いませんでした。

       この支援には防衛省が積極的で、経産省や東電はそうではありませんでした。後から分かったことですが、防衛省が主導するこの会議自体に反対の立場だったのです。縄張り争いが背景にあったと思います。

       こうした混乱の後にようやく、日米両政府すべての機関で情報と対策を共有する必要性が認識され、日米連絡調整会議につながったと思っています。

      (聞き手 ワシントン支局 小川聡)

      全体像把握へ緊張感…通訳を担当 長井鞠子氏

       日米関係を左右した日米連絡調整会議の通訳を一貫して担当したのが、長井鞠子まりこさんだ。

              ◇

       通訳を要請されたのは震災発生直後の3月16日でした。当初、米原子力規制委員会(NRC)と、日本の原子力安全・保安院や東京電力などとの個別協議では、日本側から「前例がないから分からない」などの官僚的な回答が目立ちました。

       原発事故の全体像を日米で共有しよう。それが日米連絡調整会議の目的だったと思います。会議は緊張感にあふれていましたが、米国側の中心の一人、NRCのカスト氏は、忍耐強く日本側の話を聞き、ジョークを交えて場を和ませていました。細野豪志首相補佐官は、悲観的になりすぎず、快活に会議を取り仕切った印象です。かつて通訳を担当した1980年代の日米貿易摩擦の方が、感情的なやりとりが多かったと思います。

       原発の技術的なことも過不足なく訳すため、詳細な単語帳も作りました。発言者の感情や雰囲気を正確に伝えるように努力しました。実は被災地の宮城県の出身です。通訳人生の集大成だという気持ちで臨みました。(聞き手 加藤理一郎)

       ながい・まりこ 1967年、国際基督教大卒。日本の会議通訳者の草分け的存在で、2020年東京五輪招致委員会の通訳も務めた。72歳。

      必死の水採取 米納得…民主党政調会長 細野豪志氏

       民主党の細野豪志政調会長は、日米連絡調整会議で首相補佐官として日本側の統括役を務めた。

              ◇

       原発事故は、日米同盟の危機でもありました。

       震災後の3月17日、面会したルース駐日米大使は「米政府は日本政府と一緒に戦う」と言ってくれましたが、表情は非常に険しいものでした。米国は、原発事故の情報が十分得られず「日本は都合の悪い情報を隠しているのではないか」と不信感を募らせていたと思います。

       3月22日に設置された日米連絡調整会議では、日本側の情報を一元的に米国側へ提供しました。第一原発4号機の使用済み核燃料プールに水が残っているかどうかで激論になりました。日本側は採取した水の汚染度が低いことから、十分な水があると確信していましたが、米国側は信用しませんでした。

       「必死に水を採取したのになぜだ」

       日本側の怒りは相当なものでしたが、危険を冒して2回目の水の採取を決行しました。ようやく米国側も納得し、会議が日米対等になっていくのを感じました。

       会議を通じて、米国の協力を得るためには、日本が主体的に動く必要があることを痛感しました。(聞き手 上村健太)

       ほその・ごうし 衆院当選6回。民主党政権時代に原発相、環境相、2012年の野党転落後に党幹事長などを歴任。15年1月から党政調会長。滋賀県出身。44歳。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160217-118-OYTPT50468

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  38. [震災5年 あの時]<4>放水「一滴も無駄にしない」
    2016年2月19日3時0分

     暗闇に浮かぶ巨大な原子炉建屋は、異様な静寂に包まれていた。

     2011年3月18日深夜、東京消防庁のハイパーレスキュー隊に所属していた三縞みしま圭(42)は、東京電力福島第一原子力発電所3号機の前に立った。4日前の水素爆発で、骨組みがむき出しになっている。足がすくんだ。

     建屋上部の使用済み核燃料プールは、水位低下で大量の放射性物質がまき散らされる懸念があった。水位を回復できるかは、「屈折放水塔車」を操る三縞の腕にかかっていた。仲間たちが、がれきをかき分け、ホースで海水を引いた。

     右胸のポケットの線量計が鳴り続けている。空間放射線量は毎時60ミリ・シーベルト。一般人の1年間の被曝ひばく許容量に1分で達する。左胸には1歳半の娘を待ち受け画面にした携帯電話。防火衣の上から握りしめた。

     「みんながつないだ魂の水。一滴も無駄にしない」。不安を振り払い、操作盤のスティックに手をかけた。(文中敬称略、特集面に続く)

    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160219-118-OYTPT50088

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    1. [震災5年 あの時]前例なき放水作戦
      2016年2月19日3時0分

       (1面の続き)

       2011年3月11日、東日本大震災の津波に襲われた東京電力福島第一原子力発電所は電源を喪失し、水素爆発が起きた原発3基は使用済み核燃料プールの水位低下が懸念された。17日朝、前例のない“放水作戦”が始まった。(文中敬称略)

      ヘリ部隊 空から

        自衛隊 17日午前

       第一原発3、4号機は、爆発で建屋上部が吹き飛んだことで燃料プールへの放水が可能になった。まず3号機への放水を空から行うことになり、陸上自衛隊のヘリコプター部隊が第一原発へ向かった。

               ◇

       「原発への対応のため、出動する可能性がある」。陸自第1ヘリコプター団(千葉・木更津駐屯地)に所属していた加藤憲司2佐(44)が、上官からそう告げられたのは14日夜。同日午前に3号機が爆発していた。

       危険な任務だった。大型輸送ヘリ「CH47」を使って福島県沖で海水をくみ上げ、3号機に投下して、燃料プールの水位を上げる――。別の部隊が16日に向かったが、3号機から30メートル上空で強い放射線を計測し、放水を断念して引き返した。翌17日は被曝ひばくを分散するため、加藤が率いる部隊が指名された。午前8時56分に仙台市の霞目かすみのめ駐屯地を飛び立った機内には放射線を防ぐタングステンシートを敷き、隊員は鉛の入ったベストを着込んだ。

       1時間ほどで建屋が見えた。操縦室の中央に座った加藤は「屋根のない家のようだ」と思った。前日の3倍の90メートル上空だったが、それでも空間線量は毎時87・7ミリ・シーベルト。

       不安はあった。それでも「やらなきゃいけない」と自分に言い聞かせた。任務が告げられた時、「行きたい」と手を挙げた隊員は多い。貴重なタングステンシートは仲間が各地からかき集めた。

       「予定通り放水を実施!」。ヘッドセットに叫んだ。約7トンの海水が3号機めがけ落下したのは午前9時48分。4回で計約30トンを放水した。ただ、高い位置からでは風に流されやすく、プールの水位維持に役立ったか分からなかった。

       「原発が危機的状況を脱したわけではない」。夕方、霞目駐屯地に戻った加藤は仲間たちに感謝したが、達成感はなかった。

       

      機動隊 地上から

        警視庁 17日午後

       陸から最初に第一原発の放水作業に着手したのは警視庁の機動隊だった。暴徒の鎮圧に使う放水車と隊員11人が、想定外の任務を担った。

               ◇

       17日午後3時40分、午前中に飛来した自衛隊ヘリと入れ替わるように、警視庁警備2課管理官だった大井川典次(61)が率いる部隊が、第一原発に入った。

       免震重要棟で、所長だった吉田昌郎まさお(当時56歳、13年死去)と顔を合わせた。「水が届いても霧になるが、それでもいいのか」。大井川は率直に聞いた。同庁の車両は下から吹き付けるように放水するしかないからだ。「霧になっても構わない」。吉田は答えた。

       気がかりは放射線量だった。「もし隊員がその場で倒れたら、責任を取って警察を辞める」。覚悟を決め、6時40分、第1陣の4人と放水車に乗り込んだ。3号機を正面に見据える位置に車をとめた。空間線量は車内でも一時、50ミリ・シーベルトを超えた。

       「撃て!」。7時5分、放水塔から勢いよく水が噴き出た。水量は10分間で44トン。この作業をさらに2回繰り返す予定だった。

       だが、隊員から、被曝の上限を80ミリ・シーベルトに設定した線量計が鳴ったと報告があり、撤退を余儀なくされた。自衛隊が放水車を投入したこともあり、警視庁の放水はこの一度だけだった。

       隊員の勇気は称賛を浴びたが、大井川は納得していない。「避難した人たちに元の生活に戻ってもらうことが目的だったが、今も達成できていない。もっと放水できていればという思いは消えない」

          ◇    ◇

      レスキュー投入 総力戦へ

        消防 18日

       自衛隊、警察による放水の効果が見えない中、長いアームを持つ特殊車両が投入された。東京消防庁が3月18日に送り出したハイパーレスキュー隊で、屈折放水塔車の操作を任されたのは三縞みしま圭(42)だった。

        出動

       「二度と家に帰れないかもしれない」。東京都立川市内の消防本部に勤務していた三縞は第一原発への出動を命じられ、不安が頭をよぎった。妻は次女を妊娠していた。

       18日午後、冨岡豊彦(52)ら5人がまず、偵察のため第一原発に入った。爆発した建屋周辺の路面はきれいに片づけられている。放水の邪魔にならないよう、原発所員ががれきなどを除去したのだろう。「国のために体を張ってやっている」。冨岡は頭が下がる思いがした。

       午後11時30分、46人の本隊が構内に入った。3号機がライトで照らされている。放水塔車を降りた三縞は「でかいな」と思った。

       建屋は高さ約45メートル。アームが届くのは22メートル。燃料プールから蒸気が上がっているように見え、どこを狙って放水するか考え始めた。

        実行

       19日午前0時前。三縞は3号機から約2メートルの位置でアームを垂直に伸ばし、先端を建屋に向けた。被曝線量を抑えるため、車両を離れて50メートル先のバスの陰に隠れ、海水が届くのを待った。

       無線機から、ホースの設置を担当する隊員たちの声が聞こえてくる。「そっちは100ミリ・シーベルトあるぞ!」「気をつけろ!」。暗闇の中でホースをつなぐ姿を想像すると、仲間が心配で泣きそうになった。

       0時30分頃、ホースがつながり、アームの先から水が噴き出した。50メートルを一気に走り、放水塔車の操作台に駆け上がった。

       「もう少し右!右!」。隊長から無線で指示が飛び、スティックを動かす。「水しぶきを浴びないように」との声も聞こえたが、むき出しの操作台では避けようもなく、マスクが水滴で曇っていく。

       「OK、OK。届いてるよ」。それを聞いてバスへと走った。狙い通りの場所に届いているのが見えた。思わず仲間と握手した。

        激励

       これにより、3号機には継続的に放水できるようになった。大阪や川崎の消防隊も駆けつけ、放水作戦は総力戦となった。

       原発を出て被曝線量のチェックを終えると、三縞は眠気に襲われた。東京に戻ったのは19日夜。携帯には、消防の仲間から激励のメールがたくさん届いていた。

       家に帰ると、長女が玄関で飛びついてきた。小さい体を抱きしめ、泣いた。

        「キリン」で拡散防ぐ

        民間 22日

       3号機の放水が総力戦となった頃、4号機でも燃料プールの水位が危機に陥った。投入されたのは高さ58メートルに届くアームを持ち、「キリン」と呼ばれたドイツ製の生コン圧送車だった。

       「日本の未来を左右する大事な機械。届けるまでに何かあっては取り返しがつかない」。独・プツマイスター社の日本法人で働く上之うえの耕作(46)は、重圧を感じながら、横浜港から福島県いわき市まで「キリン」のハンドルを握った。

       50メートルを超す圧送車は当時国内に数台しかなく、この車両は輸出用に保管されていたものを放水作業のために急きょ確保していた。

       20日に到着し、上之は翌日まで第一原発側の担当者に操作方法を手ほどきした。「頑張ってくれ。必ず水を出してくれよ」。口には出さず、そう願った。

       22日午後5時17分、放水開始。テレビで見て、ようやく肩の荷が下りた気がした。

       圧送車による放水は、その後、1、3号機でも開始。6月までに計7台が投入され、「ゾウ」や「シマウマ」などの呼び名がついた。

       「最終的に圧送車を投入できたことで、水位の維持に成功し、使用済み核燃料が露出して放射性物質が広範囲に拡散する事態は避けることができた」。東電関係者はそう評価する。

       

      一連の放水で「冷却回復に成功」 東電の最終報告書

       東京電力の社内事故調査委員会がまとめた最終報告書は、一連の放水について、「燃料プールへの対応に失敗すれば破局的な影響が懸念されたが、冷却の回復に成功した。災害のさらなる拡大を防止した点で極めて重要な分岐点だった」と総括した。

       個々の効果については厳しい見方もある。政府の事故調査・検証委員会の中間報告書は、自衛隊のヘリコプターによる上空からの放水は「ほとんど着水しなかった」とし、警視庁の高圧放水車についても「着水は限定的だった」と言及。一方、生コン圧送車は「消防車よりも確実に水を補給できた」とした。

       ただ、東京消防庁幹部は「圧送車も消防が引いたホースで放水しており、各機関の活動の積み重ねが結果に結びついた」と話す。

       宮崎慶次・大阪大名誉教授(原子力工学)も、「それぞれの効果は限定的でも、最終的に最悪の危機が回避されたことは評価すべきだ」と指摘。「東電などの事業者や国は、自衛隊や警察、消防を再び危険にさらさないよう、遠隔放水などの仕組みを整備しなければならない」と話している。

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    2. 隊員に「日本の将来」託す…池田克彦・警視総監(当時)63(前原子力規制庁長官)

       1996年から2年間、岩手県警本部長を務めており、テレビで見た津波の映像はショックだった。

       16日になって、警察庁長官から「原発への放水のための部隊を出せるか」と相談があった。警視庁の放水車は暴徒を鎮圧するためのものだ。それでも打診があるということは、よほどの事情だと察した。

       機動隊員たちは危険を顧みずに「行く」と言うに決まっている。東電社員が「道案内をする」とまで言っているのに「警察官が逃げるわけにはいかない」という気持ちもあった。庁舎玄関で、「日本の将来は君たちにかかっている」と声をかけ、送り出した。

       現地の無線が途切れがちで、放水の状況が分からず、待っている時間が長く感じられたが、隊員の無事を確認したときは「やれるだけのことはやった」と、ほっとした。

       被災地で応援部隊を効率的に展開するためにも、民間とも連携し、被害が大きい地域をいち早く把握する体制整備が必要だ。原子力規制庁長官も務めたが、「安全神話」にとらわれすぎていたことが事故の遠因に挙げられる。「100%の安全はない」という前提で、対策が考えられてこなかったことが残念だ。

       

      装備と準備あっての決断…新井雄治・東京消防庁消防総監(当時)64(東京防災救急協会理事長)

       放水自体は簡単な作業だった。問題は、被曝線量を抑えるためにどれだけ短時間で作業を終えられるか。そして、いつまた原子炉に異常事態が起きてもおかしくない中で、恐怖心をどう克服するかだった。

       当初は、爆発があってもすぐに現場を離れられるヘリコプターでの放水を考えた。しかし、最初にヘリを使用した自衛隊からの情報で上空の放射線量が高いことが分かり、屈折放水塔車の投入しかないという結論に至った。

       1999年に茨城県東海村で起きたJCO臨界事故を受け、東京消防庁では放射線を遮る特殊災害対策車を1台導入していた。これを放水作業時にそばに置くことで、原子炉で再臨界などが起きても逃げられる可能性がある。放水を決断できたのは、こうした装備や準備のおかげだ。威勢よく「特攻」したのでは決してない。

       第一原発での活動が単に「良かった」と評価されるのは危険だ。今後、想定外の事故が起きた時に、安易に出動を迫られかねない。反省点を検証し、様々な事故に万全の備えをする必要性を痛感している。

        原発事故での被曝限度  人は日常生活でも大地や宇宙など自然界から放射線を浴びており、そうした自然被曝ひばくや医療行為を除いた被曝の上限は、年間1ミリ・シーベルトとされる。

       累積の被曝線量が100ミリ・シーベルトを超えると、がんによる死亡率が上昇するなどの影響が出るという調査結果もある。

       ただ、今回のような原子力災害では例外的な基準が適用されることも。国際放射線防護委員会(ICRP)は、緊急時の目安を年間20~100ミリ・シーベルトとしている。

       政府は第一原発事故の発生直後、緊急措置として、原発作業員の被曝限度を累積100ミリ・シーベルトから累積250ミリ・シーベルトに引き上げた。放水に当たった警察や消防は、活動の限度を100ミリ・シーベルトとしていた。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160218-118-OYTPT50439

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  39. 溶融核燃料 「取り出しがよいかも含め検討を」
    2月20日 6時14分

    事故からまもなく5年を迎える東京電力福島第一原子力発電所を視察した原子力規制委員会の更田委員は、事故で溶け落ちた核燃料について、「取り出すことがよいかも含めて検討する必要があると思う」と述べ、今後の調査の結果によっては取り出さない選択肢も検討する必要があるという考えを示しました。

    福島第一原発の事故では、1号機から3号機までの3基で核燃料が溶け落ちる「メルトダウン」が起き、この核燃料の取り出しが、40年かかるとされる廃炉に向けた工程の中で最大の難関となっています。
    19日現地を視察した規制委員会の更田豊志委員は、報道各社の質疑の中で、溶け落ちた核燃料について触れ、「調査中なので確定的なものではない」としたうえで、「取り出すことがよいかも含めて検討する必要があると思う。取れるだけ取って、残りは固めるなどいろいろな選択肢がある」などと述べ、今後の調査の結果によっては取り出さない選択肢も検討する必要があるという考えを示しました。
    国と東京電力がまとめた現在の廃炉の工程表では、溶け落ちた核燃料を取り出すとされていて、格納容器の内部の状態を確認するための調査が続けられています。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160220/k10010415651000.html

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  40. [震災5年 あの時]<5>バス、車 大熊一斉避難
    2016年2月20日3時0分

     福島県大熊町役場の駐車場で、爆発音を耳にした町企画調整課長(当時)の秋本圭吾さん(63)は、反射的に東の空を見た。白に少し茶色が交じったような煙が丘の向こうに浮かんでいた。2011年3月12日午後3時36分。約5キロ先にある東京電力福島第一原発1号機の建屋で水素爆発が起きた。

     その日の未明、政府から避難指示が出され、大型バスなどを使って1万人を超す町民の避難を進めた。車で逃げる人も多くいた。最後まで残った職員ら約10人と、町役場から撤収しようと外に出た直後の爆発だった。ただ、不思議と恐怖感はなかった。「煙の色からすると、コンクリート構造物の爆発かな。原子炉は大丈夫だろう」。そんなことを考えた。秋本さんも原発の安全神話にしがみついた一人だった。数日したら戻るつもりで町を出てから、間もなく5年がたつ。

     (特集面に続く)
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160220-118-OYTPT50138

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    1. [震災5年 あの時]数日で戻るつもりが
      2016年2月20日3時0分

       (1面の続き)

       原子力発電所で事故が起きたら、どれほど深刻な事態になるのか。東京電力と日頃から付き合いのあった原発立地自治体の職員も、住民たちも、想像できなかった。避難生活がこれほど長期化するということも。

      ●11日 緊急停止…原発「止まれば大丈夫」

       福島第一原発は地震後、緊急停止した。核燃料の反応を抑える制御棒が挿入されたことを意味する。その時点で警戒を解いた関係者は多い。

            ◇

       震度6強の地震被害の把握と津波の警戒に追われる福島県大熊町の町役場で、原子炉の状態に気をもむ職員がいた。東電との窓口になっていた企画調整課長(当時)の秋本圭吾さん(63)だ。第一原発とのホットラインが通じなかった。第一原発から12キロ南の第二原発と連絡を取り合ってようやく、「第一も緊急停止した」との回答が得られた。

       「止まりさえすれば大丈夫」。秋本さんは、渡辺利綱町長(68)に報告、大きな懸念が消えた気になった。海岸から約800メートル離れた熊川公民館まで津波が到達したとの連絡が入るのは間もなく。役場に緊張が走った。町は、海岸から3キロ前後を南北に走る国道6号の東側住民に対し、役場に比較的近い町総合スポーツセンターへ避難するよう防災無線で呼びかけた。

       センターには約2000人が殺到、700台以上の車で駐車場とグラウンドは埋まった。肝心の体育館は、天井のパネルが落下したため使えず、車内で過ごす住民もいた。町は近くの大熊中学校も避難所にした。

       第一原発は深刻な事態に陥っていた。津波の影響で、原子炉を冷却するための電源を失ったのだ。政府は原子力緊急事態を宣言しつつ、枝野官房長官(当時)は記者会見で「原子炉に問題があるわけではない」と、冷静な対応を求めた。

       「3キロ圏に避難指示を出す方向で国と調整しています」。東電から差し向けられた連絡役の社員が町役場に来たのは、その日の午後8時頃。スポーツセンターと第一原発は約3・5キロ離れている。町総務課長(当時)の鈴木久友さん(63)は「国道6号より東側は避難させている。さほど混乱しないですみそうだ」と思った。

       秋本さんは国から電話を受けた。「バスを60台送ります。(隣の)双葉町と分けて使ってください」。避難はほぼ完了している。「今さら必要ないのに」。秋本さんは「不要ならすぐ返します」と答えた。

      ●12日未明 バス到着…避難誘導「うそだろ」

       政府が手配したバスは12日未明から続々と町に到着し、薄明かりが差す頃には、町役場前の県道に20台がずらりと並んだ。

       近くで喫茶店を経営する武内一司さん(62)はエンジン音で目が覚め、外に出て驚いた。運転手にわけを聞いたが、「私たちも『行け』としか言われていない……」と困った顔をされた。

       沿岸部の住民が避難する町総合スポーツセンターにいた職員からその頃、町役場にこんな報告が入っていた。「パトカーが避難するよう呼びかけています」。役場内は騒然となった。「なんだそれ」「うそだろ」

       その後、首相官邸の細野豪志首相補佐官(当時)から渡辺町長に電話が入った。「10キロ圏の避難指示が出た」。格納容器の圧力を下げるベント作業の準備が始まっていた。避難対象は町民約1万1000人の大半。町のあちこちに防護服を着た警察官が現れた。渡辺町長は緊張を感じたものの、「数日のことだろう」と考えていた。

       避難先は西隣の田村市など。市はその日の朝には、受け入れ態勢を取っていた。町産業課長(当時)の岡田範常さん(63)は、公用車でバスを先導した。バスの後に住民のマイカーが続いた。交差点で田村市の消防団員に誘導され、体育館に入った。

       もう一つの避難場所である大熊中では混乱が起きていた。町北部の行政区長を務める尾内武さん(67)は、町職員から指示を受け、「バスが来るから待って」と住民に声をかけていた。ところが、警察官は「早く避難しなさい。バスでの避難なんて聞いていない」と言う。車で逃げる人が続出した。

      ●12日午前 田村市へ…貴重品 家に置いたまま

       避難の長期化など誰も想定していない。貴重品や健康保険証などは自宅に置いたまま。お年寄りや子供らを優先してバスに乗せたため、家族がバラバラに。そんな事態も起きた。

            ◇

       各行政区には、地域の集会所などでバスを待つよう町から指示が出された。消防団員の仲野剛さん(46)は、仲間と手分けして担当の約750世帯を回り、「ちょっと遠くに一時避難するだけだから」と、逃げようとしないお年寄りらを説得し続けた。田村市方面に通じる国道288号沿いでは、バスの車列を見て、車で避難を始める動きもあったが、危機感は広まっていなかった。

       役場から「地震で道路が陥没した。大型バスが行けない。役場まで歩いてきてほしい」と頼まれた行政区もあった。役場までは約2キロ。妊婦や高齢者は車で運び、元気な者は歩くことにした。まとまって行動しようと、地域の運動会で使うプラカードを掲げて役場を目指した。

       町や消防団は「余計な荷物は持たないで」と指示していた。印鑑や保険証などを家に置いたままにし、不安な避難生活を強いられる住民が続出した。「長引くかもしれないと事前に分かっていれば……」。渡辺町長は今も悔いが残る。

       町中心部で暮らす大越暢代さん(37)は、防災無線を聞き、父母と夫、生後1か月の長男の5人で町役場裏の体育館に向かった。「一晩くらいだろう」と、長男のために用意したのは、粉ミルクとお湯を入れたポット、替えのオムツ数枚だけ。しばらく待つと、「子供とお年寄りは先に」と声を掛けられ、長男を抱く母と3人だけバスに乗り、田村市の施設に避難した。

       ところが、後で合流するはずの父や夫が現れず、携帯電話も通じない。市内の避難所に入れず、西隣の三春町にいると分かったのは翌日。合流できたのは4日後だった。大熊町民の避難先は27か所にも及んだが、急いで逃がすことを優先した町はバスの乗車名簿を作らなかった。

       避難先で町民を降ろしたバスは、ピストン輸送で町民を運んだ。避難作業が終了したのは12日午後2時頃だった。

      ●12日午後 再避難…建屋爆発「もう帰れない」

       町役場には、総務課長の鈴木さん、企画調整課長の秋本さんら、定年間近の課長ら10人ほどが残っていた。

       「原発の状態が思わしくないようです。避難した方がいいです」。連絡要員として東電から派遣されていた社員が言った。12日午後3時過ぎだった。鈴木さんらは役場の非常用発電機を停止させ、職員通用口の鍵をかけて外に出た。爆発音が聞こえたのは、その直後だった。「パーン」と乾いた音だった。秋本さんは白っぽい煙を見た。職員たちは急いで公用車に乗り込み、田村市へ向かったが、秋本さんにはまだ切迫感はなかった。

       「もう帰れない」。田村市の体育館に避難していたキウイ農家の渡辺信行さん(63)は、テレビの前でそう直感した。福島第一原発1号機の建屋から白煙が上がっている。誰かが「爆発した」と声を上げていた。

       町の災害対策本部を設置した市内の別の体育館にいた渡辺町長も、テレビを見て血の気が引いた。携帯電話が鳴った。「もっと遠くに子供を避難させろ」。知り合いの町民からだった。

       水素爆発の約3時間後、政府は避難指示の範囲を20キロ圏に拡大した。田村市の一部も対象になった。2014年3月まで避難指示が続くことになる都路みやこじ地区。田村市は、都路の住民に加え、同地区の体育館や学校に身を寄せる大熊町民約860人の避難も担うことになった。

       対象となった体育館に、孫6人を含む家族9人で避難していた堀川悦子さん(65)は午後9時頃、「再度避難します」と町職員に告げられ、がくぜんとした。慣れない場所で子供たちをようやく寝かしつけ、疲れ果てた大人たちも横になろうとしたところだった。子供らを起こし、荷物をまとめるうち、体育館を出る最後の家族になっていた。バスが来るまで1時間以上待たされた。雪がちらついていた。

            ◇

       町には現在、全域に避難指示が出されている。面積の6割は帰還困難区域だ。町民1万752人(1日現在)のうち、8172人はいわき市など福島県の45市町村に、2580人は県外の38都道府県で避難生活を送る。帰還のめどは立っていない。

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    2. 大型バス 100台超現地へ…国交省 片っ端から電話、かき集め

       東京電力福島第一原発事故に伴う住民避難で、政府は100台を超す大型バスを手配し、現地に差し向けた。大熊町ではこのうち少なくとも約40台が使われ、高齢者らを搬送、道路渋滞を起こすマイカー避難の抑制にもつながった。

        ◎「行き先は未定」

       政府事故調の報告書などによると、官邸危機管理センターは3月11日午後7時半過ぎ、避難用バスの確保を協議し、同9時頃、国土交通省旅客課に対し、貸し切りバス100台以上を手配するよう指示した。

       特別な協定もなく、同課の担当者にできたのは、関東と東北のバス会社に片っ端から電話をかけることだけ。それでも福島、茨城両県と東京都に本社がある計12社から協力を取り付け、125台を確保できた。

       担当した国交省職員は「官邸から、原発周辺の住民の避難にバスが必要だ、と指示された。ただ、まだ具体的な行き先は決まっておらず、警察が先導する、とも説明された」と振り返る。計画より、手段の確保がまず優先された。

       水戸市の茨城交通は、12社のうち最多の49台を派遣した。茨城県警のパトカーに先導され、同社から第1陣20台が出発したのは11日午後11時頃。途中で福島県警に引き継がれ、12日午前5時頃に大熊町に到着した。しばらく待機した後、町総合スポーツセンターなどで町民を乗せ、田村市内の公共施設などに向かった。

       第2陣29台も同日、出発したが、1号機の水素爆発で、引き返したという。

        ◎渋滞も

       茨城交通によると、大熊町でのバス輸送は計35回。1回50人が乗ったとすると、計1750人を運んだ計算になる。他社の19台と、スクールバスなど町のバス4台も加えると、町民1万人余のうち少なくとも約2500人がマイカー以外で避難したとみられる。大熊町から西側に走る国道288号は、12日午前11時頃から2時間程度、大渋滞を起こしたが、午後1時半過ぎには解消したという。

       一方、10キロ圏避難対象の双葉、浪江、富岡3町や自主的避難を決めた楢葉町では、自前でバスを確保したものの、情報の混乱や道路事情から、政府から派遣されたバスの数が少なく、避難に使われたバスはそれぞれ計10台に満たなかった。

       双葉町の役場や住民は、国道114号を使って、約40キロ離れた川俣町への避難を目指した。しかし、通常なら1時間半ほどで到着するはずが、6時間前後かかった。同じ国道が通る浪江町の場合も、町役場から5キロ離れた公民館に移動するのに、通常の10倍の約2時間を要したという。富岡町も、西隣の川内村に住民を避難させる際、本来は30分程度で済む移動に3~4時間かかった。

       いずれも12日朝から渋滞が始まり、1号機の建屋が水素爆発した午後3時36分時点で、多くの住民がまだ車に乗って避難中だった。

        ◎協定締結進む

       福島第一原発事故後、事前に事業者と協力関係を結ぶ動きも出ている。

       川内せんだい原発を抱える鹿児島県は、再稼働を控えた昨年6月、原発30キロ圏内に営業拠点を持つ33社と県バス協会との間で、原発事故時の協定を締結。被曝ひばく線量1ミリ・シーベルト以下を条件にバスを出すほか、防護服や線量計の支給など、運転手の安全確保のルールを決めた。

       ただ、道路が狭く、大型バスが入れない場所を乗車場所として想定しているケースもあるといい、県バス協会の中原昭雄専務理事は「訓練などを通じて問題点を洗い出していくことが必要だ」と訴える。

         ◆ ◆ ◆

      「緊急時対応」完成 3原発のみ…避難計画義務 30キロ圏内に拡大

       東京電力福島第一原発事故の反省から、国は2012年10月、住民避難の計画策定を義務づける区域を従来の「8~10キロ圏」から「30キロ圏」に拡大した。放射性物質が広範囲に拡散する重大事故も想定、避難手段や経路を事前に決めておくなど、計画を具体化させる仕組みも取り入れた。福島第一原発事故から何を学ぶか。多くの住民をどう混乱なく避難させるか。関係自治体の模索が続いている。

        ■計画はできても

       策定を義務づけられた市町村は、事故前の15道府県45市町村から、21道府県135市町村に増加した。内閣府によると、2月1日現在、7割に当たる96市町村が計画を策定。全国13地域(原発30キロ圏)のうち、8地域では対象市町村の計画が出そろった。

       ただ、「計画は骨格に過ぎない」(内閣府担当官)。区域拡大に伴い、国と県を中心とする地域原子力防災会議で、原発ごとの「緊急時対応」をまとめる仕組みを導入したからだ。

       緊急時対応では、各市町村の避難計画を基に、避難手段をどう確保するか、入院患者や高齢者らをどう逃がすか、といった具体的な対策にまで踏み込むことが要求される。これが国の原子力防災会議で了承されると初めて一応の「完成」となる。これまでに緊急時対応を作り、了承されたのは、再稼働した高浜(福井)、川内(鹿児島)の2原発と伊方(愛媛)にとどまる。

        ■90万人規模の避難

       特に、東海(茨城)と浜岡(静岡)で作業が遅れている。いずれも都市部を抱え、避難対象は90万人以上。県内だけでは避難先を確保できないからだ。

       茨城県は、対象14市町村の住民のうち、44万人を県内、8市町の52万人を栃木など近隣5県に避難させる想定で準備を進めている。南海トラフ巨大地震との複合災害も想定する静岡県は、焼津市など11市町94万人が、県内に加え、東海、関東甲信、北陸の12都県にも避難するとしている。いずれも大枠が決まっただけで、受け入れ先となる市町村など詳細は協議中だ。

       敦賀、美浜、大飯、高浜の4原発がある福井県も、事故が起きた場合、大規模な「越境避難」を余儀なくされる。4原発の30キロ圏内には、福井、岐阜、京都、滋賀4府県23市町が入り、避難想定も複雑になる。

       8府県4政令市で構成する関西広域連合は、岐阜を除く3府県の避難先を、福井は石川・奈良・兵庫、滋賀は大阪(予備で和歌山)、京都は兵庫・徳島と割り振り、受け入れ市町村も決めた。

       高浜原発の場合、地元の福井県高浜町の住民約1万人が兵庫県の宝塚市、三田市、猪名川町に分散して避難する想定。三田市では、体育館や県立高校など4か所に3200人を引き受ける。しかし、具体的な受け入れ手順は決まっておらず、同市の担当者は「これから高浜町と協議し、避難所運営や物資確保などのマニュアルを整備したい」と話す。

        ■正確な見通し重要

       各地の避難計画は国の指針に基づき、5キロ圏の住民が先に逃げ、5~30キロ圏の住民は屋内退避したうえで順次逃げる、というシナリオになっている。住民が行政の指示に従って行動することが前提だ。指示が出る前に避難する住民が増えれば、道路渋滞が起きる可能性は高い。実際、福島第一原発事故では、各地の幹線道路で大渋滞が発生した。

       京大防災研究所の畑山満則准教授(防災情報論)は「渋滞で動けないところに、放射性物質が飛散するというのが最悪の事態だ。どれぐらい待てば避難を始められるのか、どうすれば安全に避難できるのか、正確な見通しを住民に示すことが大切だ」と指摘する。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160219-118-OYTPT50420

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  41. 福島 浪江町の田植踊 避難先の仮設住宅で披露
    2月21日 12時21分

    東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響で、住民の避難が続く福島県浪江町に伝わる田植踊が避難先の福島市の仮設住宅で披露され、町民たちがふるさとの伝統芸能を楽しみました。

    浪江町は、原発事故の影響で全域が避難区域となり、震災から5年となる今もおよそ2万1000人の避難が続いています。
    21日は、町内の請戸地区で古くから受け継がれてきた「請戸の田植踊」が、浪江町の人たちおよそ160人が暮らす福島市の仮設住宅で披露されました。この踊りは、豊漁や豊作を願う地元の祭りで奉納されてきたもので、震災と原発事故の後は、毎年、避難先の仮設住宅で復興を願って披露されています。仮設住宅には50人ほどの人たちが集まり、手で拍子をとったり、歌を口ずさんだりしてふるさとの伝統芸能を楽しんでいました。
    浪江町から避難する85歳の女性は、「この踊りとともに生きてきたので元気をもらいました。今は離れ離れで会えない地区の子どもたちの成長が分かるのもうれしい」と話していました。また、踊り子の横山和佳奈さん(17)は、「私たちの踊りを見て笑顔になってくれた人がいてうれしかった。あと何年続けられるかわかりませんが、踊れるところまで踊りたい」と話していました。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160221/k10010416881000.html

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    1. ひたすら時間を稼いで、浪江町住民が静かに消えるのを待つだけ…

      行政の仕打ちはときにあまりにもむごい。これもまた「無責任」と「当事者感覚の欠如(無関心)」のなせるワザ…

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    2. 震災で壊滅的被害 福島・南相馬の集落が「解散」
      2月21日 17時07分

      東日本大震災による津波で住民のおよそ3分の1が死亡し、壊滅的な被害を受けた福島県南相馬市の集落が再建を断念して、21日、解散しました。震災を理由に集落が解散したのは南相馬市で初めてで、被災地全体でも珍しいということです。

      解散を決めたのは南相馬市の沿岸部にある港行政区で、21日の解散式には住民などおよそ50人が集ました。港行政区には震災前、37世帯およそ130人が暮らしていましたが、津波でおよそ3分の1の45人が犠牲になりました。
      震災後、住民はほかの地区に移り住み、地区のほぼ全域が住宅の新築などができなくなる災害危険区域に指定されたことから、集落の再建が困難と判断し、震災発生から5年を前に、解散することを決めました。
      式では犠牲者に黙とうをささげたあと、田中憲一区長が「行政区を閉じるのはさびしく悲しいですが、前を向いて頑張っていきましょう」と呼びかけました。
      そして全員で「ふるさと」を合唱し、入植が始まった明治後期からおよそ100年余り続いた集落の歴史に幕を閉じました。住民たちは、かつての集落での暮らしを語り合ったり、写真を撮ったりして、ふるさとでの思い出を懐かしんでいました。
      前川敏章さんは「まだ実感が湧きません。元の場所のほうがいいですが、一歩ずつ前に進んでいくしかありません」と話していました。
      南相馬市によりますと、震災を理由に集落が解散するのは南相馬市で初めてで、被災地全体でも珍しいということです。
      http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160221/k10010417071000.html

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    3. 震災から5年 仮設住宅での独居死182人に
      2月21日 17時44分

      東日本大震災で被害を受け、仮設住宅で1人暮らしをしている人が死亡して見つかったケースは、宮城、福島、岩手の3県で、この5年間で182人に上ったことが警察のまとめで分かりました。専門家は、災害公営住宅への転居が進むなか、仮設に残る人たちの孤立を防ぐ支援の継続が必要だと指摘しています。

      宮城・福島・岩手の各県の警察によりますと、仮設住宅で1人暮らしをしている人が、病気などで死亡して見つかったケースは、去年までのおよそ5年間で合わせて182人に上っています。
      県別の内訳は宮城県が84人、福島県が66人、岩手県が32人でこのうち65歳以上の高齢者は、合わせて107人で全体の6割となっています。
      震災の発生からまもなく5年となる現在でも、3県でおよそ5万9000人が仮設住宅での暮らしを余儀なくされている一方、災害公営住宅への転居などで仮設の空き家は、およそ2万3000戸に上っています。
      被災者の生活に詳しい仙台白百合女子大学の大坂純教授は「仮設から人が減ると孤立感が強くなる。集会所も統合などで遠くなり、行かなくなってしまうので、声かけを増やすなど支援の継続が必要だ」と指摘しています。さらに大坂教授は、災害公営住宅に転居した人たちも孤立化が懸念されると指摘していて、「震災後、何度も環境が変わり、新しい環境に慣れることに疲れて閉じこもってしまう。仮設とは違い、近所の人との距離も遠くなるので、入居者どうしや地域の人たちとのつながりを作る支援をしていかないといけない」と話していました。

      被災者の住まい 仮設から災害公営住宅へ移行

      震災の発生からまもなく5年となるなか、宮城と岩手では被災者の住まいが仮設住宅から災害公営住宅へと移りつつあります。
      宮城県では、県によりますと1万5917戸の災害公営住宅の建設が計画され、先月末現在で、およそ半分にあたる7690戸に被災者が入居しています。
      また岩手県では、県によりますと、5771戸の計画に対し先月末現在で、およそ4割にあたる2387戸に被災者が入居しています。
      災害公営住宅への入居が進むなか、独り暮らしの高齢者の孤立を防ごうと、宮城県内の一部では、警察が「よりそい隊」と銘打ち、災害公営住宅を定期的に見回っているほか、宮城県も、見守り活動やコミュニティー作りを支援していきたいとしています。

      災害公営住宅でも独居死のケース

      仮設住宅から災害公営住宅への転居が進むなか、災害公営住宅でも1人で暮らす高齢者が、誰にもみとられずに死亡し、しばらくして見つかるケースが起きています。
      仙台市青葉区の災害公営住宅では、今月8日、72歳の女性が、室内で死亡しているのを警察官が見つけました。
      市によりますと、女性は、40代の息子と2人で暮らしていましたが、息子は、先月半ばころから入院していたため、1人で生活していました。玄関には、およそ1週間分の新聞がたまっていて、死後10日ほどたっていたとみられるということです。
      1人暮らしのお年寄りが、仮設から災害公営住宅に移ってまもなくして死亡して見つかったケースもあります。
      仙台市太白区の災害公営住宅では、去年5月、1人暮らしの76歳の男性が、風呂場で倒れているのを警察官が見つけ、その後、死亡が確認されました。仙台市によりますと、男性は前の月に仮設住宅から引っ越してきたばかりで、職場の無断欠勤が続いたことから同僚が警察に通報したということです。
      この災害公営住宅で、集会所の管理などを行い取りまとめ役を担う飯塚正広さんは、「自分が暮らす復興住宅で、こうしたことが起きたことは、とてもショックです」と話していました。飯塚さんは、仮設住宅にいたときには自治会長を務め、1人暮らしの高齢者などの見守り活動を行っていました。飯塚さんは「災害公営住宅に移って環境はよくなった一方で、隣の家の音は聞こえなくなり、外から家の中の様子は分からなくなった。住民どうしの交流の場も少なくなり、コミュニケーションが取りづらいのが現状です。今後は、公営住宅でも見回り活動を始めていくつもりです」と話していました。

      住民主体でつながり強める地区も

      災害公営住宅での独り暮らしの高齢者の死亡を受け、住民主体でつながりを強めようという地区もあります。
      宮城県岩沼市押分の災害公営住宅が建ち並ぶ地区では、去年9月、72歳の男性が独りで暮らす公営住宅で火事があり、男性が遺体で見つかりました。男性は5か月ほど前に仮設住宅から転居し、足が不自由だったことから、市の委託を受けたサポートセンターなどが定期的に訪れていましたが、外出は買い物のときぐらいで、近所の人などとの交流は少なかったということです。
      火事のあと、この地区では、住民どうしのつながりを強めようと、地域での食事会やお茶会などを繰り返してきました。さらにことし4月からは住民主体の自治会を発足させる予定です。
      自治会長となる岡部格さんは「日頃から顔を合わせて話をしていくしかないと思います。具合が悪そうだったら、病院に行くよう声がけもできると思うので、催し物やごみ拾いなどこまめに顔を合わせて互いに様子を見ることができるようにしていきたい」と話していました。
      http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160221/k10010417091000.html

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    4. 最後は家族親族がまめに面倒をみるほかない…

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  42. [震災5年 あの時]<6>自衛隊「消火より救助だ」
    2016年2月21日3時0分

     眼下の街が水没し、白煙が立ち込めていた。

     「まるで空爆後の街だ」。東日本大震災から一夜明けた2011年3月12日朝、岩手県沿岸部の上空で航空自衛隊の大型輸送ヘリ「CH47」を操縦していた浜砂洋充ひろみつ3佐(48)は、じかには見たことがない戦場の光景を重ねた。

     「手を振ってる!」。乗組員が声を上げた。大槌町内のビルの屋上に、複数の人影が見える。

     この時の任務は、付近の山林に延焼した火災の鎮圧。だが、雪の舞う中を一晩生き抜いた人たちが、余震の津波に襲われたらどうするのか。「急を要する。消火をやめて救助を実施したい」。ヘッドセットに呼びかけると、青森・三沢基地の指揮所から「その通りにせよ」と指示が返ってきた。

     同じ頃、海自のイージス艦は福島沖に到着。陸自の各部隊は陸路で被災地入りした。自衛隊史上最大、10万人超の隊員による救出作戦が本格化しようとしていた。

     (特集面に続く)
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160221-118-OYTPT50139

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    1. [震災5年 あの時]史上最大の救出作戦  陸海空10万人 東北へ
      2016年2月21日3時0分

       死者、行方不明者が1万8000人を超えた東日本大震災で、自衛隊はそれを上回る約1万9000人の命を助けた。現場の隊員たちの熱意と臨機応変の行動が数々の救出劇を生んだが、災害支援に課題も残した。(1面の続き)

      機転で前例超えた活動…空自 12日午前

        ◆岩手県大槌町

       航空自衛隊では、物資などを運ぶ輸送ヘリコプターも救出活動に加わり、水没した街で孤立した人々を運んだ。

           ◇

       2011年3月11日、大槌町にある4階建ての「植田医院」は、海のような濁流に囲まれた。スタッフや近所の住民ら18人が、3階を突き抜けた津波を間一髪逃れ、屋上などに取り残された。

       院長の植田俊郎さん(61)は、登山用のザイルを屋上のフェンスに張った。「次の津波が来たら、皆でこれにつかまるしかない」

       夕方から雪になり、山火事も見えた。眠れぬまま朝を迎えると、ヘリの音が聞こえた。そばには80歳を超えた母親。空へ向けて赤い布を振った。

           ◇

       空自三沢ヘリコプター空輸隊の浜砂洋充ひろみつ3佐(48)が、植田医院の上空でホバリングを開始したのは、午前10時20分頃だった。

       11日は三沢基地で現場のヘリとの連絡役を務めていたため、搭乗しなかった。12日は早朝から出動し、山林火災を消すために海水のくみ上げと投下を繰り返した。市街地の惨状に、「恐ろしい……」と思わず声が出た。

       途中で、乗組員がビルの屋上の人影に気づいた。ただ、浜砂さんの「CH47」は輸送ヘリだ。空輸隊のヘリがつり上げ救助を実施したことは、震災まで前例がなかった。

       この日は乗組員の機転で救助器具を積み込んでいた。つり上げ救助の訓練も、万が一を考えて2年ほど前から始めていた。「救助を実施したい」。迷わず指揮所に伝えた。

       別のビルなどから計43人を安全な場所に運んだ後、植田医院へ。ホバリングしながら、つり上げを繰り返した。50人以上が搭乗できる機内に植田さんの母親ら6人を収容したところで、基地へ戻る分の燃料しかない「ビンゴフューエル」の状態となった。救助を打ち切り、三沢に戻った。

           ◇

       植田医院の残りの避難者は、続けて到着した別の空輸隊ヘリが救出した。

       翌13日、浜砂さんは100人以上の犠牲者を出した釜石市の鵜住居うのすまい地区防災センターでも救助を行った。

       それでも「もっと効率的に救助できたのではないか」という思いが消えたことはない。14年秋、センターの跡地を車で訪れ、献花台に花を手向けた。「常に不測の事態を想定した訓練が必要だ」。自分に言い聞かせ続けている。

      がれきの波間「人がいる」…海自 13日午前

        ◆福島県双葉町沖

       震災直後、海上自衛隊は、航行可能な全艦船を東北地方に急派。ミサイル迎撃システムを持つイージス艦も、生存者の捜索にあたった。

           ◇

       「人がいます!」。福島県沖で捜索を行っていたイージス艦「ちょうかい」の艦橋が、ざわめいた。震災2日後の13日午前11時12分。見張り台に立つ吉田季文としふみ3曹(25)がのぞく20倍の双眼鏡は、洋上を漂う板の上の人影をとらえた。

       ちょうかいは地震発生の1時間40分後、東京湾の横須賀基地を緊急出港し、12日未明には福島沖に到着した。波間には建材やコンテナなどが見渡す限り浮かんでいた。

       吉田さんの一報を聞き、航海指揮官だった大峰昇一郎3佐(38)は艦内放送で告げた。「救助に向かう!」。自ら小型ボートに乗り込むため、艦橋から急傾斜の階段を駆け降りた。

           ◇

       ボートでは滝石信幸1曹(44)が操舵そうだ手を務め、がれきを避けながら慎重に進んだ。メガホンを持った大峰さんは「落ち着いてください」と呼びかけ続けた。

       男性(65)が乗っていたトタン張りの屋根は沈みかけていた。「もう大丈夫ですよ」。ボートに移すと、乗組員が男性の背中に毛布をかけ、艦内の自動販売機で買ったスポーツ飲料を渡した。

       南相馬市の自宅が津波に襲われてから43時間。男性は、持っていた栄養ドリンク2本を少しずつ飲んで命をつないだ。大峰さんは「耐え抜いてくれたことに勇気をもらい、艦の士気は上がった」と語る。

       ちょうかいはその後、沿岸の島への物資輸送や損壊した港の調査にあたった。が、そこでもボートに乗り込んだ滝石さんは、漂流物が密集する海での操船に苦労した。「多数の漂流物を想定した準備が必要だった」と感じ、日頃の訓練で後輩たちに経験と教訓を語っているという。

      4日目「生きていてくれた」…陸自 14日午前

        ◆宮城県石巻市

       取り残された人の生存率が急激に下がる「72時間」が迫った。陸上自衛隊の隊員たちは、いたるところに遺体がある街でがれきをかき分け、捜索を続けた。

           ◇

       がれきの下、屋根の上。水浸しの街を歩くと、遺体が次々に目に入った。

       宮城県大和たいわ町から駆けつけた陸自第6戦車大隊。千葉宏文准尉(52)や島田篤史1曹(39)ら約30人が13日朝、石巻工業港の近くで捜索を始めた。「72時間」は、翌14日午後。

       千葉さんたちは焦った。10人1組で、ひっくり返った車を押しのけて進んだ。

       「自衛隊です! 誰かいませんか?」。雪がちらつく中、胸まで水につかりながら声を振り絞った。

           ◇

       多くの生存者は自宅などの2階以上に逃れ、救助を待った。石川貴俊さん(46)一家もそうだった。

       妻のユキさん(46)が、生後4か月の長女彩花いろはちゃんを寝かしつけていた時、激しく揺れた。心配してくれた隣の夫婦の家に移り、勤め先から貴俊さんが戻ったところで津波が来た。

       「やばい!」。隣家の2階に全員で駆け上がった。窓から黒い水が見えて家が揺れ、ユキさんは彩花ちゃんに窓の方を見せまいと懸命だった。階段を上がってきた海水が、床に達する直前で止まった。

       夜が明けても深さ1メートルほどの水が家を取り巻いている。ユキさんは空腹も忘れ、ペットボトルの水で粉ミルクを溶いた。哺乳瓶は手でこすって温めた。

       4日目、水が引いた家の外に自衛隊員が集まってきた。「やっと出られる」。1階に下りた貴俊さんは、ピンクのおくるみに包まれた彩花ちゃんを窓から差し出した。「よく生きていてくれた」。一家の救出に加わった島田さんはうれしかった。

           ◇

       ただ、過酷な現場も多かった。島田さんが助けた寝たきりの高齢男性は、同じ家の中で妻が力尽きており、男性に見せないように遺体を外へ出した。千葉さんは、小さな子供を抱きしめた格好で見つかった女性の遺体を運んだ。「若い隊員はかなり動揺していた」

       自衛隊全体で計9505人の遺体を収容。隊員がこれだけ多くの死と向き合うのは初めてのことだった。

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    2. 救出の乳児 来春小学生

       石川彩花ちゃんは5歳になった。避難所ではよく熱を出し、貴俊さんとユキさんは気をもんだが、ぶかぶかだった園児服が今はぴったりに。家でも幼稚園でも元気に走り回っている。

       ただ、地震があれば「地震怖い」「津波来るの?」と、心配そうにユキさんに聞いてくる。震災で閉じこめられた経験は伝えていないが、ユキさんは「もう少し大人になったら、いろいろな人に助けられたことをきちんと伝えたい。人に感謝できる大人になってほしいから」と話す。来春、小学校に入学する。

      大川小で捜索に従事 68日間

       児童・教職員計84人が死亡、行方不明となった石巻市立大川小学校の周辺では、陸自隊員が子供らを捜索し、遺体の収容にもあたった。

       高知県香南市の駐屯地から派遣された第50普通科連隊の85人が、不明者の捜索を本格化させたのは3月19日から。中隊長だった宇郷うごう武昌3佐(51)は、「雪が降る被災地で沼地に入っての作業は体が震えた」と話す。

       22日には少女の遺体を見つけた。名札を見ると、小学4年生だった。遺体を大川小のそばへ運ぶと、我が子を捜す父母が大勢待っていた。「○○ちゃんだ!」。残酷な再会の場面は隊員たちにとって、見ていられないほどつらかった。

       4月中旬、宇郷さんは大川小の校舎内を片づけるよう命じた。「思い出を掘り起こせ」。教室を掃き、教科書の砂をはたき落として本棚に入れた。

       68日間の活動で宇郷さんの部隊が収容した遺体は60人以上。精神の変調をうかがわせる隊員は捜索から外し、毎日、最後に黙とうをした。隊員の気持ちを静める意味もあった。

       宇郷さんは「ストレスをためさせないことが大切。毎日、車座になってその日あった出来事を話し合うようにした」と振り返る。

      「トモダチ作戦」 連絡調整担う

       米軍も、自衛隊と連携した「トモダチ作戦」を展開し、不明者の捜索や被災者の生活支援にあたった。

       海自第5護衛隊司令だった岩崎英俊海将補(51)は震災の2日後、三陸沖に急派された米空母「ロナルド・レーガン」に移り、約20日間、連絡調整役を担った。米軍はヘリコプターの乗員に日英の対訳表を持たせ、避難所などで人数や必要な物資を聞き取っており、「今後、海外で活動する上での参考になった」と話す。

       ロナルド・レーガンの約5000人の乗組員は、艦内で私物の防寒着や自分の子供のおもちゃを集め、被災地で配る活動もしていた。練習艦隊司令官として今春、幹部候補生学校の卒業生と航海に出る岩崎さんは、被災地への寄港を考えているという。

       岩崎さんは「5年が過ぎた被災地を見て、自分が何をすべきか考えるきっかけにしてほしい」と語っている。

      隊員の精神的ケア 課題に

       東日本大震災における自衛隊の活動では、隊員の精神的ケアや輸送力の不足など、有事対応とも共通する課題が浮かんだ。

        ◆メンタルヘルス

       津波の被災地は、かつてなく多くの遺体に接する現場となった。当時、陸自トップの陸上幕僚長だった火箱芳文さん(64)は「心の問題は気がかりだった。活動を継続するためにも、すぐに専門家を派遣し、休息施設を設置した」と振り返る。

       被災地への派遣後に防衛省が実施した調査では、陸自隊員(回答数約5万8000人)の3・3%がトラウマ(心的外傷)になる恐れのある「高リスク」とされた。同省が2012年にまとめた教訓集も、「精神的ケアの実施態勢が不足」などと課題を挙げた。

        ◆輸送・施設

       震災直後、各地の部隊が迅速な被災地入りを目指したが、輸送艦を確保できなかった北海道の陸自部隊は急きょ、民間のフェリーを借り上げ、被災地入りした。

       ただ、フェリー会社には警察や消防からの輸送依頼も殺到。当時、陸上幕僚監部で船舶輸送の担当だった吉岡充2佐(45)は「民間の協力は大きかったが、どの順番で、何をどの程度運ぶのか、事前に調整することが今後の課題」と指摘する。

       自衛隊施設の脆弱ぜいじゃく性も問題となった。空自松島基地(宮城県東松島市)は津波の直撃で震災から数日間、滑走路などが使えず、救助や物資輸送にあたる自衛隊機の離着陸に影響が出た。元・空自航空支援集団司令官の永岩俊道さん(67)は「施設の防災力や、隊員が臨機応変に対処する力を高めることは有事対応でも欠かせない。松島基地の経験は最悪の事態を見据えた教訓になる」と話す。

        ◆権限、運用

       火箱さんは震災直後、防衛相の命令前に部隊を運用する権限がないにもかかわらず、独断で各方面隊に東北への派遣を指示した。「規則に触れるとの自覚はあったが、一秒でも早く被災地に行かせることが重要と思った」と語る。

       陸自の部隊は、福島第一原発での放水作戦にも参加した。「依頼があれば可能な限り対応したが、能力にも限界がある。災害時に省庁、自治体が負う役割をあらかじめ明確化しておく必要がある」。火箱さんはそう強調している。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160220-118-OYTPT50499

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  43. [スキャナー]避難30年 冷める帰還意欲…チェルノブイリの今  除染なし インフラ崩壊
    2016年2月21日3時0分

     1986年に起きたチェルノブイリ原子力発電所の事故から4月で30年となる。ウクライナ政府は、放射線量が下がった立ち入り禁止区域の一部で土地の利用再開を検討し始めた。ただ、福島第一原発事故の6倍の放射性物質が放出され、除染もせずに放置された土地は、インフラ(社会基盤)が崩壊し、元住民の帰還意欲も薄れている。(チェルノブイリで 田村雄、船越翔)

      ◆崩れた屋根

     1月下旬、ウクライナ政府の許可を得て禁止区域に入った。厚い雪に埋もれたザレシア村は、原発の南約15キロ・メートル。木造住宅の屋根は崩れ、窓が割れて吹きさらし。電気も水もない。こうした廃村が点在していた。

     86年の事故では、5200ペタ・ベクレル(ペタは1000兆倍)の放射性物質が飛散し、旧ソ連は原発30キロ・メートル圏などを立ち入り禁止区域とした。除染に巨費をかけるより避難民への金銭的補償などを優先。区域内を事実上放置してきた。

     それから30年。放射性セシウムの半減期が経過し、禁止区域の約6割で、国際放射線防護委員会(ICRP)が平常時の被曝ひばく線量として許容する年間1ミリ・シーベルトを下回るようになったという。ザレシア村も、屋外の線量が毎時0・17マイクロ・シーベルト(年1・5ミリ・シーベルト)程度で、事故直後の300分の1以下になった。

     ウクライナ政府は、2000平方キロ・メートルを超える国内の禁止区域で、経済活動の解禁を検討し始めた。長引く政情不安で経済が悪化する中、投資を呼び込む狙いがある。しかし、立ち入り禁止区域技術管理情報センターのエフゲン・ゴンチャレンコさん(42)は「インフラが壊れた村や町の再建には膨大な資金がかかる」と語る。

      ◆「いまさら」

     政府は、区域自体も将来、縮小する可能性を示唆するが、避難民はもはや帰還への「意味」を見いだせない。

     原発すぐ近くのチストガロフカ村から、汚染度が比較的低い約120キロ・メートル南西のコロステン市に避難したニーナ・シタエロさん(76)は、「数年は知人もおらず、帰りたくて仕方なかった」が、同市で仕事を見つけ、新たな人脈もできた。「いまさら帰還しようとは思わない。郷愁はあるけれど、再出発する気持ちも力もない」という。

     区域内には、政府の避難命令を拒んだ「サマショール(独自に住む人の意)」が暮らす。イワン・セメニュクさん(80)は事故の約2年後、「避難先の住環境が悪い」として原発の南東約20キロ・メートルの家に妻と戻り、野菜や家畜を育てて暮らしてきた。「生まれ育った場所で生涯過ごしたい」と言う。

     政府は、一時は1200人以上いたサマショールに「違法だが仕方ない」と入域許可書を渡し、送電の復旧や年金支給も行った。高齢化が進んで平均年齢が85歳を超え、今は約160人が残るのみとなった。

     ◆チェルノブイリ原子力発電所◆ ソ連時代の1986年4月26日に4号機が爆発し、大量の放射性物質が飛散。国際評価で最も深刻な事故にあたる「レベル7」となった。飛散を防ぐコンクリート製の「石棺」が老朽化し、新たな覆いを建設中。1~3号機も2000年までに運転を停止し、廃炉作業が行われている。

    住民のケア 福島も課題…避難指示 解除進む

     荒廃したチェルノブイリ地域の教訓は、福島の被災地で生かされた。除染やインフラの復旧を進め、事故後の5年間で避難指示区域は縮小しつつある。

     福島県川内村の遠藤雄幸ゆうこう村長は、2011年秋にチェルノブイリを視察。12年1月には避難中の村民に向けて「帰村宣言」し、記者会見で「人が住まないとどうなるのか目の当たりにし、自分たちの手で(帰還の)可能性を広げたいと感じた」と語った。これまでに同村と田村市の一部、楢葉町で避難指示が解除され、大半の住宅地は、ICRPが事故後の復旧期間について勧告した「年20ミリ・シーベルト」の上限を大きく下回り、年1ミリ・シーベルト前後の被曝線量になっている。

     しかし、帰還は進まない。雇用や生活環境の問題に加え、森林が除染されていないことなどへの不安が根強いという。14年秋に解除された川内村東部の帰還率は約2割にとどまる。

     線量が下がっても続く不安は、被災地に共通する長期的な課題だ。コロステン市には、放射線の教育や生活習慣病の予防指導などを行う専用施設があり、1日50人以上が訪れる。セルゲイ・ビギブスキー所長(53)は「専門家たちが住民に寄り添い続けることが大切だ」と話す。

     福島県内でも、放射線の専門家らが被曝対策の説明会などを定期的に開いている。高村昇・長崎大教授(47)は「行政や専門家が、住民と一緒に適切な対策を考えていく、地道な努力が欠かせない」と話す。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160221-118-OYTPT50076

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  44. [震災5年 あの時]<7>最終回 帰れない新宿駅 大混乱
    2016年2月22日3時0分

     「ドアを開けろ!」。2011年3月11日午後2時46分の地震直後、京王電鉄の東京・新宿駅長だった山崎信重さん(60)は事務室で激しい揺れを感じると、部下にすかさず叫んだ。駅員が閉じこめられるわけにはいかない。

     改札前の通路に出ると、お年寄りらが柱や壁のそばでしゃがみ込んでいる。過去に経験した地震とは全く違うと直感した。

     3時過ぎ、運転指令から連絡が入った。「駅の手前で1本止まっている」。通常、同社では地震でも最寄りの駅まで走らせるが、ホームの先400メートルのトンネル内で約350人を乗せた電車が立ち往生していた。乗客の誘導を指示された駅員が飛び出した。

     JRや私鉄、地下鉄が迷路のように重なり合い、1日で横浜市の人口に匹敵する約350万人が乗降する新宿駅。金曜夕方のラッシュ時間を前に全路線が停止し、「滞留者」が空前の規模に膨れ上がり始めた。(特集面に続く)
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160222-118-OYTPT50062

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    1. [震災5年 あの時]寒さの中 行き場なし
      2016年2月22日3時0分

      (1面の続き)

       日本の政治、経済の中枢を担う首都・東京。2011年3月11日、遠い三陸沖を震源とする地震だったにもかかわらず、生活は大混乱に陥った。特に、国内最大のターミナル駅を抱える新宿では帰宅困難者があふれ、首都直下地震に向けて大きな教訓を残した。

        ●14:46 停止…続く余震 誘導急ぐ

       余震が続いていた。

       京王電鉄の新宿駅近くのトンネルで停止した電車に、同社営業主任の小林雅樹さん(48)はたどり着いた。

       避難誘導を急がなければならない。先頭車両の避難用ドアを開け、7人掛けのいすのクッションを外してスロープにした。

       「これがないと危ない」。線路に沿って発光スティックを並べた。コンサートなどで使われる製品だが、いざという時のために事務室に置いていた。黄色く光る筋に沿って乗客を誘導。全員が無事、改札の外に出た。

       だが、安堵あんどもつかの間だった。改札の外側で運行再開を待つ人混みは見る間に膨れ上がり、小林さんらはお年寄りらが床に座れるよう毛布などを運ぶ作業に追われた。

       京王と同じ新宿駅西口にある小田急電鉄改札前でも人が増え続けた。

       「JRがシャッターを閉めた」。小田急で対応を指揮した副駅長の杉村勝人さん(58)は、同僚の言葉を聞いて嫌な予感がした。「人が全部、うちに来てしまう」

        ●混乱 18:20…駅、百貨店 次々閉鎖

       JR東日本が終日運転休止を発表し、新宿駅のシャッターを閉め始めたのは午後6時20分頃。担当者は「電車を動かさないと決めた以上、駅構内に人を入れると混乱が広がるという判断だった」と振り返り、「結果的に利用客を閉め出す形になって申し訳なかった」と話す。

       この結果、私鉄や地下鉄の再開を待つ人が駅周辺にあふれた。冷え込みが強まり、公園や新宿御苑などに避難していた人も駅に戻ったため、膨大な数の滞留者が居場所を求めてさまよい始めた。

       0歳の娘を抱いて都内の子育てセミナーに来ていた横浜市の主婦、高山由貴さん(45)は、仕事帰りの夫が合流するのを小田急百貨店で待っていた。ところが、同百貨店は午後6時頃に「臨時閉店します」とアナウンス。高級品売り場にも人が滞留し、やむを得ず店外に誘導したという。

       高山さんは近くの小田急電鉄の改札前に移動。JRが動く可能性もなくなり、人混みの中でパンフレットを敷いて座った。「行き場がなかった。ものすごく寒かった」

        ●デマ 20:40…「都庁に行けば」拡散

       午後8時40分頃。駅西口から徒歩で10分ほどのところにある都庁が、「本庁舎で帰宅困難者を受け入れる」と関係先に情報提供した。

       「助かった」。小田急電鉄の杉村さんは思った。駅員が滞留者を都庁に誘導した。

       ツイッターでは「都庁に行けば温かい食事や飲み物が出る」という書き込みが繰り返し転載され、拡散していた。デマだった。

       都庁内の滞留者は約5000人にまで膨れ上がった。庁内管理担当課長の赤木宏行さん(51)は、ロビーの壁際にびっしりと人が座り込んでいるのを見て焦った。「公共機関だから拒めないが、これ以上はもう厳しい」

       近くの工学院大学も、学長の判断で受け入れを決めた。すると約700人が続々と1階に流れ込んできた。京王プラザホテルも約1600人を受け入れた。多数の滞留者を受け入れた施設は、他にはほとんどなかった。

        ●再開 22:00…「店にいて結構です」

       高山さんは都庁への誘導が始まる前に仕事帰りの夫と合流し、午後7時前、ようやく連絡が取れた義母がいる京王百貨店に向かった。

       同百貨店は社内で協議し、午後6時過ぎに臨時閉店。店内の客をどうするかは会社として決めていなかったが、保安担当統括マネジャーの生駒重信さん(61)は放送でこう呼びかけた。「店内のお客様は交通機関の回復までいていただいて結構です」

       高山さんたちは、義母がすでにいたため、家族として中に入れた。同百貨店で運転再開を待ったのは約2300人。売り場のパンも配られた。

       午後10時頃。京王電鉄新宿駅の事務室に運転再開の連絡が入った。駅長の山崎信重さん(60)が改札前で「まもなく動きます!」と知らせると、拍手が湧いた。12日午前0時頃には小田急線も再開し、滞留者の多くは帰宅の途につくことができた。高山さんは翌朝8時まで店内の授乳室などで過ごし、ゆっくり帰宅した。

       ただ、京王百貨店では地震後、女性客が1人急病で倒れたり、翌日未明まで残った従業員が一時意識を失って搬送されたりと、トラブルが続いた。生駒さんは言う。「近隣の百貨店と連携する余裕もなかった。これが首都直下地震だったら、滞留者を受け入れるどころではなかったのではないか」(肩書は当時)

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    2. 「新宿ルール」 受け入れ協定 機能せず

       東日本大震災時、都内では約352万人の帰宅困難者が発生した。新宿駅周辺では高層ビルや商業施設、鉄道会社などが協力して帰宅困難者を受け入れる「新宿ルール」を取り決めていたが、機能しなかった。首都直下地震などに備え、反省を生かした取り組みが始まっている。

       ■余裕なし

       新宿ルールの策定は2009年3月。震災時は区役所や各施設の担当者が集まって現地本部を設置し、連携して避難誘導や収容を行うなどと定めていた。

       ところが11年の震災では本部は設けられず、互いに他施設の状況を把握できなかった。工学院大の村上正浩准教授(都市防災)は、「区も各施設も膨大な数の帰宅困難者の対応で手いっぱいだった」と振り返る。ルールは今年夏頃、各施設の動き方を具体的に示した内容に変更されるという。

       ■帰宅抑制へ

       村上准教授は、交通網が回復するまで企業や学校にとどまる「帰宅抑制」が徹底されなかったことが混乱の最大の要因とみる。12年に国などがまとめた報告書によると、震災時、従業員に「原則帰宅」を呼びかけた企業は36%に上った。

       都総合防災部の森永健二・事業調整担当課長は「震災をきっかけに重点を『帰宅支援』から『帰宅抑制』に切り替えた」と話す。首都直下地震では、都内の帰宅困難者は推定約517万人。都は13年、初の「帰宅困難者対策条例」を施行し、企業などに帰宅抑制の努力義務を課した。

       ■足りない滞在施設

       一方、都は民間のビルなどに「一時滞在施設」の確保を進めている。JR東日本は新宿など一部の駅で受け入れ場所を確保する予定。小田急電鉄は一時滞在施設マップを利用客に配布している。

       ただ、首都直下地震の帰宅困難者のうち行き場を失う人が92万人と推定されるのに対し、現時点で確保できた施設は24万人分。トラブルの責任を追及されるとの不安が施設側に根強いとみられる。

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    3. 高層マンション 缶詰め状態続く エレベーター復旧遅れ

       ベイエリアに林立する高層マンションでは、エレベーターの停止で高層階が孤立。長周期地震動とみられる大きな揺れを感じた住民もいた。

              ◇

       50階前後の超高層マンションが並ぶ中央区佃つくだの「コーシャタワー佃」(37階)。最上階の自宅でくつろいでいた女性(84)は、大きな揺れを感じてとっさにテーブルの脚につかまった。エレベーターは停止。前年に心臓病で倒れており、「歩いて下りるなんて考えられない」と、翌日まで家を出なかった。

       マンション居住者が人口の8割以上を占める中央区の調査では、大規模マンションで震災当日にエレベーターが復旧したのは25%にとどまった。12%は最長1週間以上停止。管理組合などで震災前から備蓄などをしていたのは16%に過ぎず、高齢者らが電気や水を断たれて「高層難民」化するリスクが浮かんだ。

       同区は震災後、マンションの自治組織を対象に、防災用の資材購入の助成制度を新設。各マンションでは簡易トイレや水の備蓄など、高層階でも1週間は自室で過ごせる体制作りを進めている。

       マンションへの取材では、中層階の住民らが「大きな船の中のような揺れ」と証言した。南海トラフ地震でも発生が予想される長周期地震動。超高層ビルは最大2~3メートル揺れるとされ、国土交通省は今後、建築の際は設計段階で長周期地震動を考慮するよう求めることも検討中だ。

      液状化、まるでアリ地獄 千葉・浦安8割被害…住宅の地盤強化探る

       東京都との境に位置する千葉県浦安市は、震度5強の揺れで8割以上の地域で液状化現象が起きた。家は傾き、水道も断たれた。

              ◇

       変な揺れ方だった。船のように大きく揺れるが、不安定な花瓶でも倒れない。スポーツインストラクターの松田美奈子さん(50)は家の外に飛び出し、信じられない光景を見た。

       道路では、電柱の根元から水が1メートルぐらいの高さで噴き出している。家の壁と地面の隙間から泥水が広がり、近所のエアコンの室外機がアリ地獄のように地中にのみ込まれていく。

       そばにいた近所の男性の言葉でようやくわかった。「これは液状化だよ!」

       地中の配管も寸断され、市内は上下水道やガスが止まった。松田さん一家は、約1か月間、近くの公園の仮設トイレを使い、銭湯に通う生活を送った。

       「液状化が困るのは、自分の家もそうなる可能性があると思っても、対策の取りようがないこと」。松田さんは思い知った。液状化による同市内の家屋被害は約9000棟に上った。

       桜井利夫さんの自宅は土が削られ傾いた。床に物を置くと転がり、寝る時も傾きが気になった。家の土台をジャッキで持ち上げ、水平にするまで半年かかった。45年前から浦安に住んできたが、「液状化なんていう話は聞いたことがなかった」。

              ◇

       東日本大震災では、千葉や神奈川など東京湾岸の広い範囲で液状化が起きた。内陸部の葛飾区など5区でも、液状化により住宅56棟が傾くなどの被害が出た。

       これにより、課題となったのが液状化の予測だ。都は2013年、液状化の可能性が高い地域を示す「液状化予測図」を従来よりも詳細なデータを基に改訂し、公表した。千葉県も「液状化しやすさマップ」を作成。対策工事の必要性を判断したり、住む場所を決めたりするのに活用できる。

       対策の壁になるのが費用だ。浦安市は、液状化した地域で道路の地盤強化工事を行っているほか、住宅地でも住民の合意を条件に地盤改良工事を計画している。しかし、最大200万円とされた住民負担の大きさから地盤改良の合意形成は進まず、今年4月から着工できるのは当初予定の4103戸中、45戸だという。

       日本損害保険協会は震災後、地震保険の認定基準に液状化特有の建物の沈下を追加するなど、基準を緩和。液状化被害も広くカバーできるようにした。

       【液状化現象】 地震の揺れにより、地盤中で砂粒がバラバラになって地下水と混じり、液体状になる現象。埋め立て地など、地下水を含んだ軟弱な砂地盤で起こりやすく、泥水が地表に噴出したり、建物が傾いたりする。

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    4. 放射性物質 浄水場にも 「乳児優先」飲料水取り合いに

       原発事故の放射性物質は東京上空にもやってきた。乳児の摂取の暫定規制値を上回る放射性ヨウ素が江戸川水系の浄水場で検出された。この水道水の供給先の23区6市では安全性への懸念が広がった。

              ◇

       〈金町浄水場 210ベクレル〉

       3月23日昼、都水道局浄水部長だった吉田永えいさん(60)に、放射性ヨウ素の濃度検査の結果が届いた。厚生労働省が定める乳児の暫定規制値(1キロ・グラム当たり100ベクレル)を優に上回る数字。原発事故後、初の規制値超えだった。

       2日前に雨が降っており、放射性物質が降下して数値が上がることはある程度予期していた。実際に基準を超えたことで、「すぐに公表し、正しい情報を提供しなければならない」と緊張を覚えた。金町浄水場(葛飾区)を含む江戸川水系の水の供給先を頭にたたき込み、発表に臨んだ。

       供給先に住む約8万人の乳児の母親たちにとって、この発表の影響は大きかった。

       2月に生まれたばかりの長男がいた杉並区の島恵子さん(42)は近所のコンビニに行き、飲料水の棚が空っぽなのに気づいた。インターネットも「在庫なし」の表示。買い占めだった。「ずっと続いたらまずい」と焦った。

       スーパーでは、店頭に残った水をカートに全部積んでほしいと店員に頼んでいる高齢女性を見た。売り場には「乳児優先」との注意書きがあり、店員が断ると、「私だって危険なモノは飲みたくないのよ」とどなり始めた。

       同区では不安を少しでも抑えるため、約4000世帯の乳児家庭を区職員が自転車で回り、550ミリ・リットルのペットボトルを3本ずつ配るという独自の取り組みも実施した。

       24日には水は規制値以下となり、摂取制限も解除されたが、都や杉並区は水道水や保育園で出される給食などについて放射性物質の測定を継続し、ツイッターなどで発信し続けている。島さんは「普段から測っていることの安心感はある」と、取り組みを評価している。

      計画停電5回、生活直撃…荒川区 「振り回されてばっかりだ」

       原発事故を受けた各原発の停止に伴い、東京電力は3月13日、電力需給が逼迫ひっぱくする恐れがあるとして計画停電の実施を発表した。東京23区では荒川、足立、板橋の3区が計画停電の対象に。計5回の停電を経験した荒川区では工場や市民生活に大きな影響が出た。

              ◇

       震災から1週間が過ぎていた。荒川区町屋で食品加工工場を経営する徳岡光洋さん(54)は、工場にある巨大な乾燥機をやりきれない思いで見つめた。

       あらかじめ知らされた停電時間は午後6時20分。乾燥機は急に電源が落ちると放熱できず、火災の危険性があるため、数時間前に止めた。予定時間になると、音もなく全ての電気が一斉に消え、真っ暗になった。

       実は、徳岡さんは13日から停電の予定時間を東電に問い合わせ続けていたが、電話がつながらず、当日になって実施を知った。「振り回されてばっかりだ」。憤りがこみ上げた。

       計画停電は14~28日に東電管内の1都8県で実施され、延べ7000万軒が対象になった。JR東海道線など鉄道も一時運転を休止するなど、電力が都市の生命線であることをまざまざと見せつけた。

       荒川区は計画停電を教訓に、住民対象の節電キャンペーンを行ったり、庁舎内の電球をLED(発光ダイオード)に替えたりした。徳岡さんも、工場事務所のLED化やガス暖房の導入で電気使用量を減らした。将来は、太陽光エネルギーで工場の電力使用分を賄う計画だ。

       一方、東京都は2012年から、庁舎の電力の一部を東電とは別の業者で賄っている。電力供給元を分散化させることで、停電などのリスクを下げる狙いだ。都内の事業者に対しても、自家発電設備やLEDなどの導入に助成を行っている。

      地震災害 人ごとと思わない 中林一樹・明大特任教授(都市防災)

       東日本大震災は首都圏では最大震度6弱だが、東京ではほとんど被害はなかった。鉄道や高層ビルのエレベーターが止まったのも安全確保のためだ。それでも多方面で問題が生じたのは、東京という巨大都市特有の背景がある。

       東京区部の昼間人口は1500万人を超え、人々の足である鉄道網は3分間隔という世界一精密なシステムの上に成り立っている。それが止まると世界に類を見ない混乱が起きてしまう。被害想定が甘かったことに加え、住民一人一人や企業が、自ら被災すると考えていなかったことも問題だ。

       首都直下地震でも帰宅困難は必ず発生する。問題は滞留者が落ち着いて行動できるかだ。急いで帰ろうとして火災や建築物の破損で負傷したり、地元住民の避難場所を圧迫したりする混乱も予想され、一時滞在場所の確保が重要になる。

       高層マンションでも、高層階での備蓄体制づくりを進め、住民同士が顔くらいは分かるようにしておきたい。

       首都直下地震の影響は、首都圏が巨大化したことで関東大震災を上回ると想定される。首都圏などで14万人超の死傷者と約60万棟の被害が生じる点で、東日本大震災とは全く違う。しかも、政府や大企業も被災地の中で対応することになる。自らも被災する事態をイメージし、災害対策に取り組めているかが問題だ。

       震災は人ごとではなく、誰もが被災者になりうることを示したのが東日本大震災だった。人々の防災意識は、災害があると高まり、時間とともに低下する。報道や訓練などで、災害を思い出す機会を継続することが大切だ。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160221-118-OYTPT50317

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  45. 便利さを最大限に享受すればするほど、イレギュラーな出来事、災害には脆弱になる、ということを肝に銘じて、現実を「選択」して生きていくほかない…

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  46. [震災5年 原発事故のあと]<1>廃炉40年 前例なき工程
    2016年2月23日3時0分

     東京電力福島第一原子力発電所の事故から、間もなく5年がたつ。今も残る未曽有の事故の影響を追った。

          ◇

     福島第一原発では、約79万トンの汚染水が約1000基のタンクに保管されている。今月2日、その一つを解体する作業が行われていた。事故後に急造した組み立て式タンクだ。「戦場で火の粉を払うように、急場しのぎの対策を打たねばならなかった」(東電の増田尚宏・常務執行役)という5年間の象徴だった。東電は、密閉性が高く漏水しにくい溶接式タンクへと順次置き換え、本格的な廃炉作業の段階へ進もうとしている。

     政府と東電が目標とする廃炉工程は最長40年。事故が起きた1~4号機のうち、放射線量が低い4号機の貯蔵プールからの核燃料取り出しは、2014年末に完了した。次は17年度から、3号機のプールの燃料取り出しに入る。

     しかし、原子炉内の燃料が溶け落ちた3号機は、建屋内の線量が高く、作業員が長時間いられない。東電は、遠隔操作でプールの燃料を取り出す装置を、東芝と開発した。装置には、目の役割を果たす計22台のカメラが取り付けられている。作業員は、原子炉建屋から約1キロ・メートル離れた別棟で、その映像を見ながら操作する。「燃料を落として破損させることは、絶対にできない」。東芝の関口晃一グループ長(46)は、作業員の訓練を緊張した面持ちで見つめる。

     最大の難題は、1~3号機の炉内で溶け落ちた燃料の回収だ。どこに落ちたのかも不明で、前例のない技術開発が必要となる。政府は、福島に国際研究拠点を設けるなど、国内外の知見を結集する体制をようやく整えつつある。

          ◇

     廃炉に向けては、技術開発以外にも課題が山積する。

     汚染水を抑制する「凍土壁」の工事では、掘削中に地中の電源ケーブルを誤って切断するトラブルが続発した。昨年8月に計画した2号機の内部調査も、ロボットの投入口を遮っていたブロック壁の構造が分からず、その除去が難航。調査は延期された。1960年代に建設が始まった同原発は、設計図面が残っていない設備などもあり、いずれも情報を十分把握できずに作業を進めたのが原因だった。

     廃炉には、これまでに2000億円超の国費が投入された。東電は、廃炉完了までの費用として約1兆円を準備し、1兆円の積み増しを予定している。トラブルなどで費用が膨らみ続ければ、税金や電気料金を通じて国民に負担を強いることにもなりかねない。

     日本原子力学会廃炉検討委員会委員長の宮野広・法政大客員教授(67)は「長期に及ぶ廃炉には常にリスクが潜んでいる。ようやく本格的なスタートの段階で、様々な困難が待ち受けているのはこれからだ」と話す。(特集面に続く)
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160223-118-OYTPT50153

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    1. [震災5年 原発事故のあと]核燃料 回収に壁…廃炉作業 線量との闘い
      2016年2月23日3時0分

      (1面の続き)

       東京電力福島第一原子力発電所は、東日本大震災に伴う事故から約5年がたち、原子炉や貯蔵プールの核燃料は比較的安定した状態を保っている。しかし、汚染水対策などの試練は続き、廃炉への道のりはまだ遠い。

        ◆汚染水  

       2011年3月の事故では、原子炉の冷却に必要な電源を地震と津波で失い、運転中だった1~3号機の原子炉で核燃料(炉心)が溶融した。燃料と水の反応で水素が大量発生し、1号機と3号機、さらに配管から3号機の水素が流入した4号機で建屋が爆発した。

       1~3号機では、溶けた核燃料が様々な物質と混じって冷え固まった「デブリ」が、今も発熱している。冷却水が注入され、原子炉は10~40度台で安定しているが、冷却水は壊れた原子炉から外に漏出。建屋に流入する地下水などと合わさり、1日約550トンの高濃度汚染水が発生している。

       一時は36万トン以上の高濃度汚染水が敷地内のタンクにたまっていたが、浄化装置ALPSアルプスなどによる処理が進展。今は、タンク内の水の多くが浄化済みで、海などへ流出した場合のリスクは大幅に下がった。ただ、全ての放射性物質を除去することは技術的に難しく、現在は海へ放出できない。保管量は増える一方だ。

       一方、建屋内の核燃料貯蔵プールには、1~3号機で計1573本の核燃料があるが、冷却システムが安定して稼働し、最近は水温の異常な変化はない。4号機は、プールにあった燃料1535本の取り出しが14年12月に完了した。

        ◆更地が目標

       廃炉は、燃料をすべて回収し、最終的には建屋を解体して更地にするのが目標だ。政府と東電は、20年度までに1~3号機のプールの核燃料取り出しを始め、21年からデブリの回収に入る計画。この5年間、様々なトラブルで何度も工程が見直されてきただけに、今後も計画通り進むかどうかは予断を許さない。

       1~3号機が中心となる今後の廃炉作業は、放射線量との闘いだ。作業員の被曝ひばくを少しでも減らしながら、過酷な現場での作業を確実に進める必要がある。

        ◆環境改善

       当初は、放射性物質の吸入を防ぐ全面マスクなどの重装備が敷地内の大半で必要で、作業員の負担が重かったが、東電はここ数年、除染と舗装を推進。現在は90%の区域で全面マスクが不要になった。東電で作業環境の改善を担当する山中和夫部長(51)は「軽い装備で行動できる場所をさらに広げていきたい」と話す。

       廃炉に向けた最難関はデブリの回収だが、線量が極めて高い格納容器内などの作業は、ロボットが頼りだ。東電はメーカーなどと協力して、容器内を調査するロボットを開発しているが、現在は10時間ほどしか活動できない。強い放射線が当たると、カメラや電子回路の半導体などが壊れてしまうからだ。放射線に強い機器の開発が急がれる。

       格納容器のロボット調査は、まず1号機で昨年4月に行われたが、デブリは撮影できなかった。デブリを回収する技術の開発は、まだ緒に就いたばかりだ。

       (科学部 野依英治)

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    2. 再稼働へ 審査厳格化…規制委 重大事故対策義務づけ

       福島第一原発事故は、全国の原発に大きな影響を与えた。

       事故前は、福島第一を含む17原発で計54基が稼働していた。2013年7月に原発の新規制基準が施行されて以降は、原子力規制委員会の安全審査で基準への適合が認められないと、運転を再開できなくなった。

       新基準は、福島事故を教訓に、自然災害への対策強化を求め、重大事故を想定した対策を義務づけた。

       これまでに電力11社が16原発26基の審査を申請したが、審査は軒並み長期化。再稼働にこぎ着けたのは、九州電力川内せんだい原発(鹿児島県)の1、2号機と、関西電力高浜原発(福井県)の3号機だけだ。いずれも加圧水型軽水炉(PWR)と呼ばれるタイプ。福島第一原発と同じ沸騰水型軽水炉(BWR)は、重大事故対策の要求が厳しく、申請までに時間がかかったため、まだ1基も再稼働できていない。

       福島事故後、原発の運転期間の上限は、原則40年と決められた。例外的に1回限り最長20年の運転延長が認められるが、古い原発は新基準への適合に必要な安全強化策などに膨大な費用がかかる。このため昨年3月、関電が美浜原発1、2号機、日本原子力発電が敦賀原発1号機、中国電力が島根原発1号機、九電が玄海原発1号機の廃炉を、それぞれ決めた。

      メルトダウン 後始末困難

       炉心溶融(メルトダウン)を起こした原発の後始末は、過去に海外で発生した大事故でも困難を極めてきた。

            ◇

        チェルノブイリ 廃炉メド立たず

       1986年に原子炉が爆発したウクライナのチェルノブイリ原発4号機は、4月26日で事故から30年がたつが、廃炉のメドは立たない。最大の課題が、溶け落ちた核燃料の回収。建屋内に広がってコンクリートや砂などと共に固まり、その総量は1300トンに上る。今でも放射線量は非常に高く、回収にはロボット開発が必要だ。

       1月末、現地を取材したが、極寒の作業環境の中、本気で廃炉を進めようという勢いは感じられなかった。内部はほぼ手つかずで、目立った対策は、放射性物質の飛散防止くらい。事故直後に急ごしらえで建屋を覆ったコンクリート製の「石棺」が老朽化し、さらに外側からすっぽりと覆う「シェルター」(高さ110メートル、幅260メートル、奥行き150メートル)が建設中だった。

       同原発のアレクサンドル・ノビコフ副技師長(51)は「今後、回収の具体的な計画を策定する」と話した。

       事故で飛散した放射性物質は、福島事故の6倍に上り、今も一部の食品が汚染されている。農業放射線学研究所(キエフ市)のバレリー・カシパロフ所長(57)は「泥炭地では、セシウムが土壌に吸着されず牧草へ移行しやすい」と語る。

       ウクライナでは、各地で食品検査が行われている。原発から南西130キロ・メートルのコロステン市の市場には、放射性物質の検査所がある。豚肉を販売する女性(54)は「検査は日常の一部。自分たちの肉が安全と証明するには、検査が必要だ」と話す。

       (チェルノブイリで 船越翔)

            ◇

        スリーマイル 燃料回収に11年

       米東部ペンシルベニア州のスリーマイル島原発2号機は1979年3月、機器の故障や運転員の操作ミスが重なって炉心溶融に至った。溶けた核燃料は原子炉圧力容器の中にとどまり、事故の規模は福島第一より小さかったが、それでも燃料の回収を終えたのは、事故から約11年後だった。

       回収作業は、現場の放射線量が下がるのを待って、85年10月に開始された。容器内を水で満たして放射線を遮り、水中カメラや超音波で炉内を観察した。そのうえで、鉱業用ドリルをコンピューターで制御しながら、カチカチに固まった燃料デブリを砕いて回収。90年1月に完了した。デブリはアイダホ国立研究所(アイダホ州)で保管され、最終処分地はまだ決まっていない。

       米原子力規制委員会(NRC)の技術者として対応に当たったレイク・バレットさん(70)は「燃料がどれだけ溶けたか、実際に見るまで分からなかった。容器内の水が微生物の繁殖で濁るなど、原子力技術者が初めて直面する問題もあった」と振り返る。「燃料取り出しなど廃炉に向けた作業では、予想外の事態が起きうる。柔軟に対応する姿勢が重要だ」と強調した。(ワシントン 三井誠)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160222-118-OYTPT50513

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  47. 「メルトダウンの判定」東電のマニュアルに明記
    2月24日 15時17分

    東京電力は、福島第一原子力発電所の事故の初期の段階で核燃料が溶け落ちる「メルトダウン」が起きた可能性が高いことを明言しなかった理由について、「メルトダウンを判断する根拠がなかった」と説明していました。ところが社内のマニュアルでは「核燃料が5%以上損傷した場合、メルトダウンと判定する」と明記されていたことが分かり、事故時の広報の在り方が改めて問われそうです。

    福島第一原発の事故では1号機から3号機までの3基で原子炉の核燃料が溶け落ちるメルトダウン=炉心溶融が起きましたが、東京電力はメルトダウンとは表現せず、正式に認めたのは発生から2か月後の5月でした。
    これについて東京電力はこれまで、「メルトダウンを判断する根拠がなかった」と説明していましたが、事故を検証している新潟県の技術委員会の申し入れを受けて東京電力が調査した結果、社内のマニュアルには「炉心損傷割合が5%を超えていれば炉心溶融と判定する」と明記されていたことが分かりました。
    メルトダウンの判断を巡って東京電力は事故当時も含めて5年間にわたって誤った認識をもち続けていたことになり、事故時の広報の在り方が改めて問われそうです。東京電力は、メルトダウンを公表できなかった経緯や原因、それに当時の通報や報告の内容について、さらに調査を進めるとしています。

    福島県「情報提供しっかり」

    メルトダウンを巡る東京電力の対応について、福島県原子力安全対策課の菅野信志課長は、「原子力発電所の事故の際、状況を迅速、的確に通報することが大事なので、当時、早く伝えてもらえていればと考えている。福島第一原発では、現在、廃炉に向けてさまざまな取り組みが行われている。今回の対応を教訓に、情報提供や通報をしっかり行ってもらいたい」と話しています。

    新潟県知事「隠蔽の背景など明らかに」

    新潟県の泉田裕彦知事は、「事故後、5年もの間、このような重要な事実を公表せず、原発の安全対策の検証を続けている県の技術委員会に対しても真摯(しんし)に対応して来なかったことは極めて遺憾。メルトダウンを隠蔽した背景などについて今後の調査で、真実を明らかにしてほしい」というコメントを発表しました。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160224/k10010420291000.html

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    1. メルトダウン判断 3日後には可能だった
      2月24日 15時17分

      東京電力は、福島第一原子力発電所の事故発生から2か月たって、核燃料が溶け落ちる、メルトダウンが起きたことをようやく認め大きな批判を浴びましたが、当時の社内のマニュアルでは事故発生から3日後にはメルトダウンと判断できたことを明らかにし、事故時の広報の在り方が改めて問われそうです。

      福島第一原発の事故では1号機から3号機までの3基で原子炉の核燃料が溶け落ちるメルトダウン=炉心溶融が起きましたが、東京電力はメルトダウンとは明言せず、正式に認めたのは発生から2か月後の5月でした。
      これについて東京電力はこれまで、「メルトダウンを判断する根拠がなかった」と説明していましたが、事故を検証している新潟県の技術委員会の申し入れを受けて調査した結果、社内のマニュアルには炉心損傷割合が5%を超えていれば炉心溶融と判定すると明記されていたことが分かりました。
      実際、事故発生から3日後の3月14日の朝にはセンサーが回復した結果、1号機で燃料損傷の割合が55%、3号機では30%にそれぞれ達していたことが分かっていて、この時点でメルトダウンが起きたと判断できたことになります。
      東京電力は事故後にマニュアルを見直し、現在は核燃料の損傷が5%に達する前でもメルトダウンが起きたと判断すれば直ちに公表するとしていますが、事故から5年近くたって新たな問題点が明らかになったことで、当時の広報の在り方が改めて問われそうです。

      メルトダウン認めるまでの経緯

      今回の発表や政府の事故調査・検証委員会の報告書などによりますと、東京電力は福島第一原発の事故発生から3日後の3月14日に核燃料の損傷の割合が1号機で55%、3号機が30%に達していることを把握しました。さらに翌日の15日には損傷の割合について1号機で70%、2号機で30%、3号機で25%と公表しますが、原子炉の核燃料が溶けているのではないかという報道陣の質問に対して「炉心溶融」や「メルトダウン」とは明言せず、「炉心損傷」という表現を使います。
      一方、当時の原子力安全・保安院は、事故発生の翌日の12日の午後の記者会見で、「炉心溶融の可能性がある。炉心溶融がほぼ進んでいるのではないだろうか」と発言していました。ところが、その日の夜の会見では担当者が代わり、「炉心が破損しているということはかなり高い確率だと思いますが状況がどういうふうになっているかということは現状では正確にはわからない」と内容が大きく変わります。
      さらに翌月の4月には、当時の海江田経済産業大臣の指示でことばの定義付けを行ったうえで、1号機から3号機の原子炉の状態について「燃料ペレットの溶融」とふたたび表現を変えます。
      その後、事故から2か月たった5月になって、東京電力は解析の結果として1号機から3号機まででメルトダウンが起きていたことを正式に認めました。

      社員「炉心溶融 なるべく使わないようにしていた」

      メルトダウン=炉心溶融を巡っては、東京電力の社員が、政府の事故調査・検証委員会の聞き取りに対し、「炉心溶融」ということばを使うことに消極的だった当時の状況を証言しています。公開された証言の記録によりますと、事故当時、東京電力の本店で原子炉内の状態の解析を担当していた社員は、事故から1か月近くたった4月上旬の時点の認識として、「1号機については水位は燃料の半分ほどしか無かったため、上半分は完全に溶けているであろうと考えていた」と述べ、核燃料の一部が溶け落ちていたと見ていたことを明らかにしています。そのうえで、「この頃の当社としては、広報などの場面で炉心溶融ということばをなるべく使わないようにしていたと記憶している」「炉心溶融ということばは正確な定義があるわけではないので、誤解を与えるおそれがあるから使わないと言った考えを聞いた覚えがある」と証言しています。

      福島・楢葉町の住民「憤りを感じる」

      原発事故の避難指示が去年9月に解除され、住民の帰還が始まっている福島県楢葉町の住民が暮らすいわき市にある仮設住宅では、東京電力に対する憤りや不安の声が聞かれました。
      今も仮設住宅で避難生活を続けている83歳の男性は、「東京電力はきちんと謝罪をしたのか。憤りを感じます」と話していました。また、72歳の女性は「メルトダウンしたと、本当に分からなかったのか、それとも隠していたのか。今ごろ言われても気分がよくない」と話していました。仮設住宅の自治会長を務める箱崎豊さんは、「楢葉町民が、安全だというお墨付きのもとに帰ろうとしているときに今さらという感じで腹立たしく思う。残念極まりない。企業体質が改めて問われる事態だ」と話していました。

      福島・大熊町長「発表が遅れた真意は」

      メルトダウンを巡る東京電力の対応について、福島第一原発が立地し、現在も全町民が避難を続ける大熊町の渡辺利綱町長は、「なぜ発表が遅れたのか、率直に考えて疑問に思う。単純なミスとは考えられないし発表までにだいぶ時間がかかっているので、そのあたりの真意も知りたい。最初からメルトダウンと発表されていれば、町民などの反応も違ったと思う。信頼を築く上でも、正確な情報を迅速に伝えてもらうのが大事なので、引き続き対応を求めていきたい」と話していました。

      福島県知事「極めて遺憾」

      東京電力の、メルトダウンを巡る通報などの対応について、福島県の内堀知事は「3月14日の時点で『炉心溶融』という重要な事象が通報されなかったことは極めて遺憾だ。今後、迅速で正確な通報や連絡が徹底されるよう、改めて強く求めたい」というコメントを出しました。

      新潟県知事「隠蔽の背景など明らかに」

      新潟県の泉田裕彦知事は、「事故後、5年もの間、このような重要な事実を公表せず、原発の安全対策の検証を続けている県の技術委員会に対しても真摯(しんし)に対応して来なかったことは極めて遺憾。メルトダウンを隠蔽した背景などについて今後の調査で、真実を明らかにしてほしい」というコメントを発表しました。
      http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160224/k10010420291000.html

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    2. 池田信夫「“メルトダウン”という言葉はやめよう」
      https://www.google.co.jp/search?q=%E6%B1%A0%E7%94%B0%E4%BF%A1%E5%A4%AB+%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%80%E3%82%A6%E3%83%B3+%E7%82%89%E5%BF%83%E6%BA%B6%E8%9E%8D+%E8%B5%B7%E3%81%8D%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84

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    3. 東電、メルトダウンを過小評価
      社内基準、5年間見過ごし 

      2016/2/24 23:16 共同通信

       東京電力は24日、福島第1原発事故当初の原子炉の状況をめぐり、極めて深刻な事態の「炉心溶融(メルトダウン)」ではなく、前段階の「炉心損傷」と説明し続けたことが誤りだったと発表した。国や関係自治体への説明でも事態を過小評価していたことになる。当時の社内マニュアルに炉心溶融の判断基準が明記されていたものの、事故後に全面改定され、かつて基準が存在したことを5年間、見過ごしていたという。

       柏崎刈羽原発を抱え、事故対応を検証している新潟県の技術委員会の求めで調査を始め、今月判明したとしている。東電の情報公開の在り方があらためて問われそうだ。


       事故当初の原子炉の状況を「炉心溶融」ではなく「炉心損傷」と誤って説明し続けていたことについて発表する東京電力の広報担当者(左)ら=24日午後、東京都港区

      http://this.kiji.is/75146880414007300

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    4. メルトダウンは3日後判断可能
      02月24日 18時27分 NHK首都圏ニュース

      東京電力は、福島第一原子力発電所の事故発生から2か月たって核燃料が溶け落ちる「メルトダウン」が起きたことをようやく認め、大きな批判を浴びましたが、当時の社内のマニュアルでは事故発生から3日後にはメルトダウンと判断できたことを明らかにし、事故時の広報のあり方があらためて問われそうです。
      福島第一原発の事故では1号機から3号機までの3基で原子炉の核燃料が溶け落ちる「メルトダウン」、「炉心溶融」が起きましたが、東京電力はメルトダウンとは明言せず、正式に認めたのは発生から2か月後の5月でした。
      これについて東京電力はこれまで、「メルトダウンを判断する根拠がなかった」と説明していましたが、事故を検証している新潟県の技術委員会の申し入れを受けて調査した結果、社内のマニュアルには炉心損傷割合が5%を超えていれば炉心溶融と判定すると明記されていたことが分かりました。
      実際、事故発生から3日後の3月14日の朝にはセンサーが回復した結果、1号機で燃料損傷の割合が55%、3号機では30%にそれぞれ達していたことがわかっていて、この時点でメルトダウンが起きたと判断できたことになります。
      東京電力は事故後にマニュアルを見直し、現在は核燃料の損傷が5%に達するより前の段階でメルトダウンが起きたと判断して公表するとしていますが、事故から5年近くたって新たな問題点が明らかになったことで、当時の広報のあり方があらためて問われそうです。
      http://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20160224/3159541.html

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    5. 3日後公表可能だった炉心溶融 - 2016/2/24
      Yahoo!ニュース・トピックス
      http://news.yahoo.co.jp/pickup/6192426

      炉心溶融の判定基準発見 東電、3日後に公表可能だった

       東京電力は24日、福島第一原発事故当時の社内マニュアルに、核燃料が溶け落ちる炉心溶融(メルトダウン)を判定する基準が明記されていたが、その存在に5年間気付かなかったと発表し、謝罪した。東電は事故から2カ月後の2011年5月まで炉心溶融を公表しなかったが、基準に従えば3日後の3月14日には1、3号機について判定できていたという。(朝日新聞デジタル)

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    6. 炉心溶融基準 把握せず…福島原発事故当時 東電、マニュアル明記
      2016年2月25日3時0分

       東京電力は24日、福島第一原子力発電所事故を巡り、炉心溶融(メルトダウン)の判定基準が社内マニュアルに記載されていたにもかかわらず、気づいていなかったことがわかったと発表した。マニュアルに基づけば事故発生3日後の2011年3月14日には炉心溶融を判断できたが、東電は当時、「炉心溶融の明確な定義がない」と説明、炉心溶融を認めたのは同年5月になってからだった。

       東電によると、判定基準が記載されていたのは本社や各原発にある「原子力災害対策マニュアル」。この基準では、核燃料の損傷割合が「5%」を超えれば炉心溶融と判定することになっていた。損傷の割合は、格納容器内の放射線量を測定する装置が復旧した同年3月14日以降に順次、推定できるようになり、3号機は同日午前5時3分に「30%」、1号機は同日午前7時18分に「55%」に達していた。2号機は15日午後4時22分に「35%」だった。

       柏崎刈羽原発があるため福島第一原発事故を検証している新潟県の技術委員会からの求めで社内調査したところ、今月になって炉心溶融の基準が明記してあることに気づいたという。

       判断の遅れで東電や政府の対応が後手に回った可能性があるが、すでに11年3月12日には1号機建屋が水素爆発するなど事態は悪化しており、東電は「(14日に炉心溶融を判断できたとしても)実際の事故対応に大きな影響はなかった」としている。5年にわたって見過ごされていたことについて、東電は「今まで調査が十分でなかった点は反省したい」と説明している。

      ◇中間貯蔵施設 搬入作業公開

       環境省は24日、東京電力福島第一原発事故の影響で出た汚染土を保管する国の中間貯蔵施設(福島県大熊町、双葉町)を報道陣に公開した。同施設は、両町にまたがる放射線量の高い帰還困難区域内にある。黒い袋(約1立方メートル)に詰めて、県内各地の仮置き場からダンプカーで次々と運び込まれる汚染土をクレーン車で降ろす作業が続いていた。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160225-118-OYTPT50131

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    7. 東電、炉心溶融基準を把握せず…原発事故当時
      2016年2月25日9時20分

       東京電力は24日、福島第一原子力発電所事故を巡り、炉心溶融(メルトダウン)の判定基準が社内マニュアルに記載されていたにもかかわらず、気づいていなかったことがわかったと発表した。

       マニュアルに基づけば事故発生3日後の2011年3月14日には炉心溶融を判断できたが、東電は当時、「炉心溶融の明確な定義がない」と説明、炉心溶融を認めたのは同年5月になってからだった。

       東電によると、判定基準が記載されていたのは本社や各原発にある「原子力災害対策マニュアル」。この基準では、核燃料の損傷割合が「5%」を超えれば炉心溶融と判定することになっていた。損傷の割合は、格納容器内の放射線量を測定する装置が復旧した同年3月14日以降に順次、推定できるようになり、3号機は同日午前5時3分に「30%」、1号機は同日午前7時18分に「55%」に達していた。2号機は15日午後4時22分に「35%」だった。

       柏崎刈羽原発があるため福島第一原発事故を検証している新潟県の技術委員会からの求めで社内調査したところ、今月になって炉心溶融の基準が明記してあることに気づいたという。

       判断の遅れで東電や政府の対応が後手に回った可能性があるが、すでに11年3月12日には1号機建屋が水素爆発するなど事態は悪化しており、東電は「(14日に炉心溶融を判断できたとしても)実際の事故対応に大きな影響はなかった」としている。5年にわたって見過ごされていたことについて、東電は「今まで調査が十分でなかった点は反省したい」と説明している。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160225-118-OYT1T50047

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    8. 炉心溶融定義、見落とし5年…東電マニュアル=新潟
      2016年2月25日5時0分

      ◆知事「極めて遺憾」

       東京電力福島第一原子力発電所事故の発生当時、東電の原子力災害対策マニュアルに炉心溶融(メルトダウン)の定義が明記されていたことについて、東電は24日、県庁でも記者会見を開き、「しっかり遡って十分に確認していなかった」などと述べ、謝罪した。

       同原発事故の検証を進める県技術委員会は、東電がメルトダウンの公表に約2か月かかったことについて議論しており、泉田知事も批判を繰り返してきた。これに対し、東電は「メルトダウンの定義はなかった」と説明。後日の炉心状況の解析結果に基づいて公表したとしていた。

       しかし、県技術委の要請を受けて東電が再調査したところ、実際には事故当時のマニュアルにメルトダウンの定義が明記され、事故3日後に公表できたことが分かった。会見に出席した東電の五十嵐信二・原子力運営管理部長は「知事からも広く検証しろと言われ、改めて上流側まで調べて判明した」と説明。泉田知事については、「(信頼が失われたと)受け止められても仕方がない。二度と調査に不十分さがないよう徹底的にやり、信頼回復に努めたい」と話した。

       泉田知事は、「事故後5年もの間、このような重要な事実を公表せず、技術委員会の議論に真摯しんしに対応してこなかったことは、極めて遺憾だ。メルトダウンを隠蔽した背景や、それが誰の指示であったかなどについて、今後調査し、真実を明らかにしていただきたい」などとするコメントを発表した。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160224-119-OYTNT50124

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    9. 意図的な情報隠蔽、あからさまな引き延し先送り工作でしょ…

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    10. メルトダウン公表問題 「国民との信頼築けない」
      2月25日 5時08分

      東京電力は、福島第一原子力発電所の事故発生から2か月たって核燃料が溶け落ちる「メルトダウン」が起きたことを認めましたが、当時の社内のマニュアルでは事故発生の3日後にはメルトダウンと判断できたことを24日になって明らかにし、専門家は「大きな過失で、このままでは国民との信頼は築けない」と指摘しています。

      福島第一原発の事故では1号機から3号機までの3基で核燃料が溶け落ちる「メルトダウン」、「炉心溶融」が起きましたが、東京電力が正式に認めたのは発生から2か月後でした。
      東京電力はこれまで、「メルトダウンを判断する根拠がなかった」と説明していましたが、調査の結果、社内のマニュアルには炉心損傷割合が5%を超えていれば炉心溶融と判定すると明記されていたことが分かり、事故発生から3日後にはメルトダウンと判断できたことを24日になって明らかにしました。
      災害心理学が専門で、東京女子大学名誉教授の広瀬弘忠さんは「事故の際に当然、参照すべきマニュアルの規定に気付かなかったのは大きな過失だ。発表が遅れたことによって、それほど深刻な状態ではないのではないかという印象を与えてしまった」と批判しています。
      そのうえで「これまでにも事故やデータ改ざんがたくさんあったが、このようなことをしていては、誰も信用できなくなる。自分たちの誤りを積極的に出していかないと、国民との信頼関係は築けない」と指摘しています。
      http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160225/k10010421031000.html

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    11. メルトダウン判断 再発防止へ東電を指導へ
      2月25日 12時55分

      菅官房長官は、東京電力が、原発事故発生の3日後には社内のマニュアルから「メルトダウン」と判断できたことを、24日になって明らかにしたことについて、極めて遺憾だとして、再発防止に向け適切な対応を行うよう指導する考えを示しました。

      東京電力は、原発事故の発生から2か月たって、核燃料が溶け落ちる炉心溶融=メルトダウンが起きたことを認めましたが、社内のマニュアルを踏まえれば、事故発生の3日後には「メルトダウン」と判断できたことを、24日になって明らかにしました。
      これについて、菅官房長官は午前の記者会見で「東京電力が、新潟県から事故当時に、炉心溶融の可能性を認識した根拠を問われたにも関わらず、今般明らかになったマニュアルを十分に確認することなく、新潟県に対して誤った説明をしていたのは極めて遺憾だ」と述べました。
      そのうえで、菅官房長官は「東電に対しては、立地地域との信頼関係なしに原子力発電は成り立たないという意識を持ち、新潟県に対して事実関係を丁寧に説明するとともに、国民の信頼を得るべく、今後、再発防止に向けて、引き続き当時の検証を含めて適切な対応を行うように、経済産業省から厳しく指導させたい」と述べました。
      http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160225/k10010421401000.html

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    12. メルトダウン判断遅れ 東電が福島県に謝罪
      2月26日 15時09分

      東京電力福島第一原子力発電所の事故で、核燃料が溶け落ちるメルトダウンが起きたことを、事故の3日後に判断できたことが明らかになった問題で、26日に東京電力の幹部が福島県庁を訪れ、「メルトダウンを判断できるマニュアルが社内で共有されていなかった」などと説明して謝罪しました。

      東京電力は、福島第一原発の事故で、1号機から3号機までの3基で核燃料が溶け落ちるメルトダウン=炉心溶融が起きたことを、事故発生の2か月後に正式に認めましたが、社内のマニュアルでは事故発生の3日後にはメルトダウンと判断できたことが24日明らかになりました。
      この問題で、東京電力福島復興本社の林孝之副代表と原子力・立地本部原子力運営管理部の五十嵐信二部長が、26日に福島県庁を訪れ、樵隆男危機管理部長らに対し、「避難したり風評被害にあったりしている県民の皆様にご迷惑をおかけして申し訳ありません」と謝罪しました。そのうえで、「炉心溶融を判断できるマニュアルは社員の教育などに使うものだったが、社内で共有されていなかった」などと今回の経緯を説明しました。
      これに対して樵部長は「事故から5年も経ってから公表されても理解に苦しむ。東京電力は過去の事故やトラブルでも同じ対応を繰り返しており、調査は第三者を入れた公開の場で行ってほしい」と述べました。そして、経緯や原因を究明して報告し、今後は、迅速に正確な情報を連絡するよう求めました。
      東京電力の五十嵐部長は「発電所部門で防災対策にあたる職員の大半はマニュアルを知っていたと思う。今回の対応をきちんと検証して報告するとともに、今後は迅速に対応できるように改善していきたい」と話していました。
      http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160226/k10010422851000.html

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    13. 東電の炉心溶融基準見過ごし、規制委員長が批判
      2016年03月02日 20時20分

       東京電力が炉心溶融(メルトダウン)の社内判定基準を約5年間にわたって見過ごしていた問題で、原子力規制委員会の田中俊一委員長は2日、「何のために基準を作ったのか。反省しないと企業としてのモラルや文化を疑われる」と東電の姿勢を批判した。


       東電の社内基準では、核燃料の損傷割合が5%を超えれば炉心溶融と判定することになっていた。しかし、2011年3月の福島第一原子力発電所の事故の際は、30%以上の炉心損傷を推定しながらも、事故の約2か月後まで炉心溶融とは認めなかった。

       東電は今年2月になってようやく、社内判定基準の存在に気づいたと発表した。田中委員長は「事故につながる東電の体質が現れている」と述べた。
      http://www.yomiuri.co.jp/science/20160302-OYT1T50115.html

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  48. 老朽原発「費用をかければ克服」
    規制委員長、40年ルール形骸化

    2016/2/24 20:48 共同通信

     原子力規制委員会の田中俊一委員長は24日の定例記者会見で、老朽原発の関西電力高浜1、2号機(福井県)が新規制基準に基づく審査に事実上合格したことに関し、「(老朽原発も)費用をかければ技術的な点は克服できる」と述べた。

     規制委トップが老朽原発の運転延長に寛容な姿勢を示した形で、東京電力福島第1原発事故を踏まえて原発の運転期間を定めた「原則40年ルール」が形骸化する恐れがある。

     田中委員長は今後の老朽原発の審査方針について「個々に判断していく」とした。

     2基の運転延長に当たり関電は、追加の安全対策に約2千億円かける計画。
    http://this.kiji.is/75192562686443527

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    1. 事故原発と老朽原発の「廃炉困難」を有耶無耶にしたい…

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  49. 福島第一原発 大半の場所で防護服なしで作業へ
    2月25日 4時13分

    福島第一原子力発電所の事故からまもなく5年になるなか、東京電力は、来月から大半の場所で防護服も手袋も着けずに作業できるよう段階的に運用を見直す方針を固めたことが分かりました。これまでの対策で、敷地内の放射線量が大幅に下がったためで、廃炉現場で働く作業員の負担軽減を図りたい考えです。

    福島第一原発は、敷地全体が汚染されたため、作業員は、防護服や二重のゴム手袋を着けなければならず、動きにくいうえに細かい作業に支障が出るなど課題となっていました。
    これに対して汚染された土を剥ぎ取ったり、地面を舗装するなどの対策が進められた結果、地表付近の放射線量が、目標としていた毎時5マイクロシーベルト以下に下がったエリアは、去年12月現在で全体のおよそ90%に上るということです。
    このため東京電力は、来月上旬から対策が済んだエリアについては、防護服も手袋も着けずに一般的な作業服だけで作業ができるように運用を見直す方針を固めました。ただし、現場の混乱を避けるため対象となる作業員は、段階的に増やしていく方針で、事故から5年になるなか、作業員の負担軽減を図りたい考えです。
    一方、原子炉建屋などの周辺や高濃度の汚染水が入っているタンクの周辺は、引き続き防護服やゴム手袋が必要で、作業服のままでこうした場所に近づかないよう出入りの管理を厳しくするとともに、作業員への周知を図っていきたいとしています。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160225/k10010420901000.html

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  50. 社説
    原発40年超運転 「時間切れ廃炉」は許されない
    2016年2月25日3時4分

     運転開始から40年超の原子力発電所としては初の「合格証」である。

     原子力規制委員会は、再稼働に向けて、詰めの審査を円滑に進めてもらいたい。

     関西電力高浜原発1、2号機について、規制委は、新規制基準に基づく安全性を確認したとする審査書案をまとめた。1か月の意見公募後に決定する。

     東京電力福島第一原発事故後に原子炉等規制法が改正され、原発の運転期間は原則40年となった。一度だけ最大20年延長できる制度が設けられ、関電は、特例での再稼働を目指してきた。

     今回、地震や津波、重大事故の対策が妥当だと判断された。今後、補強工事などの計画の認可が必要となる。これに加え、設備に劣化がないことが確認されれば、再稼働が実現する。

     疑問なのは、7月7日までに規制委の審査が全て終了しないと、「時間切れ」になり、廃炉に追い込まれることだ。

     古い原発の弱点とされたケーブルの火災対策として、防火シートでケーブルを覆う方針が決まっている。耐震性を確認するため、格納容器内の重要設備を実際に揺らす試験なども実施する。

     こうした取り組みに対する規制委の審査が滞れば、期限に間に合わない事態を招かないか。

     耐震性を確認する計算結果の書類だけでも、1万ページを超える膨大な量になる。ギリギリのスケジュールで審査すれば、見落としや誤認などのミスが起きやすい。

     安全対策にお墨付きを与えたにもかかわらず、時間切れで廃炉になる現行の仕組みに問題があるのは明らかだ。そもそも、原発の運転期間を40年としたルールに科学的根拠はない。原子炉等規制法を再度、見直すべきだろう。

     規制委は、今年11月に運転開始40年となる美浜原発3号機についても審査を進めている。高浜原発と合わせ、老朽原発の審査に人員が割かれ、他の原発の審査に停滞が生じていることも問題だ。

     政府は、2030年の電源構成で原発比率を20~22%とする目標を掲げている。「40年廃炉」が相次ぎ、新増設もなければ、30年の原発比率は15%前後にとどまる。49年にゼロとなる。

     発電コストなどに優れた原発の活用は、日本経済の再生に欠かせない。原発を主要電源として活用し続けることが重要である。

     政府は、安全が確認できた原発の運転延長だけでなく、新増設の方針を明確に打ち出すべきだ。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160225-118-OYT1T50009

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    1. [論点スペシャル]「原発強国」宣言 中国の現実
      2016年2月25日3時0分

       中国が1月末、初の原子力発電に関する白書を公表。国内の建設や輸出を促進し、「原発強国」を目指すと宣言した。ただ、急速に拡大しようという姿勢は、安全面などの不安を世界に与えている。中国の原発はどういう状況か、中国から輸入する側の事情は、国際社会はどう対応すべきか。3人に聞いた。

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    2. 原子炉輸出 急ぎすぎ…日本原子力産業協会 国際部調査役 中杉秀夫氏

      なかすぎ・ひでお アジアなど新興国の原発調査を1980年頃から手がけ、中国で現地調査も実施している。65歳。

       中国は2000年代に入ってから、原子力発電所の建設や新しい計画を進め、海外へも積極的に輸出しようとしている。11年の東京電力福島第一原発事故でいったん動きが止まったが、12年に再び積極姿勢に転じた。

       ただ、技術や運用面で問題もある。

       中国が初めて海外に原子炉を販売したのは1992年に受注したパキスタンだ。自国ですべて開発した原子炉だと言っているが、実際は日本や欧州のメーカーに教えられたことをベースに開発した。しかも、学んでいる最中に他国へ売り込むという、信じられないビジネスをした。

       昨年10月には、安全性を高めた「第三世代」の新しい国産原子炉を英国に販売することで合意した。アルゼンチンやトルコにも同じものを売ろうとしている。中国側はこれも自主技術だというが、自国内での建設が昨年5月に始まったばかりだ。

       トルコに売り込んでいる別の新しい原子炉はまだ設計中だし、今年1月、サウジアラビアに「第四世代」の新型原子炉を売ることで合意したが、この完成もまだ先だ。原発を売るために、かなり無理をしているように見える。

       安全面で言えば、世界で原発が誕生した1950~60年代のものと比べれば、安全性は増したはずだ。コンピューターなどの技術が進歩したからだ。

       しかし、それは順調に動いている場合だ。思わぬトラブルが起きた時に対応できるかどうかが気になる。自分たちで設計し、データを分析して開発したものならば、データをもとに対処法を割り出せる。しかし、外国から教えられて造った場合、なぜそんなトラブルが起こるかわからない可能性がある。

       福島第一原発事故の後、中国政府も、日本の原子力基本法に相当する「原子力法」や、安全規制に関する「核安全法」などの整備に乗り出した。真剣に安全対策に取り組もうとしているのだろう。

       しかし、中国には、「上に政策あれば、下に対策あり」という伝統がある。手間暇かけて根本的に解決するより、役人に働きかけて手っ取り早い方法を見つけようという発想だ。それが原子力分野でも残っていないかが心配だ。

       原発は海外では40年以上にわたって運用する。その間、部品の供給やメンテナンスが必要だ。中国はサプライチェーン(供給網)が弱く、原発に携わる人材も不足している。そうした問題への対応が定まらない中での急拡大には不安が残る。

      (企画委員 知野恵子)

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    3. 核の秩序 崩れる恐れ…一橋大教授 秋山信将氏

      あきやま・のぶまさ 専門は国際政治、核軍縮、核不拡散。「東京電力福島第一原発事故に関する独立検証委員会」(民間事故調)の作業部会メンバーも務めた。48歳。

       核を巡る国際政治で中国が存在感を高めている。

       昨年7月、イランの核問題を巡って欧米などの6か国が合意した。核兵器の材料となるプルトニウムができにくくなるようにイラン国内のアラク原子炉を再設計することが決まったが、この計画は中国が主導することになった。

       中国はまた、低価格で世界に原発を売り込んでいる。今後、新興国で原発の需要が増えていく。気がつけば中国が関わった原発があちらこちらにあるという状況になりかねない。

       日本は東京電力福島第一原発事故の後、国内で新設や増設を進めにくい状況にある。原発機器メーカーが生き残りを目指すなら、中国のように海外進出しかない。だが、中国の原発は発電単価で日本より3割ほど安いと言われている。価格競争力では到底勝てない。欧米などの国々も同じだ。

       中国が価格競争力で圧倒的に優位に立ち、日米などの原発機器メーカーが市場から駆逐されると何が起こるか。日米の技術蓄積や優位性が失われ、安全や核兵器不拡散の規制を巡る主導権が失われる。

       その結果、中国は自らの外交戦略上の利益を優先する形で原発ビジネスを進めやすくなるだろう。例えば中東や南アジア、東南アジアなど、地政学的に重要な国に対しても、原発供与を通して影響力を行使できる。

       戦略的利益を優先するあまり、安全に原子炉を運用できるか、核物質を核兵器に転用させないようにどう担保するか、などの重要な点で妥協しながらビジネスをする恐れもある。規制の緩い世界ができあがり、安全性への不安や核拡散のリスクが高まる。そうならないためにも、日本をはじめ国際社会は原発の技術を維持する必要がある。

       原発にかかわるリスクや事故を防ぐのは一国だけではできない。国際的な歯止めをどう作るかが大事だ。

       原子力技術は核兵器にも平和利用にも使える。それを管理しているのが、国際原子力機関(IAEA)を中心とした国際核不拡散体制だ。IAEAは、原発で扱う核物質が兵器に転用されないように査察を実施している。日米中も参加する「原子力供給国グループ」で、核拡散を起こしかねない国に移転されないように技術の管理もしている。だが、完璧なものではない。

       中国がすぐに自ら透明性を高めるとは思えない。だが、福島第一原発事故の直後に、日中韓の政府間で原子力安全に関する首脳会合を開き、協力を進めることで合意した。幹部級の高級事務レベル協議は今も続いている。それを一層進めるなど、信頼醸成と共通認識づくりに、粘り強く取り組む必要がある。

      (知野恵子)

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    4. 英の導入 安全保障に影…英のエネルギー政策専門家 ポール・ドーフマン氏

      Paul Dorfman ユニバーシティー・カレッジ・ロンドンのエネルギー研究所名誉上席研究員。専門は原子力政策。59歳。

       英国は現在、1995年以来となる原子炉の新設を計画している。建設はフランス電力公社(EDF)が請け負うが、中国は出資比率3割超を負担することで合意した。そして、英国がその次に建設する原子炉には中国の原発事業会社「中国広核集団(CGN)」などが中心となって開発した中国の技術が導入される予定だ。

       自らの国土で中国に原子炉建設を認めるのは、先進国では英国ぐらいだろう。現政権は電力源として原発を重視する。

       しかし英国内にはもはや、原子力産業は存在しない。英国は1956年に世界で初めて商用原子炉を稼働させた。だが、90年代の電力自由化の流れのなかで市場原理に基づく競争に直面、2000年代初めまでに主要2企業が事実上経営破綻した。以来、英企業は膨大な費用がかかる原子力分野から撤退した。

       EDFが進める英国での原子炉新設計画も、予算が膨れ上がり、資金調達が難航している。EDFへの英国最後の投資家も数年前に撤退した。そこで、EDFは最後の手段として中国資本を受け入れることにした。

       中国側は、損失が出ることは覚悟の上だ。それでも出資するのは、見返りとして次の原子炉建設を中国企業が請け負う合意を取り付け、国際原子力市場に参入するためだ。規定が厳格な英国で中国企業が原子炉を建設できれば、世界的な評判が高まる。中国の原子炉輸出計画に大きな弾みとなる。

       英国で原子炉を建設するなら、英国の原子力規制当局の設計評価を経る必要がある。最長4年かかる設計評価を通じて建設が認められた場合、技術的には他の原子炉と同等の水準で安全だ、ということにはなる。

       だが、国のエネルギー政策の基盤となる原発事業に中国を関与させることは安全保障面で問題が大きい。中国は(コンピューターに外部から操作できる侵入経路を作る)バックドアを仕込んだ不法な情報収集やサイバー攻撃で知られる。中国の原子力産業は透明性に欠ける。国内で多くの原発を新設しているが、管理のための安全分野の専門家不足が指摘されている。この観点からも不安がつきまとう。

       米国は、エネルギー基盤への中国の関与を許さない。まして原子炉建設などあり得ない。英国の軍、情報、安全当局や外務省も強い懸念を表明している。しかし、その懸念は財務当局の意向で退けられた。

       問題は、英国政府が、国家安全保障への懸念が指摘されているにもかかわらず中国と手を結ぶことだ。中国との商取引を強化することは構わない。だが、原発は全く別次元の問題であり、懸念は根強い。

      (ロンドン支局 角谷志保美)

      ◆ 中国の原発 =国内で30基の原発が稼働し、24基を建設中。2020年までに設備容量を現在の2倍以上の5800万キロ・ワットに増やそうとしている。国際原子力機関(IAEA)の調べでは、中国は稼働数で世界5位。建設中の数は1位で、世界で建設中の4割弱が中国だ。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160224-118-OYTPT50429

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  51. 福島原発3号機格納容器を調査へ
    経産省、17年度に
    2016/2/25 22:22 共同通信

     経済産業省は25日、東京電力福島第1原発3号機で、原子炉格納容器内部の調査を2017年度前半に実施する計画を明らかにした。3号機は格納容器内にたまる汚染水の水位が高いため、水中用ロボットを開発する必要がある。

     格納容器下部には、炉心から溶け落ちた燃料(燃料デブリ)があるとみられる。

     1号機では昨年4月に調査を実施し、2号機でも計画中。3基の格納容器内調査を経て、18年度前半に1~3号機のいずれかで燃料デブリ取り出しの方法を決める。
    http://this.kiji.is/75578535343654391

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  52. 東電元会長ら旧経営陣3人 強制起訴へ
    2月26日 11時52分

    福島第一原子力発電所の事故を巡って、検察審査会に「起訴すべき」と議決された東京電力の勝俣恒久元会長ら旧経営陣3人について、検察官役の指定弁護士が26日にも業務上過失致死傷の罪で強制的に起訴する方針を固めたことが、関係者への取材で分かりました。3人は無罪を主張するとみられ、原発事故を防げなかったことが、罪に当たるかどうかが初めて法廷で争われることになります。

    福島第一原子力発電所の事故を巡って、検察は東京電力の勝俣恒久元会長(75)、武黒一郎元副社長(69)、武藤栄元副社長(65)の3人を不起訴にしましたが、去年7月、検察審査会が「起訴すべき」と議決しました。
    これを受けて裁判所から選任された指定弁護士が起訴に向けた手続きを進めていましたが、26日にも勝俣元会長ら3人を業務上過失致死傷の罪で強制的に起訴する方針を固めたことが関係者への取材で分かりました。
    関係者によりますと、指定弁護士は3人が福島第一原発が津波で浸水する可能性について報告を受けていたのに必要な対策を取らず、事故で避難を余儀なくされた福島県大熊町の双葉病院の入院患者などを死傷させたとして、強制的に起訴するものとみられます。
    3人は今後の裁判で「巨大な津波は予測できなかった」などと無罪を主張するとみられ、原発事故を防げなかったことが、罪に当たるかどうかが初めて法廷で争われることになります。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160226/k10010422641000.html

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    1. 東電旧経営陣3人 強制起訴へ
      02月26日 12時01分

      福島第一原子力発電所の事故をめぐって、検察審査会に「起訴すべき」と議決された東京電力の勝俣恒久元会長ら旧経営陣3人について、検察官役の指定弁護士が26日にも業務上過失致死傷の罪で強制的に起訴する方針を固めたことが、関係者への取材で分かりました。
      3人は無罪を主張するとみられ、原発事故を防げなかったことが罪にあたるかどうかが、初めて法廷で争われることになります。

      福島第一原子力発電所の事故をめぐって、検察は東京電力の勝俣恒久元会長(75)、武黒一郎元副社長(69)、武藤栄元副社長(65)の3人を不起訴にしましたが、去年7月、検察審査会が「起訴すべき」と議決しました。
      これを受けて裁判所から選任された指定弁護士が起訴に向けた手続きを進めていましたが、26日にも勝俣元会長ら3人を業務上過失致死傷の罪で強制的に起訴する方針を固めたことが関係者への取材で分かりました。
      関係者によりますと、指定弁護士は3人が福島第一原発が津波で浸水する可能性について報告を受けていたのに必要な対策をとらず、事故で避難を余儀なくされた福島県大熊町の双葉病院の入院患者などを死傷させたとして、強制的に起訴するものとみられます。
      3人は今後の裁判で「巨大な津波は予測できなかった」などと無罪を主張するとみられ、原発事故を防げなかったことが罪にあたるかどうかが初めて法廷で争われることになります。
      http://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20160226/3221561.html

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    2. しょせんは、その方面のカタガタによる「裁判ごっこ」でしかなく…

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    3. 「勝俣恒久 武黒一郎 武藤栄」
      https://www.google.co.jp/search?q=%E5%8B%9D%E4%BF%A3%E6%81%92%E4%B9%85+%E6%AD%A6%E9%BB%92%E4%B8%80%E9%83%8E+%E6%AD%A6%E8%97%A4%E6%A0%84

      あれれ、ムコさんははずれてるのね…

      「清水正孝」
      https://www.google.co.jp/search?q=%E5%8B%9D%E4%BF%A3%E6%81%92%E4%B9%85+%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%AD%A3%E5%AD%9D

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    4. 「勝俣恒久 渡邉泰子」
      https://www.google.co.jp/search?q=%E5%8B%9D%E4%BF%A3%E6%81%92%E4%B9%85+%E6%B8%A1%E9%82%89%E6%B3%B0%E5%AD%90

      >被害者・渡邉泰子. 企画部調査課・副長. 当時の直属の上司が取締役企画部長・勝俣恒久(現東電会長). 企画部管理課長には藤原万喜夫(現副社長)

      1997年…

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    5. 「勝俣恒久 藤原万喜夫」
      https://www.google.co.jp/search?q=%E5%8B%9D%E4%BF%A3%E6%81%92%E4%B9%85+%E8%97%A4%E5%8E%9F%E4%B8%87%E5%96%9C%E5%A4%AB

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    6. 「渡邉泰子 大平明」
      https://www.google.co.jp/search?q=%E6%B8%A1%E9%82%89%E6%B3%B0%E5%AD%90+%E5%A4%A7%E5%B9%B3%E6%98%8E

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    7. 「渡邉泰子 口封じ」
      https://www.google.co.jp/search?q=%E6%B8%A1%E9%82%89%E6%B3%B0%E5%AD%90+%E5%8F%A3%E5%B0%81%E3%81%98

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    8. 東電旧経営陣3人の強制起訴 29日に
      2月26日 16時13分

      福島第一原子力発電所の事故を巡る東京電力の勝俣恒久元会長ら旧経営陣3人の強制起訴について、検察官役の指定弁護士が記者会見を行い、26日は手続きを取らず、週明けの月曜日、今月29日に業務上過失致死傷の罪で強制起訴することを明らかにしました。裁判で3人は無罪を主張するとみられ、原発事故を防げなかったことが罪に当たるかどうかが初めて法廷で争われることになります。

      福島第一原子力発電所の事故を巡って、検察は東京電力の勝俣恒久元会長(75)、武黒一郎元副社長(69)、武藤栄元副社長(65)の3人を不起訴にしましたが、去年7月、検察審査会が「起訴すべき」と議決しました。
      これを受けて、裁判所から選任された検察官役の指定弁護士が26日午後、強制起訴について記者会見を行いました。この中で指定弁護士は26日は手続きを取らず、週明けの月曜日、今月29日に業務上過失致死傷の罪で在宅のまま強制起訴することを明らかにしました。
      3人は今後の裁判で「巨大な津波は予測できなかった」などと無罪を主張するとみられ、原発事故を防げなかったことが罪に当たるかどうかが初めて法廷で争われることになります。

      福島の人たちは

      強制起訴について、浪江町から避難し、今は郡山市で暮らしている68歳の男性は、「誰も責任を取らないのはおかしいと思っている。個人を責めるつもりはないが、誰かは責任を取らなくてはならないので、責任の所在をはっきりしてもらい、補償問題などにもきちんと対応してもらいたい」と話していました。
      楢葉町の住民が暮らす、いわき市の仮設住宅で、夫婦で避難を続ける74歳の男性は、「それまで原発は安全だと言っていたのに実際は安全ではなかった。今まで事故の責任を誰も取っていないので、裁判で責任を認めてほしいです」と話していました。
      会津若松市の仮設住宅に避難している大熊町の74歳の男性は、「東京電力の幹部として責任をとるのは当然です。私たちは5年間も避難しているので、それで責任を取らないのはおかしい。津波に対する対応が早ければ被害も少なかっただろうし、避難もここまで長引かなかったと思う」と話していました。
      http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160226/k10010422921000.html

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    9. 東電の旧経営陣3人 原発事故巡り強制起訴
      2月29日 11時45分

      福島第一原子力発電所の事故を巡って、検察審査会に「起訴すべき」と議決された東京電力の元会長ら3人が、業務上過失致死傷の罪で強制的に起訴されました。3人は無罪を主張するとみられ、原発事故を防げなかったことが罪に当たるかどうかが初めて法廷で争われることになります。

      強制的に起訴されたのは、東京電力の元会長の勝俣恒久被告(75)、元副社長の武黒一郎被告(69)、元副社長の武藤栄被告(65)の3人です。
      起訴状などによりますと、3人は、福島第一原発が津波で浸水する可能性について予測できたはずなのに適切な措置を取らず、原子炉建屋で水素爆発を引き起こし、周辺にいた13人にけがをさせたほか、福島県大熊町の双葉病院の入院患者などに避難を余儀なくさせた結果、症状を悪化させて44人を死亡させたとして、業務上過失致死傷の罪に問われています。
      検察は3人を不起訴にしましたが、去年7月、検察審査会が「起訴すべき」と議決したため、裁判所から選任された指定弁護士が在宅のまま起訴しました。
      一方、3人は、国会の事故調査委員会で津波は予測できなかったと主張していて、勝俣元会長は津波で浸水する可能性の報告について「原子力本部止まりになっていた」と述べ、自分は報告を受けていなかったとしています。また、武黒元副社長は、津波の可能性についてはあくまで仮定の計算だったため具体的な対策は講じなかったとしています。さらに、武藤元副社長は「専門家で議論した基準で、われわれとしては安全性は十分担保されていると思っていた」と述べています。
      3人は裁判で無罪を主張するとみられ、原発事故を防げなかったことが罪に当たるかどうかが初めて法廷で争われることになります。
      また、公開の法廷で行われる証言や証拠として提出される資料によって、原発事故を巡る新たな事実が明らかになるかどうかも注目されます。

      旧経営陣3人が強制起訴されたことについて、東京電力は「原発事故により福島県民の皆さまをはじめ、広く社会の皆さまに大変なご迷惑とご心配をおかけしていることについて改めて心からおわび申し上げます。当社元役員が強制起訴されたとの報道は承知していますが、刑事訴訟に関することであり、当社としてコメントは差し控えさせていただきます」としています。
      http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160229/k10010425561000.html

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    10. 原発事故巡り強制起訴 今後の裁判の争点は
      2月29日 18時10分

      福島第一原子力発電所の事故を巡って、検察審査会に「起訴すべき」と議決された東京電力の元会長ら3人が、業務上過失致死傷の罪で強制的に起訴されました。裁判では、原発事故を引き起こすような巨大な津波を事前に予測することが可能だったかどうかが最大の争点になります。

      東京電力の元会長の勝俣恒久被告(75)、元副社長の武黒一郎被告(69)、元副社長の武藤栄被告(65)の3人は、福島第一原発が津波で浸水する可能性について予測できたはずなのに適切な措置を取らなかったとして、業務上過失致死傷の罪に問われています。
      一方、事故の翌年に開かれた国会の事故調査委員会の意見聴取で、勝俣元会長は試算の報告を受けていないと説明し、元副社長の2人は報告を受けたことは認めましたが、根拠が不十分だったため巨大な津波は予測できなかったと主張しています。
      業務上過失致死傷の罪は、被害を予測できたのに対策を怠った場合でなければ有罪にならないため、元会長への報告の有無や、試算に十分な根拠があったといえるかどうかなど、津波の予測が可能だったかが最大の争点になります。
      また、予測が可能だったとしても、報告から事故までの間に有効な対策を取ることが不可能だったと考えられる場合は罪に問われないため、事故を避けることができたかどうかも争われる見通しです。
      3人は、国会の事故調査委員会のほか、政府の事故調査・検証委員会の聞き取りにも答えていますが、その内容は今も非公開のままで、事故が起きるまでのいきさつについて法廷でどのように説明するかが注目されます。

      津波対策決定で極めて重要な立場に

      起訴された東京電力の旧経営陣3人は、いずれも津波対策を決めるうえで極めて重要な立場にいました。
      政府や国会などが設けた事故調査委員会の報告書によりますと、東京電力は、事故の3年前の平成20年、福島第一原発で最大で15.7メートルの津波が想定されると試算していたとされています。
      これについて勝俣元会長は、国会の事故調査委員会で「当時、こうしたことは起こりえないんじゃないかという判断が有力で、原子力本部止まりになっていた」と述べ、自分は報告を受けていなかったとしています。
      また、原子力・立地本部の本部長だった武黒元副社長は「試算は津波が発生する場所を三陸沖にしていたので、福島第一原発では福島県沖で想定しなくてはならなかった。原発の設計基準にするには土木学会などの審議で発生場所を確定する必要があったように思う」と述べ、あくまで仮定の計算だったため具体的な対策は講じなかったとしています。
      さらに、原発の安全対策を担当する副本部長を務めていた武藤元副社長は「専門家で議論した基準で、われわれとしては安全性は十分担保されていると思っていた」と述べ、当時としては十分な安全対策を取っていたとしています。
      この試算は政府の事故調査・検証委員会の報告書でも取り上げられ、武藤元副社長は報告を受けた際、対策として新たな防潮堤を建設すると数百億円規模の費用とおよそ4年の時間がかかると説明を受けましたが、実際にこうした津波は来ないと考え、従来の津波の想定を当面は変えない方針を決めたとされています。また、武黒元副社長も特段の指示を出すことはなかったとされています。

      事故原因「津波で電源喪失 原子炉冷却できず」

      福島第一原子力発電所の事故を巡っては、政府や国会、民間の団体、それに東京電力などがそれぞれ検証を行ってきました。いずれも、津波によってすべての電源が失われ、原子炉を冷却できなくなったことが事故の原因だと指摘しています。
      このうち政府の事故調査・検証委員会の報告書は、15メートルを超える津波の試算を出したものの、実際にこうした津波は来ないと考え、当面は想定を変えない方針を決めたとされる東京電力の一連の対応について、「自然現象は大きな不確実さを伴うことなどから、具体的な津波対策を講じておくことが望まれた」と指摘しています。また、武藤元副社長は、この試算について報告を受けた際、対策として新たな防潮堤を建設すると数百億円規模の費用とおよそ4年の時間がかかると説明を受けたとされています。
      一方、国会の東京電力福島原子力発電所事故調査委員会、いわゆる国会事故調の報告書は、東京電力の経営陣と規制当局が何度も事前に対策を立てるチャンスがあったにもかかわらず安全対策を先送りしたとして、「自然災害」ではなく明らかに「人災」だと結論づけています。
      また、福島原発事故独立検証委員会、いわゆる民間事故調は、東京電力に対し、「対策が極めて不十分で、その結果、重大な事故を起こしたことは紛れもない事実だ」と批判しています。そのうえで、東京電力が「巨大官僚組織」的であることが安全対策の劣化につながったという見方を示していますが、個人の責任については言及していません。
      これに対して、東京電力の事故調査報告書は、「試算は仮想的なもので、当時は専門家の間でも意見が定まっておらず、今回の津波は想定を超える巨大なものだった」としました。しかし、言い訳に終始しているとの批判を浴び、平成25年3月、「巨大な津波を予測することが困難だったという理由で、原因を天災として片づけてはならない。事前の備えが十分であれば防げた事故だった」と総括しています。

      政府の事故調査・検証委員会は当時の関係者772人から聴き取りを行っていて、政府はおととし9月から、福島第一原発の吉田昌郎元所長に加えて、本人の同意が得られた人について証言の記録を公開してきました。
      これまでに246人の証言が公開されていますが、今回、起訴された東京電力の旧経営陣3人ついては今も公開されていません。

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    11.  
      東京電力の津波対策の経緯

      政府の事故調査・検証委員会の報告書などによりますと、福島第一原子力発電所は、建設当時、それまでに観測された中で最も高かった昭和35年の「チリ地震津波」を基に最大の津波の想定を3.1メートルとしたうえで、非常用のポンプなどは海抜4メートルの場所に、原子炉建屋などは海抜10メートルの場所にそれぞれ設けられました。
      その後、東京電力は、平成14年2月に土木学会がまとめた新しい計算方法に基づいて津波の想定を5.7メートルに引き上げ、6号機の非常用発電機などをおよそ6メートルにかさ上げしました。
      一方、この年の7月、政府の地震調査研究推進本部は、過去に記録がなかった福島県沖でも大津波を伴う地震が起きる可能性があるとする評価結果を発表します。さらに研究者からは、堆積物の分析などから、平安時代に東北地方を襲ったとされる「貞観津波」のような巨大津波が繰り返し押し寄せていたとする論文も発表されました。
      こうしたなか、東京電力は平成20年、福島県沖で大地震が発生した場合、福島第一原発に押し寄せる津波の高さは最大で15.7メートルに達する可能性があるという試算をまとめましたが、このような津波は実際には来ないと考えたとされ、具体的な対策は行いませんでした。

      遺族「事実を明らかに」

      福島第一原発の事故で病院から避難中に亡くなった男性の遺族は、裁判を通じて事故の新たな事実が明らかになることを望んでいます。
      福島県大熊町の双葉病院に認知症の症状で入院していた藤吉正三さん(当時97)は、事故の3日後に自衛隊に救出されましたが、230キロを超える避難の過程で体調が悪化し、その後、搬送された体育館で亡くなりました。
      藤吉さんの娘で東京都内に住む71歳の女性は、NHKの取材に対して、「当時の健康状態からみても、原発事故さえなければ、父はすぐに亡くなることはなかったので、今も事故への憤りは強くあります」と話しています。女性は、藤吉さんが過酷な状況のなかで亡くなったことを思うといたたまれなくなるといいます。
      女性は「起訴された3人には、法廷で罪を認めて謝罪してほしい。裁判でこれまでに明らかになっていない事実が明らかにされ、それが今後に生かされるのであれば、大きな意義があると思う」と話しています。

      福島第一原発事故の検証を続けている新潟県の技術委員で多摩大学情報社会学研究所の山内康英教授(58)は「航空機事故が起きた場合は、原因が特定されるまで同型の航空機は飛べなくなるが、原子力災害も何が問題だったのか、何が誤りだったのかを徹底して究明する必要がある」と指摘しています。そのうえで、「東京電力がメルトダウンを判断する規定を明記した内部文書があったことをみずから公開したことが示唆しているように、われわれは福島第一原発の事故の全体像をまだ十分には把握できていない。起訴された3人は無罪を主張するだろうが、この未曾有の事故に真摯(しんし)に向き合って証言してほしい。さらに、3人以外の証言や社内の内部文書などが裁判の過程でどれだけ明らかにできるかも重要で、事故の真相究明に期待したい」と話しています。

      今後の裁判「責任の大きさ どう捉えるか」

      刑事裁判の専門家は、今後開かれる裁判では、原発の運営者としての責任の大きさをどのように捉えるかが重要になると指摘しています。
      強制的に起訴された3人の裁判では、福島第一原発が津波で浸水することを予測できたか、そして、被害を予測できたとしても事故の対策が間に合ったかが主な争点になるとみられます。
      元刑事裁判官で法政大学法科大学院の水野智幸教授は、1つ目の争点について、「刑事責任を問うには、事故の被害をある程度具体的に予測できたと証明する必要がある。経営陣の一部は事故の3年前、原発に10メートルを超す津波が来るという試算結果を聞いていたので、この試算の信頼性の評価が重要だ」と指摘しています。
      また、もう1つの争点については、「防潮堤の建設や原発の移設のほか、津波が来ても電源が喪失しないための対策が震災までにできたかどうかが焦点で、それぞれの対策にかかるコストや時間、当時の東京電力の経営状況などを踏まえて判断することになる」と述べています。
      さらに、自然災害が原因の事故は、人為的な事故に比べて、予測や対策が難しい場合があるとしたうえで、有罪か無罪かの判断のポイントについて、「いったん事故が起きれば甚大な被害が出るという原発の運営者の責任の大きさをどのように捉えるかが重要になる」と指摘しています。
      http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160229/k10010425811000.html

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    12. 社説
      東電強制起訴 証拠に照らした公正な審理を
      2016年3月1日3時9分

       未曽有の自然災害に起因する事故で、個人の刑事責任はどこまで問われるべきなのだろうか。

       東京電力福島第一原子力発電所の事故を巡り、勝俣恒久元会長ら当時の経営陣3人が、業務上過失致死傷罪で東京地裁に強制起訴された。

       安全対策を怠り、東日本大震災の津波による原発事故で放射性物質を拡散させた。その結果、避難で症状が悪化した入院患者を死亡させるなどしたという内容だ。

       この問題では、検察が嫌疑不十分で不起訴にしたが、市民で構成する検察審査会が2度にわたり、起訴すべきだと結論づけた。強制起訴したのは、裁判所から検察官役に指定された弁護士だ。

       3人は無罪を主張するとみられる。法律家と市民で結論が分かれた、判断の難しいケースだけに、裁判所には証拠に基づく公正かつ慎重な審理が求められる。

       今後の裁判の焦点は、3人が事故を予見し、回避することが可能だったかどうかである。

       検察審は、原発事業者の幹部には、「万が一」に備える「高度な注意義務」があり、津波による事故は予測できたと主張した。原発の運転停止もいとわずに、原子炉の防護措置を講じていれば、事故は回避できたとも言及した。

       原発に「ゼロリスク」を求める厳格な姿勢がうかがえる。

       ただ、業務上過失致死傷罪で刑事責任を問う対象は、企業ではなく、あくまで個人である。刑事裁判で個人の過失が認定されるためには、事故の「具体的な危険性」を認識していたことを証明しなければならない。

       指定弁護士が説得力のある証拠を示せるかがカギとなる。

       強制起訴制度は、検察の起訴・不起訴の判断に民意を反映させるため、2009年に導入された。今回を含め9件が起訴されたが、有罪確定は2件にとどまり、3件では無罪が確定している。

       JR福知山線脱線事故では、業務上過失致死傷罪で強制起訴されたJR西日本の歴代3社長が1、2審で無罪となっている。

       有罪を立証するには、高いハードルがあると言える。

       一方、公開の法廷で、勝俣元会長らが、原発の安全対策に関する考え方などを直接語る意義は小さくない。事故前に、地震や津波のリスクについて、東電と規制当局がどんな検討をしていたのかを検証する貴重な機会にもなろう。

       裁判から様々な教訓をくみ取って、原発事故の再発防止に生かすことが肝要である。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160229-118-OYT1T50146

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    13. [スキャナー]巨大津波の予見可能性 焦点 東電元会長ら強制起訴…原発事故 責任立証、高い壁
      2016年3月1日3時0分

       東京電力福島第一原発事故で、検察官役の指定弁護士が29日、東電の旧経営陣3人を業務上過失致死傷罪で強制起訴した。原発事故の刑事責任が初めて裁判で問われることになるが、自然災害に伴う事故の過失責任を問うハードルは高く、立証は困難が予想される。(社会部 広瀬誠、吉沢邦彦)

      新証拠を収集

       「すべて公判で明らかにする」。26日に取材に応じた指定弁護士はこう述べ、29日は記者会見を開かなかった。

       強制起訴事件で過去最多となる5人で臨む指定弁護士には、刑事弁護の経験が豊富な面々が顔をそろえる。石田省三郎弁護士はロッキード事件などの弁護を担当。神山啓史ひろし弁護士は、東電女性社員殺害事件でネパール人男性の再審無罪を得た。

       昨年7月の起訴議決から約7か月。指定弁護士は第一原発を視察し、東電の下請け会社の社員らを事情聴取するなど新証拠の収集に努めた。石田弁護士は周囲に「この事件はいける」と自信を見せているという。

      試算の信頼性

       公判での最大の焦点は、起訴された勝俣恒久・元会長(75)、武藤栄(65)、武黒一郎(69)両元副社長の3人が、巨大津波の到来で事故が起きる可能性を予見できたかどうかだ。

       起訴議決は、東電が2008年3月、国の地震活動への長期評価に基づき、最大15・7メートルの津波が来襲する可能性を示す試算結果を得ていたことを重視。「これを考慮しなければならないことは当然だ」とした。

       今回の地震では約15メートルの津波が起きたが、刑事責任の有無は事故前の知見で判断される。当時、長期評価以外に福島県沖で巨大な地震や津波が発生するとの具体的な予測はなく、長期評価にも専門家の間に「裏付けのデータが乏しい」との見方があった。

       あるベテラン裁判官は「試算結果に、すぐに津波対策を取る必要があると考えるほどの信頼性があったかどうかで、公判は大きく左右される」と推測する。

       また、勝俣元会長は「試算結果を把握していなかった」と主張している。予見可能性を問うには漠然とした危機感では足りず、具体的に予見できたかがポイントとなる。明治大法科大学院の大塚裕史教授(刑法)は「大企業では経営陣に上がる情報が限られる。元会長らにどう試算結果が報告されたか立証できなければ、有罪は難しい」とみる。

       さらに、犯罪の成立には、適切な対策を講じていれば事故を防げたとする「結果回避可能性」の立証も必要となる。

      新事実は?

       公判では、事故原因や東電の安全対策について新事実が明らかになるかどうかも注目される。東電は1992年、炉心の損傷につながるような事故対策の検討を始めたものの、機械故障や人為的ミスなどの「内的事象」に限定し、地震や津波などの「外的事象」は対象外だった。想定していた津波の高さは5・7メートルに過ぎず、浸水による電源喪失への備えもなかった。

       起訴議決は「安全対策よりコストを優先する判断を行った感が否めない」と批判したが、なぜこのような判断に至ったのか、それが企業体質によるのか、はっきりしない。

       日大の船山泰範教授(刑法)は、「刑法では法人としての東電を起訴できない以上、元会長らには事故の経緯や対応を詳細に語るよう求めたい。原発のリスクに、どこまでコストをかけて対策を講じる必要があるのか。公判は原発の在り方を考える契機になるだろう」と話している。

       【強制起訴】 検察が不起訴とした事件で、市民から選ばれた検察審査会の審査員11人中8人が2度の審査で「起訴すべきだ」と判断した場合、裁判所が指定した弁護士が検察官に代わって起訴する制度。検察の起訴・不起訴の判断に市民感覚を反映させるため、2009年5月に導入された。

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    14. 補充捜査に限界 有罪確定2件

       強制起訴された事件は過去に8件あるが、有罪確定は2件にとどまる。

       「本人の関与を裏付ける供述に乏しかったが、補充捜査には限界があった」。指定弁護士として、政治資金規正法違反で小沢一郎・衆院議員を強制起訴した大室俊三弁護士は振り返る。

       大室弁護士ら指定弁護士3人が、東京地検特捜部から引き継いだ資料はファイル4冊だけ。起訴に必要な証拠は、地検に保管されていた膨大な資料の中から探さなければならなかった。

       小沢氏の任意の事情聴取も拒否された。強制起訴事件では、どんな弁解をしても起訴は免れない。大室弁護士は「指定弁護士に改めて説明するメリットがないからだろう」と話す。指定弁護士も逮捕や捜索などはできるが、「供述を取りたいとの理由だけで、人権を制限する強制捜査を行うつもりはなかった」という。

       今回の強制起訴について、大室弁護士は「事故の先例がなく、証拠の量も膨大なはずだ。東電のどこかに問題があったとしても、巨大組織の最高幹部の過失責任にまでつなげるのは大変な作業だ」とみる。

       初公判の時期は未定で、公判が始まっても長期化が予想される。仮に無罪となれば、強制起訴で刑事被告の立場に置かれる者の負担も問題になるとみられる。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160301-118-OYTPT50190/

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    15. 東電元会長ら強制起訴 遺族「事故対策語って」
      2016年3月1日3時0分

       東京電力福島第一原発事故で、東電の勝俣恒久・元会長(75)ら当時の役員3人が29日、業務上過失致死傷罪で東京地裁に強制起訴された。3人は事故を防げなかった理由をどう語るのか。遺族らは「裁判を今後の事故対策に生かしてほしい」と期待する。

       他に起訴されたのは、原発の担当役員だった武藤栄(65)、武黒一郎(69)両元副社長。3人は無罪を主張するとみられる。2009年の制度導入後、強制起訴は9例目となった。

       検察官役の指定弁護士が公表した起訴事実などによると、事故の被害者は、原発から南西約4・5キロ・メートルにある双葉病院(福島県大熊町)から避難を余儀なくされ、容体悪化で死亡した入院患者ら44人と、爆発した原発のがれき片などで負傷した自衛官ら13人。

       死亡した患者の一人、藤吉正三さん(当時97歳)の四女(71)は「寒い時期の避難は、父の体にはこたえたと思う」と嘆く。

       正三さんが同病院に入院したのは03年11月。東京都内に住む四女は年に数回、見舞いに通っていたが、震災1か月前の11年2月、ベッドで眠る父の額や頬をなで、「また来るね」と声をかけたのが、最後となった。

       震災発生の翌朝、原発から半径10キロ圏内の住民に避難指示が出され、四女はニュースで「病院の患者は避難した」と知った。しかし安否は分からず、1週間後、福島県庁の職員に聞いた避難先の同県いわき市の高校に連絡すると、「亡くなっています」と告げられた。底冷えする学校内に安置された遺体を見て、「せめて温かい布団の中で最期を迎えさせてあげたかった」と悔しさが込み上げた。

       双葉病院の入院患者は震災翌日から16日未明にかけて、第1~4陣に分かれて避難した。正三さんは14日午前、病院からバスに乗った。放射線検査のため、まず病院から北に約30キロ・メートル離れた同県南相馬市の保健所に向かい、その後、南に約80キロ・メートル離れた高校に8時間以上かけて移動。15日頃、心機能不全で亡くなった。

       四女は、勝俣元会長らに対し「有罪か無罪かを決めるだけでは、何の意味もない。二度と事故を繰り返さないために、どんな対策が必要なのかを語ってほしい」と話した。

      告訴団「問題を究明」

       東電元会長らの強制起訴を受け、原発告訴団は29日、東京都内で記者会見した。武藤類子るいこ団長(62)は「裁判が開かれることに感無量だ。困難と悲しみの中にある原発被害者の励みになる」と評価し、河合弘之弁護士は「この機会を生かし、問題点を徹底的に究明しなければならない」と話した。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160301-118-OYTPT50115

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  53. 2月25日 よみうり寸評
    2016年2月25日15時0分

     名探偵・金田一耕助にはちょっと頼りない面がある。なぜなら真相に気づくのが概して遅い◆テレビシリーズでは、金田一役の古谷一行さんが長髪をかきむしり、「ああっ」と大声で叫んで駆け出す。が、時すでに遅し。現場にたどりつくと、犯人が殺人を遂げた後だったりする◆ドラマに現実を重ねることに気乗りはしないが、誠実な金田一さんと比べたくもなる。東京電力・福島第一原発事故で、今頃になって大事な問題に「ああっ」と気づいた者がいたらしい◆マニュアルに記載された炉心溶融(メルトダウン)の判定基準である。東電は事故2か月後にそれを認めたが、基準に従えば3日後には判定できたという◆何のためのマニュアルだろう。しかも、5年近くも社内で見過ごされていたとは。事故の対応に影響はなかったものの、にわかには信じがたい報告である◆それはそれであきれかえるが、推理ドラマもどきの怪しげな真相が潜んでいないことを祈る。エネルギー政策はいま、前を向くのに大切な時期にある。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160225-118-OYTPT50285

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    1. 2月26日 編集手帳
      2016年2月26日3時0分

       出家した八五郎は物覚えが悪く、いただいた「法ほう春しゅん」という名前を覚えられない。心配は要らないと、和尚さんが釈迦の弟子槃特はんどくの話をして聞かせた。落語の『八五郎坊主』である◆槃特は覚えられない自分の名前を板切れに書いて背負って歩き、立派に悟りをひらいた。のちに逝去して、墓前に見知らぬ草が生える。「草かんむりに名を荷になう、と書いて茗ミョウ荷ガじゃ」と◆東京電力の人は物覚えが苦手な八五郎を笑えまい。社内の「原子力災害対策マニュアル」に炉心溶融(メルトダウン)を判定する基準が明記されていたことに、福島第一原子力発電所の事故からほぼ5年たった今になって気づいたという◆医療に例えるなら、救命救急措置の急所ともいうべき記述である。5年間の“忘れっぱなし”は度を越している。マニュアルを板切れに書いて背負えとは言わないが、昔の表現を借りれば、おみおつけで顔を洗って出直すくらいの反省は必要だろう◆槃特ゆかりのミョウガには古来、食べると物忘れをするという俗信がある。科学的な根拠はないが、心配ならば、洗顔に使うおみおつけは別の具になさるといい。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160226-118-OYTPT50114

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  54. 原発から30キロ圏外の自治体 備えと課題は
    2月26日 18時33分

    2基が再稼働した高浜原子力発電所の周辺の自治体では、原発事故への備えが進められています。国が防災対策の重点区域としているのは「原発から30キロ圏」ですが、その外の地域でも備えを進める動きがあり、それぞれ課題を抱えています。

    ヨウ素剤を事前配付

    高浜原発から最も近いところで、およそ45キロの距離に位置する兵庫県篠山市は、原発事故に備え、住民に甲状腺の被ばくを防ぐヨウ素剤を配っています。市によりますと、原発から30キロを超えた自治体で事前に配付するのは、全国で初めてだということです。今月21日に開かれた配付会には、大勢の住民が集まっていました。ヨウ素剤は、保健師などが一人一人にアレルギーがないかなどを確かめたうえで、手渡すことになっています。
    篠山市は、高浜原発3号機が再稼働した先月末から来月にかけて、ヨウ素剤の配付会を30回開き、希望する住民全員に配ることにしています。
    受け取った住民の1人は「これで少し安心できますが、使う必要がないのがいちばんです」と話していました。
    国は、原発から5キロ圏内の自治体にヨウ素剤の事前配付を、また、30キロ圏内には備蓄を行うよう求めています。その範囲の外にある篠山市は、独自に備えを進めることにしました。その理由は、東京電力福島第一原発の事故で、放射性物質が30キロ圏の外にまで広がったからです。
    兵庫県が行ったシミュレーションでも、同じ規模の事故が高浜原発で起きた場合、篠山市にも放射性物質が及ぶおそれがあるとされました。事故のあと1週間で、1歳の子どもが受ける甲状腺の被ばく線量は最大で100ミリシーベルトと、ヨウ素剤の服用を求める国際基準の2倍と推計されています。
    そこで篠山市は、おととしから、住民全員と仕事や観光で訪れる人たちに配る5万人分のヨウ素剤を備蓄し、さらに、事故が起きてからでは遅いとして、ことし事前配付に踏み切りました。
    篠山市市民安全課の西牧成通課長は「50キロ近く離れているので安全かと思っていたが、対策を進めなければならない。原発が再稼働したので、できるだけ早く配付したい」と話しています。
    ところが、30キロ圏外の篠山市には国から交付金などは支給されません。ヨウ素剤は使用期限の3年ごとに配りなおす必要があり、そのたびに、市がおよそ600万円の費用を負担しなければなりません。
    西牧課長は「国の指針では30キロ圏という線引きがあるが、原発事故が起きたときに影響を受けるのはその範囲にとどまらない。国は財政支援を含め、柔軟に対応してほしい」と話しています。

    自主的に避難計画まとめる

    兵庫県と隣接する京都府北部の京丹後市は、高浜原発から近いところで30.9キロの距離です。避難計画の策定を求められる30キロ圏には僅かに入っていませんが、市は3年前、自主的に住民の避難計画をまとめました。
    福島第一原発の事故を教訓に、屋内退避だけでなく、京都府内のほかの地域や、ほかの府県に避難することも盛り込みました。
    しかし、具体的な避難先は決まっていません。30キロ圏内については、関西広域連合などが避難先の自治体を決めましたが、30キロの外は対象ではなく、計画も「調整を行う」という表現にとどまっています。
    その一方で京丹後市は、高浜原発で事故が起きた際、原発により近い京都府宮津市と伊根町から1万人余りを受け入れる避難先に指定されています。住民をほかの地域に避難させることと、ほかの地域からの受け入れを、ともに検討しなければならないという難しい課題を前に、国に対し、十分な支援を行うよう求めています。
    京丹後市の荻野正樹危機管理監は「国は、位置的に決めた30キロではなく、総合的に判断して、もう少し広い範囲の自治体に十分な支援を行ってもらいたい」と話しています。
    こうした自治体からの要望について、原子力規制庁は「福島第一原発と同じ規模の事故が起きても、30キロ圏外の住民は屋内退避をすれば健康被害が出るほどの被ばくはしないと考えている。それ以上の事故が起きた場合は、国が責任を持って避難所の確保やヨウ素剤の配付を行う」としています。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160226/k10010423171000.html

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  55. 社説
    「炉心溶融」判定 責任感を欠く東電の情報発信
    2016年2月27日3時6分

     意図的に「炉心溶融」の認定を避けていた可能性はないのか。

     東京電力が福島第一原子力発電所の事故当時、社内規則に記された判定基準を把握せず、深刻な事態を連想させる「炉心溶融」を否定していたことが分かった。

     東電は「基準の存在に気付いていなかった」と釈明している。

     国内最大の電力事業者でありながら、お粗末と言うほかない。

     当時の「原子力災害対策マニュアル」には、核燃料の損傷割合が5%を超えれば炉心溶融と判定するよう記されていた。

     福島の事故では、格納容器の放射線量を測定する装置が停電した。これが復旧した2011年3月14日以降、燃料損傷の割合が推計可能になり、3号機については、30%損傷などと推計された。

     基準に従えば、明らかに炉心溶融の状況だった。

     しかし、東電は当時、「炉心溶融の明確な定義がない」と主張し、「炉心損傷」と説明していた。記者会見で炉心溶融を認めたのは、約2か月後だった。

     不安の増幅につながる「炉心溶融」の表現を敢あえて避けたことで、国民に事態の重大性が伝わらなかったのではないのか。

     東電は、社内規則が見過ごされた原因を徹底的に調査し、事故情報を迅速かつ正確に発信する体制を構築せねばならない。

     当時の原子力安全・保安院は、震災翌日に1号機建屋が水素爆発した際、「炉心溶融」と発表した。だが、その時の広報担当者を交代させ、「溶融」という表現を使わなくなった経緯がある。

     政府事故調査委員会は、当時の政府の姿勢について、「『炉心溶融』に言及するのを避けるため、無理のある広報の形跡も認められ、積極的に否定する趣旨の発言を行った」と批判している。

     東電が、情報を発信する際に、政府の対応に合わせたことも考えられるだろう。

     福島の事故後、原子炉等規制法や災害指針が改正され、混乱を招かないよう、事故報告で「炉心溶融」は用いないことになった。

     重大事故時に、電力会社が原子力規制委員会に報告する必要があるのは、炉心損傷を推計するデータに限られる。住民避難についても、原子炉の状況に合わせた判定基準が明確化されている。

     万が一の事故の際に、住民の安全を最優先した情報が円滑に発信されるよう、原子力防災訓練などを重ねて、体制を不断に見直すことが肝要である。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160226-118-OYT1T50185

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    1. 「原子力安全・保安院 中村幸一郎 西山英彦」
      https://www.google.co.jp/search?q=%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E5%AE%89%E5%85%A8%E3%83%BB%E4%BF%9D%E5%AE%89%E9%99%A2+%E4%B8%AD%E6%9D%91%E5%B9%B8%E4%B8%80%E9%83%8E+%E8%A5%BF%E5%B1%B1%E8%8B%B1%E5%BD%A6

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  56. WEDGE REPORT
    澤昭裕・最期の1週間
    がんと向き合い綴った原子力論
    2016年02月19日(Fri)  WEDGE編集部 大江紀洋
    http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6177

    >「ほんまにみんなありがとう」。うつむいた澤昭裕さんは、泣いていた。「みんな、仕事に行って下さい。30年もあるんやから無理せんように」。それが、編集者として原稿を預った私が聞いた最後の言葉となった。

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  57. 2月27日 よみうり寸評
    2016年2月27日15時0分

     コンビニはすごいと思う。基本的に24時間休まずに営業していて、飲み物や食べ物、下着に新聞と日常生活に必要なものは大抵そろっている◆深夜明るく空調は程よい。店内の清掃も行き届いたコンビニは、大地震など災害時の救援拠点としても期待されている。暑い日にはアイス、寒い日にはおでん、疲れた日には栄養ドリンク……。砂漠のオアシスでもある◆コンビニ大手のローソンが東京電力福島第一原子力発電所の敷地内に3月1日、開店する。1日に平均7000人が廃炉に取り組む現場だ。作業環境を良くしたいと願う東電の要請に応えて進出する◆防護服なしで活動できる場所が今春から拡大し環境が平時に一歩近づくことも出店を後押ししたのだろう◆少し残念なのは、缶コーヒーやガラス瓶の飲み物などは当面扱えないことだ。廃棄物を敷地外に持ち出せないためという◆とはいえ柔軟な業態で日本の津々浦々に根を広げたコンビニだ。創意工夫で過酷な現場に挑み新たなオアシスを作ってくれるに違いない。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160227-118-OYTPT50340

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  58. 原発立地対策費 約1000億円の税収不足
    2月28日 17時27分

    すべての電気利用者が納めている税金で原発などの立地自治体に交付金などを出す国の「立地対策」が原発事故の影響で費用が膨らみ、昨年度からの3年間で1000億円近く税収不足になっていることが関係省庁への取材で分かりました。国は不足分を補うため積立金などを取り崩していますが、その残高も1年分程度しかなく、専門家は立地対策の在り方を見直す時期だと指摘しています。

    国は電気を利用するすべての人が納める「電源開発促進税」を財源にして、原発などを受け入れた自治体に交付金などを出す立地対策を行っています。この税金は資源エネルギー庁などの特別会計で管理され、かつては余るほど潤沢でしたが、5年前の原発事故のあと、除染で出た廃棄物の中間貯蔵施設の整備費が必要になるなどした結果、支出の規模が税収よりも多い年間1700億円以上に膨らんでいます。
    こうした立地対策の財政状況について、特別会計の分析や関係省庁への取材を基にまとめたところ、昨年度の決算から来年度の予算案までの3年間に各年度433億円から263億円税収が不足し、その総額が992億円に上ることが分かりました。
    国は、不足分を財源に余裕があった時代に積み立てるなどした1200億円余りの資金を取り崩すなどして補っていますが、残高は1年分程度の275億円しかないことが明らかになり、立地対策の厳しい財政事情が浮かび上がりました。
    これについて、エネルギー政策に詳しい慶応大学経済学部の川本明教授は「原発事故以降、大きな問題があるのに議論が先送りされてきた。国は本当に必要な立地対策は何なのかしっかりと検証し、支出の削減など制度を一から見直す時期にきている」と指摘しています。
    また資源エネルギー庁は「立地自治体との調整を行って必要な予算は要求するが、削らなければいけない予算は削り支出を見直していく」と話しています。

    原発立地対策は税金が財源に

    原発がある自治体などに交付金を出す国の立地対策は電気を使うすべての人が納めている税金を財源にしています。「電源開発促進税」というこの税金は、電気料金と一緒に払い電力会社を通じて国に納める仕組みになっていますが、料金の明細書にも内訳が記載されていないことから納税していることを認識していない人も少なくありません。この税金は、電気使用量が標準的な2人以上の世帯では月におよそ160円です。毎年およそ3200億円の税収があり、立地自治体に交付金などを出す「立地対策」のほか、高速増殖炉「もんじゅ」の運営主体への交付金などの「利用対策」、事故に備えた「安全対策」に使われます。この3つの使いみちの配分は来年度の予算案では、立地対策に最も多い1373億円、率にして43%が充てられていますが、立地対策の支出は1741億円を見込んでいて、税収だけでは368億円足りない状態になっています。

    かつては多額の税金余る状況も

    国の立地対策は、電気料金に上乗せされる「電源開発促進税」が昭和49年に導入されたことで始まりました。特別会計で管理されていて、立地対策の中心は、自治体が原発などを受け入れ建設が始まると多額の交付金が出される制度でした。しかし、新しい原発の建設が予定どおり進まなかったため支出は増えず、この特別会計は多額の税金が余る状況が続きました。会計検査院からは「国民が負担をした税金が使われないままたまり、もったいない」などと指摘され、たびたび改善を求められました。平成15年に当時の塩川財務大臣が一般会計の財政事情が厳しいなか、「母屋でおかゆをすすっているときに離れですき焼きを食べている」と特別会計を批判した際にも焦点の1つとなりました。
    平成15年度からは余った税金の使いみちをはっきりさせて透明性を確保しようと、資源エネルギー庁が将来、原発が建設されるときに備えた「積立」として管理するようになりました。また、平成19年度からは毎年借金を重ね、やりくりが厳しい国の予算を助けようといつかは資源エネルギー庁に返すという約束のもと、財務省が余った税金の一部を一般会計で使うようになりました。
    しかし、原発事故の影響で昨年度からは一転して税収が足りなくなる正反対の状況となり、平成28年度予算案では資源エネルギー庁の積立は1200億円以上あった残高が初めてなくなってゼロになる見通しで、一般会計から返してもらえるとされるお金も275億円まで減少する見通しとなっています。

    支出減らす取り組み 行われず

    国が「電源開発促進税」を財源にして原発などの立地自治体に支払う交付金や補助金は20種類以上あり、発電量や稼働年数が多いほど増えるのが特徴です。5年前に福島第一原発事故が起きてからも新たな交付金の導入や特例の適用が相次ぎ、支出を減らす取り組みはほとんど行われていないのが現状です。
    現在、各地の原発は多くが運転を停止していますが、一定の割合で稼働しているとみなす特例によって立地自治体には多額の交付金が出されていて、この特例は当面、継続されます。さらに、来年度の予算案には原発が再稼働すれば地元の県や道に5年間で最大25億円の交付金を出すことが盛り込まれ、再稼働を進めやすい環境作りが行われています。
    一方、廃炉が決まった自治体に対しては従来の交付金は打ち切られますが、財政運営への影響を和らげるため別の形での財政支援を新たに決めるなど、配慮されています。
    立地対策を巡っては、去年11月に政府の行政改革推進会議が行った「秋のレビュー」でも議題に挙がり、制度が複雑で事後の評価も行われていないとして情報開示の必要性が指摘されました。

    1基の廃炉が決まった敦賀市 脱交付金依存へ

    国の立地対策の財政が厳しくなるなか、40年以上前から原発が立地し多額の交付金を受けてきた福井県敦賀市は本格的な支出の削減に乗り出しています。
    敦賀市では昭和45年に敦賀原発1号機の営業運転が始まり、市の財政や地元の経済は40年以上にわたって原発とともに歩んできました。これまでに市が国から受けた交付金は500億円以上に上り、福祉施設や市民ホールなどが整備されたほか病院や保育園の人件費などにも充てられ、市の財政にとっては欠かせないものでした。
    しかし、去年、市内にある原発1基の廃炉が決まったことで、来年度から交付金は6億円余り減ります。国はそれに代わる新たな支援策も導入しますが、金額は年々減って一定の期間がすぎれば無くなるため、市は支出の削減に乗り出しています。
    市は、他の自治体と同じ水準まで福祉や医療のサービスを引き下げる計画を作るなど、予算の抜本的な見直しを進めています。また40年近く前に建設され、温泉や健康設備を備えた福祉施設についても毎年の赤字が3600万円に上り、改修にも多額の費用がかかるとして、ことしの秋にも廃止する方針です。
    今月、開かれた市民説明会では参加者から「お年寄りの憩いの場を奪わないでほしい」といった戸惑いの声や、「簡素な代替施設を作ってほしい」という要望が出されていました。
    敦賀市の渕上隆信市長は「今までの敦賀市は何もしなくても国の交付金をもらえる街だった。今はそんな時代ではなくなり、財政のスリム化に取り組んでいる。全国の原発の立地自治体は小さい経済が原子力に頼る歪んだ構造になっている。緩やかに変わっていくことしかできないので、国の支援を期待している」と話しています。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160228/k10010424741000.html

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    1. 「国の支援を」というクレクレ乞食根性…

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  59. 福島第一原発事故は「メルトダウン」ではない
    池田 信夫
    2016年03月01日09:04
    http://agora-web.jp/archives/1671528.html

    >事故から5年たっても、新潟県知事は「メルトダウン」の意味も理解してないらしい。そもそも問題の東電のプレスリリースには「メルトダウン」という言葉は出てこない。

    >保安院は当時も「炉心溶融」とは発表していないし、「メルトダウン」という言葉は今までも使っていない。これはまったく事実無根である。

    >彼は今年10月の知事選で4選をめざしているらしいが、この程度の情報リテラシーもない人物を4回も知事に選んだら、新潟県民は田中角栄以来の「愚かな選挙民」という汚名を返上できないだろう。

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    1. 池田ノビー「東電も当時の原子力安全・保安院も言っていないのだから、ぜったいに“炉心溶融”は起こっていないっ!」

      「いまだにメルトダウンなどとほざいてるやつらは、アホバカマヌケの窮みだ」

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    2. 池田 信夫 · アゴラ研究所 所長
      >バカがわいてくるが、すべてブロック。東電は今回、福島原発事故当時に「メルトダウン」の判断基準があったなんて発表してないんだから、上杉の「汚名返上」も泉田のツイートも間違ってるんだよ。
      http://agora-web.jp/archives/1671528.html?fb_comment_id=961921457228493_962721367148502#f3d2c9054

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    3. >福島の原発事故から5年たっても、「メルトダウン」という言葉をめぐって誤解があるようです。NHKニュースまで「[東電の]社内のマニュアルでは事故の3日後にはメルトダウンと判断できたことを5年近くがたった先月、明らかにしました」と言っていますが、これは誤報です。アゴラの記事にも書いたように、東電の社内マニュアルには「メルトダウン」という言葉はありません。
      http://agora-web.jp/archives/1671730.html

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  60. メルトダウン対応「信じ難い」

    福島の原発事故の際、メルトダウンの公表が大幅に遅れた東京電力の問題について、原発が立地する柏崎市の会田市長は2日の定例会見で、「社内に問題を抱えていると思わざるを得ない」と述べ、今後、東京電力に直接説明を求める考えを示しました。

    福島の原発事故で、原子炉の核燃料が溶け落ちるメルトダウンが起きたと公表したのが事故から2か月後と遅れた理由について、東京電力は判断する根拠がなかったと5年間、説明してきました。
    ところが、新潟県の要請に基づいて改めて調査を行った結果、事故前から存在したマニュアルを認識していれば、メルトダウンを素早く公表できていたことが先月になって明らかになり、東京電力の広報の在り方が改めて問われています。
    これについて、柏崎刈羽原発がある柏崎市の会田市長は2日の定例会見で、「みずから作成したマニュアルを誰も知らなかったという東京電力の説明はにわかに信じ難い」と不信感を示しました。
    そのうえで、「メルトダウンという極めて重要な事柄について理解が十分でなかったということになると、社内で大きな問題を抱えているなと思わざるを得ない」として、今後、東京電力に直接説明を求める考えを示しました。

    03月02日 14時17分 NHK新潟放送局
    http://www.nhk.or.jp/niigata/lnews/1033222201.html

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  61. 東電公表遅れ「体質の現れか」
    03月03日 10時20分

    福島第一原子力発電所で起きた核燃料が溶け落ちる「メルトダウン」を巡り東京電力が当時の社内のマニュアルでは事故の3日後に判断できたと先月になって明らかにした問題で、原子力規制委員会の田中委員長は「東京電力の事故につながる体質が現れていたのではないか」と指摘し、情報公開への姿勢の改善を求めました。
    福島第一原発では1号機から3号機までの3基で核燃料が溶け落ちる「メルトダウン」、「炉心溶融」が起きたことを東京電力は事故発生から2か月後に正式に認めましたが、当時の社内のマニュアルでは、事故の3日後にはメルトダウンと判断できたことを5年近くがたった先月、明らかにしました。
    これについて、原子力規制委員会の田中俊一委員長は会見で、「今まで分からなかったということ自体何のためにマニュアルを作ったのかという思いだ。東京電力の事故につながる体質が現れていたのではないかと思う」と指摘したうえで、「そういう状況をきちんと受け止め反省して直さないと企業としてのモラルや文化が疑われる」と述べ、情報公開への姿勢の改善を求めました。
    一方で、当時の規制機関だった原子力安全・保安院の対応は検証しないのかという質問に対しては、「そういうことをやるだけの時間の余裕もないし何かを生み出すということでもない。当時の原子力安全・保安院や政治の関与を今のわれわれの立場でどこまで明らかに出来るか分からない」と述べ、検証は行わない考えを示しました。
    http://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20160303/3366281.html

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    1. メルトダウン公表問題 東電に情報公開の改善要請
      3月3日 7時31分

      福島第一原子力発電所で起きた核燃料が溶け落ちる、メルトダウンを巡り、東京電力が当時の社内のマニュアルでは事故の3日後に判断できたと先月になって明らかにした問題で、原子力規制委員会の田中委員長は「東京電力の事故につながる体質が現れていたのではないか」と指摘し、情報公開への姿勢の改善を求めました。
      福島第一原発では1号機から3号機までの3基で核燃料が溶け落ちるメルトダウン=炉心溶融が起きたことを東京電力は事故発生から2か月後に正式に認めましたが、当時の社内のマニュアルでは事故の3日後にはメルトダウンと判断できたことを5年近くがたった先月、明らかにしました。
      これについて、原子力規制委員会の田中俊一委員長は会見で「今まで分からなかったということ自体、何のためにマニュアルを作ったのかという思いだ。東京電力の事故につながる体質が現れていたのではないかと思う」と指摘したうえで、「そういう状況をきちんと受け止め反省して直さないと企業としてのモラルや文化が疑われる」と述べ、情報公開への姿勢の改善を求めました。
      一方で、当時の規制機関だった原子力安全・保安院の対応は検証しないのかという質問に対しては、「そういうことをやるだけの時間の余裕もないし何かを生み出すということでもない。当時の原子力安全・保安院や政治の関与を今のわれわれの立場でどこまで明らかにできるか分からない」と述べ、検証は行わない考えを示しました。
      http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160303/k10010429401000.html

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    2. 東電社長 メルトダウンの判断巡り「隠蔽ではない」
      3月3日 20時07分

      東京電力の廣瀬直己社長は参議院予算委員会で、福島第一原子力発電所で起きた核燃料が溶け落ちる「メルトダウン」の判断を巡る問題について、「隠蔽ではなかった」と述べたうえで、再発防止に向け当時の経緯などを詳しく調査する考えを示しました。

      福島第一原発では1号機から3号機までの3基で、核燃料が溶け落ちるメルトダウン=炉心溶融が起きたことを巡り、東京電力は事故発生から2か月後に正式に認めましたが、当時の社内のマニュアルでは事故の3日後にはメルトダウンと判断できたことを先月明らかにしました。
      この問題について、東京電力の廣瀬社長は3日の参議院予算委員会に参考人として出席し、「マニュアルは、業務を遂行する人間は当然知っていなければいけない」と陳謝しました。そのうえで、廣瀬社長は「3月14日の朝の時点で1号機は55%の損傷率だと報告したが、マニュアル上は『5%という数字をもって炉心溶融と判定しなさい』と書かれており、明らかに5%より大きく、隠蔽するということではなかったと考えている」と説明しました。そして、廣瀬社長は「用語の使い方の適否は、今後、第三者の方々も入ってもらい、しっかり調べて再発防止をしっかりやっていきたい」と述べ、当時の経緯などを詳しく調査する考えを示しました。
      また、原子力規制委員会の田中委員長は、当時の東電の判断に問題はなかったのか問われたのに対し、「明確に答えるのは難しい」と断ったうえで、「事故発生当時の状況であれば、炉心に注水し冷却する方法がベストであり、その手だてや対策は変わらなかったのではないか」と述べました。
      http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160303/k10010430291000.html

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    3. 経産相 メルトダウンへの対応は遺憾 詳細調査指示を
      3月8日 21時44分

      林経済産業大臣は、参議院予算委員会で、東京電力福島第一原子力発電所で起きた核燃料が溶け落ちる「メルトダウン」への対応を巡る問題について、極めて遺憾だとしたうえで、東京電力に対し、当時の原因を詳しく調査するよう指導を徹底する考えを示しました。

      福島第一原発の1号機から3号機までの3基で、核燃料が溶け落ちる「メルトダウン」=「炉心溶融」が起きたことを巡り、東京電力は事故発生から2か月後に正式に認めましたが、当時の社内のマニュアルでは、事故の3日後にはメルトダウンと判断できたことを先月、明らかにしました。
      これについて、林経済産業大臣は8日の参議院予算委員会で、「東京電力が社内マニュアルに5年間気付かなかったことは極めて遺憾だ。私からは東京電力の廣瀬社長に対し、第三者も入った形で詳細な調査をしっかり行い、福島県や国民に対して丁寧な説明を行うことなどを強く指示した。東京電力がしっかり対応するよう適切に指導していきたい」と述べました。
      また、参考人として出席した東京電力の廣瀬社長は「3月14日の段階で相当程度の炉心損傷という認識を持ち、すぐに報告している。この段階で隠蔽や公表の遅れは考えてなかっただろうと思う。マニュアルがあって、そのとおりになされていないのは事実であり、本当に申し訳ない。しっかり調査して原因を追究したい」と述べました。
      一方、参議院予算委員会は、このあと開かれた理事懇談会で、来週14日に社会保障などをテーマに安倍総理大臣の出席を求めて集中審議を行うことで与野党が合意しました。

      関連ニュース
      東電社長 メルトダウンの判断巡り「隠蔽ではない」 (3月3日 20時07分)
      メルトダウン公表問題 東電に情報公開の改善要請 (3月3日 7時31分)

      http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160308/k10010436181000.html

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    4. よいこのみんなは、NHKの「メルトダウン」報道を真に受けちゃいけないよっ! ぜんぶ誤報だからねっ!(笑)
      http://agora-web.jp/archives/1671730.html

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    5. 「メルトダウン」判断問題で東電が第三者委を設置
      3月9日 20時18分

      東京電力福島第一原子力発電所で、当時の社内のマニュアルに従えば事故発生の3日後には核燃料が溶け落ちる「メルトダウン」が起きたと判断できた問題で、東京電力は原因究明を進めるため、元裁判官などでつくる第三者委員会を設置しました。

      東京電力は、福島第一原発の1号機から3号機までの3基で核燃料が溶け落ちる「メルトダウン」が起きたことを事故発生の2か月後に正式に認めましたが、当時の社内マニュアルに従えば事故から3日後にはメルトダウンと判断できことが先月明らかになりました。この問題で東京電力は9日、元仙台高等裁判所長官で弁護士の田中康久氏を委員長とする第三者委員会を設置しました。
      そのうえで、メルトダウンを判断できなかった原因や、事故から5年近くたって問題が明らかになった経緯、当時の自治体への通報や報告の問題点などの検証や究明を進めることにしています。第三者委員会のメンバーは3人となる予定で、いまのところ田中氏を含む2人は決まっていますが、残る1人が決まっていないほか、調査結果をまとめる時期も未定だということです。
      東京電力は「第三者委員会の検証に最大限に協力し、結果はすみやかに公表したい」と話しています。
      http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160309/k10010437421000.html

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    6. >東電の社内マニュアルには「メルトダウン」という言葉はありません
      >NHKニュースの東電メルトダウン報道は誤報です
      http://agora-web.jp/archives/1671730.html

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  62. 「トモダチ作戦」震災5年を前に米で記念式典
    3月3日 10時45分

    東日本大震災から5年になるのを前に、アメリカ軍による大規模な支援活動「トモダチ作戦」に参加した関係者が、ワシントン近郊のアメリカ国防総省で記念の式典を開き、日米関係の重要性を確認しました。

    「トモダチ作戦」は、5年前の東日本大震災で被災した人たちを支援するため、アメリカ軍の兵士およそ2万人と原子力空母「ロナルド・レーガン」などおよそ20隻の艦艇が参加した、アメリカ軍の過去最大規模の災害支援活動です。
    震災から5年となるのを前に、ワシントン近郊のアメリカ国防総省で2日、記念の式典が開かれ、作戦に参加したアメリカ軍の兵士や日米両国の政府関係者など350人が出席しました。
    式典では、空母「ロナルド・レーガン」の司令官だったギリアー少将が、「『トモダチ作戦』に参加できたことを誇りに思っている。予想できない困難に直面し、日米両国は関係の深さを示した」と述べました。
    これに対し日本政府を代表して、日本大使館の泉裕泰公使が「日本の国民は皆さんの支援を決して忘れません。寛大な心が関係をさらに強化しました」と述べ、感謝の意を示しました。
    このあと、自衛隊に所属する歌手が復興支援ソングの「花は咲く」を披露し、盛んな拍手が送られていました。
    アメリカ国防総省は、「トモダチ作戦」をアメリカ軍が行った重要な災害支援活動と位置づけ、庁舎の一角に当時の活動を紹介するパネルを展示しています。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160303/k10010429631000.html

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  63. 福島第一、廃炉作業の難しさ説明…倉沢治雄氏
    2016年03月03日 23時38分

     科学ジャーナリストの倉沢治雄氏が3日、BS日テレの「深層NEWS」に出演し、事故から5年を迎える東京電力福島第一原子力発電所の現状を解説した。

     「廃炉にはリスクが三つある。汚染水、使用済み燃料、(溶け落ちた)燃料デブリだ」と話し、「燃料デブリは格納容器のどこに落ちたかもわからない」と廃炉作業の難しさを説明した。

     作業員の働く環境については、「原発敷地内の放射線量の低下や、大型休憩所の完成などで、格段に改善した」と評価した。

         ◇

     4日のテーマは「トランプ旋風は本物か 米国どうなっちゃう? 過激発言は米の本音か」。ゲストは藤崎一郎・元駐米大使と吉崎達彦・双日総合研究所チーフエコノミスト。
    http://www.yomiuri.co.jp/science/20160303-OYT1T50171.html

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  64. 「責任問われず、日本は不思議」=福島原発で元国会事故調委員長―東京
    時事通信 3月4日(金)16時38分配信

     東京電力福島第1原発事故で国会が設置した事故調査委員会の委員長を務めた黒川清・政策研究大学院大客員教授が4日、東京都千代田区の日本記者クラブで講演した。
     黒川氏は原発事故について「責任を誰も問われない。日本は不思議だ」と語った。
     国会事故調は関係者のヒアリングやアンケートなどの調査を行い、原発事故を「人災」と位置付ける報告書を2012年にまとめた。
     黒川氏は講演で、事故前の日本では原発の過酷事故が起きないことになっていたと指摘。「(海外では)不思議な国だとみんな言っていた」と振り返り、国際的に見ても原発事故の備えが遅れていたと訴えた。
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160304-00000108-jij-soci

    「福島 原発」
    http://www.2nn.jp/search/?q=%E7%A6%8F%E5%B3%B6+%E5%8E%9F%E7%99%BA&e=

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    1. 原発事故5年を前に 国会事故調の元委員長が講演
      3月4日 21時02分

      東京電力福島第一原子力発電所の事故からまもなく5年になるのを前に、国会が設置した事故調査委員会の黒川清・元委員長が都内で講演し、「当時の規制機関が電力会社にコントロールされていた、いわゆる『規制のとりこ』の背景には、組織の中で異論を言いにくい文化があり、それがまだ続いている」と指摘しました。

      福島第一原発の事故の原因や背景を調査するため、国会が設置した事故調査委員会の黒川清・元委員長は「事故から日本人は何を学んだのか」をテーマに日本記者クラブで講演しました。
      この中で黒川さんは「背景として安全神話があり、原子力ムラがあり、規制当局が電力会社にコントロールされていた『規制のとりこ』があった。『失敗から学ぼう』とか、『これはおかしい』と組織内で異論を言いづらい文化が関係していたが、それはずっと続いている」と指摘しました。そのうえで、「福島の事故から学び、世界と共有しようというマインドがまだ欠けている」と述べ、海外の専門家などと今以上に交流や意見交換をして福島第一原発の廃炉や原子力規制の強化を進めるべきだという考えを示しました。
      http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160304/k10010431751000.html

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  65. 福島 肥満傾向の子ども 震災前の水準まで改善
    3月5日 4時33分

    東日本大震災後、原発事故の影響で屋外の活動が制限されていた福島県では、肥満傾向の子どもが増えていましたが、今年度はおおむね震災前の水準まで改善してきています。一方で、不登校の子どもは3年連続で増加しており、文部科学省は、スクールソーシャルワーカーの派遣などを通して支援を続けることにしています。

    文部科学省が毎年、5歳から17歳を対象に行っている調査によりますと、標準的な体重を20%以上上回る「肥満傾向」の子どもの割合は、全国的には減少する傾向なのに対して、福島県では東日本大震災後、ほぼすべての年齢で増えました。なかでも10歳の男子と6歳の女子は、震災前に比べて、一時、2倍近くになっていました。
    それが今年度の調査では、多くの年齢で前の年より減少し、おおむね震災前の水準まで改善してきていることが分かりました。
    原発事故の影響で屋外の活動が制限され、体を動かす機会が減ったことが肥満の要因の一つとみられていましたが、屋外活動の制限は今年度までにすべてなくなり、運動不足を解消しようという取り組みも効果を上げているとみられています。
    一方、不登校の小中学生は昨年度1785人と3年連続で増加し、震災前の平成22年度に比べて200人余り多くなっています。
    福島県教育委員会は「すべてが震災の影響とは言えないが、避難に伴って転校を繰り返したことなどで学校になじめないケースもある」と話しています。
    文部科学省はスクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーの派遣などを通して子どもたちの支援を続けることにしています。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160305/k10010432091000.html

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    1. 調査や支援という、不運不幸便乗商法…

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  66. 住民帰還促進へ商業施設オープン 福島・広野町
    3月5日 14時15分

    東京電力福島第一原発の事故の影響で、住民のおよそ半数が避難を続けている福島県広野町に、住民の帰還を促そうと町が整備を進めてきた商業施設がオープンし、朝から多くの人たちが食料品などを買い求めました。

    広野町の商業施設「ひろのてらす」は、町が国道6号線沿いの町役場の前に整備したもので、延べ床面積がおよそ1100平方メートルあり、スーパーや飲食店など5つの店舗が入っています。5日は、オープン1時間半前の午前8時ごろから買い物客が並び、店が開くと早速、食料品や日用品などを買い求め、レジの前には長い列ができていました。
    広野町では、およそ5100人の住民のうち今も50%余りが避難を続けていて、この商業施設は生活の不便さを解消し、住民の帰還を促そうと整備されました。町内の災害公営住宅で暮らす女性は、「今まではリュックを背負って電車で買い物に行っていたので、とても便利になりました」と話していました。広野町の遠藤智町長は、「まもなく震災から5年になりますが、町の復興や住民の帰還を進めるためのきっかけにしていきたい」と話していました。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160305/k10010432661000.html

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    1. >広野町では、およそ5100人の住民のうち今も50%余りが避難を続けて…

      もうとっくに「自治体」なんて崩壊して、あるのは「自治体ごっこ」の残骸でしかなく…

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  67. 除染作業が長期化 完了は早くて来年3月の見通し
    3月6日 13時21分

    東京電力福島第一原子力発電所の事故のあと関東から東北にかけての8つの県の101の市町村で放射性物質を取り除く除染が行われてきましたが、原発事故から5年となる現在も4つの県の37市町村で作業が終わっていません。すべての除染が終わるのは早くても来年3月の見通しで作業は長期化しています。

    このうち福島県では43の市町村のうち14の市町村で除染が終了しましたが、避難指示区域にある5つの市町村を含む29の市町村ではいまも作業が終わっていません。
    また、福島県以外で除染を行ってきた岩手、宮城、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉の7つの県の58の市町村のうち、去年までに23の市町村で、完全に作業が終わり、27の市町村でもおおむね終了したとしています。
    一方で、岩手、宮城、栃木の3つの県の8つの市と町で依然、除染作業が続いていて、福島県内の29の市町村と合わせて37市町村で除染が終わるのは早くても来年3月になる見通しです。
    除染が長期化している理由について、環境省は「仮置き場の確保などに時間がかかったため作業が遅れたが、作業員の数を増やして加速化していきたい」と話しています。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160306/k10010433311000.html

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  68. 【震災5年】“メルトダウン”燃料、取り出しへ苦闘
    テレビ朝日系(ANN) 3月4日(金)11時51分配信

     福島第一原発の事故からまもなく5年になりますが、原子炉建屋の中は放射線量が高く、メルトダウンした燃料の取り出しはめどが立っていません。難航する廃炉作業をスムーズに進めるため、巨大な実験施設が完成してまもなく運用が始まります。
    http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20160304-00000019-ann-soci

    【震災5年】“メルトダウン”燃料、取り出しへ苦闘
    http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1457265670/
    http://www.2nn.jp/word/%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%80%E3%82%A6%E3%83%B3

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  69. 除染で出た土 福島以外の7県 処分先決まらず
    3月7日 4時10分

    東京電力福島第一原子力発電所の事故のあと、福島県以外の関東と東北の7つの県で行われた除染で出た土は、およそ30万立方メートルに上り、事故から5年となる今も、学校や公園などに保管されたままで、処分先が決まらない状態が続いています。

    原発事故で放出された放射性物質を取り除く除染は、福島県以外では、岩手、宮城、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉の7つの県の58の市町村が、国が費用を負担して行ってきました。
    環境省によりますと、去年の年末までに、23の市町村で完全に終了し、27の市町村でもおおむね終了、8つの市と町では今も作業が続いていて、すべての自治体で除染が終わるのは早くても来年3月になる見通しです。
    これらの除染で出た土は、去年9月の時点で7つの県で合わせておよそ31万5000立方メートルに上りますが、いずれも学校や公園などで保管されたままです。
    福島県内の除染で出た廃棄物は、福島第一原発周辺に建設される中間貯蔵施設に搬入することが決まっていますが、福島県以外の除染で出た土は、処分方法の検討に時間がかかり、処分先が決まっておらず、自治体からは早急な対応を求める声が上がっています。
    これに対し環境省は、「有識者の意見を聞きながら、処分の基準と方法について現在検討を進めていて、自治体の保管の実情を踏まえて早急に基準を策定したい」としています。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160307/k10010434041000.html

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    1. おいそれと簡単に片付けることができないゴミが高速増殖してしまう「原発システム」の重大アクシデント破局状況…

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    2. いつまでも完了しないミッション(笑)。
      https://www.google.co.jp/search?q=%E3%81%84%E3%81%A4%E3%81%BE%E3%81%A7%E3%82%82+%E5%AE%8C%E4%BA%86%E3%81%97%E3%81%AA%E3%81%84%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3+%E7%A8%8E%E9%87%91%E3%82%92%E3%81%A0%E3%81%BE%E3%81%97%E5%8F%96%E3%82%8B

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  70. 原発事故とがんの関係「解明を」
    国際学会、政府と県に
    2016/3/7 10:55 共同通信

     東京電力福島第1原発事故の健康影響を調べる福島県の県民健康調査に関連し、米国に事務局を置く国際環境疫学会が日本政府や同県に、原発事故とがんの関係を解明するよう求める書簡を出していたことが7日までに分かった。書簡は1月22日付。

     学会には約60カ国の研究者が参加。昨年10月、岡山大の津田敏秀教授が「福島県の子どもの甲状腺がん発症率は日本全体と比べ、12倍以上」などとする分析結果を学会誌に発表。書簡では「リスクが従来の推定よりはるかに高いことを示す科学的証拠を憂慮している」とした。

     住民の健康を記録・追跡調査し、原発事故によるリスクを評価するよう求めた。
    http://this.kiji.is/79391991772168194

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    1. 好む好まざるにかかわらず奇しくもそれは人をモルモットにする「社会実験」を行うことを意味する…

      みなそれをほんとうに望むだろうか…

      削除
    2. プロならばとりあえず、事後ではなく、事前に、「まずは逃げろ(退避せよ)」というのが誠実な姿勢ではないのか?

      事後に危険性を唱えるのは偽善でしかない…

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  71. 【社説】福島の除染 放射線を正しく理解したい
    2016年3月7日3時5分

     放射線の正しい知識を広めることが、福島の復興にもつながる。

     東京電力福島第一原子力発電所事故で飛散した放射性物質の除染について、見直しの要望が出ている。林業関係者らが、森林の除染範囲の拡大を求めている。

     広大な森林全体を除染するのは、費用もかさみ、現実的ではあるまい。広範囲に表土のはぎ取りや落ち葉の除去を行えば、土砂流出などの危険も増す。

     環境省が、住居や道路などから20メートル奥までを除染の対象としているのは、こうした理由からだ。

     対象拡大については、住民の生活圏と重なる「里山」では、より広く除染するなど、柔軟に対応するのが現実的だろう。

     第一原発周辺では、特に放射線量が高い帰還困難区域を除き、除染作業を概おおむね終えた。田村市の一部地区や楢葉町などでは、既に避難指示が解除された。南相馬市でも解除が予定されている。

     だが、住民の帰還は思うように進んでいない。住民の中には、放射線量が年間1ミリ・シーベルトになるまで徹底除染してほしいという声が依然、少なくない。

     政府は、年間20ミリ・シーベルト以下を避難指示解除の目安としている。専門家の任意団体である国際放射線防護委員会(ICRP)の基準に沿っている。1ミリ・シーベルトは、あくまで長期的な目標だ。

     人間は自然界から常に放射線を浴びている。世界には、年間20ミリ・シーベルトを大きく超える地域もある。病院のCT検査では、1回で8ミリ・シーベルト前後の放射線を浴びる。

     政府は、20ミリ・シーベルト以下なら健康面で問題がないことを引き続き丁寧に説明する必要がある。

     除染に絡んで、目下の懸案は、中間貯蔵施設の整備だ。福島県内では、除染作業ではぎ取った土などが、農地や民家の庭先など、13万か所に仮置きされたままだ。これらを一括保管する中間貯蔵施設は、不可欠である。

     政府は、第一原発を取り囲む大熊、双葉両町の1600ヘクタールの土地を買い上げる予定だが、約2000人に上る地権者との用地取得交渉が難航している。

     土地を手放すのを拒む地権者は多い。連絡先が判明しないケースもある。これまでに取得できた土地は、全体の1%に過ぎない。

     環境省は権利関係の確認や交渉にあたる職員を、現在の75人から100人に増員する。取得済みの土地から焼却・保管施設として整備するなど、効率的に作業を進めることが求められる。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160306-118-OYT1T50090

    http://koibito2.blogspot.jp/2014/08/blog-post_26.html?showComment=1457320783999#c1971528521778370869

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    1. >放射線の正しい知識を広めることが、福島の復興にもつながる

      何が正しくて、何が正しくないのか、それがいまいち不明、わからない状況…

      そして公式発表は、いまさら何も信用できない、鵜呑みすることができない…

      まるでかつての「大本営発表」の時代とそっくりになっている。

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  72. IAEA事務局長 福島第一原発廃炉に向け国際協力を
    3月8日 4時03分

    IAEA=国際原子力機関の天野事務局長は、まもなく事故から5年となる東京電力福島第一原子力発電所について、廃炉に向けて必要な技術のすべてが確立されたわけではないと指摘し、国際社会による協力の必要性を訴えました。

    IAEA=国際原子力機関の定例理事会が7日、本部のあるオーストリアのウィーンで始まり、天野事務局長が演説を行いました。
    天野事務局長は冒頭で、まもなく発生から5年となる福島第一原発の事故について触れ、「事故による計り知れない影響を忘れてはならない。事故の教訓が、原子力の安全性を高めるために世界各地で生かされるものと信じている」と述べ、今後も原発の増加が見込まれるなかで、安全対策を進める重要性を改めて強調しました。
    また、その後の記者会見で、福島第一原発の課題について問われた天野事務局長は「まだ事故の状況の全容を把握できているわけではなく、これから明らかになることもあるだろう」と述べたうえで、廃炉に向けて必要な技術のすべてが確立されたわけではないと指摘し、国際社会による協力の必要性を訴えました。
    また、IAEAの専門家を日本に派遣して、これまでも事故による水産物への影響を調べるなど、必要な取り組みを行ってきたと説明し、今後も日本への支援を続けていく考えを示しました。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160308/k10010435241000.html

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  73. 震災5年 海の生態系は回復の度合いに差
    3月8日 19時02分

    東日本大震災から5年になるのを前に、津波の被害を受けた宮城県気仙沼市で海の生態系がどこまで回復しているのか、京都大学などの研究グループが8日、潜水調査を行いました。リアス式海岸の「湾の中ほど」では海藻が生い茂り、魚が定着できる環境が次第に回復しているのに対し、「湾の奥」では海藻がほとんど育っておらず、回復の度合いに差が出ていることが分かりました。

    調査が行われたのは宮城県気仙沼市にあるリアス式海岸の一つ舞根湾の周辺で、京都大学などの研究グループが、「湾の奥」「湾の中ほど」「湾の出入口」「湾の外」の合わせて4か所で潜水調査を行いました。
    研究グループは、舞根湾で震災直後の2011年5月から2か月おきに調査を続けています。
    8日の調査で、湾の中ほどでは、水深4メートルの海底にコンブなどの海藻が生い茂り、アイナメやカレイなど震災前からこの地域に生息していた魚の姿も確認されました。また、成長に時間がかかるアワビが育っているのも初めて確認されました。
    この場所は震災直後はがれきに覆われ、魚介類はほとんど確認されませんでした。
    一方、湾の奥では、海底が泥に覆われたままで、海藻もほとんど育っていませんでした。魚の姿も小型のハゼの仲間しか見られませんでした。
    研究グループでは、生息しているすべての魚の種類を把握するのは難しいため、潜った際に目視で確認できた魚の種類の数を特殊な指数にして回復の勢いを調べていますが、湾の奥は湾の中ほどに比べて回復の勢いが3分の1ほどにとどまっているということです。
    この理由についてグループでは、湾の中ほどに比べて湾の奥は海水の流れが弱く、土砂を拡散できないためではないかと分析しています。
    本来、湾の奥は波が穏やかで、海底に多くの草が茂ることから小さな魚を育てる揺りかごとしての機能があり、こうした機能は三陸の多くのリアス式海岸に共通しています。しかし、湾の奥の回復が遅れれば揺りかごが失われたままとなり、今後の魚の繁殖に影響を与えることも考えられるということです。
    研究グループの京都大学の益田玲爾准教授は「湾の中ほどでは回復が順調に進んでいるようにも見えるが、湾の奥にこそ三陸の海の豊かさの特徴があり、そこが回復しなければ本当の意味での回復にはならない。これからも注意深く観察していきたい」と話しています。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160308/k10010436121000.html

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  74. 福島第一原発 廃炉作業 大半の場所で防護服不要に
    3月8日 19時57分

    東京電力福島第一原子力発電所では、8日から大半の場所で防護服もゴム手袋も着けずに廃炉作業ができるよう、運用が見直されました。これまでの対策で敷地内の放射線量が大幅に下がったためで、8日の運用開始にあわせてNHKのカメラが現場に入りました。

    福島第一原発は敷地全体が汚染されたため、廃炉に当たる作業員などは防護服や二重のゴム手袋を着けなければならず、動きにくいうえに細かい作業に支障が出るなど課題となっていました。
    このため東京電力で汚染された土をはぎ取ったり地面を舗装したりするなどの対策を進めた結果、敷地全体のおよそ90%で、地表付近の放射線量が目標としていた毎時5マイクロシーベルト以下に下がったということです。
    これを受けて東京電力は、8日から線量の低いエリアでは防護服やゴム手袋を着けずに一般的な作業服だけで作業ができるよう運用を見直しました。今回の見直しでは現場を移動する際のマスクも必要なくなり、早速初日から、原子炉建屋が見える一角で作業服姿で働く人たちや身軽な装備で敷地内を移動する人たちの姿が見られました。
    また、原子炉建屋などの近くや高濃度の汚染水が入っているタンクの周辺など、引き続き厳重な装備が必要なエリアとの境には更衣室が設けられています。
    東京電力は現場の混乱を避けるため、対象となる作業員を段階的に増やしていく方針で、重装備が必要な場所に作業服のままで近づかないよう出入りの管理を厳しくするとともに、作業員への周知を進め、安全を確保しながら廃炉現場の負担軽減を図りたいとしています。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160308/k10010435961000.html

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  75. 「原発事故の実態知って」…来月広河さん写真展=群馬
    2016年3月8日5時0分

     東京電力福島第一原発事故と、1986年のチェルノブイリ原発事故をテーマとしたフォトジャーナリスト広河隆一さんの写真展が、太田市熊野町の市社会教育総合センターで4月2、3日に開かれる。

     「チェルノブイリ30年・福島5年の軌跡をたどる」と題した作品展。福島第一原発事故では、福島県川俣町保健センターで放射線検査を受ける少女や、発見された子供の遺体を運ぶ防護服姿の捜索隊など25点を展示。チェルノブイリ原発事故では、病院で血液の異常を診断された子と母親や、高濃度汚染のため家屋が破壊された廃村など25点を並べる。

     太田市内の有志8人で構成する「福島・チェルノブイリ・広河隆一写真展」太田実行委員会の主催。代表の小林健一さん(73)は「原発事故の実態を広く知らせたい。事故後に住民の生活や自然がどう変わったか確認し、今後の行動の糧にしてほしい」と話している。

     両日とも午前9時半~午後5時。入場無料。問い合わせは小林さん(0276・22・4110)へ。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160307-119-OYTNT50320

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  76. 元原子力安全委員長に福島第1原発事故対応の問題点を聞きました。
    03/08 18:47 FNN

    震災5年、あの日から今へ。8日は、福島第1原発事故の発生当時、原子力安全委員会のトップとして、首相の緊急視察にも同行した人物に、事故対応の問題点を聞きました。その証言からは、現在にも通じる原子力行政の課題が見えてきています。

    FNNの単独インタビューに応じたのは、原子力安全委員会の班目春樹元委員長。
    当時の菅首相らに助言をする立場だった、原発事故対応のキーマン。
    班目氏は、「(今、一番、強く感じられる感情、どういう思い?)相変わらず10万人近くの人が、避難を続けているわけですよね。そういう人たちに対する申し訳なさで、いっぱい」と語った。
    東日本大震災は、原発を取り巻く、「つくられた安全神話」をのみ込んだ。
    その後、首相官邸の原子力災害対策本部に招集されたのが、原子力安全委員会のトップを務めていた班目氏。
    震災の翌朝には、菅首相の原発視察に同行した。
    班目氏は、「菅さんがする質問に答えられるのは、わたししかいないということで。政治家の方たちは、わたしを、『何でも相談室』扱いされる感じなんですね」と語った。
    その中で、事故対応に大きな影響を与える重要な問いかけとなったのが、「水素爆発はあるのか?」との質問。
    班目氏は、「格納容器の中は、窒素置換になっていて、酸素がないから、水素がいくら出てきても、爆発はしませんということを申し上げたんですね」と語った。
    しかし、その数時間後、1号機の建屋が、水素爆発を起こした。
    班目氏は、「『わあ、しまった!』と思った。これは強く記憶してます。建屋まで(水素が)出てきてしまえば、普通の空気ですので、爆発の可能性がある。菅総理に説明する時に、そのことまで言わなかったことは、大失敗だったとは思うんですが、わたし自身は、間違ったことは言っていないと思っているんです」と語った。
    そして、班目氏は「(『班目委員長は、水素爆発はないと言ったじゃないか。しかし爆発が起きたじゃないか。この辺りから、菅首相と、あるいは首相官邸と班目氏との信頼感が揺らぐというような空気になったのか)なんとなく、あの爆発の映像を見せられてから、菅総理からは、信用されなくなったなというのは、ひしひしと感じました」と語った。
    重要な局面で、専門家としての役割を十分に果たせなかった班目氏の失態。
    それは、結果として、のちに「暴走」とも指摘された、菅首相ら官邸主導の原発対応を招く一因となる。
    班目氏は、「あんな人を総理にしたから罰が当たったのではないかと、運命論を考えるようになっている」と語った。
    「運命論」と、どこか、人ごとのように5年前を振り返る班目氏。
    班目氏は、「(唯一の専門家として、もうちょっとできなかったか。この点はどうか?)ですから、あの時、ずっと、わたし1人なんですよ。少なくとも図面ぐらいは、保安院が持っているでしょと。持って来てよとか、いろんな要求はしてるんですけど、それに対して、答えがないというか。持ってきてくれない」と語った。
    班目氏が、自らの対応が不十分となった原因として挙げたのが、原子力安全・保安院。
    当時、原発の安全規制に関わる組織としては、原発を推進する立場である、経済産業省の官僚を中心とした原子力安全・保安院と、内閣府の審議会の1つで、専門家集団としての原子力安全委員会の2つがあった。
    班目氏は、「原子力安全・保安院の人というのは、審査とか検査についてくわしくても、原子力が溶けてしまったその後に、どうしたらいいかは、習っていないんですよね。お役人の世界は、決められたことだけをやっていればいい。そういう風潮は、結構、強いと思います」と語った。
    一方で、保安院側は、政府事故調のヒアリングの中で、班目氏について、「少し楽観的な意見であった。海水注入が開始されたとの報告が入り、班目委員長が『バンザイ、助かった』と興奮し、妙にハイテンションになっていた印象がある」と証言している。
    ぎりぎりの状況にありながら、互いに不信感を抱いたまま、十分機能しなかった2つの組織。
    あれから5年。
    原子力安全委員会は、経産省のもとから切り離された原子力安全・保安院と再編され、原子力規制委員会、原子力規制庁の2つの組織に衣替えしたが、5年前の教訓は、生かされているのか。
    班目氏は、「(現在のチェック体制。班目氏はどう見ている?)保安院と安全委員会の関係が、今どうなったかというと、規制庁と規制委員会の関係になっているのではという気もします。(独立性を高めた原子力規制委員会の判断に基づいて、再稼働も相次いでいるという状況だが、とすれば、その点も、やや心配ということ?)安心しきった途端に、とんでもないことになりますから、そういう意味でいくと、まだまだ、しなければいけないことが、たくさんある」と語った。
    http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00318311.html

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    1. 【東日本大震災】元原子力安全委員長「あんな人を総理にしたから罰が当たったのではないか」
      http://www.2nn.jp/word/%E7%8F%AD%E7%9B%AE%E6%98%A5%E6%A8%B9

      “天然”のボケかましなんだね…

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  77. 「福島の食品購入ためらう」15.7%が回答
    3月10日 12時11分

    東京電力福島第一原子力発電所の事故による消費者の意識への影響を、先月、消費者庁が調査した結果がまとまり、「福島県産の食品の購入をためらう」と回答した人は15.7%で、3年前の最初の調査と比べて3.7ポイント低くなりました。

    消費者庁は、「原発事故が不安を与え、食品の放射性物質の検査が行われているにもかかわらず、買い控える消費行動がみられる」として、3年前から消費者の意識調査を半年おきに行い、7回目の調査が先月、被災地と3大都市圏の5100人余りを対象に行われました。
    この中で「福島県産の食品の購入をためらう」と回答した人は15.7%で、前回の去年8月より1.5ポイント低く、最初の調査より3.7ポイント低くなりました。
    また、「放射線による健康影響が確認できないほど、小さな低線量のリスクをどう受け止めるか」という質問で、「十分な情報がないため、リスクを考えられない」と回答した人は33.9%で、前回より2.8ポイント高く、最初の調査より11.1ポイント高くなりました。
    消費者庁の板東久美子長官は記者会見で、「消費者に正確な情報を理解してもらうための取り組みを一層きめ細かく地道に行っていきたい」と述べました。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160310/k10010438001000.html

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    1. じつはほんとうに気をつけなきゃいけなかったのは、福島ばかりではなく、宮城、山形、岩手、新潟、茨城も千葉も埼玉も群馬も、あとは産地ロンダリングされた食材も…

      「福島」ブランドだけじゃないんだよ…

      海産物は案外あまり気にもされていなかったり…

      ワカメやカキもどんなだか…

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    2. 陸地を洗った河川水がどんどん流れ込むのは近海の…

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    3. その意味では東京湾内の潮干狩りも…

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    4. ま、毎日食うものじゃないからそんなに心配しなくても、という面もなきにしもあらずだが…

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    5. 放射性物質で出荷自粛や停止の食品 ピークの8分の1に
      3月11日 4時20分

      東京電力福島第一原子力発電所の事故で放出された放射性物質の影響で、出荷の自粛や停止となった食品の件数は今年度は先月末現在で279件と、ピーク時の8分の1に減っています。

      食品に含まれる放射性セシウムの検査は福島や宮城など17の都と県で行われていて、国の基準を超えた場合は出荷が自粛されるほか、地域的な広がりがみられる場合は政府が出荷停止を指示します。
      厚生労働省によりますと、出荷の自粛や停止となった食品の数は、平成24年度の2372件をピークに年々減少していて、今年度は先月末の時点で279件とおよそ8分の1に減っています。現在は14の県の一部の地域で原木しいたけや山菜、いのししの肉など人が生産を管理していない食品を中心に出荷の停止が続いています。
      厚生労働省は「農地の除染が進んだことなどから、基準を超える食品は大幅に減少している。今後も自治体と連携し安全な食品が流通するよう検査を続けていく」としています。
      http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160311/k10010438881000.html

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  78. 福島第一原発 冷却装置停止の情報 現場で共有されず
    3月10日 19時15分

    東京電力福島第一原子力発電所の事故で、最初に核燃料が溶け落ちた1号機では、原子炉の冷却装置が止まっていることに気付くのが遅れたことが大きな問題と指摘されています。ところが、複数の運転員が東京電力の内部調査に対して、当初から冷却装置は止まっていたと認識していたと証言し、事故から5年を経て現場の情報共有の課題が改めて浮き彫りになっています。

    福島第一原発1号機はすべての電源を失ったあと、核燃料が冷却されずに溶け落ちていて、事故の翌年に政府や国会、それに東京電力がまとめた調査報告書では、いずれも運転員は事故発生当初、電源喪失によって表示灯が消えたなか、冷却装置が動いているかどうか「分からなかった」と結論づけています。
    ところが東京電力が去年、そのときの状況について改めて聞き取り調査をした結果、運転員の1人は電源を喪失する直前に、自分が冷却装置を止めたと話したほか、別の運転員も、冷却装置は当初から動いていないと認識していたと証言し、その理由として、電源が失われた時点で原子炉の圧力が上昇中だったことを挙げています。
    1号機では電源喪失の直前、原子炉を徐々に冷やすため冷却装置の起動と停止を繰り返していましたが、運転員のトップの当直長は「冷却装置が止まった状態で全電源を喪失したという報告を受けた記憶はない」と証言していて、東京電力は、電源喪失という大混乱のなかで重要な情報が共有できなかった可能性があるとしています。
    事故後の解析によりますと、1号機では3月11日の夜には核燃料が溶け落ちる「メルトダウン」が始まったとみられていますが、当時の吉田昌郎所長をはじめ福島第一原発の対策本部は、その日の深夜まで冷却はできていると考えていて、この認識の遅れは事故対応のうえでの大きな問題と指摘されています。
    仮に当初の段階で冷却装置が止まっているという認識が共有されていれば、事故の対応は変わっていた可能性もあり、事故から5年を経て現場の情報共有の課題が改めて浮き彫りになっています。

    当時の広報文「1号機冷却中」

    問題の1号機の冷却装置は、「非常用復水器」=「IC」と呼ばれ、原子炉の蒸気を冷却用のタンクに引き込み、水に戻して原子炉に注水することで原子炉を冷やす仕組みです。起動のために弁を開けるときは電気が必要ですが、弁さえ開いていれば電気がなくても原子炉を冷やし続けることができます。
    東京電力が報道機関に配った広報文には、事故発生当日の3月11日の午後7時の時点で「1号機は非常用復水器で原子炉の蒸気を冷やしている」と記されています。
    こうした表現は、12日の午前0時時点の広報文まで続いています。
    東京電力から国への通報でも、1号機については午後8時半の時点で「IC動作中」と記され、その後も午前0時すぎまでこうした表現が続いていて、現場の認識が現地の対策本部や本店との間で共有されていなかった実態を示しています。

    運転員の証言と報告書で大きな相違

    東京電力が事故発生の翌年にまとめた報告書では、運転員はすべての電源を喪失した時点で1号機の冷却装置の動作状態が「分からなくなった」と証言したとしています。
    ところが今回の調査では、運転員5人のうち2人が「動作していない」と明言し、ほかの2人も「動作していない可能性が高い」とか、「ほとんど動作していない」と認識していたと話していて、報告書の結論とは大きく異なっています。
    これについて東京電力は、報告書をまとめた当時と今回で運転員の証言の内容は変わらないとしたうえで、「ほかの運転員から同じ証言が得られなかったり、本人の記憶が変わったりしていて、のちに公表された事故の調査結果の影響を受けていることが否めないため、事実と認定しなかった」と説明しています。
    さらに今後については、当事者の記憶が薄れていくため追加の聞き取り調査は行わないとしています。

    専門家「東電報告書の内容は不正確」

    原子炉の制御が専門で新潟県の技術委員として福島第一原発の事故の検証を続けている京都大学の吉川栄和名誉教授は、今回の調査結果について「冷却装置が動かなければ、格納容器内の蒸気を外部に放出する『ベント』しかない。冷却装置が止まっている情報を共有できていれば、もっと早く事故の進展に対応できたかもしれない」と話しています。
    また、非常用の冷却装置の状況を巡る運転員の証言と東京電力の報告書の結論が異なっていることについて、「現場は『動いていない』という認識だったのに、東京電力は報告書の中で運転員が『分からない』と証言したと記している。しかし、その理由を掘り下げて書いていないため報告書の内容は不正確だ」と話しています。

    事故を教訓に東電は情報共有を強化

    福島第一原発の事故では、1号機のほか3号機でも非常用の冷却装置の運転状況がすぐに共有されず、対応の遅れにつながったと政府の事故調査・検証委員会などから指摘されています。
    このため東京電力は1年余り前から、事故対応の最前線である中央制御室で当直長が部下に指示したり問い合わせたりしている内容を、対策本部の所長や担当者が同時に聞くことができるシステムを導入しました。
    また中央制御室の発話をもとに、パソコンに入力した原子炉の圧力や水位などの値や電源などの確保の状況を1つの画面で表示したり、会議での発言を班ごとに分けて文字化して表示したりして、重要な情報を対策本部や本店で共有するシステムも取り入れています。これらは、新潟県にある柏崎刈羽原発で実際に訓練などで使われていて、柏崎刈羽原発原子力安全センターの宮田浩一所長は「設備についてはある程度備えたつもりだが、今後も訓練を重ねながら課題を見つけ、よりよいやり方があれば導入するなど改善を続けていきたい」と話しています。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160310/k10010438581000.html

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    1. 問題は、ほんとうに稼動「臨界」中の原子炉を「停止」させられていたのかどうかだ…

      電源供給途絶に陥ると、「停止」不可能なシステムではなかったか…

      福一と福二の運命の分かれ道…

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    2. 電気がなければもう制御不可能、お手上げになってしまう「悪魔のシステム」ではなかったか…

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  79. 福島第一原発事故 原子力政策に大きな影響
    3月11日 5時06分

    5年前の東京電力福島第一原子力発電所の事故は、日本の原子力政策に大きな影響を与えました。

    事故後 原発ゼロに

    事故から1年半後の平成24年9月、当時の民主党政権は、「2030年代に原発稼働ゼロを可能にするようあらゆる政策資源を投入する」と明記したエネルギー政策を決定し、事故前の積極的な原子力推進から大きく転換しました。定期検査に入って停止した原発は再稼働することができず、関西の電力需要のためとして福井県の大飯原発3号機と4号機は再稼働したものの、平成25年にはその2基も停止し、それ以降「原発ゼロ」の状態が続きました。

    自民政権で原発利用へ

    その後、自民党政権のもとで政策はまた見直されます。おととし原発について政府は「依存度を可能なかぎり低減する」としつつ、「重要なベースロード電源」の1つと位置づけ、事故を踏まえて作られた新しい規制基準に適合すると認められた原発については再稼働を進めるとするエネルギー基本計画を閣議決定したのです。去年には、経済産業省が、将来の電源構成、いわゆる「エネルギーミックス」を決め、2030年度には原子力発電の比率を20%から22%とすることが望ましいとしました。この数字を達成するには30基前後の稼働が必要だとされています。
    ただ、原子力発電所の運転を再開することについてNHKが先月実施した世論調査の結果では、「賛成」が20%、「反対」が38%、「どちらともいえない」が37%でした。
    期間:2月5日から3日間
    対象:全国の20歳以上の男女
    方法:RDD
    回答:1063人(68%)

    再稼働も安全性への十分な説明が課題に

    これまでに再稼働の前提となる審査の申請は全国の原発の半数以上にあたる16原発26基で出されました。審査に合格したのは3原発5基でこのうち、鹿児島県にある川内原発の1号機と2号機が去年再稼働し、運転を続けています。福井県にある高浜原発3号機と4号機はことし1月以降、順次再稼働し、愛媛県にある伊方原発3号機はことしの夏以降再稼働する見通しです。
    ところが、高浜原発4号機が先月トラブルで停止したのに続き、3号機も大津地方裁判所から運転停止を命じる仮処分の決定を受けて10日停止しました。決定は「住民の生命や財産が脅かされるおそれが高いのに、関西電力は安全性の確保について説明を尽くしていない」などと指摘しています。
    今後審査に合格して再稼働する原発は増えるとみられますが、原発事故から5年がたつ今も安全性に対する懸念の払拭(ふっしょく) や十分な説明は依然、課題とされていて、国や電力会社はこうした課題に真摯(しんし)に向き合い、理解を得ていくことが求められています。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160311/k10010439091000.html

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