2017年3月12日

[震災6年]2011.3.11 フクシマ FUKUSHIMA 福島事変

(2011.3.11 フクシマ FUKUSHIMA 福島事変 [震災5年] ★2  改題2017/3/2)
( 2011.3.11 フクシマ FUKUSHIMA 福島事変 [震災5年] の続き)

[震災5年 原発と福島]それぞれの決意<4>「新たな古里」思い実れ
2016年9月7日 読売新聞
http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160907-118-OYTPT50020

《先祖から受け継いだ大切な土地を手放していいのか。2年前の夏、智に考えを聞いた。「俺は帰らない」。東電の関連会社で廃炉作業に携わる智は、いわき市での新しい暮らしになじみ始めていた。
渡辺は決断した。子供が帰りたいと思わない土地にしがみついても仕方がない」

大熊を捨てたと非難する人もいるが、渡辺はもう「避難住民のための新しい古里」をつくることしか考えていない。渡辺は7月、自宅と農地の計約2ヘクタールを国に売る契約を結んだ。》


[震災5年 原発と福島]それぞれの決意<2>牛と生きる 新天地開墾
2016年9月2日 読売新聞
http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160902-118-OYTPT50023

原発事故が起き、古山と妻の幹(59)は、いったん優と母ミツ子(85)を連れ、同県二本松市に避難した。後継ぎの長男優太(32)は、南相馬市にある牧場に勤務していて無事だった。

 古山は翌日、幹と津島地区に戻り、牛の避難先を探し始めた。放射線量が急上昇していた。「預けられる牛舎を探してくれ」。県や町に何度も電話をかけたが返事はない。「信じられるのは自分たちだけだな」。古山は幹に語りかけ、自分にも言い聞かせた。以来、それは古山の信念だ。》



公務員は基本、法律規則に書いてあることはやるけれど、書かれていないことはやらないしきたりの中で生きている生き物なのさ… 何かを(過剰に)期待するほうが馬鹿をみる… いざとなったら、からっきし役に立たないことは、大東亜戦争太平洋戦争の終戦直前のどさくさでいやになるほど思い知ったはずだが、それもまた今は昔のこととなってしまい忘却のかなたに葬り去られつつあるのかもしれない。

総じて、人は自分の経験、実体験からしか学べない。それが今も昔も、この世の真実。「賢者は歴史から学ぶ」というのは、まことしやかなウソだと思い知っておいたほうがよい。

頭のよい「知ったかぶり」が一番のクセモノだと思っておけば間違いがない。


「頭のいい馬鹿ほどはた迷惑なものはない」
http://www.d1.dion.ne.jp/~wangcha/uber001.html




(書きかけ)






《日本は、福島原発事故の処理という困難極まりない課題を抱えている。7年後でも収束には程遠いだろう。現場では、多くの人が放射能と戦っているはずだ。そして、故郷の家に戻れない人々も多数残っているだろう。こうした国で、なぜオリンピック開催がお祭り騒ぎになり得るのか、私は理解に苦しんでいる。》
(野口悠紀雄)
(2013年9月)
http://essays.noguchi.co.jp/archives/979

ラベル 野口悠紀雄




(№213 2016年9月7日)(追記9/19)

107 件のコメント:

  1. [震災5年 原発と福島]それぞれの決意<1>私たちの幼稚園 もう一度
    2016年8月31日5時0分

     東京電力福島第一原発事故の避難指示区域が、少しずつ姿を変えつつある。昨年6月の政府方針以降、自治体や住民の動きが活発になってきた。「原発と福島」第32部は、故郷への帰還、新しい暮らしに向け、大きく一歩を踏み出した住民の5年半をたどる。

     蒸し暑い教室には、絵や工作が2011年3月の事故当時のまま残る。このザリガニの絵を描いたのは年長組の子だった。「もう6年生か」。福島県浪江町の「アスナロ幼稚園」園長の内海ひとみ(56)は、園児たちの思い出を一つひとつ、保管用の段ボール箱に入れていく。園の片づけのため、避難先の同県相馬市から月5、6回通うようになったのはここ半年。それまで内海は長いトンネルの中にいた。

         ◇

     5年前の夏。内海は、浪江から50キロ以上離れた福島市の幼稚園で、5か月遅れの卒園式を催した。町全域が避難指示区域になっていた。防護服を着込んで園から名簿などを持ち出し、卒園した35人の家族に案内の電話を入れると、全員が避難先から出席してくれた。むじゃきな子供たちを見つめる親の顔に、避難生活の疲れの色がにじんでいた。

     園の設立は1954年。内海も卒園生だ。83年から教諭として働き、設立者の園長に見込まれて、2006年に後任になった。元気な園児たちに囲まれ、1500人以上を送り出した。しかし、13年に、事故当時の年少組の卒園式が済むと縁がぷつりと切れた気がした。「世の中に私は必要とされていない」とも思った。

     よく知る卒園生が、浪江の自宅で自ら命を絶ったのはその頃だ。まだ30代。一時帰宅して、人けが途絶え、雑草ばかりが目立つ故郷の姿に絶望したのだろうか。涙が止まらなかった。

         ◇

     打ちのめされた内海は、15年6月、地震で壁などが被害を受けた園舎の取り壊しを決めた。避難指示区域の傷んだ建物は、申請すれば国が解体してくれる。内海は園の片づけを始めたが、心は曇ったままだった。

     そんな内海の目に今年1月、信じられない光景が飛び込んできた。走り回る子供も、手入れをする職員もおらず、雑草に覆われたままだった園庭が、きれいに整地されている。通知のあった除染がこの1か月の間に実施されたのだ。内海は鳥肌が立った。まるで事故前に戻ったかのようだった。今にも子供たちが駆け寄ってくるような気がした。「ここで幼稚園を再開したい」。希望が芽ばえた。

     春には町が道路の規制方法を見直し、各地でゲートが撤去された。内海は「通勤」のピッチを上げた。

     心の支えもあった。例えば、園の近くで再会した卒園生の男性警察官。避難指示区域の盗難を防ぐためのパトロール中だという。制服がすっかり板につき、地元のために立派に働いていた。街で偶然会った卒園生の父親からも声をかけられた。「幼稚園、またやってくれないと困るよ、先生」

     園がある町中心部の幾世橋きよはし地区など、町の帰還困難区域を除く地域では、来年3月の避難指示解除が見込まれている。あの幼稚園があるなら浪江に帰りたい。そう思ってくれる人が一人でもいるなら。解体は来年早々にも始まる。跡地での再建に向け、行政による補助や東電への補償申請など、資金計画も本格的に始めよう。

     ホールに掲げられた歴代PTA会長や園長の写真のうち、自分のものはまだ外していない。「解体が始まる日まで、私が見届けないといけないから」。持ち物の整理などを一任してもらうため、この夏、事故当時の園児134人の保護者に手紙を出した。メッセージがびっしり書き込まれた返信用のはがきがいま、続々と届いている。<解体は寂しいですが、新しいスタートですよね、先生!>(敬称略)

      ◆政府方針 =年間被曝ひばく線量の高さ順に「帰還困難」「居住制限」「避難指示解除準備」の三つに分けられる避難指示区域のうち、低い方の二つを、2017年3月末までに解除するとの目標を掲げた閣議決定。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160831-118-OYTPT50034

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  2. [震災5年 原発と福島]それぞれの決意<2>牛と生きる 新天地開墾
    2016年9月2日5時0分

     終戦間もなく、国の食糧増産政策で、福島県の山間部、現在の浪江町津島地区に入植した一団があった。山の木を切り倒して炭を焼き、根と石を取り除いて畑を作った。古山久夫(60)の父、優まさる(84)もその一人だった。じゃが芋や小豆などの栽培を始めたものの、収穫はまだ少なく、野山のあけびや山ぶどう、ぐみ、野いちごを腹の足しにした時期もあったという。暮らしを安定させるため、優が始めたのは肉牛の肥育。成人になった古山も手伝うようになった。父子が切り開いたその牧場と我が家はいま、東京電力福島第一原発事故に伴う避難指示区域の中にある。

          ◇

     子牛を育て、成牛にするのが肥育農家だ。少しずつ規模を拡大し、2011年には300頭余を飼養していた。原発事故が起き、古山と妻の幹(59)は、いったん優と母ミツ子(85)を連れ、同県二本松市に避難した。後継ぎの長男優太(32)は、南相馬市にある牧場に勤務していて無事だった。

     古山は翌日、幹と津島地区に戻り、牛の避難先を探し始めた。放射線量が急上昇していた。「預けられる牛舎を探してくれ」。県や町に何度も電話をかけたが返事はない。「信じられるのは自分たちだけだな」。古山は幹に語りかけ、自分にも言い聞かせた。以来、それは古山の信念だ。

     3か月後、50キロ以上離れたいわき市遠野町に空き牛舎を見つけた。取引先に差し向けてもらったトラック5台を往復させ、2日がかりで牛たちを避難させた。

     その牛舎近くの民家に落ち着いた古山だが、「これから」を決めなければならなかった。原発事故のイメージが色濃い福島で育った牛が売れるのか。廃業も頭をよぎった。優太に「続ける気はあるか」と尋ねた。息子は聞き返してきた。「何のために牛を守った? ここでやめたら原発事故に負けたことになる」。おかげで腹は固まった。

          ◇

     事故後に設定された警戒区域などは13年春に再編、避難指示区域は放射線量によって三つに分かれた。津島地区は線量が最も高い帰還困難区域。古山には「帰れない場所」という意味にしか受け取れなかった。

     いわき市の山林約5万平方メートルを買ったのはその年の夏だ。避難先から通いながら、自ら重機を使って少しずつ整地した。思わず苦笑いが漏れた。父から聞かされていた津島地区の開拓期がダブったからだ。「おれも森を切り開くことになるなんて」

     二つの牛舎は昨年末に完成した。古山は肥育農家から、親牛を飼って子牛を増やす繁殖農家に転じた。生産者減少などの影響で、子牛の値段がいまは高い。

     牛舎脇には家を2軒建てた。妻と両親と一緒に暮らす自宅と、優太の家族5人用の新居。秋には全員が暮らし始める予定だ。

     政府はこの夏、帰還困難区域で本格的な除染を始める方針を固めた。「今さら何を」と古山は思う。父たちが開墾した土地への愛着はある。だが、その土地が大量の放射性物質を浴びたのはなぜか。「帰れない場所」に線引きしたのは誰なのか。新たな場所で再起を余儀なくされた古山は釈然としない。

     浪江町では1日、町民が地元で滞在できる期間限定の特例宿泊が始まった。線量の低い地域では避難指示解除の見通しも出てきた。古山はしかし、将来、津島地区の除染が進んでも戻るつもりはない。2棟の牛舎ではいま、60頭ほどの黒毛が干し草をはむ。この冬、牛舎は初めて出産ラッシュを迎える。(敬称略)
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160902-118-OYTPT50023

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  3. [震災5年 原発と福島]それぞれの決意<3>おやじの花 枯らさない
    2016年9月3日5時0分

     東京の私大生だった渡辺優樹(23)は2014年の年明け、福島県川俣町から同県二本松市に避難する花卉かき農家の父、福七ふくしち(58)から電話で「こっちに戻って一緒に仕事しないか」と促された。

     さして迷わず、「とにかく一度戻ろう」、そんな心境になったのは、父が故郷で再開するトルコギキョウの栽培に関心があったからでも、地元の復興に貢献しようと奮起したのでもない。自分は何をしたいのか分からない。すべてに行きづまっていた。母まゆみ(50)もそんな息子を案じ、「環境を変えた方がいい」と思っていた。

     優樹はその年の春に帰郷したが、福七らから「切った花の置き場所が違う」などと注意されると、翌日の仕事を無断で休むような調子。福七らはいら立ちながらも、煮え切らない息子を見守り続けた。

           ◇

     タバコ農家だった福七が、川俣町山木屋でトルコギキョウ栽培を始めたのは1990年頃。優樹が生まれる前の時期だ。山木屋は福島県東部に広がる阿武隈山地にあり、標高約550メートル。昼夜の寒暖差が大きく、花の発色がよくなる栽培適地だった。

     福七は10年ほど前、肥料を散布する機械に巻き込まれ、利き腕の右ひじから先を失ったが、種まきから花の刈り取り、ハウスの修理まで何でもこなす。花びらにわずかなシミが浮いているだけで、水が多すぎると見抜き、すぐ根元を手入れする。まゆみによると「花と会話できる」。

     優樹は仕事一筋の父親が苦手だった。出荷の最盛期を迎える夏は特に。福七とまゆみは毎日、未明にハウスへ行き、花が規格通りの長さになるよう、ひたすら茎を切り、葉や不要なつぼみを落とす作業に追われる。家族旅行の思い出もない。一徹な性格の福七への反発もあり、「おやじの仕事だけは継がない」と誓った時期もある。

     高校3年になる年の春、東京電力福島第一原発事故が起きた。県内で就職をと考えたものの、優樹には希望する企業も職種もない。都内の私大の商学部に入っても、勉強に身が入ることはなかった。将来の夢を語る同級生と距離を感じた。「『何となく』で来ちゃだめだったんだ」。次第に大学に行きづらくなった。

     福七から「花の栽培を手伝わないか」と電話が入ったのはそんな時期と重なる。原発事故で山木屋にも避難指示が出されたが、13年8月以降は、事業のための出入りが可能になった。福七とまゆみはハウスに通い、14年春から本格的な栽培を再開する準備を進めていた。

           ◇

     「復興を担うとか期待されると、ほんと困るんだよね」。優樹はそう言いつつも、自分のペースで前に進んでいるようだ。帰郷した14年の秋に、高校の先輩である奈緒美(25)と結婚、長女汐恩しおん(1)も授かった。川俣町の復興住宅(災害公営住宅)で暮らしながら、山木屋のハウスに通う。いつ頃からか、地元の農家から「福七の息子」ではなく「優樹」と呼ばれている。「後を継げよ」とハッパをかけられると、少しずつだが、「やんなきゃな」という気持ちも芽ばえる。

     山木屋地区の避難指示は来年3月末に解除される。福七は山木屋の家を建て替え、二本松の借り上げ住宅を引き払って戻るつもりだ。同居も話題に上るが、優樹は「今はまだ」と答えている。ただ、はっきり自覚している。「この俺でも、ここの仕事は長く続けられているんだよな」(敬称略)
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160903-118-OYTPT50038

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  4. [震災5年 原発と福島]それぞれの決意<4>「新たな古里」思い実れ
    2016年9月7日5時0分

     棚に生い茂る葉が夏の日差しを遮り、丸々とした実が涼しげに揺れている。福島県いわき市の約40アールの畑。キウイの木だ。東京電力福島第一原発がある同県大熊町から、いわき市に避難する渡辺信行(63)が3年前、畑を買って150本ほど植えた。

     渡辺は稲作農家の長男だが、大熊町のキウイ栽培のリーダーでもある。地元農家の収入を少しでも増やせたらと普及にも力を入れた。渡辺によれば、病害虫に強く、栽培コストも低い。熱意が実り、キウイは町の特産になった。農協の副部会長も務め、50歳で町議。農業振興に取り組んだ。

     しかし、2011年の原発事故ですべて失った。夫沢おっとざわ地区にある自宅と農地から原発までは、わずか約500メートル。避難指示区域の中で放射線量が最も高い帰還困難区域になった。

     いわきにはいま、町民の4割にあたる約4600人が避難する。みんなが集う場所をつくり、懐かしいキウイを味わう。やりたい人には栽培方法を教えたい。そんな思いを込めたキウイがこの夏、初めていわきで実をつけた。「スーパーでもこんな大きなものはないよ」。渡辺がほほ笑んだ。

            ◇

     中学卒業後、上京して10年ほど大工の修業をした。農業以外の収入を得るためだ。大熊に戻って28歳で独立。この頃、父から引き継いだ農地でキャベツやニンジンなどを栽培し、その後、当時は珍しかったキウイを育て始めた。

     1993年に設立した建築会社は、原発で働く東電関連企業の社員らの住宅建設を手がけて業績を伸ばした。ただ、町では、後継者がいない農地の荒廃が目立ち始めていた。「大熊の豊かな土地を生かして農業を盛り上げたい」。地元の後押しで町議になった。

     原発事故が起きたのは2期目の途中だ。町は全域が避難指示区域になり、役場は約100キロ離れた同県会津若松市に移った。渡辺も、妻勝枝(61)や長男智さとし(36)らと同市に避難した。

     議員として、復興に尽力するつもりだった。しかし、除染の方針など重要政策の大半は、国の都合で次々に決まっていく。議会は最後に了承するだけ。「国の言いなりか」とののしる町民もいた。無力感が募った。

     さらに、自宅と農地が中間貯蔵施設の建設予定地になった。放射線量を下げるため、各地で除染が進んでいる。それに伴い排出される大量の汚染土などを長期保管する施設だ。国は「福島の復興のためには必要不可欠」と訴えた。

     しかし、先祖から受け継いだ大切な土地を手放していいのか。2年前の夏、智に考えを聞いた。「俺は帰らない」。東電の関連会社で廃炉作業に携わる智は、いわき市での新しい暮らしになじみ始めていた。

     渡辺は決断した。「子供が帰りたいと思わない土地にしがみついても仕方がない」。町議会はその年の8月、施設建設に向けて、国が地権者と交渉することを認めた。渡辺は昨年、自分なりの区切りをつけるため、町議を引退した。

            ◇

     渡辺はいわきで古い空き店舗を買った。野菜の直売所も併設した喫茶店を来年オープンさせるためだ。大熊の住民たちが語り合える場所。もちろんキウイのスイーツを出す。この秋には初収穫、試食会も開く。いわきの土と水で育った実もきっとおいしいはずだ。

     大熊を捨てたと非難する人もいるが、渡辺はもう「避難住民のための新しい古里」をつくることしか考えていない。渡辺は7月、自宅と農地の計約2ヘクタールを国に売る契約を結んだ。(敬称略)
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160907-118-OYTPT50020

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  5. [震災5年 原発と福島]それぞれの決意<5>帰郷への思い ノート50冊
    2016年9月9日5時0分

     福島県双葉町の佐藤義国(88)は、東京電力福島第一原発事故で茨城県つくば市に避難してからも毎日、4000歩のウォーキングを欠かさない。腕立て伏せと腹筋運動は20回ずつ。心に浮かんだ言葉を1000文字、ノートに書き留める日課も始めた。心身の健康を人一倍気にかける。「生まれ育った双葉に戻って死にたい」からだ。

     自宅がある両竹もろたけ地区は避難指示解除準備区域にある。放射線量によって三つに分かれる避難指示区域の中で線量が最も低い。町の復興拠点として、国による除染も行われ、現在の線量は毎時約0・1マイクロ・シーベルト。福島市などと変わらない水準だ。木造2階の自宅は東日本大震災の津波で浸水したものの、大きな損傷はない。

     帰還条件は整っている。しかし、先が見えない。町全体を見ると佐藤のような世帯は少数なのだ。町域の96%は、線量が最も高い帰還困難区域。避難指示の解除も、インフラ復旧の時期も、具体的な見通しはほとんど示されていない。佐藤は約170キロ先の故郷を思い続ける。ノートは50冊以上になった。〈国策による二度の翻弄〉。佐藤はこの夏、そうつづった。

           ◇

     戦時中は父親の仕事の都合で、東京で暮らした。旧制中学時代の1945年、軍服を作る「被服本廠ほんしょう」での勤労動員中、空襲で建物が焼失し、目の前で大勢が焼け死んだ。そんな体験があっても、陸軍に志願した。殉じる覚悟を決めたというより、そうしなければならない空気があった。同年6月、福岡県の大刀洗飛行場に配属され、そのまま終戦を迎えた。17歳だった。

     戦後の暮らしは幸せだった。代々続く稲作農家。1・2ヘクタールの農地で太陽を浴び、米や白菜、大根などを育てた。知人の勧めでカイロプラクティックを習い、77年に近くの福島県富岡町で開業した。傘寿を超えても農業の傍ら施術を続けた。自宅の敷地内に場所を移した翌年、原発事故が起きた。

           ◇

     佐藤は妻文枝(83)とともに、長女雅子(59)が暮らす埼玉県川越市に避難した。2012年6月には、茨城県つくば市内の公務員住宅の団地に移った。避難者の受け入れ先になっていて、団地には同じ集落の住民も含めて120世帯以上が暮らした。しかし今、避難するのは57世帯。事故から5年半、故郷以外の場所で家を再建する人が増えている。

     「元気なうちに新しい家を探した方が……」。文枝は内心そう思う。埼玉で暮らす次女厚子(50)も老夫婦のために家を探そうとした。だが、佐藤の思いは揺るがない。「人生の締めくくりは双葉で」

     この夏、佐藤は文枝や娘と連れ立ち、自宅近くの墓で手を合わせた。先祖も、9年前に39歳で病死した三女尊子も、ここで眠る。死ぬ前に帰ってこられるのか。あと何度一時帰宅しなければならないのか。いずれ入る墓の前で、帰りたくても帰れない自宅の前で、そう問いかける。むろん答えが出たことはない。

     米寿を迎えた佐藤は、「時間との闘い」を自覚している。〈終焉しゅうえんは、ふる里で〉〈先祖が守ってきた土地を捨ててまで、他に住む気は無ない〉。ノートに望郷と覚悟の言葉が増えていく。佐藤は一時帰宅を繰り返す。帰還の日を信じ、家に風を入れ、庭の草をむしり続ける。(敬称略)
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160909-118-OYTPT50000

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  6. 原発事故後に甲状腺がんと診断の子ども支援 基金設立
    9月9日 17時27分

    福島第一原発の事故後の検査で甲状腺がんと診断され、治療を受ける子どもたちを経済的に支援しようと民間の基金が設立され、9日から寄付の呼びかけが始まりました。

    呼びかけを行ったのは「3・11甲状腺がん子ども基金」で、国会に設置された事故調査委員会の元委員の崎山比早子さんらが設立しました。

    原発事故後、福島県が38万人余りの子どもを対象に行った甲状腺検査では、173人が「がん」や「がんの疑い」と診断されています。
    基金によりますと、こうした患者の家庭の中には治療費のほか、病院に通院するための費用などで経済的に困窮し、孤立しているケースもあるということです。

    当面、給付の対象は甲状腺がんの手術を受けたか受ける予定の子どもで、1人当たり少なくても5万円以上の給付金を想定しているということです。基金では今後、年齢や地域の範囲など給付の対象を詳しく決めたうえで、ことし11月以降、申請を受け付けることにしています。

    当面、2000万円を目標に寄付を募っていて、崎山さんは「子どもたちは今後、進学や就職、結婚を控えるなかでがんの再発や転移など一生、治療と向き合わなければならない。経済面と精神面で継続的な支援態勢を作りたい」と訴えました。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160909/k10010678421000.html

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  7. 甲状腺がん、線量関連なし 福島医大、震災後4年間の有病率分析
    福島民友新聞 9月9日(金)8時49分配信

     福島医大の大平哲也疫学講座教授らの研究チームは8日、県民健康調査の1回目の甲状腺検査を2015(平成27)年6月までに受けた人の結果などを基に、外部被ばく線量の異なる3地域で小児甲状腺がんの見つかる割合を比べた結果、地域による違いは見られなかったとする調査結果を公表した。

     福島医大は、震災後4年間の検査では外部被ばく線量と甲状腺がんの発見に関連が見られないことから、今後も追跡調査を続ける方針だ。

     論文は国際的な医学学術誌「メディスン」の電子版に掲載された。研究チームは11年10月~15年6月に県民健康調査の甲状腺検査を受診した18歳以下の男女30万476人を調査。県内を〈1〉外部被ばく線量が5ミリシーベルト以上の人が1%以上いる地域〈2〉同1ミリシーベルト以下の人が99.9%以上の地域〈3〉それ以外の地域―の3グループに分け、外部被ばく線量と甲状腺がんの関連を分析した。

     最も線量が高い〈1〉のグループの甲状腺がんが見つかる割合(有病率)の値は10万人当たり48で、最も線量の低い〈2〉は同41、中間に当たる〈3〉は同36となり、線量との有意な関連性は見られなかった。また、世界保健機関(WHO)が内部被ばく線量の推計も含めて分類した地域の比較でも、大きな差は認められなかった。

     結果について県民健康調査検討委員会の星北斗座長は、福島民友新聞社の取材に「放射線の影響が見られないことを裏付ける一つの報告として、冷静に受け止めたい」と述べた。

     調査に当たった大平教授は「これまでも地域ごとの比較は行われていたが、被ばく線量による比較でも地域や個人差が見られなかったことに意義がある。今回の調査は最初の4年間に限ったものなので、今後も地域や個人の線量で甲状腺がんの発症に違いがないかどうかを調査していく必要がある」と述べた。
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160909-00010000-minyu-l07

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  8. 【原発事故】福島県小児科医会「甲状腺がん検査規模を縮小すべき。県民に健康不安が生じている」
    http://potato.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1472214753/

    【福島原発事故】甲状腺がんで全摘となった男性「測定器で測ることもなく地場産野菜を気にせず食してきた」
    http://potato.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1472103059/

    「甲状腺がん」
    http://www.2nn.jp/word/%E7%94%B2%E7%8A%B6%E8%85%BA%E3%81%8C%E3%82%93

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    1. 【社会】小児甲状腺がん131人 被曝影響「考えにくい」 福島
      http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1465218555/

      削除
    2. 「被曝 がん」
      http://www.2nn.jp/search/?q=%E8%A2%AB%E6%9B%9D+%E3%81%8C%E3%82%93&e=

      削除
    3. 【原発事故】小泉元首相「トモダチ作戦で米兵7人が白血病などで死亡、400人が被ばくで苦しんでいる」 米兵支援基金を立ち上げ
      http://potato.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1473339981/

      【社会】福島第一原発 作業員の白血病は被ばくによる労災と認定
      http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1471595795/

      「被ばく」
      http://www.2nn.jp/word/%E8%A2%AB%E3%81%B0%E3%81%8F

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  9. 津波で全70戸流失、福島・南相馬の集落解散へ
    2016年09月13日 15時49分

     東日本大震災の津波で54人が犠牲になった福島県南相馬市鹿島区の集落「南右田行政区」が来年3月末で解散する。

     市などによると、震災前は70戸370人が漁業や農業をしていたが、津波で70戸全てが流失、ほとんどの地域が住宅建築が制限される災害危険区域に指定されるなどし、行政区を維持できないと判断した。行政区の解散は2月の港行政区に続いて2例目。

     市によると、他の地域からも行政区の解散に関する相談が寄せられているという。南右田行政区は来春に向けて記念誌を作って歴史を残すほか、直前には解散式も行う予定だ。

     行政区長の農業、五賀和雄さん(75)は「さみしいが古里を忘れずに新天地で復興したい」と話す。内陸部に自宅を建てざるを得なかったが、先祖は相馬氏と一緒に現在の千葉県から移り住んだとの言い伝えがあるだけに感慨もひとしおだ。行政区で自宅を再建した人はごくわずかで、解散後は隣の北右田行政区に入る。

     南右田行政区は、真野川北側の河口付近に広がっている。行政区内には二つの神社があり、例大祭や盆踊りが行われてきた。近くの防風林の中で唯一、津波後も残った「かしまの一本松」があり、被災者の心のよりどころになってきた。

     だが、行政区が2014年12月に実施した全世帯アンケートでは「海の見えるところには住めない」などの回答が目立ち、大半が行政区の解散に賛成。以前は海岸近くにあった共同墓地を内陸に移すなどした。

     津波の影響などで一本松も立ち枯れが進んでいるが、近くに公園を造り、育てた苗木を植える構想も浮上しているという。一本松を守る会の会長も務める五賀さんは、「一本松は復興のシンボルなので引き継いでいきたい」と構想の実現を願っている。
    http://www.yomiuri.co.jp/national/20160913-OYT1T50002.html

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  10. [震災5年 原発と福島]それぞれの決意<6>亡き娘の家 守りたい
    2016年9月14日5時0分

     ここに来るたび、かわいい家だな、と吉田聖子(62)は思う。福島県富岡町小良ヶ浜おらがはま、海に近いオレンジ色の屋根。長女美紀が2007年につくった4部屋2階建ての小さな住宅だ。35歳で津波の犠牲になるあの日まで、母娘水入らずで過ごした特別な場所でもある。聖子は今も、ここで暮らしたいと願っている。ただ、東京電力福島第一原発事故に伴う帰還困難区域では、それは許されない。

          ◇

     美紀が21歳で東北郵政局(当時)に採用されたとき、聖子は心配でならなかった。初めての一人暮らしで、配属先は福島県大熊町。自宅がある二本松市など内陸の中通りに対し、浜通りと呼ばれる沿岸部はなじみが薄い。聖子は手料理や野菜を持って、娘のアパートに頻繁に通った。地元のガソリンスタンドに勤務する夫朝つとし(64)を残して泊まることも増えた。気づくと聖子は娘と暮らしていた。

     美紀が大熊町に隣接する富岡に一軒家を建てると言い出したのは、勤続10年になる頃だ。夏はしのぎやすく、冬は温暖な浜通りが気に入ったのだという。

     聖子は完成した新居にそのまま付いていった。美紀も自分が建てたその家で、母親と過ごす時間を大切にしてくれた。予定していた外食をやめて、家でご飯を済ませた時の美紀を、聖子は思い出す。「やっぱり家が一番いいね」。リビングで美紀は幸せそうだった。

     普通の母親より、娘に甘えていたかもしれない。聖子はいま、そう思う。まるで子供のように、美紀の後を追っていたと。美紀がたまらなく好きだったのだ。美紀はいつも、そんな母親を受け入れてくれた。

     「知り合いに、おかんに似てるって、また言われた」。11年3月11日の朝、美紀は笑って出勤していった。09年秋から勤務先は、海に近い浪江町の郵便局。その局舎を津波が襲った。美紀は行方不明になり、福島第一原発事故の後、家の周辺は避難指示区域になった。翌月、がれきの中から美紀の遺体が見つかった。

          ◇

     二本松に戻った聖子はその年の5月、集団での一時帰宅に加わった。防護服を着て、靴のまま家に入るよう指示された。カバーをかぶせたが、娘の家に土足で入るのがこたえた。その後も家に入るたび、悲しみがこみ上げた。何度も心の中で「おかんだけ生きちゃった」とわびた。美紀のことをほとんど語ろうとしない夫にはいらだちが募った。

     政府の規制が13年に緩和され、立ち入りがしやすくなると、聖子は浪江の郵便局跡で手を合わせ、富岡の家の窓を開け、掃除する回数が増えた。「娘の家を荒れさせるわけにいかない」と思うようになったのだ。

     切ない記憶が少しずつ変わっていった。残り物の食材で手際よく2人分の夕食を作る美紀。その日の出来事を報告し合い、旅行や食事の計画を練る2人。ふとした娘の表情に「私に似てきた」と気づいたこと。娘を近くに感じる。この家で暮らしたいと思った。

     夫も変わった。毎回、行き帰りの車を運転し、一緒に掃除をしてくれる。今年3月の命日には、草を刈る手を止めて突然、こう言いだした。「ここが住めるようになったら、俺も……」

     聖子はようやく気づいた。この人もまた、美紀がたまらなく好きだったのだと。帰還困難区域の除染が進み、避難指示が解除されるのはいつだろう。この家で夫婦がまな娘の夢を見る、ささやかな願いがかなう日は。(敬称略、おわり)

     (この連載は、福島支局 市原佳菜子、福元理央、稲村雄輝、編集委員 清水美明が担当しました)
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160914-118-OYTPT50021

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  11. [震災5年]来春小学生 娘は希望…福島・双葉町 3・11生まれ
    2016年9月11日5時0分

     東日本大震災から11日で5年半。未曽有の大災害が起きた3月11日に被災地で生まれた子供たちは、来春には小学生になるまでに育った。親たちは我が子の成長を心の支えに5年半を生き、その歩みに震災からの歳月を重ねている。

     東京電力福島第一原発から約4キロの福島県双葉町の病院で産声を上げた星山真弓さん(35)の長女、琉菜るなちゃん(5)もその一人。真弓さんは帝王切開手術の麻酔を受ける直前、激しい揺れに見舞われた。

     建物の外に逃げ、揺れが収まるのを待って手術室に戻った。午後6時49分に出産。第一原発が危ないと避難を促され、移った福島市の病院。窓から見上げた月の光は、とても温かく感じられた。「心を明るく照らす、この月のような子に」との願いを込め、ラテン語の月「LUNA(ルナ)」から名前をつけた。

     自宅は避難指示区域となった福島県富岡町。退院後は、県内の避難先を転々とした。建設会社に勤務する夫の晃一さん(37)は、火力発電所の復旧作業などで南相馬市を離れられず、二重生活を強いられた。週末には晃一さんが避難先のアパートに戻り、帰るときは決まって、琉菜ちゃんが「パパ、パパ」と泣いてすがった。その姿がかわいそうで、2013年夏、夫の元に移り住んだ。

     真弓さんは時折、原発事故で奪われた故郷・富岡での暮らしを思い浮かべて切なくなる。琉菜ちゃんを地元の夏祭りに連れていくこともできない。喪失感は今も拭えない。

     そんな日々の中、琉菜ちゃんは真弓さんら家族の心を照らす存在に育っている。一人で着替えて、自分の名前もひらがなで書けるようになった。将来の夢は看護師と言い出した。「みんなを助けてあげたいの」。真弓さんら夫婦にとって、その後生まれた長男の晴ちゃん(2)ときょうだい2人の成長は「希望そのもの」だ。

     琉菜ちゃんにはいずれ、震災と原発事故のことを詳しく伝える日が来る。しかし、悪いことばかりではなかったと話すつもりだ。地震の時、真弓さんのおなかをかばってくれた病院の職員、避難先でミルクやおむつを分けてくれたスーパーの店員のこと。「たくさんの人に助けられて、生まれてきたんだよ」と伝えたい。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160911-118-OYTPT50074

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  12. [震災5年]再生の歩み 仮設暮らし 解消道半ば
    2016年9月11日5時0分

     東日本大震災の復興が長期化する中、生活再建の進み具合の差が拡大しつつある。仮設住宅では、再建した自宅や災害公営住宅(復興住宅)などにようやく移れた被災者がいる一方、今なお退去できない住民が岩手、宮城、福島3県で約9万人いる。震災から5年半。被災者の希望の変化が、計画の見直し、遅れを招くという現実もある。被災地が抱える課題は、より複雑になってきた。

    再建遅れ「待つにも限界」

     岩手県大槌おおつち町大槌の仮設住宅に一人で暮らす阿部栄子さん(66)が、1年半前に完成した隣接地の戸建て13戸の復興住宅を見つめる。「最初はみんな同じだったのに、こんなに差がついてしまった……」

     自宅が津波で流され、仮設住宅に入ったのは2011年夏。ピーク時の46戸114人に対し、今は21戸50人。「人が減るのは復興が進む証し。だけど、取り残されている、という思いは強まっている」。膝が悪い阿部さんは、以前住んでいた、比較的利便性の良い町中心部の復興住宅を選んだが、完成は約2年後だ。

     隣の復興住宅で暮らす住民たちの心境も複雑だ。自宅が全壊し、町内の仮設住宅から移り住んだ男性(74)は「ようやく人並みの生活になった。仮設にいる人にも早く新しい家に移ってほしいが、自分には何もできない。正直、声をかけにくい」と打ち明けた。

     被害の大きかった大槌の復興は長期化している。町は赤浜地区に4団地(集団移転宅地70戸、復興住宅38戸)を計画したが、集団移転の希望者が減り、1団地の造成をやめた。計画を作り直したため、復興住宅建設の完了は1年8か月遅れの19年11月になった。

     移転希望者が完成を待てなくなる。造成地の設計を変更。その間にまた希望者が抜ける――。同地区で7月下旬に開かれた懇談会で、平野公三町長は住民約40人を前に、計画の遅れを陳謝した。「空きが出ると団地の集約や廃止をしなければ事業を進められない。負の連鎖に陥っている」

     赤浜地区では、商業地や宅地をつくる土地区画整理事業も遅れ気味だ。自宅再建を希望する浜田百明ももあきさん(47)は、今年初めと聞いていた土地の引き渡しが、17年度後半にずれ込んだ。建築資材などが高騰しており、業者は、さらに遅れたら見積もりをやり直すと言っている。浜田さんは「待つにも限界がある」と頭を抱えた。

              ◇

     宮城県石巻市の15年の調査では、市内の仮設住宅で暮らす3940世帯のうち約80世帯は、生活保護や年金などに頼る低所得者とみられる。自宅の解体を終えていないなど、復興住宅の入居要件を満たしていない世帯も200ほどに上る。

     国分あや子さん(85)は、住んでいた市内のアパートが津波で浸水して避難したが、修復は可能で、復興住宅の入居要件に当てはまらなかった。しかし、避難中に連絡がつかなかったとして大家が別の人を入居させてしまい、今も仮設住宅で暮らしている。

     高齢で身寄りがなくローンを組めない国分さんは「自分の力じゃどうにもならない。追い出されるまで残るか仮設で死ぬしかない」と嘆く。市は「最後の一人が仮設を出るまで支援する」として、10月から低所得者向けに市営住宅の家賃補助を始める。

     石巻専修大の山崎泰央教授は「経済的弱者を救うため、自治体は復興住宅への入居資格緩和を国と交渉するなど、制度の柔軟な運用を目指すべきだ。縦割りを排し、被災者に寄り添う姿勢が大事だ」と指摘する。

    空き室増加 集約が課題

     市町村間の差も顕著だ。仮設住宅の入居者が今秋ゼロになる予定の自治体から、ピーク時から約2割が減っただけのケースまで様々。そんな中、多くの自治体が、空き室が増えた仮設の集約という課題に直面している。借地を返却するためだけでなく、放置すると住環境の悪化といった問題が起きかねないからだ。

     ピーク時の8288人が3760人に減った宮城県気仙沼市は2018年3月までに、仮設の89団地を23団地に減らす。一部は市の費用負担で別の団地に移ってもらう予定。対象者にはお年寄りも多い。「転居者の要望を丁寧に聞きたい」と市の担当者。今月末にも21世帯が転居期限を迎える。岩手県大船渡市は、18年度までに36団地を3団地に集約する。移転対象住民は107人に上るという。

     東京電力福島第一原子力発電所の廃炉作業は、事故から5年半が経過し、大きな転換点を迎えつつある。汚染水対策の柱「凍土壁」の運用が大詰めの段階に入り、最大の難関となる溶融燃料取り出しの方針も1年後には決まる見通しだ。一方、処理済みの汚染水の取り扱いや、放射性廃棄物の保管場所についてはあまり議論が進んでおらず、課題も残っている。

    核燃料は…取り出し方 来夏に方針

    ■水で満たすか否か

     福島第一原発では、原子炉の冷却に必要な電源が失われ、運転中だった1~3号機で炉心の核燃料が溶け落ちた。炉内の構造物の金属と混じって圧力容器を貫通し、格納容器の底部のコンクリートに落ちたとみられる。取り出しでは、ロボットで溶融燃料の塊を砕き、運び出さなければならない。

     取り出し工法は大きくわけて2種類ある。原子炉を水で満たす「冠水工法」と、水で満たさず空気中で作業する「気中工法」だ。望ましいのは、1979年の米スリーマイル島原発事故でも実績がある冠水工法。燃料から出る高い放射線を水で遮断、ちりの飛散も防げるメリットがある。

     ただ、1、2号機は複数の水漏れ箇所があるとみられ、格納容器の底からの水位は1号機で2・5メートル、2号機は30センチしかない。廃炉ロボットの開発を統括する国際廃炉研究開発機構は、「全ての漏水箇所を確実に止水できるかどうか分からない」と話す。

     3号機は水漏れが少なく水位が6・3メートルあるため、冠水工法が適用できる可能性が比較的高いという。

    ■まず調査ロボット

     工法決定のカギとなるのが、調査ロボットによる溶融燃料の位置の特定だ。圧力容器を支える構造物には、作業員が通るための開口部が地下にある。溶融燃料がここから流れ出て広がっていると、冠水させて上から燃料を取り出すのは難しく、格納容器の横側からアプローチすることになる。

     コンピューター解析による推定や、原子炉を透過する宇宙線「ミュー粒子」を使った調査では、1~3号機とも核燃料は元の場所にないことがすでに確認されている。1号機は大部分の燃料が格納容器の底に落下したと推定される一方、2号機では、多くが圧力容器の下部にとどまっているとみられる。

    ■21年にも開始

     各号機のロボット調査の結果を踏まえて来年夏頃までに方針を固め、2018年度に具体的な方法を確定。21年中にも1~3号機のいずれかで溶融燃料の取り出し作業が始まる予定だ。

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    1. 汚染水対策は…凍土壁 効果検証へ

       福島第一原発では、原子炉建屋の地下にたまった高濃度の汚染水に、周囲から流れ込む地下水がまざって汚染水の総量が増え続けている。

       今年3月、建屋の周囲約1・5キロ・メートルの土壌を凍らせ、建屋に流れ込む地下水を抑える「凍土壁」の凍結作業が始まった。山側を含めた全面凍結には至っておらず、はっきりとした遮水効果はまだ確認されていない。東電は、凍りにくい場所にセメントを注入、地中の温度低下を促す補助工法を続けており、近く全面凍結に移行する考えだ。

       ただ、凍土壁の完成で汚染水が増加するペースにブレーキがかかったとしても、浄化装置で取り除けないトリチウム(三重水素)を含む処理水の問題は残る。処理水を捨てない限り、保管用のタンクの増設を続けなければならない。処理水を含めた汚染水の総量は約90万トンに達し、タンクが敷地を占拠して廃炉作業の妨げになっている。

       トリチウムは透過力の弱いベータ線しか出さず、半減期は約12・3年と比較的短い。国内外の原子力施設は、トリチウムを含む水を基準値まで薄め海に流している。経済産業省の作業部会は6月、トリチウムを含む処理水について「海洋放出が最も安上がりで、処理にかかる期間が最も短い」とする報告書をまとめたが、海洋放出の具体的なメドはたっていない。

      廃棄物は…がれき・防護服 プール140杯分

       福島県の内堀雅雄知事は8月29日、同原発周辺の市町村長とともに世耕経済産業相に面会し、取り出した溶融燃料は県外に運び出すよう申し入れた。世耕経産相は「最後まで責任をもって対応する」と述べるにとどまった。

       また、溶融燃料を取り出した後の建屋の取り扱いについて、政府や東電は「放射性廃棄物の処分の見通しをつけた上で解体に着手する」としているが、具体的な検討は進んでいない。

       東電は、がれきや防護服など、これまでに出た廃棄物の総量を約35万立方メートルと見積もる。五輪サイズのプール(2500立方メートル)で140杯分に相当する。可燃物の焼却施設を増強するなど体積を減らす予定だが、それでも2028年に約20万立方メートル(プール80杯分)の廃棄物が残る。当面は敷地内で管理することになっており、最終処分場所は未定だ。

       こうした試算には、原子炉建屋の本格解体で発生する大量の廃棄物などは含んでいない。

      環境汚染の低減 最優先 …原子力規制委 更田豊志 委員長代理

       福島第一原発の廃炉と、普通の原発の廃炉では、同じ廃炉といっても内容がずいぶん違う。車に例えれば、古くなった車の廃車をディーラーに依頼するのと、事故を起こしてぐちゃぐちゃになった車を片づけるのは全く別の話だ。福島第一で廃炉と呼んでいる作業は、事故処理の部分が多くを占める。

       我々の規制、監視の要素は三つある。最も重要なのは、これ以上環境を汚染することがないよう放射性物質を安定化させることだ。二つ目は、リスクが高いままにならないように作業を速やかに進めること。三つ目に事故状況の検証がある。

       高線量の溶融燃料は、全部取り出すべきではあるが、それにこだわって取り出し自体が遅れたり、周辺環境の汚染リスクが高まったりすることは望ましくない。「全て取り出す」という約束がなされているものの、原子炉内部の状況がよく分かっていない段階で、あまり先々のことに言及するのは技術的にはふさわしくない。

       溶融燃料を完全に取り出すのがどうしても難しい場合には、原子炉にコンクリートなどを入れていったん固め、残った燃料が外部に漏れないように一時的に安定化させるという選択もあり得るかもしれない。こうした手段を選択せざるを得ない場合は、政府や東京電力が地元に「最終処分ではない」ときちんと説明しないと前に進めなくなる。

       福島第一では、健康被害が起きるようなリスクは相当低くなっており、避難を要するような事故を起こす可能性も極めて低い。ただし、大量の高濃度汚染水が建屋の地下にたまるなど他の原発にないリスクがある。テーラーメイド(特注品)でやらなければいけない規制が多い。

       大量の放射性廃棄物をどのぐらいの期間、原発敷地内で管理し、その後どうやって処分するのか。今は急ぎでやらなくてはいけないことに追われているが、まだ本当に難しい時期には至っていないように思う。今後も、福島にとって何が良い廃炉なのかという議論を深めていかなくてはならない。

       科学部 江村泰山  デザイン部 佐久間友紀、三厨加代子
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160910-118-OYTPT50459

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  13. 仮設 なお9万人…震災5年半
    2016年9月11日5時0分

     東日本大震災から、11日で5年半となる。岩手、宮城、福島3県の仮設住宅の入居者は8月末現在、8万9172人(うちプレハブ仮設住宅4万5832人)。プレハブ仮設住宅に入居者がいる42市町村のうち19市町村は、空き室の目立つ仮設住宅の再編・集約を計画するが、被災地全域での仮設住宅の解消には、なお相当な時間がかかりそうだ。

     2012年3月には、3県で約12万人がプレハブ仮設住宅に入居していたが、徐々に減少。現在、空き室は2万4948戸で、空き室率は約53%に上る。

     集約計画があるのは岩手8市町村、宮城8市町、福島3市町村。宮城県石巻市は、132か所の仮設住宅団地を18年度までに19団地に集約する計画だ。自治会活動ができなくなる懸念もあり、集約でコミュニティーをつくり直す狙いもある。

     仮設住宅の解消時期の見通しが立たない自治体は、福島を中心に18市町村。災害公営住宅の整備が3県で計画戸数の64%にとどまり、かさ上げ工事による宅地造成も遅れているためだ。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160911-118-OYTPT50140

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  14. 甲状腺がん
    検査で新たに4人 福島県民健康調査検討委
    毎日新聞2016年9月14日 20時59分(最終更新 9月14日 20時59分)

     東京電力福島第1原発事故の影響を調べる福島県の「県民健康調査」検討委員会は14日、2014年4月から実施している2巡目の甲状腺検査で、今年6月までに新たに4人ががんと診断されたことを明らかにした。2巡目でがんと確定したのは計34人で、がんの疑いと診断された人を含めると計59人となる。

     甲状腺検査は、事故時に18歳以下だった約37万人を対象に11年から1巡目を実施し、2巡目からは、事故後1年間に生まれた子どもを加えた約38万人を対象に実施されている。

     県によると、1巡目を含め、がんやがんの疑いと診断された子どもの数は計174人になる。内訳は、がんが135人、がんの疑いが39人だった。

     甲状腺検査については、治療の必要のないがん細胞を見つけ、不安を与えているなどとする「過剰診断」の指摘があり、検討委では、検査体制のあり方を継続して議論することを確認した。【曽根田和久】
    http://mainichi.jp/articles/20160915/k00/00m/040/090000c

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  15. 県民に寄り添う対応を 健康調査、福島で検討委

     福島市で14日に開かれた県民健康調査検討委員会で、委員から今後の検査の在り方について長期的に事業を継続するとともに、より県民に寄り添った対応を求める声が上がった。

     清水一雄委員(日本医大名誉教授)は「被災者に寄り添った立場の対応をまず考えるべき。その上で検査で『必要なこと』『必要でないこと』を判断した方がよい」と述べた。堀川章仁委員(双葉郡医師会長)は甲状腺検査だけでなく、身体的、精神的見守りの必要性を指摘。「震災、原発事故から5年以上がたって生活状況が変わる中、ここで目を離すべきではない」と主張した。
     春日文子委員(国立環境研究所特任フェロー)は長期的な検査に理解を示した上で「検査などの長所、短所をできるだけ分かりやすく、丁寧に説明することが必要だ」と唱えた。今後の課題として高村昇委員(長崎大原爆後障害医療研究所教授)は受診率の低下を挙げた。「県外に転出した人たちを含め、検査しやすい態勢づくりが求められる」とした。
     清水修二委員(福島大経済経営学類特任教授)は「被ばくの影響の確認を求めるあまり、県民に痛手を与えてしまうのは(検査趣旨に反して)本末転倒になる」とし、検査目的と丁寧なケアの両立を求めた。

    ■県民受け止めさまざま
     保護者からは放射線への不安から検査継続を支持する意見が多く聞かれた一方、長期に及ぶ検査を負担に感じる声も出ている。
     二本松市に避難している浪江町の女性(43)は中学3年の長男と中学1年の長女が対象となっている。「検査で見つかったがんと原発事故には因果関係はないとされているようだが、正直、不安はある」と制度の継続を望んだ。飯舘村は県による検査の合間に独自に検査しているが、転出すれば受診できなくなる。中学1年と小学6年の娘2人を育てる会社員女性(37)は「県民なら誰でも受けられる検査を続けるべきだ」と訴えた。
     小学6年の長男の検査結果に異常はないという郡山市の公務員男性(46)は「変異する可能性もゼロではない。学校検診に盛り込むなど負担の軽い方法で続けてほしい」と求めた。
       ◇  ◇ 
     14日の検討委員会で県が示した「県民の声」からは検査を巡って県民の悩みの奥深さも浮かんだ。
     「いつまで検査を続けなければならないのか」「放射線の影響評価のために検査を受けさせているわけではない」「検査自体が負担」-。県や福島医大には現在も電話やメールで意見や要望が寄せられているという。
     長女(6つ)が検査を受けている福島市の主婦(32)は検査は必要としつつ、「結果の信ぴょう性を疑うこともある。検査の案内が届くたびに言い様のない気持ちになる」と複雑な胸の内を明かした。

    ■2巡目の子ども甲状腺検査 がん確定34人に
     東京電力福島第一原発事故を受け、平成26年4月に始まった2巡目の子どもの甲状腺検査(本格検査)で、6月末までに甲状腺がんと確定したのは34人となり、前回公表(3月末現在)から4人増えた。1巡目の先行検査と合わせると、がんと確定したのは135人となった。
     14日に福島市で開かれた県民健康調査検討委員会で県と福島医大が示した。
     本格検査のがんの疑いは25人で前回公表より2人減り、「確定」と「疑い」の合計は前回より2人多い59人となった。内訳は男性25人、女性34人で、2次検査時点の年齢は9歳から23歳だった。59人のうち、事故から4カ月間の外部被ばく線量が推計できた32人の最大線量は2・1ミリシーベルトで、1ミリシーベルト未満は12人だった。
     本格検査で血液や細胞などを詳しく調べる2次検査に進んだのは計2217人。26年度は15万9104人が1次検査を受診し、全体の0・8%の1303人が2次検査の対象となった。27年度の1次検査受診者は11万1274人で、0・8%に当たる914人が2次検査対象となった。
       ◇  ◇
     県は3巡目の甲状腺検査(本格検査)の1次検査の実施状況も示した。平成29年度分の検査も前倒しで28年5月から実施している。

    ■事故後4カ月の外部被ばく 1ミリシーベルト未満62.2%
     県は県民健康調査の基本調査で得られた原発事故後4カ月間の外部被ばく線量の推計結果を報告した。全体の62・2%に当たる28万8240人が1ミリシーベルト未満だった。
     各地方の合計人数に対する1ミリシーベルト未満の割合は県北が20・0%、県中が51・5%、県南が88・3%、会津が99・3%、南会津が99・3%、相双が77・3%、いわきが99・1%だった。推計結果には放射線業務従事経験者は含まれていない。

    (2016/09/15 12:15カテゴリー:福島第一原発事故)
    http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2016/09/post_14191.html

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    1. 甲状腺検査「維持」が大勢 県民健康調査委、今後の在り方議論

       県民健康調査検討委員会は14日、福島市で開かれ、東京電力福島第一原発事故の健康影響を調べる子どもの甲状腺検査の今後の在り方について、現在の規模を維持して継続すべきとの意見が大勢を占めた。検査結果のより詳細な分析などを踏まえて検査の枠組みの検討を続ける。子どもの健康管理に影響するだけに議論の行方が注目される。

       チェルノブイリ原発事故の場合、子どもの甲状腺がんの診断が事故発生から5年後以降に増えているデータを踏まえ、医師会、大学、研究機関の関係者で構成する委員から「少なくとも10年間は縮小すべきではない」と検査の規模を維持し、経過を注意深く分析するよう求める意見が相次いだ。
       長期間にわたる見守りの必要性も指摘された。放射線被ばくと甲状腺がんの関連を明らかにする当初の検査目的を踏まえ、「検査のデータの蓄積が中途半端になり、信頼度が低下するのは避けなければならない」として継続してデータを積み重ねる重要性を訴える声もあった。
       検査体制の改善を求める提言も多かった。東京電力福島第一原発事故当時に18歳以下だった県民が進学や就職などで県外に転出している状況を考慮し、「県外での受診希望者に対応する検査機関などを拡充するよう検討すべき」との指摘もあった。子どもたちの心身の負担や不安の軽減に向け、手術でなく経過観察でよい場合などの適切な助言や心理的なケアの充実を求める声も上がった。
       星北斗座長(県医師会副会長)は会議後の記者会見で、「無理やり検査を受けさせたり、検査を希望する人から機会を奪ったりする考えはない」とし、さまざまな要望を踏まえながら議論を深める考えを明らかにした。委員会は今後、専門部会による2巡目、3巡目の本格検査の分析結果などを基に検査の在り方を協議し、方針を固める見通し。
       検査の実施体制を巡る論議の背景にはチェルノブイリ原発事故後の状況を顧み、体制を維持すべきとの見解の一方で、一部の医療関係者から、必ずしも治療の必要がないがんを見つける「過剰診断」につながっているのではないかとの懸念の声がある。県小児科医会は8月、原発事故から5年がたち、「がん」または「がんの疑い」とされた子どもが複数確認された点に触れ、県民が不安を感じていると指摘。国内外での風評につながる可能性もあることから事業の見直しを含む再検討を県に求めた。甲状腺がんと診断された患者の家族でつくる「3・11甲状腺がん家族の会」は同月、対象年齢の拡大や受診しやすい環境の整備などを県に要望した。

      ※甲状腺検査 東京電力福島第一原発事故の影響を調べるため、県による県民健康調査の一環で平成23年10月に始まった。1巡目の先行検査は原発事故当時、18歳以下だった約37万人が対象で、2巡目以降の本格検査は事故後1年間に生まれた子どもを加えた約38万人が対象。それぞれ1次検査は超音波を使って甲状腺のしこりの大きさや形を調べ、程度の軽い方から「A1」「A2」「B」「C」と判定する。大きさが一定以上で「B」「C」とされれば、2次検査で血液や細胞などを詳しく調べる。

      (2016/09/15 12:16カテゴリー:福島第一原発事故)
      http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2016/09/post_14192.html

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  16. [震災5年]娘と3人 新居で再出発…東松島の夫婦 犠牲の長男 いつも「そばに」
    2016年9月15日15時0分

     東日本大震災で当時2歳の長男を失った宮城県東松島市の佐藤強さん(47)と美貴子さん(38)の夫妻が、長男の思い出の詰まった家を離れ、16日に新居に引っ越す。震災から5年半が過ぎ、震災後に生まれた長女の百華ももかちゃん(3)とともに、「今を生きていこう」と、新たな一歩を踏み出す。

     佐藤さん夫妻は今月初め、引っ越しの準備が進む借家の自宅で、亡くなった長男佑哉ちゃんの手や唇の跡が残るガラス窓を写真に収めた。身長88センチの小さな体で精いっぱい背伸びして、窓に手や顔をくっつけて遊んでいた姿が目に浮かぶ。

     その横で、百華ちゃんがガラス窓に手をくっつけて、おどけた表情を見せた。「もも(百華)も撮って」。きょうだいの手形が重なり、夫妻は目を細めた。

     2011年3月11日の朝、美貴子さんは仕事に出かける前、市内の実家に佑哉ちゃんを預けた。だだをこねながらも手を振ってくれた。それが最後の姿。午後、美貴子さんの両親、兄とともに津波にのまれた。自宅からはミニカーで遊ぶ佑哉ちゃんの姿は消え、黒い仏壇が置かれた。

     翌年、百華ちゃんが生まれた。おとなしい兄とは正反対で、やんちゃでおしゃべり。でも、指しゃぶりの癖は同じだった。自然と面影を重ね、いつしか百華ちゃんの成長が何よりの楽しみになった。

     昨夏、百華ちゃんは兄の年齢を超えた。言葉を覚え、兄よりもできることが増えた。百華ちゃんのためにマイホームに移ろうか――。佑哉ちゃんの思い出が残る借家を離れることに罪悪感もあったが、近所に一軒家を購入した。

     「新しいおうち行くよ」。百華ちゃんが仏壇の兄に話しかけた。美貴子さんが「お兄ちゃん、何て言ってた」と尋ねると、答えた。「いいよーだって」。そんな何げない言葉に何度も救われてきた。

     「佑哉がそばにいると思えるようになった。百華のおかげで私たちは前に進めているのかな」と美貴子さん。新しい家には、佑哉ちゃんがお気に入りだったおもちゃや服を置いた部屋を作るつもりだ。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160915-118-OYTPT50262

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  17. [震災5年]原発避難 あの日のまま
    2016年9月18日5時0分

    手つかずの施設 双葉町など調査

     東京電力福島第一原発事故で放射線量が最も高い帰還困難区域となった福島県双葉町長塚地区で17日、事故後5年半以上も手つかずのままだった総合保健福祉施設「ヘルスケアーふたば」を対象とした、町と筑波大による共同調査が行われた。災害直後の様子を記録するのが目的で、町は「何が起きたか後世に伝える責務がある」としている。

     町によると、施設は鉄筋2階建て。2011年3月11日の東日本大震災の発生直後、住民らの避難所として数百人が避難したが、翌12日に第一原発が水素爆発し、全員が退避。その後、手つかずになっていた。

     調査には町教育委員会の職員や大学関係者ら10人が参加した。施設の玄関には避難ルートを赤く書き込んだ地図が貼り出され、ロビーには避難者の氏名を手書きした紙が残されていた。調理室では炊き出しに使った食器類が散乱しており、参加者は施設の様子を次々に写真に収めていた。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160918-118-OYTPT50093

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  18. 社説
    帰還困難区域 住民の意向に沿った再生を
    2016年9月20日6時2分

     帰還を望む住民の心情に配慮し、復興後の街の具体的な姿を早期に示すことが肝要だ。

     東京電力福島第一原子力発電所事故による「帰還困難区域」について、政府は優先地域を決めて、来年度から除染を本格的に行う方針を示した。

     年間の被曝ひばく線量が2012年3月時点で50ミリ・シーベルト超だった帰還困難区域は依然、立ち入りが厳しく制限されている。この区域の帰還方針が示されたのは初めてだ。

     区域は、大熊、双葉、浪江各町など、福島第一原発周辺の7市町村にまたがる。

     今回の方針の特徴は、役場や駅を中心とした「復興拠点」を設定し、そのエリアに限った整備計画を策定することだ。政府は除染と同時に、道路などインフラの整備も進める。22年をめどに避難指示を解除し、帰還を可能にする。

     帰還困難区域全体の除染には巨額の費用を要する。効率性の観点から、対象地域を絞って作業を進めるのは、適切な措置だ。

     線量が比較的少ない居住制限区域、避難指示解除準備区域では、既に5市町村で避難指示が解除された。他の4町村でも、来春の解除を目標に、避難住民の長期宿泊などが行われている。

     だが、解除された地域では、住民の帰還が思うように進んでいない。昨秋に解除され、帰還のモデルケースとされる楢葉町でも、戻った住民は1割程度だ。

     医療機関や商業施設といった生活基盤の整備が十分ではない。それが、避難住民が帰還に二の足を踏む主な要因だろう。若い世代には、戻ってからの雇用や子供の教育に関する不安も大きい。

     帰還困難区域の場合、戻れるにしても、6年先のことだ。生活設計を立てるのは難しい。

     現時点で、復興拠点の場所や整備の内容などは未定だ。避難住民の帰りたいという願いに応えるよう、ふるさとの姿を早期に示すことが大切である。

     帰還を諦め、県内外で生活を立て直している避難住民も多い。復興庁による昨年の調査では、「戻りたい」と答えた住民は、原発がある大熊、双葉両町でそれぞれ11%、13%にとどまった。

     故郷がどのような形で再生すれば、帰還を考慮するのか。各市町村は、避難住民の要望をきめ細かくすくい上げ、整備計画に反映させてもらいたい。

     福島の復興が進む中、帰還困難区域が「取り残された地域」とならないよう、政府は引き続き、支援に全力を挙げる必要がある。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20160919-118-OYT1T50081

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  19. 福島 ダム底に高濃度セシウム - 2016/9/25
    http://news.yahoo.co.jp/pickup/6215574

    <高濃度セシウム>福島第1周辺のダム底に堆積
    毎日新聞 9月25日(日)9時0分配信

     ◇10カ所で8000ベクレル超

     東京電力福島第1原発周辺の飲料用や農業用の大規模ダムの底に、森林から川を伝って流入した放射性セシウムが濃縮され、高濃度でたまり続けていることが環境省の調査で分かった。50キロ圏内の10カ所のダムで指定廃棄物となる基準(1キロ当たり8000ベクレル超)を超えている。ダムの水の放射線量は人の健康に影響を与えるレベルではないとして、同省は除染せずに監視を続ける方針だが、専門家は「将来のリスクに備えて対策を検討すべきだ」と指摘する。

    【図解】ダムにたまったセシウムのイメージ
    http://mainichi.jp/graphs/20160925/hrc/00m/040/001000g/1

     ◇貯水線量、飲料基準下回る

     同省は原発事故半年後の2011年9月、除染されない森林からの放射性物質の移動を把握するためダムや下流の河川などのモニタリング調査を開始。岩手から東京までの9都県のダム73カ所で1カ所ずつ数カ月に1回程度、観測している。

     このうち底土表層濃度の11~15年度の平均値が指定廃棄物の基準を超えるダムは、いずれも福島県内の10カ所で、高い順に岩部(がんべ)ダム(飯舘村)1キロ当たり6万4439ベクレル▽横川ダム(南相馬市)同2万7533ベクレル▽真野ダム(飯舘村)同2万6859ベクレル--など。ただ、表層の水は各ダムとも1リットル当たり1~2ベクレルで、飲料水基準の同10ベクレルを下回る。

     同省の調査ではダム底に堆積(たいせき)したセシウム総量は不明だが、10ダムのうち福島県浪江町の農業用「大柿ダム」で、農林水産省東北農政局が13年12月、総量を独自調査。ダム底の110カ所から抜き取った堆積土の数値をもとに10メートル四方ごとの堆積量を試算。セシウム134と137の総量は推定値で約8兆ベクレルになった。

     国立環境研究所(茨城県つくば市)は近く、複数のダムで本格調査に乗り出す。環境省は「ダムに閉じ込めておくのが現時点の最善策。しゅんせつすれば巻き上がって下流を汚染する恐れがある」としている。【田原翔一、栗田慎一】

    【関連記事】
    【地図と表】高濃度の放射性セシウムがたまっている福島県内の大規模ダム
    <国「放置が最善」/地元「決壊したらどうする」>
    <原発「危なそう」のワナ>「安全」な近県に風評被害
    <今も続くセシウム検査>食品汚染、基準超えは0.1%
    原発事故でよく聞くベクレルって何?

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160925-00000011-mai-soci

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    1. 茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉などの湖沼の底の泥の中も…

      そして大河川の下流や河口域…

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    2. 説明します
      「ダム底 高濃度セシウム」4日朝刊の訂正について

      毎日新聞2016年10月6日 東京朝刊

       9月25日朝刊「ダム底 高濃度セシウム」の1面と3面の記事について、4日朝刊1面に訂正文を掲載しましたが、不十分な点がありましたので改めて説明します。

       この記事は環境省の調査をもとに、東京電力福島第1原発の周辺にある10のダムの底に、放射性セシウム濃度が1キロ当たり8000ベクレルを超える土がたまり続けている問題点を指摘しました。その上で、表層の水の濃度は国の飲用水基準(1リットル当たり10ベクレル)を大きく下回る現状を伝えました。

       その中で、表層水の濃度を「1リットル当たり1〜2ベクレル」、3面の図で2015年11月16日採取の大柿ダムの表層水を「1リットル当たり1.63ベクレル」としたのは誤りでした。記事や図の数値は、同省調査のセシウム134と137の濃度の検出下限値(測定器で検出できる下限の値)を誤って足したものでした。実際の調査結果は不検出(検出下限値未満)でした。

       検出下限値の意味を十分に理解しないまま同省のデータを引用し、社内のチェックも不十分でした。今後は事実関係の確認を徹底します。
      http://mainichi.jp/articles/20161006/ddm/012/040/042000c

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    3. さすがおカルト精強新聞の輪転機屋さんの所業だな…

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  20. 除染対象地域外の汚泥 国が費用負担し撤去へ
    9月30日 15時23分

    政府は、東京電力福島第一原子力発電所の事故による放射性物質で汚染された福島県内の側溝の土砂や汚泥について、空気中の放射線量が国の基準を下回り除染の対象となっていない地域でも、費用の全額を国が負担して撤去を進める方針を固めました。

    東京電力福島第一原子力発電所の事故による放射性物質で汚染された福島県内の側溝の土砂や汚泥について、空気中の放射線量が国の基準を下回り除染の対象となっていない地域では、国の費用負担がないことから撤去が進んでいません。
    これを受けて政府は、除染の対象から外れた地域でも、費用の全額を国が負担して撤去を進める方針を固めました。
    政府は今後、対応が必要な地域を把握したうえで、市町村と連携して速やかに土砂の撤去に着手することにしていて、費用は、被災した福島県内の自治体などを財政的に支援するための福島再生加速化交付金などから充てるとしています。
    これについて、今村復興大臣は閣議のあと記者団に対し、「基準値という線引きがあって、こんにちまできたが、とにかく、一回きれいにしようということで踏み切った」と述べました。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160930/k10010712881000.html

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    1. NHKニュース「福島第一」
      http://www3.nhk.or.jp/news/word/0000020.html

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  21. 楢葉の海岸で「高線量の破片」発見 福島第1原発事故で飛散か
    2016年10月01日 09時12分 福島民友ニュース

     東京電力は30日、楢葉町の井出川河口付近で表面放射線量の高いスポンジ状の破片2個が発見されたと発表した。東電は福島第1原発事故で飛散した物質である可能性も含め、破片を調査する。

     東電によると、環境省の依頼を受け、9月27日に海岸の復旧工事現場の空間線量率を測定していたところ線量の高い汚染物質を発見した。同28日に回収し、周辺を測定中にもう一つ汚染物質が見つかった。どちらも長さ2センチ、幅1.2センチ、厚さ0.5センチ程度で、線量は毎時15~20マイクロシーベルト。東電はスポンジか発泡スチロールとみている。

     楢葉町の井出川河口付近では2013(平成25)年にも高線量の放射性物質が発見されている。
    http://www.minyu-net.com/news/news/FM20161001-116008.php

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    1. 楢葉・木戸川で「サケ漁」始まる 来春1000万匹放流へ採卵
      2016年10月16日 10時01分

       原発事故による避難指示解除を受け、昨秋からサケ漁が再開された楢葉町の木戸川で15日、今年の漁が始まった。木戸川漁協の関係者が川幅いっぱいに網を張り、遡上(そじょう)するサケを川上から追い込む伝統の「合わせ網漁」に取り組み、約200匹を水揚げ。サケが勢いよく跳ね回ると「秋の風物詩が戻ってきた」と、漁師や見守った住民に笑顔が広がった。

       本州有数のサケの遡上地とされる木戸川には震災前約7万匹が遡上していた。サケは4~5年で川に戻るが、震災後は人工的にふ化したサケの稚魚を放流できず、昨年の漁獲量は約8500匹にとどまった。

       漁は11月中旬まで続く見込み。漁獲したサケの大半は採卵用とする。同漁協は津波被害から復旧したふ化場で稚魚を育て、来春に1000万匹の放流を目指す。

       松本秀夫組合長は「震災前のようにサケでいっぱいの川を取り戻すには時間がかかるが、頑張ってふ化させ、順調に稚魚を放流していきたい」と意気込んだ。
      http://www.minyu-net.com/news/news/FM20161016-119717.php

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    2. じきに年寄りの趣味みたいなものになる…

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  22. ワシントンで福島県の特産品PR
    10月18日 13時52分

    アメリカを訪れている福島県の内堀知事は、首都ワシントンで、復興への取り組みについて説明したあと、アメリカ政府の関係者などに福島県特産の日本酒やそばをふるまい、海外での消費拡大に向けてPRに努めました。

    福島県の内堀知事は、東京電力福島第一原子力発電所の事故のあとに広がった特産品への風評被害を払拭(ふっしょく)し、海外でも消費の拡大を図ろうと、16日から5日間の日程でアメリカを訪れています。
    17日はワシントンにあるシンクタンクのCSIS=戦略国際問題研究所で講演会を開き、アメリカ政府の関係者などおよそ100人が参加しました。
    講演会で内堀知事は、福島県では除染が進んで避難区域が狭まっていることや、福島県の農産物についてことし行われた放射性物質の検査で基準値を超えるものはほとんど出ていないことなどを説明しました。
    このあと日本の大使公邸でレセプションが開かれ、冒頭、アメリカ国務省で東アジア政策を担当するラッセル次官補が「福島の人々の復興と日米両国の友情に乾杯しましょう」とあいさつしました。
    そして福島県産の日本酒や打ちたてのそばなどがふるまわれ、内堀知事はラッセル次官補らと談笑しながら、特産品の消費拡大に向けてPRに努めていました。
    参加したアメリカ政府の関係者の1人は「復興の現状について貴重な話を聞くことができました。福島県の農産物がアメリカでもっと受け入れられたらよいと思います」と話していました。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161018/k10010733681000.html

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    1. 国連で福島復興アピール
      内堀知事「足を運んで」
      2016/10/20 07:07

       【ニューヨーク共同】福島県の内堀雅雄知事は19日、ニューヨークの国連本部で東日本大震災からの復興に関するセミナーに参加した。東京電力福島第1原発事故の風評で同県を訪問する外国人観光客数が事故前の5割程度にとどまっていることに触れ「もっと足を運んでください」と国際社会に呼び掛けた。

       内堀氏は原発事故の風評によって「多くの人は福島には人が住めないと言っているがそれは事実ではない」と指摘した。避難指示区域は福島県の5%の地域だけで、95%の地域では震災前と同様の日常生活に戻っていると強調した。
      http://this.kiji.is/161596811381014532

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    2. 福島県産の日本酒売り込み NYで商談会
      10月20日 13時18分

      東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響による風評被害を払拭(ふっしょく)し、福島県産の日本酒の輸出を増やそうと、県内のメーカーがアメリカ・ニューヨークで商談会を開きました。

      ニューヨークのホテルで19日開かれた商談会には、福島県内の日本酒メーカー9社が参加しました。各社は、純米大吟醸など自慢の商品をニューヨークのレストランや酒の販売店の関係者などにふるまい、熱心に売り込んでいました。

      このあと、ニューヨーク市の幹部も出席してレセプションが開かれ、福島県の内堀知事は「皆さんの支援のおかげで県民に明るい笑顔が戻ってきた。風評被害で日本酒の売り上げが下がっても、力を合わせて高い評価を受けている」とあいさつしました。

      福島県からアメリカへの日本酒の輸出額は、ピーク時の平成21年度に年間3億円を超えましたが、原発事故の影響による風評被害で停滞し、昨年度は1億円を下回っています。

      商談会に参加した日本食レストランで働くアメリカ人の男性は「福島にこんなにユニークな酒があることは知りませんでした。輸出に向けてこうした機会を設けることは大事だと思います」と話していました。
      また、福島県酒造組合の新城猪之吉会長は「すでに多くのメーカーが輸出していて競争は厳しいですが、受け皿は大きいので、ぜひアメリカで福島の酒を飲んでもらいたいです」と話していました。
      http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161020/k10010736161000.html

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  23. 福島 川俣町の避難指示 来年3月末にすべて解除へ
    10月28日 12時29分

    政府は、東京電力福島第一原子力発電所の事故で福島県川俣町の一部に出されていた避難指示を、来年3月末に解除することを決めました。

    福島県川俣町は、南部の山木屋地区が「居住制限区域」と「避難指示解除準備区域」に指定されていて、現在、およそ550世帯に避難指示が出されています。

    政府は28日、原子力災害対策本部の会議を持ち回りで開き、川俣町の避難指示について、電気やガスが復旧し、医療・介護サービスの再開のめども立ったことなどから、来年3月31日に解除することを決めました。

    これで、川俣町に出されていた避難指示はすべて解除されることになります。

    町は当初、ことし8月末ごろの避難指示の解除を目指すとしていましたが、生活環境が整うまで待つべきだという住民の意向を受けて、来年3月末の解除を国に求めていました。

    原子力災害対策本部の副本部長を務める世耕経済産業大臣は、閣議のあとの会見で「避難指示の解除はあくまで復興に向けたスタートで、解除後も政府一丸となって川俣町の復興に取り組んでいきたい」と述べました。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161028/k10010747801000.html

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    1. もうとっくに「コミュニティ」が崩壊してしまってる。

      「避難指示」解除したところで、それはもう元に戻らない…

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  24. 洗車浄化槽に放射性汚泥、福島
    県内の自動車整備工場 
    2016/11/6 02:00

     福島県内の自動車整備工場にある洗車用の汚水浄化槽に汚泥がたまり、一部で国の指定廃棄物基準(1キログラム当たり8千ベクレル超)を7倍上回る最大5万7400ベクレルの放射性物質を検出していたことが5日、業界3団体への取材で分かった。東京電力福島第1原発事故当初に車に付着した物質とみられる。整備工場は県内に約1700カ所あり、「洗車汚泥」は団体側の推計で数千トン。国や東電は事故後5年半にわたって対策を先送り。住宅や公共施設に比べ遅れがちだった産業施設への除染対策が早急に求められる。

     団体側は、独自の中間処理場新設計画案をまとめ、環境省などと協議を急いでいる。
    http://this.kiji.is/167680157693052411

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  25. 台湾 原発事故後の食品輸入緩和で公聴会混乱
    11月13日 20時22分

    台湾の当局は、東京電力福島第一原子力発電所の事故のあと続けている日本の5つの県からの食品の輸入規制を緩和する方針を明らかにしたことを受けて、公聴会を開きましたが、反対する人たちが会の無効を訴えて騒然となるなど混乱が続きました。

    台湾は、福島第一原発の事故のあと、福島、茨城、千葉、栃木、群馬の5つの県で生産された食品の輸入を停止していますが、民進党政権は今月7日、福島以外の4つの県からの食品は一部を除いて輸入を認めるなど、段階的に規制を緩和する方針を明らかにしました。

    これを受けて当局は12日から3日間の日程で合わせて10か所で公聴会を開くことを決め、このうち13日に北部の新北市で開かれた公聴会にはおよそ100人が集まりました。

    最初に当局の担当者が規制緩和の内容や食品の安全性を確認する仕組みについて説明しようとしたところ、反対する地元の議員などが会の無効を訴えて説明を遮り、ほかの参加者との間で怒号が飛び交うなど騒然としました。その後も、食品の安全に対する影響への懸念や、公聴会を開く期間が短すぎるなど批判的な意見が相次ぎ、一部の参加者が担当者に詰め寄ってやり取りが断続的に中断するなど混乱が続きました。

    台湾の当局は、各地の公聴会で出た意見を参考に、緩和の具体的な時期などについて慎重に検討すると見られますが、参加した40代の男性は「健康に関わる問題なので慌てて決めないでほしい」と話していました。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161113/k10010767491000.html

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  26. 11月26日 よみうり寸評
    2016年11月26日15時0分

     福島県の復興を世界に知ってもらう施設にしたい。原子力発電所の事故までサッカーの殿堂だった「Jヴィレッジ」のことだ◆東京ドーム10個分の広さで現場まで約20キロ・メートル。事故対応や廃炉作業の拠点として東京電力が利用してきた。最高品質のグラウンドの芝生は土砂で覆われ駐車場となった。資材も積み上げられた◆サッカー好きなら一度は駆けてみたいあこがれの場が失われた。1997年の開設以来、年間約50万人、延べ約680万人が訪れた輝きは今ない◆このまま終わらせまいと2020年東京五輪・パラリンピックを目指してJヴィレッジを復活・新生させる計画が動き始めた◆既に事故対応の拠点は原発敷地内に移った。芝生再生へ予備工事も進む。震災前に勝るトレーニング施設や宿泊所を造り、日本代表の強化や各種競技の合宿などに使ってもらうのが目標だ◆18年に部分的に再開し、19年にフル稼働させる計画で、福島県が一部費用の寄付を呼びかけている。1口2000円。復興のサポーター来たれ。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20161126-118-OYTPT50307

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  27. 原発事故以降に甲状腺がん 子どもに民間基金が支援
    11月28日 13時00分

    東京電力福島第一原子力発電所の事故のあと、甲状腺がんと診断され治療を受ける子どもたちに、民間の基金が療養費として1人当たり10万円を支援することを決めました。

    支援を行うのは民間の基金「3・11甲状腺がん子ども基金」で、28日都内で記者会見して明らかにしました。

    対象となるのは原則、福島県など東日本の15の都県に住み、原発事故以降、甲状腺がんやがんの疑いと診断された25歳以下の人です。

    福島県は原発事故当時、18歳以下だったおよそ38万人を対象に検査を行い、県内だけでこれまでにがんやがんの疑いと診断された人は175人に上っています。基金では治療や手術を受ける家庭を経済的に支援しようと寄付を募り、およそ2000万円を集めたということで、1人当たり10万円の支援を来月にも始め、今年度いっぱい申請を受け付けるということです。

    基金の崎山比早子代表理事は「がんのリスクはずっと消えないため、経済的な支援だけでなく、精神的な支えにもなるよう考えているので、一人で悩まず連絡して欲しい」と話しています。

    申請や寄付などの問い合わせは「3・11甲状腺がん子ども基金」
    電話番号:0120-966-544。
    ホームページ:http://www.311kikin.org
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161128/k10010786731000.html

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  28. [原発と福島]つながりの糸<1>火祭り復活 期待の声重く
    2016年11月29日5時0分

     人が消え、いったん機能を止めた町を再起させる。東京電力福島第一原発事故後の福島は、誰も経験したことがない難題に直面している。「原発と福島」第33部は、住民と故郷の町をつなぐ糸をたどる。

     福島県富岡町の西部に位置する麓山はやま神社。氏子の青年会長を務める佐藤智之(32)は、避難先の同県郡山市から駆けつけた。地元出身で青年会の先輩でもある町長の宮本皓一(69)があいさつに立つ。「来年8月には火祭りを復活させたい」

     燃えるたいまつを担ぎ、男衆が夏の夜の山道を駆け上がる「麓山の火祭り」が途絶えて6年。舞台となる神社周辺は、原発事故による居住制限区域になっているが、町は来春の解除を目指す。地震で壊れた境内もようやく修復が進み、この秋、関係者約100人を集めて式典が開かれたのだ。佐藤は宮本に声をかけられた。「来年、頼むからな」。佐藤はあいまいに受け答え、心の中でつぶやいた。「そう簡単じゃないんだよ、町長」



     「せんどう、せんどう」の掛け声は「千灯」の意。たいまつは大きいものだと重さ40キロに達する。担ぎ手は子供から大人までみな上半身は裸。半時間かけ、神社と麓山の山頂を往復すると、飛び散る火の粉でやけどしている。400年以上の歴史があると伝わる県重要無形民俗文化財だ。

     先輩に誘われ、19歳で青年会に入った。夏が近づくたび、憂鬱ゆううつになった。たいまつに使う松の木を切り、乾かす作業が始まるのは6月頃。灯籠の張り替え、寄付金集め、祭りの後に披露するおはやしの練習もある。仕事を優先しようものなら「なんで来ねえ」と詰問される。家族サービスもできなかった。

     それでも8月15日当日は最高の気分を味わえた。境内に戻ると、観客の歓声や拍手に包まれる。2008年に授かった長男一護いちご(8)も境内に連れてきた。「いつかはこの子も」。疑うこともなく、そう思った。

            ◇

     青年会長に就くことが決まっていた11年の春、原発事故が起きた。町全域に避難指示が出て、妻明子(34)と一護を連れて逃げた。配送会社の仕事を失った。郡山市の借り上げアパートに落ち着き、市内のガス会社に就職できた。

     翌春には町から、避難先のイベントで火祭りを披露してもらえないかと依頼があった。10人ほどの青年会はばらばらになっていたが、佐藤が呼びかけると、その年の夏、大半のメンバーが会場に駆けつけた。祭りを復活させられる気がした。その夜、佐藤たちは楽しく飲み明かした。

     しかし、4年後、神社修復を祝う集まりに来たのは半数。電気工事や運送の仕事をしているメンバーは、休日は休みを取りにくいと言った。「用事がある」と言葉を濁す者もいた。佐藤は不満をぶつけた。「汗をかいてくれている人がいる。どんなに大切な用か知らねえが、たった一日も空けられねえのか」

     ただ、自分の立場も微妙だ。避難指示が解除されても、町に戻る予定の青年会員は佐藤を含めて一人もいない。昨夏には郡山市に家を建てた。一護は市内の小学校に通い、長女由依(1)も生まれた。「富岡に帰ることはない」。それが佐藤の現実なのだ。

     帰還する者がいない青年会に、祭りを復活させる力なんてあるのか。地元で暮らしていない者が仕切る祭りに、どんな意味があるのだろうか。

     一護に町の記憶はない。火祭りを「パパの祭り」と呼ぶのは、単に写真を見せて教えたからだ。郡山になじみ、家でゲームばかりしている。「パパが小さい時は外で……」。声を荒らげながらも、この子がたいまつを担ぐ姿を、佐藤はもう想像できない。(敬称略)
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20161129-118-OYTPT50037

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    1. [原発と福島]つながりの糸<2>失われる方言 後世に
      2016年12月2日5時0分

       うつむきがちで、よそよそしかった吉田スイ(82)の表情が朗らかになっていく。数分前とは別人のようだと小林初夫(56)は思った。先月下旬、福島市にある仮設住宅団地の集会所。2011年の東京電力福島第一原発事故の避難住民が暮らす。

       吉田は福島県浪江町から避難、2年前に84歳の夫を亡くし、いまは一人暮らしだ。原発事故後の福島の方言を調査する小学校教諭の小林が、自作した相馬・双葉地方の方言事例を基に意味や用法を質問すると、吉田はうれしそうに反応した。

       「浪江では、しっぱね、って言いましたか」「言ったな」「どんなふうに」「雪とげできたから、しっぱね(泥はね)上がっと」

       「でんぐるは?」「んだ使ったぁ。でんぐって(転んで)いだぐしたとか」

       「ぽーぽいは?」「焼き芋とかをよ、ぽーぽい(温かい)うぢに食えって」

       吉田は65事例すべてに答え、故郷の思い出も語り始める。2人のやり取りを聞いていた住民がしきりに感心する。同じ地元でも20歳違うとこうはいかない。「土地の言葉だで。知ってて当たりめぇ」。吉田は恥ずかしそうに手で顔を隠すしぐさをした。「言っても、こっちの人はわかんねぇ。でも、土地の言葉を使うと、自分らしぐいられる」

             ◇

       小林も避難者の一人だ。自宅は南相馬市。福島第一原発から20キロ圏内の避難指示区域にあり、同居する両親や妻を連れて、福島市の仮設住宅に逃れた。

       父照雄(82)の異変に気づいたのは、数か月たった頃だ。話し好きで明るい性格なのに、どこかおかしい。精を出す田畑もない。米も野菜も買うもの。水道水も例外ではない。すべて勝手が違う。しかし理由はそれだけではなかった。

       「いらっしゃいませ。こんにちは」。声をかけられるから、あいさつを返すと、店員はけげんそうな顔をする。気兼ねなく話す相手がいない。部屋でテレビを見る機会が増え、めっきり口数が減った。気落ちする父の様子を見るたび、小林の心も沈んだ。父と似て、避難先に溶け込めないお年寄りが多いことも知った。

       学生時代から方言の研究を続ける小林が、仮設住宅や借り上げ住宅を訪ね、土地の言葉を聞き取る活動を始めたのは、そんな現実を目の当たりにしたからだ。避難者の居場所を探し、休みを利用して会いに行く。県内各地、東京、大阪、京都にも足を運んだ。調査した住民は70人を超えた。

             ◇

       方言の問題は、子供たちが置かれた環境の問題でもある。「方言を知っていると豊かな表現ができる。昔のもの、古いものを大事にしてもらいたい」。調査で録音した避難者の肉声を、児童たちに聴かせてみたい。小林はそんなことを考えている。故郷を逃れた家族が散り散りになり、子供たちが土地の言葉からも遠ざかりつつあるからだ。

       小林は、勤務する福島市の小学校で、授業の合間に質問をしたことがある。「友達を遊びに誘うとき、何て言う?」。児童たちは「遊ぼう、だよ」と答えた。「方言にすると?」。そう聞き直した。「遊びさ、いくべぇー」。答えた子はわずかだった。

       教室には、原発事故後に避難してきた児童もいる。県外の学校でもないのに気を使い、言葉を選んで過ごしているのだろう。人と土地を傷つけた原発事故が、人と土地をつなぐ言葉も引き裂こうとしている。小林がいま向き合っているのは、そんな被災の現場かもしれない。(敬称略)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20161202-118-OYTPT50000

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    2. [原発と福島]つながりの糸<3>相馬焼の誇り 今も胸に
      2016年12月6日5時0分

       東京電力福島第一原発事故が起きなければ、小野田紀恵子けいこ(69)はこの時期、福島県浪江町大堀地区の窯元で、仕上げた初詣客向けの器の箱詰め作業に追われていただろう。江戸時代から続く陶磁器・大堀相馬焼の産地。23軒ある窯元の一つ「勘治郎窯」の13代目、一洋(67)の元に24歳で嫁ぎ、絵付けなどを覚えた。一洋が脳出血で倒れ、左手が使えなくなった15年ほど前からは、最も重要な窯の管理も担っていた。

       貫入音と呼ばれる器の「産声」がいまも耳に残る。窯から一斉に取り出された器に小さなひびが入るたび、あちこちでピーンと美しい音を奏でるのだ。再び聞くことはあるのだろうか。紀恵子たちの都営住宅の暮らしはもう、5年半を超えてしまった。

              ◇

       昼食を終え、作業場の扉を開けようとした瞬間だった。地面が揺れ、屋根瓦が雨のように落ちていった。2011年3月。本当の試練はその後に待っていた。原発事故で浪江は全町避難。一洋、長女(37)と一緒に東京の親戚宅などを転々とし、2か月後、中野区の都営住宅にたどり着いた。とたん、音が入れ替わった。職人や業者の会話、窯のうなり、貫入音……。身の回りは、上階の住民の足音や車の排気音に支配された。

       耐えられなくなったのは一洋だった。夜中に突然起き出し、「浪江に帰る」と騒ぎ出した。いつも頬づえをつき、ふさぎ込むようになった。手作業はできなくなっても、紀恵子にとっては器作りの師匠だ。窯の炎の色、ガスの音。火加減を身に付けるまで、何度も助言をもらった。支えなくては、と思った。避難が3か月を過ぎた頃、紀恵子は馬を描き始めた。

       国の伝統的工芸品に指定される大堀相馬焼の歴史は、相馬中村藩時代にさかのぼる。藩の神馬「走り駒」を描いた器が多いのはその名残だ。「お世話になっている人にあげようと思って」。浪江ではおそらく、3万回近くは描いた素材。絵付けと同じ走り駒を色紙にしたため、ご近所などに渡す。「生きているようですね」と喜ばれた。

       筆を再び握った妻を見て、一洋の心も穏やかになっていった。「相馬焼のことを忘れないでいてくれるんだな」

              ◇

       町中心部の避難指示は、来年3月にも解除される見通しだが、放射線量の高い帰還困難区域である大堀地区は対象に入っていない。このため、大堀相馬焼の窯元のうち9軒は、福島市などで再開している。

       一洋には違和感がある。相馬中村藩の領地でやらないで、大堀相馬焼を名乗れるのか。浪江に帰れないなら、せめて領地だった南相馬市で再開できないか。

       「俺の手が動いていれば、すぐにでも戻るのに」

       「分かってない。そんな簡単なことじゃないわ」

       窯の話題になると、いつも一洋とは口論になる。手作業を担うのは自分だ。あの土の感触を思い出すと胸が高鳴る。だが、自分の足も持病で痛むようになった。この年齢で挑んでいいのか。自分が300年の伝統を汚してしまわないか……。いま暮らす都営住宅には、当面の入居期限がある。18年3月。まだ先だなんて思えない。来年はもう古希。決断の時は近づいている。

       近所にある区民施設。紀恵子は先月、地域のイベントで、馬の絵をその場で描いて見せた。半紙に向かって筆を走らせると、周囲に人だかりができていた。紀恵子はふと気づく。この5年余、500頭は馬を描いたのではないか。紙ばかり相手に。(敬称略)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20161206-118-OYTPT50049

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    3. [原発と福島]つながりの糸<4>望郷の唄 歌い継ぐ
      2016年12月7日5時0分

       千葉県で育った冨岡亜紀(34)にとって、福島県双葉町の祖父母宅で過ごす夏休みは特別な時間だった。中でも、浴衣を着せてもらい、祖母(79)に手を引かれて遊びに行った盆踊り。提灯ちょうちんが夜風に揺れ、太鼓や笛が鳴り響く。やぐらの周りで踊るのは、江戸時代から続くとされる「相馬盆唄ぼんうた」。

       今年ゃ豊年だよ はぁー、こーりゃこりゃ

       動きをまね、うちわを持った手を左右に振って踊ると、祖母は「かわいいねえ」と目を細めていた。

       相馬盆唄が伝わるのは相馬中村藩の領地。その双葉町と大熊町に立地する東京電力福島第一原発で2011年3月、事故が起きた。いずれの町にも避難指示が全域に出た。祖父に先立たれていた祖母は、一人でいわき市などに避難した。

       おはやしや笑い声で満ちていたあの町にもう誰もいない。あの夜、すれ違った浴衣の子も、ほろ酔いのおじさんも。冨岡はしばらく事態がのみこめなかった。

             ◇

       09年に結婚し、東京で暮らしていた冨岡は、「福島のために何かしたい」と思い続けたが、法律事務所の仕事もあり、ボランティア活動も容易ではない。祖母を見舞い、募金をし、復興をただ願うしかなかった。

       歳月は少しずつ東京の空気を変えた。放射線をめぐる心ない言動、福島の現実に目を向けなくなった友人……、福島が忘れ去られていく。そんなことを感じていた頃、公費で活動する復興支援員の募集をフェイスブックで知った。

       都内で開かれた説明会に足を運んだのは14年5月。資料を読むと、「伝統芸能コミュニティーの活動再開の応援」とあった。あの民謡の節回しがよみがえる。「また聞いてみたいな」。大熊町の担当に選ばれ、翌月、いわき市にある町役場の出張所に単身赴任した。

       高校は合唱部。音楽仲間だった男性(35)が夫になった。歌は人を結びつける。それだけは確信していた。

             ◇

       着任すると、いわき市の仮設住宅や災害公営住宅などに住む町民を集めた交流会を何度か開き、古山喜美子(72)に出会った。大熊町で歌や三味線を楽しむ民謡グループに所属していたが、「仲間がばらばらになってしまった」と言う。

       冨岡は背中を押した。「じゃあ、みんなを集めようよ」。さみしさを感じていたのはメンバーも同じだった。声をかけると、70~90歳代の女性5人が避難先から集まるようになった。「孫みたいな亜紀ちゃんが私たちをつなげてくれた」

       冨岡は、自分が働く意味がやっと分かったと言う。

       3年間も東京でぐずぐずしていたぶん、避難中の町民たちに積極的に話しかける。ただし、震災や原発事故の話題になると、自分からは触れずに、聞き役に徹している。

       もう東京には戻らない。夫と1年以上話し合い、今年2月、離婚した。周囲は驚くばかりだが、生半可な気持ちではない。避難指示が解除されたら、大熊町で暮らすつもりでいる。よく「いつまでいるの?」と聞かれる。たいてい冗談だろうと笑い飛ばされるが、冨岡は「一生です」と真顔で答える。

       冨岡を含むメンバー6人はこの秋、いわき市の市民文化祭で民謡を披露した。相馬盆唄と並ぶ代表的な民謡「新相馬節」。

       相馬恋しや 懐かしや

       帰りたくても帰れない故郷を思うこの唄もまた、土地と人をつなぐ糸だ。

       はぁー、ちょいちょい

       メンバーの気持ちを察して、冨岡の合いの手は知らぬ間に涙声になっていた。(敬称略)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20161207-118-OYTPT50098

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    4. [原発と福島]つながりの糸<5>教会再建 地域の絆育む
      2016年12月10日5時0分

       「過去の苦しみは未来のだれかを励まします」。福島県いわき市の福島第一聖書バプテスト教会で、牧師の佐藤彰(59)はいま、講壇に立つと、迫害を受けた信者らに向けた聖書の一節から話を始める。2011年3月の東京電力福島第一原発事故の後、何度自問し、悩んだか。神はなぜ、こんなに大変な試練を与えるのだろう。静かな海が荒れ狂い、原発が爆発した。何の落ち度もない住民をのみ込み、人を住まいから追い立てた。教会は当時、福島県大熊町の、第一原発からわずか5キロの場所にあった。

               ◇

       神学校の学生だった佐藤の元を大熊の信者が訪ねてきた。後継の牧師になってほしいという。35年前だ。1947年に米国人宣教師によってつくられ、戦争で傷ついた町の人々を支えた教会。何のゆかりもない土地だが、引き受けた。夏は子供向けのキャンプを催し、定期コンサートも開いた。町の人ともつながる場でありたいと願った。

       東日本大震災が起きた。佐藤は私用で千葉県にいた。原発事故で散り散りに避難した信者を捜すため、知り合いに依頼し、バスで近隣自治体の体育館や公民館などを回ってもらった。3月15日、福島県会津若松市の教会でようやく落ち合えた。集まった避難者は約70人に上っていた。

       床が冷たく、食料が少ない避難所から小さな子を連れて出た家族や、一人暮らしの高齢者が目立った。信者から、ゴスペルコンサートに一度だけ参加したような人まで様々だった。

       全員で暮らせる場所を求め、まず山形に向かった。佐藤は先々で聖書に安らぎを求め、信者たちとこの試練の意味を考えようとした。しかし、希望は見えてこなかった。知人を頼り、別の教会が管理する東京都奥多摩町のキャンプ場に落ち着いたのは4月。体重は10キロ近く減っていた。

               ◇

       迷惑を考えると、東京での避難は長くて1年。佐藤は信者たちと話し合った。「できれば大熊に戻りたい」。佐藤はその思いをくみ、町に近い、いわき市への再移動を決めた。町まで約60キロ。同じ浜通りで、気候も似ている。2012年春、一行は福島県に戻った。

       都内に残る信者らを除く約30人で仮設住宅やアパートを探し、再スタートした。礼拝は結婚式場の一室を借りた。少しずつ日常を取り戻しながら、佐藤たちは教会の再建を目指した。

       目標が希望になった。原発事故で全国に散った信者や国内外の支援者から、多くの義援金が集まった。

       「翼の教会」は13年春に完成した。空から見下ろすと、羽を広げた鳥のようだ。その鳥は大熊を向く。

       教会は再び、地域に根づきつつある。慰問にきた歌手や学生たちがゴスペルや合唱を披露したり、地元の中学校や主婦グループなどの発表会に使ってもらったり。礼拝や説教はインターネットで中継し、週に1度、ケーキなどを振る舞う無料カフェも開く。

       礼拝堂には、避難指示が続く富岡町から家族4人でいわき市に避難する青柳めぐみ(46)のような信者も、教会と縁もなかった地元住民の玉根千代子(77)も顔を出す。自宅が荒れ果て、帰還について思い悩む青柳はここで安らぎを感じ、一人暮らしが長い玉根は「話す仲間ができて、夜もぐっすり眠れるようになった」と笑顔で話す。佐藤はこの5年余の試練と再起を語り継ぐ。過去の苦しみが、未来のだれかを励ます。そんなことが起きるのだ。(敬称略)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20161210-118-OYTPT50069

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    5. [原発と福島]つながりの糸<6>天井絵復元 村と学生結ぶ
      2016年12月14日5時0分

       福島県飯舘村にこの秋、住民より先に「帰還」を果たした絵がある。山津見神社の天井を埋め尽くす200枚超のオオカミ。自分の子と戯れ、笑みを浮かべて眠る。どれもが、どう猛なイメージを裏切る姿をしている。明治期に描かれたとされる元の絵は、東京電力福島第一原発事故の後、焼失した。その復活に貢献したのは、何のつながりもない和歌山大と東京芸大の教官や学生たちだった。

            ◇

       同県伊達市に避難する氏子総代の菅野永徳(77)は、着の身着のまま車に乗り込んだ。2013年4月1日未明。暗い山道を1時間運転してたどり着くと、拝殿と社務所は無残に焼け落ちていた。

       この火事で宮司の妻(当時80歳)が亡くなった。飯舘村は全域に避難指示が出ていたが、宮司夫婦は「山の神に仕える身。参拝する人のためにも」と、福島市の仮設住宅から通い続けた。宿泊することもあったようだ。「全村避難さえなければ、原発事故さえなければ、ここまで大火にならずに済んだのでは」。菅野は燃え尽きた現場で泣いた。

            ◇

       ただ、拝殿の天井にはめ込まれた45センチ四方の杉板の絵について、話題にする氏子はほとんどいなかった。村人が集まる大切な場が焼失したショックが大きかった。そもそも、拝殿は暗く、天井は高い。100年ほど前の作とは伝わるものの、薄汚れてもいたその絵を、鮮明に見たものはだれもいなかったのだ。

       菅野がその写真を目にしたのは翌年だった。

       神社の再建計画が持ち上がり、天井絵をどうするかが課題になった。そんなとき、オオカミ信仰を調査する和歌山大の教授らが、すべての絵を火災前に撮影していたことを知った。

       菅野は写真を収めた冊子を手にした。幼い頃から何度も通っていたのに初めて見た気がした。天の何かに向かってほえたり、草陰にたたずんだり。一匹一匹に表情があり、命を慈しむまなざしがあった。「こんなに個性的な絵だったとは。何とか復元しなければ」

       菅野は、学者や業者らに復元の相談をして回り、東京芸大大学院の准教授・荒井経(49)にたどり着いた。日本画の保存修復にたけた専門家。つてを頼って打診すると、二つ返事だった。「福島のためならぜひ」

       荒井と学生は15年6月、村を訪れた。再建された拝殿などを見て回り、氏子らの話を聞いた。帰京後、元の絵の筆遣いをたたき込んだ学生らは、原寸大に拡大した写真を手元に置き、村を思い浮かべ、一発勝負で杉板に向かい始めた。「臨模」と呼ばれる手法だ。

            ◇

       村に出ている避難指示は来年3月末、大部分で解除される。いまは、解除後の生活に向けた長期宿泊が行われている。宿泊に必要な登録をした村民は、菅野を含めて370人ほど。解除対象地域の住民約6000人の1割にも満たない。元の暮らしや活気を取り戻すのは容易ではない。それでも、手探りで生活を始めようとする村人がいるのだ。忠実に復元する模写ではなく、描き手の個性がにじむ臨模とどこか似ている。

       絵は昨夏に100枚、今年に入って残りも完成し、この秋、計242枚が奉納された。荒井は言う。「意識したのは新しい命を吹き込むこと、100年後に向けて伝え残すことでした」

       かつて原発事故で生まれたつながりがあった。天井絵の裏面に筆で書かれた荒井や学生ら臨模担当26人の署名は、その証しになるだろう。(敬称略、おわり)

       (この連載は、福島支局 市原佳菜子、照沼亮介、大月美佳、崎田雅広、編集委員 清水美明が担当しました)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20161214-118-OYTPT50119

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  29. 福島で園児がミカン狩り
    旧避難区域の広野町
    2016/12/6 17:10

     東京電力福島第1原発事故でかつて避難区域だった福島県広野町の町営ミカン畑で6日、ミカン狩りがあり、招待された地元の幼稚園児約50人が甘酸っぱい実をほおばった。

     園児らは暖かな日差しを浴びながら一つ一つミカンをもいだ。大きなミカンを袋に詰めた大和田真咲ちゃん(5)は「家に持って帰って家族と食べるのが楽しみ」と話した。

     第1原発の南20~30キロ圏に位置する同町は温暖な気候で知られ、町ぐるみでミカン栽培をしている。除染の効果もあり2013年からミカン狩りを再開、放射性物質の検査では今年も検出限界値未満だった。
    http://this.kiji.is/178780538343096322?c=39550187727945729

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    1. 「みかん栽培 北限」
      https://www.google.co.jp/search?q=%E3%81%BF%E3%81%8B%E3%82%93%E6%A0%BD%E5%9F%B9+%E5%8C%97%E9%99%90

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  30. 帰還困難区域の除染、国の費用負担を了承…自民
    2016年12月14日22時2分

     自民党の東日本大震災復興加速化本部は14日、東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響で立ち入りが制限されている「帰還困難区域」の除染費用について、国が負担することを大筋で了承した。

     政府は、国の負担方針を盛り込んだ「原子力災害からの福島復興の加速のための基本指針案」を近く閣議決定する。

     指針案では、国の負担について「東電に求償せずに国の負担において行う」と明記した。政府は2017年度予算案に、帰還困難区域の除染などの費用を盛り込む予定だ。また、来年の通常国会には、福島復興再生特別措置法の改正案を提出し、同区域の整備に取り組む態勢も整えることにしている。このほか指針案では、福島県沿岸部を廃炉技術などの研究拠点とする構想の実現に向け、閣僚級会議を創設する方針も盛り込んだ。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20161214-118-OYT1T50090

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    1. 目的と手段との倒錯、フェティシズム政策…

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  31. 小さな歯「汐凪だ」…7歳の娘 父に帰る  震災から5年9か月 大熊町の帰還困難区域
    2016年12月25日5時0分

     東日本大震災の津波で、福島県大熊町でただ一人、行方不明となっていた木村汐凪ゆうなさん(当時7歳)の遺骨が今月上旬、見つかった。あの日から5年9か月。東京電力福島第一原発事故で、今も大半が帰還困難区域となっている町で捜索を続けてきた父の紀夫さん(51)は、「おかえり。だいぶ待たせたな」と言ってあげるつもりだ。

     小学1年だった汐凪さんは震災当日の2011年3月11日午後、学校で友達と別れ、近くの児童館に向かった後、津波にのまれたとみられている。福島第一原発が立地する同町は放射線量が高く、住民らの立ち入りが制限された。がれきが散乱したままの状態が続き、当初は行方不明者の捜索も十分に行われなかった。

     遺骨が見つかったのは、一家が暮らした大熊町熊川地区の自宅から南へ約300メートル離れた海水浴場の近く。今月9日、がれき撤去の作業員が汐凪さんのマフラーを見つけ、中に汐凪さんのものとみられる首の骨が包まれていた。その2日後、汐凪さんと同じ詰め物のある歯が残ったあごなどの骨も発見。DNA鑑定で汐凪さんと特定した福島県警から22日、連絡があったという。

     大熊町では津波で11人が犠牲となり、紀夫さんは汐凪さんのほか妻の深雪みゆきさん(当時37歳)と父の王太朗わたろうさん(同77歳)も津波で失った。12年4月に長女の舞雪まゆさん(15)と長野県白馬村へ移り、宿泊施設を経営する傍ら、立ち入りが認められる一時帰宅の機会を使って娘を捜し続けてきた。白馬から町までは、車で6時間以上かかるという。

     遺骨の発見場所からは12年6月、汐凪さんのスニーカーが見つかっていた。紀夫さんはこの時、近くにいた警察官に周辺を捜索するよう頼みたかったが、若い人を被曝ひばくさせてしまうと懸念し、ためらったという。町などに「重機も入れて本格的に捜索したい」と何度も申し入れたが、なかなか許可が下りなかった。

     紀夫さんは今月、「マフラーが見つかった」と聞いても、娘のものかどうか半信半疑だったという。だが、姉の舞雪さんにはぴんときた。ミッキーマウスの小さなぬいぐるみの付いたそのマフラーを「妹とおそろいで持っている」。紀夫さんはすぐに大熊に向かい、小さな歯を見て、確信した。「汐凪だ」

     がれきの山がなくなるまで捜して見つからなければ「汐凪は海に行ったんだ」と、自分を納得させる覚悟をし始めていた。遺骨の発見に「ほっとした」という思いもあるが、誰にも気付かれずここにいたのかと思うと、胸が締め付けられる。

     「原発事故がなければ、もっと早く、つぶさに捜索できた。こんなに小さな骨になる前に見つかっていたかもしれない」

     ただ、娘がここまで自分を導いてくれたような気もする。少しずつ見つかった遺品は「私はここにいるよ」というメッセージだったと思う。「汐凪が自分で出てきたんじゃねぇかな」

     甘えん坊で、家族や近所の人、多くの友達に愛されていた汐凪さん。小学校に入る頃には、一緒に遊ぶ友達の手を「こっち、こっち」と引いて歩くような、しっかり者に成長していた。

     震災から6度目の師走。紀夫さんは、亡くなった娘が「親孝行をしてくれた」と思っている。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20161225-118-OYTPT50067

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  32. [日曜の朝に]芋煮会が生む「寛容」
    2016年12月25日5時0分

     今年、初めて「芋煮会」に参加する機会があった。大鍋でサトイモや肉、コンニャクなどを煮込み、河原などで飲み食いする、東北地方の風習だ。

     会場は私の住む福岡市の河畔公園。東北各県の県人会の人々が集まっていた。芋煮をおわんに入れてもらい、味わううちに、ここが東日本大震災の被災地に思いを寄せる場でもあることを知った。

     参加者には、震災で福島県から避難してきた親子連れがいた。宮城県の仮設住宅に住む人たちを支援している福岡の男性もいた。現地に救援に駆けつけたのがきっかけで、交流を続けているという。

     福岡で芋煮会を始めたのは、福島県出身で福岡市に住む薬剤師、嶋田玲子さん(58)。震災が発生した2011年、故郷の人々が苦しむ姿にいても立ってもいられなくなり、「九州に避難してきた人たちに少しでも和んでもらえる場を作りたい」と毎年開いてきた。足を運べば故郷の人に会え、お国なまりで語り合える。「被災地のことを決して忘れないという思いをみなで共有したい」と嶋田さん。

     私は、震災から5年たった今年秋に初めて岩手県陸前高田市などの被災地を訪ねた。「奇跡の一本松」の近くは、まだほとんど更地だった。復興までの長い道のりや、つらい記憶を抱えて生きる人々のことをどれだけ思ってきただろうかと自問自答させられた。

     最近、原発事故で福島から県外に避難した子どもがいじめを受けたケースが問題化した。「ばい菌」や「賠償金」という言葉を使った中傷もあったとされる。背景には、いまの日本社会に漂う「不寛容」とも言える空気があるのではないか。

     福岡の芋煮会では、福島県人会の人たちが「熊本地震の復興支援に」と熊本県産品を売っていた。芋煮用のサトイモを毎回届けてくれた熊本県西原村の人たちへのお礼だという。助け合いの輪の広がりを知り、心が温かくなった。社会の「寛容」とは、きっとこうした場所から生まれるのだろうと思った。(玉城夏子)
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20161224-118-OYTPT50297

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  33. 原発事故でも避難せず診療の院長死亡か 焼け跡から遺体
    12月31日 13時11分

    東京電力福島第一原子力発電所の事故のため一時、ほとんどの住民が避難した福島県広野町で、避難せずに診療を続けてきた病院の院長宅で30日夜に火事があり、1人が遺体で見つかりました。警察は亡くなったのはこの院長とみて身元の確認を進めています。

    30日午後10時半ごろ、福島県広野町で「高野病院」の院長をしている高野英男さん(81)の自宅から煙が出ていると、消防に通報がありました。消防が駆けつけたときに火はほぼ消えていましたが、この火事で木造平屋建ての住宅の一部が焼け、室内から男性1人が遺体で見つかりました。

    現場は病院に隣接する住宅で、警察によりますと、この家で1人暮らしをしていた高野院長と火事のあと連絡が取れなくなっているということです。警察は亡くなったのは高野院長とみて身元の確認を急ぐとともに火が出た原因を調べています。

    広野町では原発事故を受けて一時、ほとんどの町民が避難したほか、医療機関の休業も相次ぎましたが、高野院長は入院患者とともに病院にとどまり、地域で唯一の病院として診療を続けていました。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161231/k10010825541000.html

    https://koibito2.blogspot.jp/2016/11/2016-28.html?showComment=1483191695537#c5167956702993500243

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    1. 院長が火事で死亡の高野病院 広野町が存続支援へ
      1月3日 19時14分

      東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響で一時、ほとんどの住民が避難した福島県広野町で、町内にとどまって診療を続けてきた病院の院長が火事で死亡し、広野町は地域に欠かせない医療機関を存続させるため、常勤医師の確保など支援に乗り出すことを明らかにしました。

      東京電力福島第一原発の半径20キロから30キロの範囲にある広野町では、原発事故のあと、町役場やほぼすべての住民が一時避難しましたが、町にある民間の高野病院は診療を続けました。

      この病院の院長、高野英男さん(81)の自宅で先月30日に火事があり、見つかった男性の遺体が3日、高野院長と確認されました。高野院長は高野病院唯一の常勤医師でしたが、亡くなったことで、病院の設置に法律上必要となる常勤の医師がいなくなりました。

      広野町の遠藤智町長は3日役場で会見を開き、地域に欠かせない医療機関を存続させるため、支援に乗り出すことを明らかにしました。

      具体的には高野病院の常勤医師確保のため、福島県への協力要請や全国への呼びかけを行うとともに、診療の一部を担うボランティアの医師を募る窓口を町役場に設けるということです。また、非常勤などの医師が町を訪れる際の交通費や宿泊費の補助も行うということです。

      住民「優しくていい先生だった」

      広野町の70代の女性は高野さんについて、「町で有名な先生でした」としたうえで、「病院は今も入院している人もいるし、今後も存続してほしい」と話していました。

      また、別の60代の女性は「おばあちゃんが高野病院に入院していたときに診てもらいましたが、優しくていい先生でした。亡くなったと聞いて、びっくりしました」と話していました。

      原発事故で住民避難もとどまり診療続ける

      高野英男さん(81)は、福島県広野町にある民間病院、高野病院の院長として地域の医療を支え続けてきました。

      広野町は全域が東京電力福島第一原発の半径20キロから30キロの範囲にあり、原発事故のあと一時、町役場や、ほぼすべての住民が避難しましたが、高野院長は入院患者とともに、町にとどまりました。

      そして、病院でただ1人の常勤の医師として、複数の非常勤などの医師の協力を得ながら、病院の運営や診療を続けてきました。

      広野町を含めて、原発事故で広い範囲に避難指示が出された双葉郡では、医療機関の閉鎖が相次ぎ、およそ120床の高野病院は、今も診察している地域で唯一の病院です。

      病院は高野院長が高齢になったため、常勤の医師を募集していましたが、見つからない状況が続いています。

      常勤医師の確保には県や国の支援を

      高野病院の医師確保の支援をしている、南相馬市立病院の尾崎章彦医師(31)などによりますと、高野院長は高野病院で、ただ1人の常勤医師として、入院患者100人余りの診療を行ってきました。

      さらに外来患者の診察や、月に数回以上の夜間の当直をこなし、通常は検査技師が行うことが多いX線画像の撮影も、みずから行っていたということです。

      尾崎医師は、高野院長に代わる医師の人材を確保することは容易ではないとして、常勤医師の確保のためには福島県や国の全面的な支援が必要だと訴えました。
      http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170103/k10010828091000.html

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    2. 遺体は病院長の高野さん
      福島県広野町の火災
      2017/1/3 21:02

       福島県広野町の高野病院の院長高野英男さん(81)方で先月30日、男性1人の遺体が見つかった火災で、双葉署は3日、司法解剖やDNA鑑定の結果、遺体を高野さんと特定したと発表した。死因は焼死だった。地元消防によると、普段寝ていたとみられる付近に遺体があり、周辺の燃え方が激しかった。双葉署が出火原因を調べている。

       広野町は2011年の東京電力福島第1原発事故で緊急時避難準備区域に指定されたが、病院に寝たきりの患者がいたため、高野さんは避難せずに診療を続けた。病院は3日付でHPに「これからも地域の医療を守っていく」とするコメントを公表した。
      https://this.kiji.is/188986036482146309

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    3. 福島 広野町 院長死亡の病院 来月と再来月 医師常勤へ
      1月12日 4時45分

      原発事故のあとも地元にとどまり診療を続けていた81歳の院長が先月、火事で死亡したため、存続が危ぶまれていた福島県広野町の病院に、来月と再来月、36歳の医師が、院長として常勤することになりました。ただ、4月からは別の病院で勤務することが決まっていることから、病院側は引き続き医師の確保に向けて支援を呼びかけています。

      福島県広野町の高野病院では、東京電力福島第一原発の事故のあと、一時、ほとんどの住民が避難するなか、院長の高野英男医師(81)が町内にとどまって診療を続けていましたが、先月30日に自宅で起きた火事で死亡して常勤の医師がいなくなったため、病院の存続が危ぶまれていました。

      病院を支援する団体によりますと、今月6日、報道を見たという東京の都立駒込病院の中山祐次郎医師(36)からメールが届き、常勤の医師として勤めたいと申し出があったということです。

      そして、病院側と話し合った結果、来月と再来月の2か月間、院長として常勤することになったということです。

      ただ、中山医師は、4月からは福島県内の別の病院で勤務することが決まっていることから、病院側は引き続き常勤の医師の確保に向けて支援を呼びかけています。
      http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170112/k10010836101000.html

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  34. 仮設生活いまだ1万5千人超

    東日本大震災の発生からことしで6年になります。
    被災地では、災害公営住宅が計画の75%まで完成するなど復興が進んでいます。
    しかし、法律で原則2年間とされている仮設住宅での生活を今も余儀なくされている人は、県内で1万5000人を超えていて、被災者の疲弊が色濃くなっています。
    東日本大震災の発生から6年近くとなる中、被災者の住まいの整備は進み、災害公営住宅は去年11月末の時点で全体の75%にあたる4283戸が整備されたほか、高台やかさ上げされた土地などに整備された宅地も去年10月末の時点で全体の44%にあたる3493区画が完成しています。
    その一方、災害救助法で原則2年間とされている仮設住宅での生活を今も余儀なくされている人は、みなし仮設で生活している人を含め、去年11月末の時点で1万5385人に上っています。
    NHKが岩手県と宮城県の仮設住宅で暮らす人たちを対象に行ったアンケートでは、回答した619人のうち、「よく眠れない」と答えた人が32%、「気分が沈みがち」と答えた人が27%に上っていて被災者の疲弊が色濃くなっています。
    被災した自治体の復興計画では、災害公営住宅の完成が平成30年度までかかるところもあり、復興の鍵となる住まいの確保が依然、大きな課題して残されています。

    01月04日 10時27分 NHK盛岡放送局
    http://www3.nhk.or.jp/lnews/morioka/6045661911.html

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  35. 大熊町 解除地区で町づくり…役場移転や商店街整備
    2017年1月6日5時0分

     東京電力福島第一原発のある福島県大熊町が、今秋の避難指示解除に向けて踏み出した。町は解除後の暮らしを見据えて、役場機能の移転や生活環境の整備など新たな町づくりを進め、避難生活を続ける住民の帰還を促す。住民からは歓迎の声が上がる一方、解除直後の帰還に対して慎重な意見もあり、受け止めは様々だ。

     環境省によると、解除対象となる大川原地区と中屋敷地区の除染は、2014年3月にすでに終了している。継続監視の結果、地上1メートルでの平均空間線量は、除染前に比べて宅地で4割、農地で3割になり、政府が解除要件の一つに掲げる年間被曝ひばく線量20ミリ・シーベルトを大きく下回った。

     解除後も町内の6割は帰還困難区域として残るが、町は大川原地区を「復興拠点」として、17年度は新庁舎の造成工事を始め、19年度にも役場機能を移転し、商店街も整備する。南側に隣接する富岡町の診療所やスーパーにも行き来しやすくなる。

     新住民となる企業の受け入れも進める。大川原地区に昨年7月、東京電力社員住宅が完成。廃炉作業などに携わるため居住を許された社員が約750戸のほぼ全室に入居している。関連企業2社も支社を設立するなど約1500人が就業する見込みだ。町は復興関連の作業員らをにぎわいを取り戻すために不可欠としており、今後も「新住人」の居住を促す。

     政府が掲げる避難指示解除の3要件のうち、被曝線量と生活環境整備の二つは整いつつある。地元との十分な協議が残る中、町関係者は「早期解除に向け、政府との本格的な協議を進めたい」としている。

     大川原地区から会津若松市扇町に避難している佐藤右吉さん(77)は「待ちに待った。解除されればすぐにでも戻る」。約4年間、自宅まで往復約300キロを通って自宅の手入れを続けてきた。屋根瓦もふき替え、帰還の準備は万全。佐藤さんは「町をもう一度大川原から作り直す」と話す。

     一方、大川原地区からいわき市平中山に避難した消防士新妻健治さん(42)は、解除後すぐの帰還は見送るつもりだ。娘2人は避難先で友達も多くでき、生活基盤を移すのは難しい。ただ、「将来的には古里に帰りたい。生まれ育った家でのんびりとした生活を送るのが夢だ」と話している。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170106-118-OYTPT50109

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    1. 若い人たち、子供たちがいない場所に未来はない…

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    2. 9月にも避難指示解除、大熊町が政府に求める
      2017年1月6日7時31分

       東京電力福島第一原発事故で全町避難が続く福島県大熊町が、帰還困難区域を除いた地域の避難指示を今年9月にも解除するよう政府に求めたことが、町幹部への取材でわかった。

       近く政府と正式に協議に入る。

       避難指示が出された11市町村のうち、帰還困難区域を除き、5市町村で解除されている。実現すれば同原発の立地自治体でも解除されることになる。今後、町議会とも本格的な協議を行う。

       解除を求めているのは居住制限区域の大川原地区と、避難指示解除準備区域の中屋敷地区。両地区に住民票があるのは計384人(昨年12月末現在)で、町の人口の3・6%になる。

       政府は避難指示を解除する要件として、〈1〉年間被曝ひばく線量20ミリ・シーベルト以下〈2〉生活環境の十分な整備〈3〉地元との十分な協議――を挙げている。

       原発立地自治体の大熊町は、帰還困難区域が大きく、同区域以外で避難指示を解除しても町全体の復興に直結しないとの見方があった。しかし、除染が終わり、放射線量が生活できるレベルまで下がったうえ、役場機能の移転など住環境の整備に一定のめどが立ったことから、町は解除を求めていくことにした。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170105-118-OYT1T50187

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    3. 福島原発事故 大熊 9月にも避難解除…町内2地区、政府に要請
      2017年1月6日5時0分

       東京電力福島第一原発事故で全町避難が続く福島県大熊町が、帰還困難区域を除いた地域の避難指示を今年9月にも解除するよう政府に求めたことが、町幹部への取材でわかった。近く政府と正式に協議に入る。

       避難指示が出された11市町村のうち、帰還困難区域を除き5市町村で解除されている。実現すれば同原発の立地自治体でも解除されることになる。今後、町議会とも本格的な協議を行う。

       解除を求めているのは居住制限区域の大川原地区と、避難指示解除準備区域の中屋敷地区。両地区に住民票があるのは計384人(昨年12月末現在)で、町の人口の3・6%になる。

       政府は避難指示を解除する要件として、〈1〉年間被曝ひばく線量20ミリ・シーベルト以下〈2〉生活環境の十分な整備〈3〉地元との十分な協議――を挙げている。

       原発立地自治体の大熊町は、帰還困難区域が大きく、同区域以外で避難指示を解除しても町の復興に直結しないとの見方があった。しかし、除染が終わり、放射線量が生活できるレベルまで下がったうえ、役場機能の移転など住環境整備に一定のめどが立ったことから、町は解除を求めていくことにした。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170106-118-OYTPT50161

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  36. 自主避難 住宅支援に差…福島打ち切り後 24都道府県 継続
    2017年1月4日5時0分

    19県は支援なし

     東京電力福島第一原発事故で自主避難した福島県民への住宅支援の内容に今春から、避難先によって格差が生じることが読売新聞の調べでわかった。県が一律無条件で続けてきた住宅の無償提供が3月末に打ち切られるのに伴い、24都道府県が独自に無償提供延長などの支援を行う一方、19県は独自支援は見送る。原発事故から間もなく6年。住民の帰還の動きが鈍い中、都道府県の判断にばらつきが出た形だ。

     福島県は事故後、避難指示区域外から避難した自主避難者を、政府の指示を受けた避難者と同等に扱い、災害救助法に基づき、国費などを財源にアパートや公営住宅の家賃を負担してきた。自主避難者に対して無償提供する部屋の家賃は原則、月6万円が上限だ。

     自主避難者は、2016年10月現在、1万524世帯、2万6601人(うち県外避難5230世帯、1万3844人)。避難指示区域内からの避難者と異なり、東電からの定期的な賠償金はなく、住宅無償提供が公的支援の柱だった。

     福島県は15年6月、「除染も進み生活環境が整ってきた」として17年3月末での打ち切りを決定。これに対し、「住み慣れた居場所を取りあげないで」などの訴えが相次ぎ、24都道府県(自主避難計3607世帯)は公営住宅法や条例の特例措置を適用し、独自の予算で、無償提供延長や有償での優先入居枠確保などの支援を決めた。市町村にも、公営住宅の無償提供など独自の動きがある。

     道営住宅に入居中の34世帯に対する無償提供の1年延長を決めた北海道(自主避難229世帯)は、「住まいの不安を和らげ、生活再建を応援したい」と説明。見送る兵庫(同44世帯)は「福島の方針に反し引き留める施策はしない」とする。

     打ち切りに伴い福島県は、県営住宅170戸の有償の優先入居枠を確保。このほか、県外からの帰還者には転居費10万円(単身者世帯5万円)を補助し、県内避難のケースでも一部を出す方針だ。

     

    [解説]不公平感 解消する必要

     政府は2015年6月、福島県の避難指示区域(帰還困難区域を除く)について17年3月までに指示解除を目指す新指針を示した。県の自主避難者への住宅無償提供打ち切りは、これに連動したものだ。除染が進み、県外避難者の帰還を促す意図もある。

     だが、自主避難を続ける住民は子育て世代が多く、放射線への不安は根強い。15年10月に1万5820人だった県外自主避難者は、16年10月時点でも1万3844人と微減にとどまり、帰還の動きの鈍さが際立つ。打ち切りを「避難者切り捨て」と捉えてしまう自主避難者もいる。

     そんな中、福島県や国が避難者支援を他の自治体任せにして支援内容に格差が生じ、不信感が生まれれば、帰還への流れに水を差しかねない。県や国は、避難者に対し、粘り強く経緯を説明し不公平感の解消に努めるなど、対話を続けていくべきだ。(福島支局 鈴木英樹)
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170104-118-OYTPT50146

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    1. 原発事故で自主避難、住宅支援に今春から格差
      2017年1月4日6時0分

       東京電力福島第一原発事故で自主避難した福島県民への住宅支援の内容に今春から、避難先によって格差が生じることが読売新聞の調べでわかった。

       県が一律無条件で続けてきた住宅の無償提供が3月末に打ち切られるのに伴い、24都道府県が独自に無償提供延長などの支援を行う一方、19県は独自支援は見送る。原発事故から間もなく6年。住民の帰還の動きが鈍い中、都道府県の判断にばらつきが出た形だ。

       福島県は事故後、避難指示区域外から避難した自主避難者を、政府の指示を受けた避難者と同等に扱い、災害救助法に基づき、国費などを財源にアパートや公営住宅の家賃を負担してきた。自主避難者に対して無償提供する部屋の家賃は原則、月6万円が上限だ。

       自主避難者は、2016年10月現在、1万524世帯、2万6601人(うち県外避難5230世帯、1万3844人)。避難指示区域内からの避難者と異なり、東電からの定期的な賠償金はなく、住宅無償提供が公的支援の柱だった。

       福島県は15年6月、「除染も進み生活環境が整ってきた」として17年3月末での打ち切りを決定。これに対し、「住み慣れた居場所を取りあげないで」などの訴えが相次ぎ、24都道府県(自主避難計3607世帯)は公営住宅法や条例の特例措置を適用し、独自の予算で、無償提供延長や有償での優先入居枠確保などの支援を決めた。市町村にも、公営住宅の無償提供など独自の動きがある。

       道営住宅に入居中の34世帯に対する無償提供の1年延長を決めた北海道(自主避難229世帯)は、「住まいの不安を和らげ、生活再建を応援したい」と説明。見送る兵庫(同44世帯)は「福島の方針に反し引き留める施策はしない」とする。

       打ち切りに伴い福島県は、県営住宅170戸の有償の優先入居枠を確保。このほか、県外からの帰還者には転居費10万円(単身者世帯5万円)を補助し、県内避難のケースでも一部を出す方針だ。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170104-118-OYT1T50000

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  37. 避難解除動き本格化 飯舘、山木屋は3月末で決定 浪江は1月提示

     政府は東京電力福島第一原発事故からの復興指針で居住制限、避難指示解除準備両区域の避難指示を「遅くとも平成29年3月までに解除する」と明示しており、富岡町以外の避難自治体でも両区域の解除に向けた動きが本格化している。
     3月の解除を目指す浪江町は26日から県内外の10カ所で住民懇談会を開く。政府は懇談会に先立ち、18日の町議会全員協議会で解除日程を示す見通しだ。飯舘村と川俣町山木屋地区はいずれも3月31日の解除が決まっている。
     飯舘村、川俣町と同様に富岡、浪江両町と政府との協議がまとまり、3月の避難解除が実現した場合、残る避難指示区域の面積は帰還困難区域を中心に369平方キロ(7市町村)となる。最も広かった時の約1150平方キロ(11市町村)の3分の1に縮小する。避難指示を受ける住民は約8万1000人から約3割の約2万5000人に減少することになる。
     一方、福島第一原発が立地する大熊町は帰還困難区域の住民が人口の9割超を占める。居住制限、避難指示解除準備両区域の解除時期は30年度中を視野に検討している。双葉町は帰還困難区域が人口、面積とも96%に上る。残る4%の避難指示解除準備区域の解除時期は明らかになっていない。

    (2017/01/09 11:28カテゴリー:福島第一原発事故 福島民報)
    http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2017/01/post_14611.html

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  38. 富岡の避難解除 3月31日方針 政府、町に提示へ

     東京電力福島第一原発事故に伴う富岡町の居住制限、避難指示解除準備両区域の避難指示を巡り、政府は町が目指す4月の帰還開始に向け、3月31日に解除する方針を固めたもようだ。10日に町と町議会に説明する方向で調整している。町はこれまで4月以降の解除を目指して生活基盤の整備や社会資本の復旧などを進めており、解除時期を巡る町と町議会の判断が注目される。

     複数の関係者によると、政府は10日に開かれる町議会全員協議会で、3月31日の解除方針を提案する見込み。政府は原発事故からの復興指針で、居住制限、避難指示解除準備両区域を3月までに解除するとしている。町が掲げてきた帰還開始時期を尊重しつつ、他町村の解除時期との整合性を考慮したタイミングとして、3月末が妥当と判断したもようだ。
     町は町議会とともに住民の意向を踏まえた上で、政府方針を受け入れるかどうかを判断するとみられる。
     富岡町の両区域の避難解除を巡っては政府が昨年10月、域内の追加除染が完了し、水道などのインフラ復旧や商業施設などの生活環境整備が進みつつあるとして「1月解除案」を提示した。その後、町議会や区長会など地元からの「時期尚早」などとする反発や慎重姿勢を受け、撤回した経緯がある。
     町は町内での復興拠点の整備を進めており、昨年10月に町立診療所、11月には複合商業施設の一部が開業するなど、帰還に向けた取り組みが続いている。町役場本庁舎の復旧工事を2月までに終え、3月27日に役場機能を移転先の郡山市から全面的に戻して業務を再開する。県警本部も3月末には町内の居住制限区域にある双葉署本庁舎の主要機能を楢葉町の臨時庁舎から戻し、本格再開させる方針だ。
     富岡町の避難区域別の人口は昨年7月現在で居住制限区域が8341人、避難指示解除準備区域が1338人。帰還困難区域は4047人。

    (2017/01/09 11:30カテゴリー:福島第一原発事故 福島民報)
    http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2017/01/post_14612.html

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  39. 「福島産」今も苦戦 原発事故後6年 価格、消費戻らず…国、来年度47億円支援
    2017年1月16日15時0分

     東京電力福島第一原発の事故から6年近くたった今も、福島県産の農水産物は価格や消費量の低迷に悩まされている。市場に出回っているのは放射性物質が規制値を下回る安全な食品なのに、風評被害が続いているためだ。今後、避難指示が解除され、営農を再開する人が増えることなども予想され、政府は来年度、福島県産の食品の販路拡大に本格的に取り組む。

    輸入規制 33か国・地域で継続

      ■主食米の栽培断念

     「本当は主食用米を作りたいけれど、今の価格では生活できない」。同県南相馬市の農家牛渡隆夫さん(72)はため息をつく。2011年3月の原発事故までは、11ヘクタールの水田で「コシヒカリ」を栽培していた。だが、事故後は農地の除染作業に追われ、本格的な作付けの再開は15年になってから。それも主食用ではなく、家畜の餌となる飼料用米を栽培している。

     同県では、国の規制値(1キロ当たり100ベクレル)を上回るコメを市場に出さないよう、12年から全量の検査を続けている。しかし、同県産の主食用米の価格(15年、暫定値)は60キロ当たり1万2129円と、全国平均を1025円、下回っている。

     もともと主食用米の需要は全国で減っており、農林水産省は交付金を支出して農家に飼料用米や麦、大豆などへの転換を進めてきた。牛渡さんは「価格が低迷する主食用米でなく、国の支援が手厚い飼料用米を作るしかない」と語る。

      ■果物、肉用牛も

     福島県産の飼料用米の生産量は10年に3456トンだったが、15年は2万404トンまで増えた。逆に、主食用米は10年の44万5700トンから16年は35万6300トンに減少している。

     事故による風評被害の影響は、国内外で根強く残っている。

     原発事故後、一時は最大で54か国・地域が日本産のコメや水産物などの輸入を制限した。その後、カナダやニュージーランド、豪州など21か国は規制を完全に撤廃したが、事故から5年以上たった今も中国や韓国など33か国・地域が何らかの規制を行っている。

     国内では、福島県産品の販売不振はコメ以外にも広がっている。全国2位の生産量を誇るモモの市場価格は1キロ当たり429円(15年)と、全国平均より148円安かった。肉用牛も同2174円と、全国平均を228円下回った。

     同県の担当者は「福島県産というだけで敬遠され、『作っても売るのが大変』という声が生産者から聞かれる」と話す。

      ■「安全」独自規格

     こうした状況を踏まえ、政府は来年度、福島県産品の風評被害対策を強化するため、47億円を投じる。政府が同県産品の対策に特化した予算を組むのは初めて。

     具体的には、国として初めて福島県産品の価格が低迷している実態や、納品が拒否されたりするケースの有無などを調査する。

     また、農産物の安全性を示す日本独自の規格「JGAP」などの認証取得に向けた費用を、農家に補助する。認証には、土壌や水の安全性も証明する必要があり、生産物に対する信頼性を高めることが可能だ。また、農薬や化学肥料などを使わない農産物の認定にかかる費用も補助し、ブランド化やイメージ向上を図る。農水省は「福島県産品の信頼性やブランド力を高め、風評被害の払拭に努めたい」としている。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170116-118-OYTPT50186

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  40. 魚介類 年間通じ基準下回る

    原発事故のあと福島県沖の魚介類を対象に県が続けている放射性物質の検査で、去年1年間に調べた8000余りの検体すべてで放射性物質濃度が国の基準を下回ったことが分かりました。
    年間を通じて国の基準を下回ったのは事故後、初めてで、漁業の復興にいっそう弾みがつくことが期待されます。
    原発事故のあと福島県は、県沖の魚介類について放射性物質の検査を続けていて、検査で安全性が確認された魚などについては試験的な漁と出荷が行われています。
    県によりますと、この魚介類の検査で、去年1年間に8502の検体を調べた結果、食品1キロあたり100ベクレルの国の基準を超えたものはゼロだったことが分かりました。
    国の基準を上回る放射性物質が検出されたのはおととし3月が最後で、年間を通じて基準を下回ったのは去年が事故後、初めてです。
    また、値が検出されない、いわゆる検出限界値を下回るものは年々増え、去年1年間では全体の95%を占めるようになり着実に改善が進んでいます。
    県水産試験場の水野拓治副場長は「福島の魚の安全性を示す結果で本格的な漁の再開に向け大きな前進につながると思う。こうしたデータを消費者へのPRに役立てたい」と話しています。

    01月17日 09時43分 NHK福島放送局
    http://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/6055946541.html

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  41. 沿岸6漁協合併へ申し合わせ

    福島県沿岸部の6つの漁協は16日、いわき市で会合を開き、経営の合理化などを目的に来年・平成30年10月を目標に、1つの漁協への統合に向けた合併の議論を、今後、本格化させていくことを申し合わせました。
    いわき市の中央台公民館で開かれた会合には、県漁連と県内6つの漁協の代表や福島県、それに沿岸自治体の担当者などおよそ50人が出席しました。
    はじめに県漁連の野崎哲会長が「合理的な経営を目指して1つの漁協への合併を進めていきたい」とあいさつしました。
    このあと会議は非公開となりましたが、出席者によりますと、来年10月1日の合併を目指す方針を全会一致で申し合わせたということです。
    県内6つの漁協の合併を巡っては、平成17年に関係機関による研究会が設置されましたが、経営基盤の弱い漁協との合併に消極的な意見も出たことなどから、議論が進まないまま震災で中断し、その後、原発事故に伴う東京電力からの賠償金による財源の確保などで合併に向けた環境が整ったということで、今後は、16日設立された「合併推進協議会」で水揚げする漁港の集約など具体的な議論を進めていくことになります。
    県漁連の野崎会長は「合併で現場の意見を反映して経営の合理化を図ることで、漁業の復興の加速化にもつながるのではないか」と話しています。

    01月16日 19時37分 NHK福島放送局
    http://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/6053026801.html

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  42. イシガレイなどの出荷制限解除

    原発事故のあと、出荷制限が出されていた福島県沖の主力魚種のイシガレイなど3種類の魚について、国は、放射性物質の値が安定して基準値を下回っているとして、17日、出荷制限を解除しました。
    国の出荷制限が解除されたのは、福島県沖の主力魚種のイシガレイとクロウシノシタ、それにクロソイの3種類の魚です。
    これらの魚は原発事故後、一時期、国の基準である、1キロあたり100ベクレルを超える放射性物質が検出されたため出荷制限が出されていました。
    その後、年月の経過とともに含まれる放射性物質が検出限界値を下回る個体も増えてきたことから、福島県が17日、国に解除を申請し、国は「安定して基準値を下回っている」として出荷制限をいずれも解除しました。
    県によりますと、イシガレイの震災前5年間の平均の年間漁獲高は441トンで、県内のほか東北や関東に出荷されていたということです。
    解除された3種類の魚は、漁協の組合長会議の承認を得て今後、試験的な漁が始まる見込みで、県水産課は、「漁業者の解除への期待が高い魚だったので、試験操業の拡大に弾みがつく」と話しています。
    これで出荷制限が出されている魚介類は残り12種類となりました。

    01月18日 09時56分 NHK福島放送局
    http://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/6053107951.html

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  43. 福島 浪江町の避難指示 3月末に解除 政府が方針
    1月18日 16時07分

    東京電力福島第一原発の事故で、福島県浪江町の全域に出されている避難指示について、政府は、帰還困難区域を除いて、ことし3月31日に解除する方針を示しました。対象の住民は、町全体のおよそ8割に当たる1万5000人以上で、県内で最も大きい規模になります。

    原発事故の影響で全域に避難指示が出されている浪江町は、放射線量が比較的高い帰還困難区域を除いた地域でことし3月の避難指示の解除を目指していて、除染やインフラの復旧などが進められてきました。

    18日、町役場の避難先の福島県二本松市で開かれた町議会の全員協議会で、政府の原子力災害現地対策本部の後藤収副本部長は、住民が帰還できる環境が整ったとして、ことし3月31日に帰還困難区域を除いて避難指示を解除する方針を示しました。町によりますと、避難指示の解除の対象となる地域の住民は、先月末の時点で全体のおよそ8割に当たる1万5300人余りと、県内で最も大きい規模になります。

    福島県内では、同じ3月31日に飯舘村の大部分で避難指示が解除されることが決まっているほか、政府は、翌日の4月1日に富岡町で一部を除いて避難指示を解除する方針を示しています。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170118/k10010844051000.html

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    1. 福島・浪江、3月末に避難指示解除…困難区域外
      2017年02月27日 11時41分

       東京電力福島第一原発事故で全域に避難指示が出ている福島県浪江町は27日、帰還困難区域を除く区域の避難指示を3月31日に解除するとした政府の提案を受け入れると決めた。

       27日午前の町議会全員協議会で馬場有たもつ町長が「浪江町を残すためには、この時期の解除が必要だと判断した」と述べた。同町が受け入れを決めたことで、今春に予定されている県内4町村(川俣町、富岡町、浪江町、飯舘村)の解除日程が全て固まった。

       町によると、解除対象の居住制限区域と避難指示解除準備区域に住民登録しているのは、5841世帯1万5327人(1月末時点)で、既に解除されていたり、解除が予定されたりしている県内9市町村の避難指示区域の中で人口規模は最大。町は避難先の同県二本松市にある役場機能を、4月から町内の本庁舎に戻す。
      http://www.yomiuri.co.jp/national/20170227-OYT1T50046.html

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    2. 若い人ほど、いまさら戻ったって、という気分のはず…

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  44. 健康調査外部提供で話し合い

    福島県が原発事故後に行っている県民健康調査のデータを外部に提供するためのルールを作る専門の部会が3日、福島市で開かれ、個人情報保護などの観点から調査を受けた人がデータの提供を拒否できる仕組みを設ける案が示されました。
    福島県は、およそ200万人の県民の原発事故から4か月間の外部被ばく量の推計や、当時18歳以下だった子どもの甲状腺検査など、7つの調査を県民健康調査として継続的に行っています。
    この調査で得られたデータを学術研究での利用に限って外部に提供するためのルールを検討する専門部会の4回目の会合が3日、福島市で開かれました。
    会合で県の担当者が、提供先を大学や医療機関、研究機関などに所属する研究者など、信頼性が高い機関や個人に限ることや、個人情報を守るためデータを暗号化して提供することなどを説明しました。
    また、これまでの会合のなかで「拒否できる権利も認められるべきだ」という意見が出されていたことから、データを提供する際に改めて同意を取り直すことはしないものの、調査を受けた人がデータの提供を拒否できる「オプトアウト」という仕組みを設ける案も示されました。
    部会では、議論をもとに今後、報告書をまとめて県に提出することにしています。
    02月03日 17時02分 NHK福島放送局
    http://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/6053216011.html

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    1. まるで人体実験でもやっているかのよう…

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  45. 補助金不正受給の工場生産停止

    プリンターの販売などを行う東京の会社が、南相馬市での工場の新設に伴って福島県と南相馬市からあわせて6億円を超える補助金や助成金を不正に受け取っていた問題で、この南相馬市の工場が事実上、生産停止の状態となっていることがわかりました。
    東京・世田谷区に本社があり、プリンターの販売などを手がける「ルキオ」は、南相馬市原町区に「東北工場」を新設し、平成26年から操業を始めましたが、この際、水増しした書類などをもとに、設備投資費の一部を補助する福島県の「ふくしま産業復興企業立地補助金」を不正に多く受け取っていたとして、県と南相馬市から補助金と助成金の返還命令を受け、去年12月中旬までにあわせておよそ6億2000万円あまりを返還しました。
    この問題を巡っては、県がルキオの代表取締役を詐欺の疑いで刑事告訴していますが、複数の関係者によりますと、この代表取締役が先月中旬、およそ20人の東北工場の従業員に対し、1月31日付けでの退職を促したということで、現在は工場長を含む2人しか残っておらず、事実上、生産を停止しているということです。
    背景には、一連の問題で受注や取引先が減ったことなどがあると見られています。
    これについてルキオは、NHKの取材に対し、「お答えできません」と話しています。
    02月03日 18時37分 NHK福島放送局
    http://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/6053617931.html

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  46. 再起の漁港へ「ただいま」…浪江・請戸 6年ぶり復旧
    2017年2月25日15時0分

     東日本大震災の津波による損壊と原発事故で、漁協組合員の避難が続いていた福島県浪江町の請戸うけど漁港の復旧工事がほぼ終了し、26隻の漁船が25日、約6年ぶりに帰還した。今後、同港を拠点に試験操業を行う。かつて所属していた80隻以上に比べると、大幅に数を減らしたが、漁師たちは「きょうを元の港に戻すためのスタートにしたい」と意気込んでいる。

    船帰還「ようやくここまで」

     「第18友栄丸」の佐藤富夫さん(74)もこの日、これまで拠点としていた真野川漁港から請戸漁港に帰ってきた。東京電力福島第一原発事故で家を追われ、避難生活を送る中で妻を亡くした。「ようやくここまで来た」と万感の思いで帰還の日を迎えた。

     浪江町の北隣にある同県南相馬市で生まれ、漁師だった父親の影響で、16歳から遠洋漁業の船に乗り始めた。父親の後を継いでからは、沿岸のコウナゴやシラス、カレイ漁などで生計を立ててきた。次男の隆二さん(44)も漁師となり、一緒に漁に出るなど平穏な生活を送っていた。

     あの日は、海から300メートルも離れていない南相馬市小高区の自宅で、揺れに見舞われた。近くの小学校にトラックを走らせ、当時、小学1年生だった孫を乗せて避難している途中、津波に襲われた。車の外に出て孫を背負いながら泳いだ。「じいちゃんがんばれ」。孫の声に励まされ、電柱にしがみついて助かった。

     ほかの家族も無事だったが、請戸漁港に係留していた船は津波で流され、至る所が傷つき壊れた。その後は原発事故で避難を余儀なくされ、妻の美代子さんと栃木県内を転々とした。

     2012年6月、南相馬市内の仮設住宅に入居した後、「もう一度、漁師をやりたい」との思いがこみ上げた。北海道の造船所で新たに船を建造し、名前は前の船と同じにした。

     漁の再開に向けて準備を進めていた13年9月、美代子さんが67歳で亡くなった。がんだった。だが、再起の歩みは止めなかった。「妻は何よりも船の完成を待ち望んでいましたから」。8か月後、船が完成すると、愛知県で働いていた長男の兼一さん(46)も帰郷。隆二さんと親子3人、南相馬市鹿島区の真野川漁港を拠点として試験操業を始めた。請戸漁港に復帰後も、同市内に構えた自宅から通う。

     原発事故後、浪江町では全町避難が続いてきたが、3月末に沿岸部などの地域で避難指示が解除される予定で、請戸漁港の再開による復興促進が期待されている。

     まだ、水揚げした魚介類の荷さばき場や港内の道路は未整備で、風評被害の不安もぬぐえないが、佐藤さんは「いつか元通りになると信じている」と、ひたすら前を見据えている。

      ◆試験操業 =国の規制値(1キロ・グラムあたり100ベクレル)を大幅に下回る状態が続いた魚種を対象に、2012年6月から福島県沖で行われている。佐藤さんらが所属する相馬双葉漁協は福島第一原発の半径20キロ内では自粛してきたが、3月のコウナゴ漁から同10キロ内に縮小する予定。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170225-118-OYTPT50318

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  47. 震災6年 仮設入居なお3万世帯 - 2017/2/27
    http://news.yahoo.co.jp/pickup/6231397

    <震災6年>3県仮設入居いまだ3万3748世帯
    河北新報 2/27(月) 10:29配信

     東日本大震災から間もなく6年を迎える中、東北の被災3県では東京電力福島第1原発事故の自主避難者を含めて3万3748世帯、7万1113人がいまだに仮設住宅での生活を余儀なくされている。岩手、宮城両県は住宅再建で仮設からの退去が進んでいるが、福島県は原発事故の影響で先行きを見通せずにいる。

     3県で仮設住宅に入居する戸数の推移はグラフの通り。1月末時点と、震災発生1年後の2012年3月の比較では、2~4割台に減少。福島は公営住宅、民間賃貸に入居する自主避難者は含まれていないため、実際の世帯数と人数はさらに多い。

    ●岩手県

     入居戸数はピーク時の35.6%。退去後の対応について、昨年12月時点で96.7%の世帯について自宅の建て替えや災害公営住宅への入居といった再建方針を確認できた。県は方針が定まらない世帯の転居先確保を支援する。

     被害の大きかった釜石、大船渡、陸前高田、山田、大槌の5市町は仮設の供与期間が一律に7年目まで延長され、宮古市は事情のある世帯にのみ許可。8年目の延長について、県生活再建課の担当者は「復興状況を踏まえ、各市町の意向を確認して国と協議する」と話す。

    ●宮城県

     戸数はピーク時の2割まで減った。退去後の住宅再建方針が未定だったり把握できていなかったりするのは1月末で133世帯。県は秋に3カ所目となる被災者転居支援センターを石巻市に開設し、新たな暮らしの場を求める被災者を後押しする。

     仮設の供与期間は石巻、名取、女川の3市町で一律7年目まで延長。県震災援護室は「17年度末までに災害公営住宅の99%が完成する。8年目延長は特別な事情のある世帯に限らざるを得ない」とし、20年度に仮設住宅の解消を見込む。

    ●福島県

     県の昨年10月のまとめによると、原発の避難指示区域外からの自主避難者を含めた仮設への入居戸数は2万7806世帯、6万1617人に上る。県生活拠点課は「自主避難者は実態把握が難しく、ピーク時がどれぐらいだったかを把握できていない」と説明する。

     自主避難者への仮設供与が3月末で終わるため、県は1万2239世帯を対象に意向調査を実施。92.5%の1万1321世帯は方針が決まったか、既に移転済みだった。残る918世帯ははっきりしておらず、実態把握などを続ける。

     避難指示区域の9市町について、同課の担当者は「避難指示が解除される見通しが立たないうちは、仮設入居の期限を設けることは難しい」と語った。
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170227-00000001-khks-soci

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  48. 双葉郡20年後人口4分の1も

    東京電力福島第一原子力発電所の事故で一時すべての住民が避難した双葉郡8町村の20年後の人口は、厳しい想定では、事故前の4分の1程度に減少する可能性があることがわかりました。
    自治体の財政や行政サービスの維持に深刻な影響を与える可能性があり、専門家は、事故に責任を負う国が支援を継続する必要があると話しています。

    双葉郡の8つの町と村は、独自の判断で避難した広野町も含め、一時、すべての役場と住民が避難しました。
    その後、避難指示の解除が進みましたが、国の調査では、この春、解除される地域の住民で、「戻りたい」と考えている人は、富岡町で16%、浪江町でも17.5%にとどまっています。
    NHKは、住民の意向調査をもとに自治体が去年まとめた将来人口の推計や、復興計画にある目標人口などをもとに、平成47年までの双葉郡の人口の推移をまとめました。
    それによりますと、人口の流入がほとんどない厳しい想定で予測したケースでは、総人口は2万500人あまりと、原発事故の前の4分の1程度まで減少する可能性があることがわかりました。
    また、原発作業員の定住などを折り込んだケースでも、総人口は3万200人あまりと、事故前の4割程度までしか戻らない可能性があります。
    人口の減少は税収や保険料収入などの減少につながり、現在は国の支援で維持されている医療や介護、インフラなどの行政サービスに深刻な影響を与える可能性があります。
    福島大学の清水修二特任教授は、「原因は人為的な事故であり、国は放置するわけにはいかず、何らかの手当てが当然、なされなければならない」と話しています。
    02月27日 20時27分 NHK福島放送局
    http://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/6054287721.html

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    1. 「国の支援」で人口が元通りになるわけでもなく…

      維持できないものを税金で維持させようとすることは「賢明」かい?

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  49. [震災6年 未完の事業]<1>新校舎 児童は戻らず
    2017年3月1日5時0分

     大きなランドセルを初めて背負い、登校を始めた被災地の子が、もう中学生だ。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から6年。福島県ではこの春、4町村の避難指示区域が相次いで解除されるなど大きな節目を迎える。地域再生の道筋は見えてきたか。被災地の現場から報告する。

              ◎

     建物から余分なものをそぎ落とした。木のぬくもりと、窓から差し込む光が残った。この春から、同県楢葉町の小中学生が学ぶ新校舎だ。福島第一原発20キロ圏内でようやく、子供たちが授業を受けられる。

     町の配慮が際立つ。放射性物質を気にしながら窓を開けなくてすむようエアコンを完備した。冬は床暖房。保護者の要望も受け、未就学児の英語遊びを始める。町外の学習塾による授業も土曜などに開く。「一人でも多く戻ってもらいたい」との思いからだ。関連予算は総額20億円を超える。

     避難先のいわき市にある仮設校舎で学ぶ小中学生は129人だった。しかし、新校舎に通う意思を示すのは90人ほど。震災前にいた児童生徒数の2割にも満たない。計9クラスを想定していた中学の校舎に、小学1年から中学3年までの9学級が割り当てられることになった。2015年9月に避難指示が解除された後、拙速を避けて、再開の準備と周知に1年半かけた結果が、これだ。

     今年3月末に解除される飯舘村が34億円の予算をつけるなど、教育環境の整備に力を入れる自治体は多い。それだけに、楢葉町の試みを注目していた担当者らの表情が一様に厳しい。「現実を突きつけられた感じがする」。極限の少子化という現実だ。

              ◎

     11市町村に設定されていた避難指示はこの春で、総面積の7割近くが解かれ、対象住民8万1000人のうち、5万6000人は避難者でなくなる。ただ、14年10月に大半の避難指示が解除された川内村でさえ、帰還した住民は2割。その後解除された楢葉町、葛尾かつらお村は1割ほどだ。

     子育て世代の動きが鈍い。6年の避難が暮らし方を変えたのだ。解除された5市町村の帰還住民のうち、60歳以上が占める割合は平均で65%。全国平均を30ポイントほど上回る。まちづくりの中核は当面、高齢の住民らが担うことになる。しかし、彼らにも不安がある。

     例えば医療機関。南相馬市小高区には震災前、14施設あったが、昨年7月の解除後、再開しているのは3施設。かつての勤務医でも呼び戻すのは難しい。

     川内村の診療所には内科医が1人勤務するものの、週の半分は不在。救急時に最も早く運べるのは郡山市だが、40キロ以上離れている。

     各地の介護施設も再開の見通しが立たない。募集をかけても法定の職員数を確保できないからという。

     人が消えれば、地域の機能は急速に失われる。停止した機能の再起動には、途方もない労力を要する。住民や行政が向き合う復興とは、だれも経験したことがない未知の仕事だ。

      ◆避難指示区域 =年間被曝(ひばく)線量によって、避難指示解除準備区域(20ミリ・シーベルト以下)、居住制限区域(20ミリ・シーベルト超、50ミリ・シーベルト以下)、帰還困難区域(50ミリ・シーベルト超)の三つに分かれる。2013年に確定した。この春解除されるのは帰還困難区域を除く2区域。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170301-118-OYTPT50082

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    1. [震災6年 未完の事業]<2>原発処理費 膨張続ける
      2017年3月3日5時0分

       東京電力は1~2月、福島第一原子力発電所で炉心溶融(メルトダウン)を起こした2号機の本格調査を事故後、初めて実施した。

       まず、原子炉格納容器内に、パイプの先につけたカメラを入れた。映像から、炉心の真下にある金網の作業用床に1メートル四方の穴と堆積物を確認した。炉心からこぼれ落ちた溶融燃料が突き破った可能性もある。廃炉作業を本格化するには、放射線をまき散らす溶融燃料の場所を特定する必要がある。その後投入した調査ロボットは、堆積物にひっかかり動けなくなった。溶融燃料を探せないまま、調査を打ち切った。

       東電は9月末までに燃料の取り出し方法を決めたいが、溶融燃料の分布もわからない現状では難しい。

       2号機から数百メートル離れた広大な敷地には、容量1000~3000トン級の巨大なタンクが約900基並ぶ。放射性物質を含んだ汚染水を収容しており、数日で1基のペースで増え続けている。今後の汚染水の取り扱いは未定だ。

       2051年までに終えることを目指す廃炉作業。世界的に前例のない取り組みは「試行錯誤」の領域から抜け出せていない。

             ◎

       避難が長引く被災者や風評被害に苦しむ農林業者の生活立て直しも道半ばだ。

       「福島の人々は不十分だと言っている」

       昨年11月末、自民党の「東日本大震災復興加速化本部」の本部長、額賀福志郎・衆院議員は東電ホールディングス(HD)の広瀬直己社長を党本部に呼びつけ、賠償金の支払い方針見直しを要請した。

       東電が避難指示区域内の農協や酪農団体などに18年まで2年分の賠償金支払いを提示したところ、自民党の怒りを買った。地元では賠償を打ち切るとの懸念が高まっていた。

       要請から間を置かず、東電は農林業者に対し、19年まで3年分と20年以降も「事故と相当因果関係のある損害」を支払うと通知した。東電の幹部は「永久に賠償し続けるのは難しい」と本音を漏らす。この先、何年支払い続けるのか、事実上わからなくなった。

       飛散した放射性物質を取り除く除染作業も難航する。当初は田畑の表面の土壌を削り取ることを目指した。放射線量が高く、人が立ち入らないまま放置された農地には、ヤナギなどの草木が根をおろし、大きく成長した。草木を伐採し、地中に張り巡らされた根を掘り起こす作業が加わった。

       廃炉、賠償、除染――。事故が起きてから6年、政府は事故の処理費用を従来のほぼ2倍となる総額21・5兆円と見積もる。最終的に電気代への上乗せや税金を通じて国民が負担する。時間の経過とともに想定を上回る事故の深刻さだけは明確になっており、今後も費用が膨らむ可能性は高い。被災者と同じように国民も長い忍耐を迫られる。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170303-118-OYTPT50075

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    2. [震災6年 未完の事業]<3>仮設解消せず 不公平感
      2017年3月4日5時0分

       部屋はホームベース付近、玄関を開けると三塁側のベンチが見える。美容院経営山本明美さん(51)が暮らす仮設住宅は、宮城県女川町の小高い丘にある町民野球場のグラウンドに立つ。わずか約100メートル先には、都市部のマンションのような災害公営住宅「運動公園住宅」がある。町内で最も早い3年前に完成し、約200世帯が一足早く入居した。3~4階建て、最も大きな部屋は4LDKだ。

       「なんだか取り残されたような気がして」。山本さんの胸中は複雑だ。仮設住宅の9棟(189戸)には、いまだ163世帯が暮らす。

       この仮設住宅の設計は著名な建築家が手がけた。山本さんは一家3人で2014年春に入居し、通常の仮設住宅よりモダンな外観がお気に入りだった。しかし、一軒家だったかつてと比べて手狭で、荷物が積み上がる。「精神的に疲れがたまってきた」。希望する約1キロ離れた災害公営住宅の建設は遅れ、完成はまだ1年先だ。「早く安住できる家に住みたい」

       女川町の災害公営住宅は当初計画より半年遅れている。町は津波被害に遭った低地の住宅再建をあきらめ、高台移転を選んだ。だが、山間部の硬い岩盤に阻まれ、連日のように発破するなど、工事が難航した。

       「運動公園住宅」に抽選で当選した坂本礼子さん(48)は、家族と野球場の仮設住宅から移った。目立たないように引っ越し、あいさつも、ごく近所のみ。積極的に関わった仮設住宅のイベントにも、今は足を運べない。「まだ残っている人に申し訳ない」

       南正昭・岩手大地域防災研究センター長は、復興事業が大詰めを迎える現在の課題を挙げる。「住まいを再建した人、まだの人という格差が鮮明になっている。被災者の心理的負担が重なっており、十分なケアが必要」と指摘する。

           ◇

       復興のスピードの差は、自治体間にも及んでいる。

       岩手県大槌町は、旧市街地をかさ上げして再建する。宅地や道路など地区ごと再構築する土地区画整理事業を活用し、961戸分の宅地を造成する。しかし、事業は長引き、進捗しんちょくは半分ほどだ。

       同町赤浜地区で自宅を再建する予定の消防士佐藤巧真さん(21)は、今年1月にようやく土地の引き渡しが実現した。当初予定より約3年延びた。「雨の日も雪の日も続く工事を見れば仕方ない。でも、東京オリンピックで資材が高騰したせいか、建設費は1000万円も上がった」。引き渡しが1年以上先の地区もある。

       一方、宮城県南三陸町は宅地は高台へ、商業地などは低地に配置する「職住分離」を進めた。「津波が来ても逃げる必要がない町」を掲げ、高台に住まいを集約させた。同町は昨年、宅地造成を終えた。

       復興事業の選択によって生まれた格差。女川町の担当者は言う。「計画当初は規模感も計れないし、どれが正しい選択か、誰も分かるはずなかったと思う」
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170304-118-OYTPT50137

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  50. [震災6年]待望の故郷 曇る心
    2017年3月1日5時0分

     東京電力福島第一原発事故後、住民の心を縛りつけてきた地図がある。原発を中心に色分けされた避難指示区域図。総面積は最大約1150平方キロ、東京23区の1・8倍に及んだ。避難指示が相次いで解除され、区域はこの春で3分の1にまで縮小する。ただ、帰還の動きはきわめて鈍い。住み慣れたわが家を奪われた6年。避難先で暮らし続けた6年。歳月の重みがのしかかる。

    通院は隣町 84歳夫が運転

    ■飯舘の夫婦

     飯舘村で大工をしていた佐藤文良のりかずさん(84)は昨年7月、妻滝子さん(80)と自宅に戻った。今年3月末に予定される避難指示の解除に向け、生活準備のための「長期宿泊」ができるようになったからだ。

     大工仕事はもうできないが、のみを手にこけし作りに精を出す。夫婦水入らずの田舎暮らし、日常をやっと取り戻した。しかし、佐藤さんはふとさみしくなる。自分が手がけた家々が取り壊されていくのだ。

     20年前まで現役だった。地元住民に頼まれて建てた家があちこちにある。あるじを失った家を眺めてため息をつく。「100年は持つのにもったいねえ」

     滝子さんにとっても、楽しみだった朝夕の散歩が一変してしまった。近くの小学校に通う子供たちの姿を見たり、近所の人と何げない会話を交わしたりすることができなくなった。

     不安もふくらんでいる。

     滝子さんは高血圧や糖尿病を患っている。佐藤さんが車で、隣接する川俣町のかかりつけの病院まで片道30分かけて連れていく。

     運転免許は佐藤さんしか持っていない。だが、その佐藤さんが大声で会話するほど耳が遠くなり、滝子さんは運転が心配だ。車で出かける時間帯を気にするのは、高齢者が子供をはねるニュースが人ごととは思えなくなってきたからだ。

     運転ができなくなったら村唯一の診療所に頼るしかない。ただ、診療は週2日の午前中だけ。原発事故前には、日曜を除き夕方まで診てもらえたが、現在の利用者はまだ少なく、村の担当者は「診察日時は現状が限界」と打ち明ける。

     人生の締めくくりは故郷で。そんな思いの高齢者は少なくない。帰還を決断するポイントは、生活環境がどれほど戻ったかだ。とくに医療機関や福祉施設の再開は大きな指標になる。しかし、患者が少ない地域では医療は採算が合わず、介護職員は慢性的な人手不足となっている。再開のめどが立たない自治体は多い。

    「地元で通学」今春は1割

    ■子育て世代

     避難指示が解除されても、帰還者は期待通りに増えない。子供たちや子育て世代の動きは象徴的だ。

     昨年7月に解除された南相馬市小高区。原発事故後、避難指示区域外の市内に小・中学校とも仮設校舎を整えた。事故前の2割近くにあたる約180人の子供たちが学ぶが、予算8億円を投じて今春再開する地元校舎に通うのは123人。事故前の1割ほどだ。

     「避難指示が出なかった地区とのバランスを考えると、できることには限界がある」と新田正英教育総務課長は声を落とす。

     ただ、20億円の予算をつぎ込んだ楢葉町も苦戦を強いられている。小高区より早い2015年9月に避難指示が解除され、今春から地元で授業を再開するが、通学する子は事故前の1割を上回った程度だ。

     昨年6月に避難指示が解除された葛尾かつらお村や、今年3月末に解除予定の飯舘村も揺れている。地元で早期に授業を再開し、親子の帰還につなげたいと考えてきた。しかし、悩んだ末、同じ結論になった。再開は1年先送りし、来春とする――。

     「避難先から通えない」「放射線の不安が消えない」など保護者からの反発が強かったためだ。葛尾村では、アンケートに答えた78人のうち、村の学校に通うと明確に答えた子供が5人しかいないというショッキングな調査結果が出た。

     この春に避難指示が解除される浪江町の状況はさらに厳しい。来春にも町内で学校を再開させたいが、避難先の仮校舎は約40キロ離れた二本松市にある。子供たちの負担や通学の継続を考慮し、町内での学校再開後も、避難先での授業は続ける予定だ。

     ただ、この避難先の小中学校に通う子供は25人。このまま転入転出がないと、18年度の在校生は小学生3人、中学生4人になる。町に現在も住民票がある小中学生は約1300人いる。

     故郷の友達とのつながりという糸も切れつつあるいま、学校の将来像を描ける関係者はほとんどいない。

    「客いない」帰還断念

    ■県外で事業

     富岡町で手芸店を営んでいた石原政人さん(54)にとっては、生活を一から立て直すための6年だった。

     富岡では、地元住民を相手に、ミシンや布などの手芸用品全般を販売していた。原発事故の後、両親と妻(53)、3人の子供を連れて新潟県柏崎市に避難した。高齢の両親は居間で寝かせ、家族5人は8畳間で雑魚寝する生活。知り合いがいない新潟では、いきなり小売りを再開するのは至難だ。新潟県内や北陸地方の手芸店を飛び回りながら、ミシンの仲卸の契約を取るようになった。

     高校1年、中学3年、小学5年だった子供たちはいま、長女と次女は柏崎市内で就職、市内の中学校を卒業した長男は高校生だ。都会的過ぎず、ほどよく便利な街。「6年もたつと、新しい生活にも慣れて居心地がよくなる」。石原さんは感じる。「まして子供たちにとっての6年は長い」

     福島県内の中学・高校の制服に名前を刺しゅうする仕事は続ける。送料の半額を負担することで、受注は震災前より増えた。ただ、仲卸も刺しゅうの仕事も、1件あたりの経費は高くつく。売り上げは震災前の5分の1、利益は10分の1にまで落ち込んでいる。

     今の商売は順調とは言い難い。それでも富岡には帰還しない、と石原さんは言い切る。「売る相手がいなければ、商売は成り立たない。震災前と同じように富岡の住民相手に商売はできない」。避難指示が解除されても、故郷の未来に希望を見いだせないのだ。

    新しい楢葉町 施設を「集約」 住宅、医療機関、店舗…

     避難指示が解除された自治体では、施設を集約した街づくりも進む。2015年9月に解除された楢葉町が、町中心部約23ヘクタールに計画する「コンパクトタウン」がそれだ。

     ポイントは、津波の被災者らが入居する災害公営住宅。子育て世代の定着にも期待し、町立「あおぞらこども園」(今春再開予定)近くを建設用地にした。計画数は木造平屋123戸。昨年12月から一部で入居が始まった。分譲住宅も整備される。昨年から近くで診療を始めた県立診療所は新設、歯科医院は町の働きかけで、町内の別の場所から移転してきた。18年春には、スーパーやホームセンターなどが入る公設民営型の商業施設がオープンする。

     こども園につながる交流サロン「ふらっと」を含め、高齢者の生活に配慮した街だ。町は「帰還のシンボルにしたい」としている。

    災害公営住宅 受け皿に

     避難指示区域には、東日本大震災によって屋根が損壊したまま放置され、その後の雨漏りで致命的に傷んだ家が多い。屋根は無事でも、動物に荒らされ、人が住める状態にない家もある。そんな自宅を再建できない住民の、帰還の受け皿が災害公営住宅だ。

     帰還者向けの災害公営住宅は、各地で計302戸が計画されている。バリアフリー化や住民が集う広場など、帰還住民のための工夫が目立つ。

     4月に解除予定の富岡町では同月上旬から、沿岸部に近い曲田地区に整備した50戸分の入居が始まる。平屋と2階建てがあり、外壁や間取りなどが異なる14種類のプランを用意した。入居は2人以上で、家賃は月8300~8万9500円と幅がある。

     庭に垣根はなく、住民同士が交流できる広場も設けた。近くにホームセンターや飲食店などが入る複合商業施設、診療所も整備されている。

     2月末現在、50戸のうち34戸の入居が見込まれ、17年度中に残る104戸分も完成させる。町の担当者は「ぎりぎりまで居住先を決めかねている人が多い。まだ全体像は見えないが、帰還者の住みやすい街にしたい」と話す。

     避難指示が昨年6月に解除された葛尾村の11戸はすべてバリアフリー仕様。2階建てにエレベーターが設置されている。3月末に解除される飯舘村でも、半数は高齢世帯向けだ。台所は車いすでも調理ができる設計になっている。

              ◇

     ただ、結びつきが強い地域でも、6年の空白はコミュニティーを一変させる。仮設住宅という人間関係が濃密な場所から、災害公営住宅に転居する高齢者にとっては、同じ故郷でも不安は大きい。

     郡山市の仮設住宅から、川内村の災害公営住宅に転居する猪狩いがり明可あきよしさん(86)も思い悩む一人だ。村は14年10月と16年6月、2段階で避難指示が解除され、避難指示区域はすべてなくなった。このため、村からは3月末までに仮設住宅を退去するよう求められている。

     仮設住宅にはピーク時、他の自治体からの避難者を含めて約150世帯が入居した。顔見知りは数人。妻のナオ子さん(84)には聴覚障害がある。当初は神経がすり減ったが、仲の良い住人ができ、支えてくれた。自分や妻を車に乗せ、買い物や病院へ連れていってくれた。

     山あいにある自宅はもう暮らせる状態にない。3キロ先の災害公営住宅に転居するしかないが、同じ仮設住宅の住民や親しい村民はいないようだ。

     「引っ越し先で一から人間関係を築けるのだろうか。いざというときに頼れる人を作れるのだろうか」。猪狩さんはため息をついた。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170228-118-OYTPT50465

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  51. [震災6年]愛梨の制服できたよ 「中学生の姿 見たかった」
    2017年3月1日5時0分

     真新しい濃紺の上着を広げ、袖を通すはずだった長女の姿を思い描こうとした。東日本大震災から6年。被災地・宮城県石巻市の佐藤美香さん(42)は2月28日、津波で亡くした長女・愛梨ちゃん(当時6歳)がこの春から通っていただろう市立蛇田中学校の制服を手に取った。「愛梨はどんな中学生になったんだろう。制服姿、見てみたかったな」

     活発で身長も園で2番目に高かった愛梨ちゃん。だから、制服も大きめのサイズを注文した。胸元の裏地には、「愛梨」の名前を好きだったピンク色の糸で刺しゅうしてもらった。

     1月23日、妹の珠莉じゅりさん(9)を連れて注文に行くと、店長の鈴木儀子のりこさん(63)が快く引き受けてくれた。「こうした注文は初めてじゃない」という。市内では、沿岸自治体で最多の3600人が犠牲となった。

     あの日、愛梨ちゃんは私立日和ひより幼稚園の送迎バスに乗車中、津波にのまれた。バスは火災に巻き込まれ、他の園児4人とともに命を落とした。

     3日後、美香さんは他の保護者たちとバスを捜し出し、愛梨ちゃんを見つけた。変わり果てた姿だった。炎に包まれ、赤ちゃんのように小さく縮んだ黒い体。崩れてしまいそうで、抱き締めてあげることすらできなかった。

            ◇

     愛梨ちゃんは、小学校へ通うのを楽しみにしていた。この6年間は、愛梨ちゃんの成長した姿を思い描く毎日だった。店先で靴や洋服が目につくと、つい手が伸びた。自宅の愛梨ちゃんの写真立ての下には今、真新しい靴やサンダルが3足並んでいる。

     2月7日、生きていれば愛梨ちゃんが卒業するはずだった市立蛇田小学校の教頭から電話があった。「愛梨さんの生年月日を教えてもらえませんか。卒業証書を作ろうと思います」。学校側の配慮がとてもうれしかった。

     しかしその夜、もう1本の電話が、美香さんを深く傷付けた。見知らぬ番号からの着信。相手の女性は「佐藤様のお宅ですか。6年生の親御さんですよね」。卒業証書の関連かと勘違いし、話を聞き始めると、どうやら塾の勧誘だった。

     どこかで手に入れた昔の名簿を基に電話をかけてきたようだ。「うちは震災で亡くなっているのですが……」と美香さんが答えると、相手の女性は「そうでしたか。でしたら削除しておきます」。唐突に電話は切られ、その場に立ち尽くした。

     削除――。その言葉が頭から離れなかった。我が子の存在が消されるようで、胸に突き刺さった。風呂に入り、悔しくて湯船で水面を何度もたたいた。膝を抱えて泣いた。

     愛梨ちゃんがいないことは分かっている。マイナンバーの通知カードにも「愛梨」の名前はなかった。

     塾の春期講習を宣伝するダイレクトメールも届いている。だが、捨てられない。「宛名に愛梨の名前がある。名簿の中では、愛梨はまだ生きているのかなって思うと……」

            ◇

     数日前、珠莉さんが姉の遺影の下にノートを置いた。表紙に「卒業おめでとう!」と書かれ、切り取ったかわいい熊のイラストが貼り付けられている。「愛梨のためにノート作ったの」。お祝いのメッセージを書き込むためらしい。

     珠莉さんが中学生になったら、愛梨ちゃんの制服を着てもらおうと、ひそかに思っている。2人の名前を並べて刺しゅうしてもらおう。その時は、こう言ってあげるつもりだ。「きっと愛梨が、珠莉を守ってくれるよ。ずっとそばにいるからね」

    被災地 最大30センチ隆起…国土地理院発表

     国土地理院は28日、東日本大震災後に地盤沈下した岩手、宮城、福島、茨城4県の水準点計573地点について、すべてで隆起が確認されたと発表した。昨年行った調査の結果、2011年7~9月の調査時より最大約30センチ高くなっていた。水準点は土地測量の基準で、津波の被害を受け、防潮堤の整備を進める宮城県は約90か所、福島県は8か所について計画を見直し、隆起分を引いた「低い防潮堤」に変更する方針だ。

     隆起した高さが最大だったのは、宮城県石巻市清水田浜と同市荻浜の2地点で各30・6センチ。同県気仙沼市長磯で24・1センチ、岩手県釜石市大町で17・1センチ、福島県いわき市平で9・1センチなどとなった。同院によると、地盤が隆起したのは、地震が起きた海と陸のプレート境界の深い部分で、海のプレートが陸のプレートの下を滑り続けて陸側を押し上げる「余効変動」が原因。

    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170301-118-OYTPT50097

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  52. [震災6年]「最後の卒業式」次へ…福島5高校 休校
    2017年3月1日15時0分

     2011年3月の東日本大震災で被災した福島県で1日、県立高校の卒業式が行われた。東京電力福島第一原発事故による避難指示区域内の双葉、富岡、双葉翔陽、浪江、浪江津島校の5校は、生徒減少などのため、避難先での校舎の間借りを今年度で終え、休校する。卒業生計111人は、母校での思い出を胸に新たな目標に向かって歩み出す。

    双葉高 「夢は教師」野球と歩む

    マネジャー 渡辺陽奈さん 渡辺陽奈ひなさん(17)は、夏の甲子園に3回出場した伝統がある双葉高校野球部でマネジャーを務めた。仮校舎のあるいわき明星大(福島県いわき市)での卒業式を同級生11人で終え、原発事故について「『なぜこんなことに』と怒りもあるが、11人でこの日を迎えられ、よかった」と話した。

     第一原発から約20キロ南の広野町出身で、小6のとき、原発事故が起きた。両親と神奈川県に避難し、中3で地元へ戻った後、仮校舎で授業を行う双葉に進学した。

     マネジャーになったのは2年生の1月。同級生の野球部員2人に「手伝って」と誘われた。生徒の募集が停止され、後輩の入部もない中、たった2人で苦労する様子を見て、「自分にも出来ることがあるはずだ」とテニス部から移った。

     野球はルールもわからない素人だったが、選手2人のノックにもトス役として参加。キャッチボールでうまく捕球できず「役に立っているのだろうか」と落ち込むこともあった。だが、「選手の前向きな姿に元気をもらい、部活に行きたくないと思ったことは一度もなかった」。

     昨夏の県大会は他校との連合チームで出場し、記録員としてベンチに入った。初戦で敗れ、最初で最後の夏はあっという間に終わったが、懸命にプレーする選手の姿を見て思った。「これで高校野球が終わるのは嫌だな」。「教師」という将来の目標に「高校野球に関わること」が加わった。

     地元の社会科教師を目指して東京都内の大学に進学する。「休校は悲しいが、終わりではない。学校再開に向けた始まり」と信じ、母校が事故前の日常を取り戻すことを夢見ている。

     【避難指示区域】 放射線量が低い順に、避難指示解除準備区域、居住制限区域、帰還困難区域の3種類があり、東京電力福島第一原発周辺の8市町村にまたがって設定されている。帰還困難区域以外の2区域の大半は今春、避難指示が解除される。

    富岡高 熱血寮監11年「悔しい」

     富岡高校の生徒寮「桜風寮」で11年間、寮生活を取り仕切る「寮監」を務めた荒木信彦さん(52)もこの日、大きな節目を迎えた。

     2006年4月、サッカー、ゴルフ、バドミントンの有望選手を受け入れる「国際・スポーツ科」が開設されると同時に寮監になった。「世界に羽ばたく選手を育てたい」と考え、妻の春恵さん(43)とともに親元を離れた生徒の面倒を見てきた。震災時は家族4人で住み込んでいた。

     消灯後も騒ぐ生徒を容赦なく叱りつける熱血漢。だが、悩む生徒には愛情を持って接した。厳しい指導を受け、「サッカーも学校も辞めたい」と泣きながら訴える生徒には「期待の裏返しで厳しくなるんだ」と諭し、立ち直った生徒はJリーガーにまで成長した。

     原発事故後は一家で静岡県へ避難。11年5月、富岡高校が再開したときは、家族が一緒に住めなくなることを心配し、帰還を迷ったが、春恵さんに「子供たちが戻って来るよ」と背中を押され、寮代わりの福島市内の温泉旅館に移った。しかし、入校希望は年々減り、14年10月に休校が決まった。「夢を奪われた」と怒りが収まらなかった。家族そろっての住み込みも実現しなかった。

     卒業生らが集まってくれたのは、温泉旅館での寮監生活も残り1か月余りとなった今年1月。「2人がいてくれたから3年間、楽しく過ごすことができました」「本当のパパ、ママでした」とつづられた色紙を贈られ、少し心が軽くなった。

     4月から福島大に転職し、双葉郡の教育支援を担当する。「休校は悔しいが子供たちを応援し続けたい」

         ◇

     1日には岩手、宮城、福島3県の県立高校計226校で卒業式が開かれた。

    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170301-118-OYTPT50283

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  53. 福島県沖の試験的漁 1日からの海域拡大を決定
    2月28日 21時33分

    東京電力福島第一原子力発電所の事故のあと、福島県沖で行われている試験的な漁について、福島県漁連は海底のがれきの撤去が終わったことなどから、3月1日から漁をする海域を広げることを決めました。

    福島県沖では、福島第一原発の事故のよくとしの平成24年から、安全性が確認された漁場と魚介類について、順次、試験的な漁が行われていますが、原発から半径20キロ圏内では、漁の自粛が続いています。

    これについて、福島県漁連の会議が開かれ、1日から漁を自粛する海域を半径20キロ圏内から半径10キロ圏内に縮小し、漁をする海域を広げることが全会一致で承認されました。

    海域の拡大は、海底のがれきの撤去が終わったことや、去年、行われた福島県沖の魚介類の放射性物質の検査で、8500余りの検体のすべてが国の基準を下回ったことなどが理由だということです。

    このほか、会議では水揚げした魚の販売方法について、風評による値崩れの防止などを目的に、地元の仲買組合に一括して引き渡していた方法を見直し、震災前に行っていた入札を再開することも決まりました。
    相馬双葉漁協組合長「大きな一歩だ」
    試験的な漁をする海域が広がることについて、福島県北部の相馬双葉漁協の佐藤弘行組合長は「これまで長期間にわたって漁を自粛してきた海域だけに、拡大は大きな一歩だ。現場の海域では、放射性物質の濃度も安定的に下がっていることへの消費者などの理解を求めながら福島の漁業の復興をアピールしていきたい」と話しています。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170228/k10010893881000.html

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  54. 福島 富岡町の桜まつり 7年ぶり来月開催へ
    3月2日 4時04分

    東京電力福島第一原発の事故以降、開かれなくなっていた福島県富岡町の「桜まつり」が来月、町の避難指示の大部分が解除されるのを受けて、7年ぶりに開催されることになりました。

    福島県富岡町の夜の森地区には、およそ400本のソメイヨシノが中心部の道路沿いに2キロ余りにわたって植えられ、原発事故が起きるまでは、毎年春に桜まつりが開かれて、10万人以上の人出でにぎわいました。

    町の関係者によりますと、ことしは、この桜まつりが来月、町の避難指示の大部分が解除されるのを受けて、7年ぶりに開催される見通しになったということです。

    日程は来月8日の1日で、これまでのメイン会場の「夜の森公園」が放射線量が比較的高い「帰還困難区域」にあり、避難指示が続くことから、1キロほど離れた富岡第二中学校がメイン会場になるということです。

    町は祭りの事業費として、2800万円を盛り込んだ来年度の当初予算案を定例議会に提出する方針で、今後、実行委員会で具体的な催しを検討することにしています。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170302/k10010895421000.html

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  55. [震災6年]復興拠点作り 長期戦…「人がいる街」具体案カギ
    2017年3月2日5時0分

     2011年3月の東京電力福島第一原発事故による避難指示区域が続々と解除されていく中、住民であっても自由に行き来できないエリアがある。福島県内に広がる総面積337平方キロの帰還困難区域(年間被曝ひばく線量50ミリ・シーベルト超)。名古屋市に相当するこの広大な領域で、かつて2万4000人が生活した。いまだ、元いた場所に戻れた住民は一人もいない。

      原発立地の町

     除染と環境整備を先行して進める「特定復興再生拠点区域」(復興拠点)に、いま注目が集まる。帰還困難区域を抱える自治体が計画をまとめ、国に認められれば、国負担で除染が実施され、道路整備などの事業も進展する。

     難易度が高いのは、福島第一原発が立地する大熊町と双葉町。いずれも帰還困難区域の住民が、町全体の96%を占める。狭いエリアの先行整備にどれほど効果があるか未知数だからだ。

     大熊町は、JR常磐線大野駅周辺や、常磐道の新インターチェンジ建設予定地を含むエリアを復興拠点として想定する。周辺町村の拠点病院である県立病院や町役場があり、商店街も栄えた場所だ。ここに産業区域を置く構想も温める。「5年先、10年先、30年先。戻る時期の選択肢を用意する。それがいま町にできること」と町幹部は言う。

     6年も人の流れが途絶えた。帰還をためらう住民にまず、かつて栄えた場所の再起を見せる。産業区域の廃炉関連従業員らを「新住民」として受け入れる。「人がいる街」をどう作り出すか。手探りは続く。今秋、帰還困難区域を除く2区域(町域の38%)の避難指示の解除を目指す。

     双葉町の事情はさらに厳しい。「うちの復興が一番遅れていると感じる」。町のある幹部は打ち明ける。

     復興拠点は、双葉駅東西に広がる地域を軸に、計画を練る意向。大動脈の国道6号線沿いに飲食店や宿泊施設を誘致し、にぎわいを取り戻したいとしている。

     しかし、町域の96%は帰還困難区域、残る4%は津波被害を受けたエリアだ。福島の自治体で唯一、役場ごと県外に避難したため、県外に定住した住民も多い。復興のハードルは高い。

     ただ、双葉、大熊両町とも、想定する復興拠点近くには、汚染土などを保管する広大な中間貯蔵施設があり、さらに海側には廃炉作業中の原発がある。住民たちにアピールする具体的なメニューが鍵を握る。

      異なる事情

     自治体ごとに復興拠点の意味は異なる。

     例えば、双葉町北隣の浪江町。今月31日に中心部の避難指示が解除されるため、復興が加速しそうな印象もあるが、そう簡単ではない。残る帰還困難区域は180平方キロあり、同区域を抱える7市町村の中で最も広く、町域の8割に及ぶ。

     区域は1956年に合併した三つの村域と重なる。いずれも独自の結束力を残す地域で、アイドルグループのテレビ番組で有名になった農村、陶磁器「大堀相馬焼」の発祥地もある。町は不公平感にも配慮し、復興拠点を3か所に設ける計画を立てている。

     浪江町と同様、中心部の避難指示がこの春に解除される富岡町はどうか。

     残る帰還困難区域は面積ベースで12%と広くはないが、人口の割合は3割を占める。桜並木で有名な市街地・夜の森地区の大半が入っているためだ。

     この区域の7割程度が年に1回、一時帰宅しているという調査結果はある。ただ、ひとたび災害が起きると、市街地は人が流出しやすい。海側には115ヘクタールの汚染土の仮置き場がある。

     いずれのケースでも、復興拠点設定後の長期戦略が大きなポイントだ。

    「ここで畜産を」固い決意…大熊に通い 牛の世話

     住民の強い意志が帰還困難区域の故郷を支える。

     福島県広野町に避難する池田光秀さん(55)はこの5年半、故郷・大熊町の帰還困難区域に通い、牛の世話を続けてきた。

     30歳代で父親の仕事を引き継いだ。5頭だった黒毛和牛を30頭に増やした直後、原発事故が起きた。牛を残し、妻美喜子さん(59)と避難した。半年後に戻ると、牛たちは自力で逃げ出していた。方々を捜して20頭を見つけ、養ってきた。原発20キロ圏では震災前、約310戸の畜産農家がいたが、いま活動するのは池田さんら十数人しかいない。

     東電からの賠償があるとはいえ、いま世話を続けても牛が売れるわけはない。それでも池田さんは言い切る。「牛飼いとして生きてきた自分の人生を否定するようなことはできない。この土地で畜産を再開できる復興の日を待つ」

     この大熊町の帰還困難区域では、60歳代の男性6人がつくったグループ「じじい部隊」も、防護服姿でパトロールと清掃活動を続けている。一時帰宅した住民の手助けもする。活動を始めてもうすぐ4年。「町民が戻る日まで活動をやめない」。原発事故当時、町総務課長だったリーダーの鈴木久友さん(64)はそう言う。

     伝統も帰還の原動力だろう。浪江町の帰還困難区域・津島地区で行政区長を務め、郡山市に避難する酪農家の紺野宏さん(57)。五穀豊穣ほうじょうなどを願う地元の旧正月行事「津島の田植踊り」で、紺野家は代々「庭元」と呼ばれるまとめ役だった。10人以上のメンバーが集まって練習を重ね、県内外で披露を続けている。

           ◇

     復興庁が2015年8月~16年9月に実施した意向調査によると、故郷に戻らないと回答した住民の割合が、多くの自治体で5割を超えた。大熊町63・5%、双葉町62・3%、富岡町57・6%、浪江町52・6%。1年前の調査と比べて4・6~7・3ポイント増えた。同庁は「避難先で家を建てるなど、本格的に生活再建に入った住民が増えたからでは」と分析する。

     裏付けるデータもある。双葉町が役場ごと2年余り避難していた埼玉県加須市による調査結果だ。昨年12月の調査で、市内に避難する195世帯のうち、101世帯が自宅を所有していると回答。1年前の42・6%から51・8%に増えた。

     政府は、帰還困難区域の復興拠点の避難指示解除を「おおむね5年以内」と見込む。2022年。東日本大震災から11年というその時期まで、待ち続ける住民はどれほどいるか。

     「多くても町民の1割程度だろう」。渡辺利綱・大熊町長の予測は厳しい。ただ、住民を一様には見ていない。「一度帰還をあきらめても、古里への思いを抱える町民はたくさんいる。いつか帰れる環境を作る努力を続ける」
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170301-118-OYTPT50423

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  56. [震災6年]天国の父に導かれ
    2017年3月2日5時0分

     東日本大震災の被災地で1日、県立高校の卒業式が行われ、岩手、宮城、福島3県の計226校で卒業生が新たな一歩を踏み出した。小学校を卒業する春に震災に遭って6年。困難や悲しみを乗り越え、故郷の再生とともに歩んできた若者たちは、恩返しや復興への誓いを胸に、巣立った。

    高校卒業 夢は編集者…陸前高田

     岩手県陸前高田市の県立高田高で卒業式を終えた上舘愛梨さん(18)は、自宅に帰ると父親の洋文さん(当時31歳)の遺影に報告した。「今まで、育ててくれてありがとう」。この6年間にも感謝の気持ちを込めたのは、父のおかげで夢に向かって踏み出せたからだ。

     洋文さんの遺体は震災の翌月の2011年4月に見つかった。津波の犠牲になったとみられている。入学した中学校への通学路はがれきが散乱し、家に帰っても父はいない。「何に対してもやる気が出なかった」

     父は友達のような存在だった。「ワンピース」などの少年漫画やアニメが好きで、自宅の本棚には漫画がずらりと並び、愛梨さんも自然と没頭するようになった。休みの日は、キャラクターの絵を描いてもらった。

     中学時代は亡父の漫画を読みあさった。虚無感から逃れられず、進んだ高校。将来の進路が現実味を帯びてきた時、好きなことを仕事にしようと決めた。漫画などの雑誌編集にかかわること。「父がいたから、こんなに好きになれた。未来が見え始めて、前向きな気持ちになれた」。震災遺児の進学を支援する制度に申し込み、打ち込めなかった勉強に励んだ。第1志望だった仙台市の大学に合格した。

     遺影は父の漫画が並んだ本棚の上。お気に入りだった作品の最新刊が出るたびに、そこに新たな1冊を加える。卒業式から帰ると、卒業証書をそっと置いた。「将来は、人が前向きになれるような本を作りたい」。今月、生まれ育った古里を初めて離れる。

     

    「人命守る」 海保学校へ…石巻

     宮城県石巻市の石巻工業高校の卒業式に出席した山下脩しゅうさん(18)は今春、多くの同級生が県内の企業や大学に進む中、海上保安官を養成する海上保安学校(京都府舞鶴市)に入る。

     生まれ育った同県女川町は、津波で家屋の7割が全壊した。両親と姉は無事だったが、自宅を失い、いつもお菓子をくれた近所のおばさんが流されたと聞いた。がれきが漂う海で懸命に行方不明者を捜す海上保安官は、小学6年生にとってヒーローのようだった。

     あの時は海を「憎い」と思ったが、女川の子供は海に飛び込んで泳ぎ、魚釣りをして育つ。「友達みたい」な海を恨むことはできなかった。石巻市に移り住み、津波到達地点に石碑を建てたり、子供向け防災冊子を作ったりする活動をした。

     猛勉強して競争倍率6・8倍の狭き門をくぐり抜けた。1年間の厳しい訓練を終えると、東北を管轄する第2管区海上保安本部(宮城県塩釜市)に配属される。「今度は自分が人命を守る。古里の海に恩返ししたい」。卒業証書を手に誓った。

     

    休校しても「絆消えない」…浪江

     原発事故で福島県本宮市、同二本松市にそれぞれ間借りしている県立浪江高校と浪江高校津島校の合同卒業式に出席した柴田結美さん(18)は、津島校卒業生12人の中で唯一の地元・浪江町津島地区出身。中学時代は避難先で転校を繰り返し、学校も休みがちだったが、「高校では楽しい思い出を作って人生を変えたい」と考え、津島校に進学した。

     高校では生徒会長を務め、先生や友人にも恵まれた。「高校生活がこんなに充実するなんて。自分でも驚いた」と振り返る。

     両校を含む5校は原発事故後、避難先の校舎を間借りして授業を続けてきたが、生徒の減少などを理由に、来年度から休校する。

     式では生徒代表として「ここで結ばれた絆は休校しても決して消えない」と思いを語った。春からは県内の短大に進学する。「同級生や先生が私を変えてくれた。今度は自分が人の力になりたい」
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170302-118-OYTPT50141

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  57. 【震災6年】自主避難者補助、見送りへ 県方針 =群馬
    2017年3月2日5時0分

     東京電力福島第一原発事故で自主避難した福島県民に対し、同県が実施してきた住宅の無償提供が今月末で打ち切られる。群馬県内で暮らす自主避難者について、県は1日、「家賃や転居費用の補助は今のところ考えていない」として、県独自の支援策を見送る方針を示した。

     県議会第1回定例会の一般質問で、上原幸彦・県県土整備部長が酒井宏明県議(共産)の質問に答えた。

     福島県は原発事故後、避難指示が出されていない区域から自主避難した人についても、避難先の民間アパートや公営住宅の家賃を負担してきた。自主避難者にとって、住宅の無償提供は公的な支援の柱だったが、同県は「除染が進み、生活環境は整ってきた」として3月末で打ち切ることを決めた。

     自主避難者らの要望を受け、独自の家賃補助などを行う予定の都道府県もある。一方、上原部長は「福島県自らの決定を重く受け止め、福島県に支援の継続は求めない。県独自の家賃や転居費用の補助も考えていない」と答弁。その上で、「自主避難者が円滑に住宅を確保できるよう、県営住宅の情報提供や相談対応に努めていく」とした。

     県は2014年度から、自主避難者を含む被災者が県営住宅の抽選に申し込む際、2人分の抽選権を与えて当選しやすくする優遇策を行っている。この措置を17年度も継続していくという。

     県によると、県営住宅や県が借り上げたアパートで生活する自主避難者65世帯に意向を聞いたところ、2月15日時点で、4月からの住居が確定しているのは55世帯で、複数の物件で悩んでいるなど未確定が10世帯だった。住居が決まっている55世帯のうち、7世帯は福島県に帰還し、48世帯は県内にとどまるという。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170301-119-OYTNT50288

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  58. [震災6年]復興の中の遺構
    2017年3月2日15時0分

     住民を守る地上約9メートルの八幡はちまん川堤防と仮置きされた地盤かさ上げ用の土砂の山の間に、宮城県南三陸町の防災対策庁舎は残る=写真、2日午前、飯島啓太撮影=。

     震災で職員ら43人が犠牲になった庁舎は、鉄骨の塗り直しなど3か月の補修を終え、津波直後に近い姿に戻った。812人が死亡・行方不明となった同町も復興は進み、3日には川を隔てた高台で、仮設だった南三陸さんさん商店街が本店舗で開業する。

     庁舎はかつての町中心部の高さを物語る数少ない遺構。2031年まで県が保有するが、その後の保存は地元の意見が分かれている。

         ◇

     東日本大震災から6年。許可を得て小型無人機(ドローン)から被災地の今を伝える。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170302-118-OYTPT50275

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  59. [震災6年]古文書修復 次は脱臭…浸水でヘドロ臭 洗剤・活性炭で試行錯誤
    2017年3月2日15時0分

     東日本大震災で津波被害を受けた古文書などの修復に取り組む岩手県立博物館(盛岡市)が悪臭対策に苦慮している。泥や塩分などを取り除いた後でも、海底のヘドロに起因するとみられる不快な臭いが一部の資料で確認されたためだ。浸水からの修復技術は確立されてきたが、悪臭対策は新たに浮上した難問。同博物館が、医療用の中性洗剤や活性炭などを活用した試行錯誤を続けている。

    岩手の博物館「展示できない」

     震災で中心部が壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市では、市立博物館、海と貝のミュージアム、市立図書館、埋蔵文化財保管庫の四つの文化施設にあった約56万点の展示品や収蔵品が被災した。全国の博物館関係者らの協力による「文化財レスキュー」で約46万点が回収され、県立博物館などが順次、泥や塩分、雑菌を取り除く「安定化処理」を進めている。

     この処理で表面はきれいになったものの、紙を素材とする資料の一部で悪臭が確認された。中には、江戸時代の地元有力者が生活状況を記したとみられる書簡や、大正から昭和初期に発行された昆虫関係の学術誌など、地域史にとって貴重なものが含まれる。昨年6月、赤沼英男・首席専門学芸員が処理を終えた資料1100点を点検すると、5%強の60点が不快な臭いを放っていた。紙の資料は約7万点あり、多くの資料に影響が及んだ恐れがある。

     東京文化財研究所(東京)の分析では、悪臭の元となる物質は腐敗臭が特徴の酪酸やアンモニア、硫化物などで、ヘドロが発する悪臭の要因と同じだった。陸前高田市はカキやホタテなどの養殖が盛ん。調査を担当した佐野千絵・文化財情報資料部長によると、炭水化物や油脂、たんぱく質などヘドロに含まれる有機物が腐敗・分解し、時間をかけて悪臭を発するようになった可能性があるという。

     「たとえるなら卵が腐ったような臭いでした」と赤沼さん。資料は将来の展示に備え、箱や袋に入れて館内の収蔵スペースに積んでいるが、2015年夏頃から異臭が気になるようになった。「このままでは修復が終わっても展示ができない」と、赤沼さんらが対策に乗り出し、今年度から安定化処理の際に医療用の中性洗剤を溶かした水で悪臭物質を除去する作業を追加。すでに処理を終えた資料についても、活性炭などの吸着剤とともに保管し、臭いを和らげる方法を採用した。中性洗剤を使って半年以上経過観察している資料からは、不快な臭いは生じていないという。

     すべての資料の修復には10年以上かかる見通し。赤沼さんは「津波被害を受けた資料の修復は世界的にも例がない取り組み。課題を一つずつ解決し、脱臭の技法も確立させていきたい」と話している。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170302-118-OYTPT50331

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  60. 社説
    福島避難解除 「町のこし」に何をすべきか
    2017年3月3日6時12分

     東日本大震災から間もなく6年になる。

     今なお避難生活を強いられる人たちが、一人でも多く古里に戻れるように、政府と自治体は支援の手を緩めてはならない。

     東京電力福島第一原子力発電所事故による避難指示が今春、福島県の川俣、浪江、富岡の3町と飯舘村で新たに解除される。

     除染が終了した地域の生活基盤を整えて、町を再建する取り組みが本格化する。

     避難指示は、3年前から5市町村で段階的に解除されたが、帰還の動きは鈍い。昨年6月に、ほぼ全域が解除になった葛尾村では、村民の1割しか戻っていない。

     医師が不在のために、村が患者を隣接市の医療機関まで送迎している。小売店は休業のままで、村は生鮮食品や日用品の無料配達まで担っている。

     それにもかかわらず、「環境整備が不十分だ」との声があり、小中学校の再開は先送りされた。

     住民が戻らないために、復興が滞る。この悪循環に陥らない工夫が、各自治体には求められる。

     富岡町では今月末、大型のショッピングモールが本格オープンする。避難指示解除を見据えて、町などが、廃屋同然だった旧施設を1年かけて改修した。政府の補助金や交付金が活用された。

     人の流れを呼び込みたい、との期待が込められている。

     浪江町では、役場周辺に診療所や商店、交流施設などを集める。暮らしの場をコンパクトに集約する手法に、町の将来を託す。

     帰還困難区域を抱える浪江町などを対象に、政府は「特定復興再生拠点区域」制度を新設する。自治体の整備計画を、政府が後押しする仕組みだ。町が少しでも再生するよう機能させたい。

     被災地の多くは元々、過疎化や高齢化に直面していた。

     避難した高齢者は、概して帰還を願う気持ちが強い。若年層にも、古里に戻ろうという思いを持ってもらうことが大切だ。子供の学校の都合などで、避難先を離れるのをためらう人は少なくない。

     生活環境の整備に加え、重要なのは、雇用の確保である。

     復興庁は約8000の被災事業者への訪問を続けてきた。再開の意欲がある事業者の求人などのニーズを的確に把握し、効果的に支援する必要がある。

     住民の帰還が進まねば、将来的には、自治体が成り立たない恐れさえある。「町のこし」のために、政府と自治体が連携して、再生の青写真を描いてもらいたい。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170302-118-OYT1T50189

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    1. ばかのひとつおぼえのおだいもく…

      まるで無意味な呪文だな。

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  61. [震災6年]津波の痕 保存手探り
    2017年3月3日5時0分

    南三陸「応急補修」/大川小「手を加えず」

     東日本大震災の教訓を伝える「震災遺構」のあり方が、あの日から6年が近付いた今、議論となっている。3日に補修工事を終える予定の宮城県南三陸町の防災対策庁舎は、ペンキが塗り直されて真新しい構造物のように仕上がり、訪れた人からは「庁舎が持つ独特の雰囲気や重みがなくなってしまった」との声も出ている。

     「補修前の姿を鮮烈に覚えているだけに、今はレプリカのように見えてしまう」

     先月下旬、同町を訪れた大阪府の大学院生(23)は、困惑した様子でこう漏らした。同庁舎は、1995年度に完成した鉄骨造り3階建て。震災では、この庁舎から防災無線で避難を呼びかけ続けた女性職員ら43人が津波にのまれ、死亡・行方不明となった。

     昨年11月から始まった補修工事は、赤茶けた鉄骨がむき出しになった震災直後の姿の再現を目指し、庁舎を建てた町内の業者が手がけた。津波による鉄骨への塩の浸食や風雨で劣化が進み、塩分を取り除いてさび止めを施した上で、さびていない部分の色に合わせて通常のペンキを塗った。

     だが、鉄骨は赤、階段は白に塗られ、くすんだ風合いが消えたため、地元からは「新築工事中に見える」「きれいになりすぎてしまった」との意見も出ている。

     同庁舎については、遺構として保存するか、解体するかで町民の意見が割れており、震災から20年後の2031年3月までは同県が管理し、その間に議論を深めることになっていた。

     県は当初、庁舎が持つ風合いを残そうと、さびた状態を再現できる最新の塗装技術の導入を検討。だが、「つらい記憶を思い出してしまう」との住民の声があったほか、費用もかさむため、保存か解体かが決まるまでの「応急処置」としての補修にとどめ、費用も半額以下の約4200万円に抑えた。県の担当者は「我々は町から庁舎を預かっている立場。手を加えすぎない方がいいと考え、最低限の処置にした」と説明する。

     震災遺構を巡っては、津波で児童と教職員の計84人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校の旧校舎について手を加えず、ありのままの姿を残すことを基本方針に決めている。岩手県宮古市の「たろう観光ホテル」は、透明なさび止め塗装剤などを使い、津波の痕跡を残している。

     震災遺構については、〈1〉地元の復興計画と関連が強い〈2〉維持管理費の見通しがある〈3〉住民や関係者の合意がある――の条件を満たせば、1市町村につき1か所、保存にかかる初期費用を国が負担している。

     「減災・復興支援機構」の木村拓郎理事長は「腐食が進む防災対策庁舎を保存するため、最低限の補修をした宮城県の考えは理解できる。ただし、災害の教訓を後世に伝えるためには、震災遺構はできるだけ災害の痕跡をとどめて残した方がいい。年数を重ねていけば、多くの自治体も同様の問題に直面する。保存方法を議論する場を設けたり、国が指針を策定したりするべきだろう」と話している。

     

    原爆ドーム 被爆直後の姿残す

     戦争の悲惨さなどを後世に伝える各種施設には、その保存方法に様々な工夫が施されている。

     広島市の原爆ドームは、解体論もあったが、官民で議論を重ね、終戦から21年後の1966年に市議会が永久保存を決議。最近は老朽化が激しく、市は建築や文化財などの専門家を集めた委員会を2001年に設置し、保存の方法を詳細に議論して決めている。同市によると、被爆直後の姿を残すため、壁に防水剤を塗ったり、ひび割れを直したりしているが、着色することはないという。1954年の水爆実験による「死の灰」が降り注いだ第五福竜丸を管理している「第五福竜丸平和協会」(東京)では、船大工の指導のもと、文化財の木造建造物の補修と同じ手法で、85年から1年3か月かけて腐った部材を取り換えたという。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170303-118-OYTPT50064

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  62. [震災6年]汚染水、デブリ…廃炉険し
    2017年3月3日5時0分

     東京電力福島第一原子力発電所の事故から、間もなく6年を迎える。増え続ける汚染水の取り扱いのめどが立たず、同原発の敷地内にはタンクが林立している。溶融燃料(デブリ)の調査では、ようやく2号機の炉心直下の様子が一部わかったものの、全容解明にはほど遠い。廃炉や除染、賠償など費用は計21・5兆円と試算され、電気代や税金を通じて国民に負担が重くのしかかりそうだ。

    96万トン タンク900基林立

      敷地ぎっしり

     本社ヘリで福島第一原発を眺めると、敷地内に汚染水タンクがぎっしりと並んでいる様子がわかる。タンクの数は現在約900基。震災前は森林だった場所が、タンクの森に変貌した。

     1~3号機で炉心溶融(メルトダウン)が起きたため、現在も冷却水を注入しており、原子炉建屋の地下などに高濃度の汚染水がたまっている。ここに周囲から地下水が流れ込んで混ざるため、汚染水の量が増えてしまう。

     タンクで保管されている1~4号機の汚染水の総量は、2月16日現在で約96万トン。原子炉建屋地下などの高濃度汚染水約7万トンや、5~6号機の汚染水約1万5000トンを合わせると、計約105万トンに達する。

      75%は処理水

     1~4号機の約96万トンのうち75%は、浄化装置「ALPS(アルプス)」で大半の放射性物質の除去処理が終わった水で、アルプスで取り除けない放射性物質トリチウム(三重水素)が残っている。通常の原子力施設では国内外を問わず、トリチウム水は基準値まで薄めて海に流している。

     福島第一原発のトリチウム水について、経済産業省の作業部会は昨年6月、海洋放出が安上がりで、処理にかかる期間も短いとの報告書をまとめた。しかし、漁業などへの風評被害の懸念から、放出のメドはたっていない。

     経産省の小委員会は昨年11月から、風評被害を含めた汚染水の影響の検討を始めた。小委員会では、「タンクの存在自体が、汚染されているとの風評被害を招いている現状がある」(開沼博・立命館大准教授)との指摘も出ている。

     地下水の流入を防ぐため、建屋の周囲約1・5キロ・メートルの土壌を凍らせて「凍土壁」を作る作業が進められている。全体の凍結は今夏以降になる見通しだが、建屋への地下水の推定流入量はおおむね減少傾向にある。

     タンクは1日500トンのペースで増設している。ボルトで締めた継ぎ目から汚染水が漏れやすいタイプのタンクを、漏れにくい溶接タイプに交換する工事も進んでいる。

     原子力規制委員会の更田豊志ふけたとよし・委員長代理は「今後も高濃度汚染水の除去などで、タンクの空き容量が必要になる。最終的にタンクが何基必要かはわからないが、廃炉作業を持続的かつ安定的に続ける上で、タンクが満杯という状況は認められない」と指摘する。

    原発事故処理 21.5兆円

      国民が負担

     事故処理に絡む費用総額が21・5兆円と従来の見積もり(11兆円)から倍増したのは、廃炉・除染作業の難航に加え、被災者の避難生活の長期化などが原因だ。東電ホールディングス(HD)が全体の7割以上を負担、約2割を他の電力会社(沖縄県を除く)、約1割を国が賄う。最終的には電気代や税金を通じて国民が支払うことになる。

     経済産業省の有識者会議「東電改革・福島第一原発問題委員会」の委員長を務める伊藤邦雄・一橋大特任教授は、「国難であり、国民の理解を得て費用を回収していく」と話す。

     ただ、事故処理の総費用が試算通りになるとは限らない。例えば、廃炉費用は専門家が福島第一原発より被害が少ない米スリーマイル島原発事故を参考に算出した「推計」に過ぎない。

      電気代に上乗せ

     21・5兆円の内訳は、廃炉が8兆円、賠償が7・9兆円、除染は4兆円、除染などで生じた汚染物質を保管する中間貯蔵が1・6兆円だ。

     廃炉費用8兆円は東電が全額負担する。約40年の作業が滞らないよう、政府は東電があらかじめ費用を蓄えられるようにする。東電は「年3000億円程度」(経産省)とされる必要額を収益から積み立て、政府の「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」が積立金全体を管理し、廃炉作業に使う時に限って取り崩す。家庭の電気料金の3割程度を占める送電料金は国が規制し、利益が増えると値下げされる。東電だけ特例で値下げせずに増えた利益を積立金に回せるようにする。

     賠償費用7・9兆円は、東電が3・9兆円、他の大手電力が3・7兆円、電力自由化で参入した新電力が2400億円を負担する。

     7・9兆円のうち2・4兆円について政府は、国内で原発が運転を開始した時から、将来に備えて用意しておくべき金額だったと位置づけた。過去に原発からの電気を利用した人が皆で負担する仕組みだ。2020年から40年間、沖縄県を除く全国の送電料金に上乗せして回収する。この結果、標準家庭で電気代が月平均18円増える。原発を電源としない新電力の顧客も賠償費を分担することになる。しかし、新電力には「賠償費は原発を持つ大手電力が支払うのが筋だ」(みんな電力)などと不満も多い。

     除染費用の約4兆円は、政府保有の東電HD株の売却益を充てる。これとは別に一部に国費も使う。中間貯蔵の費用1・6兆円は全額国費で賄う。

     巨費の捻出のため、東電は動けば利幅の大きい柏崎刈羽原発(新潟県)を再稼働したいものの、見通しが全く立っていない。政府は他電力との提携・再編による収益向上を求めている。

    2号機調査 深まる謎

      燃料どこに

     東電は今年1~2月、福島第一原発2号機の原子炉格納容器内で溶融燃料調査を試みた。炉心溶融が起きた1~3号機の中で初めて、炉心直下の床の損傷や堆積物などを撮影することができた。しかし、炉心直下から少し離れた場所で高い放射線量が測定されるなど、かえって謎が深まった部分もある。今後の廃炉作業は困難が予想される。

     パイプの先に取り付けたカメラで、直径約5メートルの金網の作業用の床のうち4分の1程度の範囲を観察できた。この範囲だけで、最大1メートル四方の穴が3か所開いていた。残った金網などには、黒っぽい堆積物がこびりついていた。

     堆積物には溶融燃料が含まれている可能性がある。炉心で2000度以上になった燃料の一部が原子炉圧力容器の底を突き破り、作業用の床に落ち、鋼鉄製の金網の一部が溶けて穴が開いたと考えられている。

      毎時210シーベルト

     映像は水分で白く曇り、放射線の影響で時折、チラチラと乱れる。映像のノイズから推定した放射線量は、最大で毎時650シーベルトだった。その後、調査ロボットの線量計で計測した最大値は毎時210シーベルト。人間が1分間あまり被曝ひばくすると死亡する恐れがある高い線量だ。

     その場所は炉心直下ではなく、少し離れた装置交換用のレールの上。東電は「なぜこんなところで高い線量が確認されたのか分からない」と首をひねる。日本原子力学会の廃炉検討委員長を務める宮野広・法政大客員教授(システム安全)も、「圧力容器の内外につながる配管内を溶融燃料が流れた可能性もあるが、燃料が一体どこにあるのか、全く分からない」と話す。

     調査ロボは、後ろ半分を持ち上げて周囲を撮影できるため「サソリ形」と呼ばれる。詳しい調査が期待されたが、走行用ベルトに堆積物が絡まって前に進めなくなった。結局、炉心直下に到達できないまま、格納容器内に放置された。

     その前には、堆積物を掃除するロボットを投入したが、強い放射線の影響で約2時間でカメラが不調になったため回収した。

     これらの調査は、廃炉の最難関工程である溶融燃料の取り出し方法を決めるのが目的。1、3号機は2号機よりも格納容器内の水位が高い。1号機は3月中旬から、水中を撮影できる子機を親機がつり下げる「ワカサギ釣り形」のロボットの投入が予定されている。3号機では水中ロボットによる調査を計画中だ。

     東電は今年9月末までに取り出し方法を決める方針だが、溶融燃料の詳しい状況がわからないため、遅れる可能性がある。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170302-118-OYTPT50416

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  63. 新しい町、見守る…ドローンから見る震災6年
    2017年3月3日14時32分

     岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」は、地震による地盤沈下などで水浸しとなった川原川河口に立つ。

     震災遺構として保存予定の陸前高田ユースホステルが当時の姿のまま寄り添う。

     海岸に高さ12・5メートル、幅約50メートルの長大な防潮堤が約2キロにわたって築かれている。壁の向こうでは、津波が奪った高田松原と砂浜をよみがえらせる取り組みが試みられ、陸側では津波復興祈念公園の計画が進む。

     かさ上げされたはるかかなたの高台に建物が見える。ようやく輪郭を見せ始めた「新しい町」を、一本松が見守っている。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170303-118-OYT1T50052

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  64. 避難先から戻る商工業者は4割

    原発事故による避難指示が出され、避難先で事業を再開した商工業者のうち、将来、元の場所に戻って事業を再開させる予定にしているのは4割となっていることが福島県商工会連合会の調査でわかりました。
    このアンケート調査で、避難先で事業を再開した商工業者320社に対し、将来、震災前の元の場所に戻って事業を再開するかを尋ねたところ、戻る計画だとしたのが39%、戻らないとしたのが54%、その他が7%で、戻らないという回答が戻るという回答よりも15ポイントほど多くなりました。
    今後1か月以内に帰還困難区域以外の避難指示が解除される地域の比較では、戻る計画だと答えた割合が、飯舘村は52%、富岡町は50%と半数を超えたのに対し、浪江町は33%と最も低くなりました。
    福島県商工会連合会は顧客や取引先が失われ、避難指示の解除の後に住民がどれだけ戻るのかが不透明なため、元の場所での再開には課題が大きいとしています。
    商工会連合会広域指導課の佐藤敏文課長は「事業再開の段階の補助金があっても、そのあとのフォローアップなど持続的な支援ができていない。国や自治体が協力して地域の産業を復興させる、より手厚い支援が必要になっている」と話していました。
    03月03日 19時37分 NHK福島放送局
    http://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/6054364321.html

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  65. 南相馬 解散する集落で桜植樹

    東日本大震災の津波ですべての住宅が流された南相馬市の集落が元の場所での再建をあきらめて解散することになり、4日、住民たちが久しぶりに集まって桜の植樹を行いました。
    南相馬市の沿岸部にある南右田行政区の集落には、震災前はおよそ330人が暮らしていましたが、東日本大震災の津波ですべての住宅が流され54人が犠牲となりました。
    集落の大部分は災害危険区域に指定され、各地に移って生活を始めている住民たちは元の場所で集落を再建することをあきらめ、今月いっぱいで行政区を解散することになりました。
    4日は住民80人が久しぶりに集まり、犠牲となった地域の人たちを悼む慰霊碑の近くで黙とうを行った後、桜の植樹を行いました。
    住民たちは、高さ5メートルほどの若い桜の木に住民の名前を刻んだプレートを添え、ふるさとの証しを後世に残そうと合わせて30本植樹しました。
    区長を務めていた五賀和雄さんは、「ここで暮らしてきたことを次の世代にも伝え、桜の世話をしたり花見をしたりして皆が集える場所にしたいです」と話していました。
    南右田行政区では、地区の歴史や住民の思い出をつづった記念誌も作ることにしています。
    03月04日 13時00分 NHK福島放送局
    http://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/6053728921.html

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  66. 飯舘村 当初予算案過去最大規模

    原発事故による避難指示の大部分が、今月31日に解除される飯舘村の新年度・平成29年度の当初予算案は、一般会計の総額が212億3000万円あまりと過去最大の規模となり、村の本格的な復興に向けた動きが加速することになりま
    す。
    飯舘村の新年度の当初予算案は、一般会計の総額が212億3500万円と、今年度の当初予算の2.3倍以上となり過去最大規模となりました。
    飯舘村では今月31日に、比較的放射線量が高い帰還困難区域を除いた村の大部分で避難指示が解除されますが、新年度の予算案には、来年4月の村内での学校の再開に向けて、飯舘中学校の敷地内に小学校と中学校、それに認定こども園を整備する事業に40億円あまりが、学校の再開にあわせたスポーツ公園の再整備に23億7000万円が計上されています。
    また、復興拠点の深谷地区に住宅や、生活必需品を販売する店舗などを備えた道の駅を整備する費用に10億4000万円あまり、村の主要な産業である農業や畜産業の支援に16億2000万円あまりを盛り込んでいます。
    この予算案は、3日開会した定例村議会に提案されていて、新年度は本格的な復興に向けた動きが加速する年となりそうです。
    03月04日 13時00分 NHK福島放送局
    http://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/6054366101.html

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  67. 荒漠とした更地に家屋点在…ドローンから見る
    2017年3月4日11時28分

     人影のない更地に家屋が点在する。

     ここに集落があったことをうかがわせる数少ない遺物だ。家の中やがれきに残る家財道具だけが、かつての人々の暮らしぶりを伝えている。

     福島第一原発から約7キロ離れた福島県浪江町請戸うけど地区は、漁業の町としてにぎわい、海水浴場もあった。しかし、津波と原発事故で住民は避難を余儀なくされた。

     海岸沿いの請戸漁港に先月25日、約6年ぶりに漁船が帰還した。今月31日には町の一部で避難指示が解除される。ただ、請戸地区の沿岸部は住むことはできず、防災林や農地として整備される。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170304-118-OYT1T50096

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  68. [震災6年]移転か現地か 進捗左右
    2017年3月4日5時0分

     津波の被害に遭った自治体が選択した住宅街や宅地の再建方法は、大きく分けると2パターンだ。内陸や高台への移転と、津波が襲った旧市街地での再建。一から街をつくり直す現地再建は難航し、とりわけ、盛り土をして土地をかさ上げする事業は遅れている。一方、集団移転は順調に進み、再建手法の違いは復興のスピードを左右している。復興が長期化すれば人口の流出が深刻化する。早期に再建できてもコミュニティーづくりに課題が浮上する。進んだ道はそれぞれまだ険しい。

    街を再建 盛り土に時間

    ◇「待つしかない」

     再建でまず立ちはだかったのが地理的な条

    件だ。三陸沿岸は背後に山を抱え、内陸部で思うように住宅用地が確保できない。こうした自治体の多くは、津波が浸水した旧市街地での現地再建に踏み切り、道路や宅地など地区一帯を再構築する土地区画整理事業を用いた。想定される津波の高さ以上に土を盛って安全を確保するためには長い時間がかかる。

     津波で壊滅した街の中心部をかさ上げする岩手県陸前高田市。山を削って東京ドーム9杯分の土を運び、約125ヘクタールを盛り土して宅地を造成する。最も高い地点で海抜16メートル。被災地最大規模のかさ上げ事業だ。昨年末現在の土地区画整理の造成進捗しんちょく率は約9%。「6年も待つとは思わなかった」。仮設住宅で一人暮らす松野昭子さん(81)はこぼす。

     県外にいる娘からは同居を誘われた。だが、かさ上げ地の旧自宅近くに戸建て住宅を再建する。多くの親戚が津波の犠牲になり、県内外からその家族らが法要で訪れた時のよりどころでありたいからだ。しかし、かさ上げが終わるのは早くても1年先。「我慢して待つしかない」

     陸前高田市が現地再建にこだわったのは、地形的な事情のほか、「再び中心部に住民を集め、コンパクトで機能的なまちをつくる」ためだった。ただ、大量の土を積み上げる工法そのものに加えて、元の土地と造成後の土地を交換(換地)する調整にも手間取った。地権者は約2500人。避難してちりぢりになった人を捜し出し、面会を繰り返した。なかには、震災で亡くなった地権者もいる。2018年度までの工期がずれ込む可能性も出てきた。

     陸前高田市の市街地整備課の伊賀浩人主幹は言う。「事業全体の規模感が把握できない中で定めたスケジュールが甘かった。希望的なところもあった」

    ◇復興住宅にも影響

     宮城県気仙沼市のかさ上げ地は川沿い。土が水分を含むため、盛り土は実際より1~2メートル高くして、その重みで水分をしみ出させる計画だった。ところが、しみ出すスピードが想定より遅く、完了は当初の計画より2年遅れて19年度になった。同じように旧市街地をかさ上げする岩手県大槌町は、かさ上げ地の上に災害公営住宅と防災集団移転事業による宅地を造成する計画だったが、かさ上げの長期化で、進捗率はそれぞれ45%、68%にとどまる。

     東北大災害科学国際研究所の松本行真准教授(都市・地域論)は「被災地は、震災前から過疎化が進んでいた地域も多い。復興の長期化で、若者の地元への意識は薄れ、高齢化が一層進む可能性が高い。人口が減れば、町の維持もままならなくなるだろう」と指摘する。

    早さ重視 住宅は高台へ

    ◇開発地を転用

     全壊した家屋が沿岸自治体で最も多い3万戸を超えた仙台市。震災前から進めていた内陸の宅地開発地を移転先に転用できると判断し、内陸部への移転を進めた。これにより災害公営住宅と集団移転の計画の半分ほどをカバーし、早めの再建を遂げた。

     「職住分離」での街づくりを選択した宮城県南三陸町は、「二度と津波で人命と財産を失わない街にする」と、住宅は高台に移転し、低地はかさ上げして主に商業地とした。住宅再建の効率とスピードにも配慮した選択だった。「山を切って家を建て、その土は低地に運んで盛り、店や工場、スーパーをつくる。単純な発想だった」。町企画課の阿部俊光課長は説明する。高台で宅地を造成したほうが、低地のかさ上げより、土地の取得も造成も比較的早いと踏んだ。

     町が高台に造った宅地は827戸分で、昨年末までに造成をすべて終えた。高台や内陸の災害公営住宅も、738戸のうち84%が工事を終えて残りも3月末には完成する。

    ◇車で漁港へ

     このうち造成が終わった志津川東団地には、漁師の千葉勘五郎さん(76)が昨年6月、仮設住宅から引っ越した。子供たちとローンを組んだ一軒家。「震災から5年で家を建てられ、ほっとしている」と喜ぶ。かつての海沿いの自宅と違って車で港に出向かなければならないが、「津波が来ても家が流されることもない」と話す。団地内には病院もオープンし、糖尿病を抱える妻(78)は歩いて通院できる。

     住宅再建を優先し、低地の造成を後回しにした町の選択。低地は対照的に、一部の商店街が完成しただけで、周囲には山を削って運ばれた土が至るところに積まれたままだ。

    「焦らず魅力ある街に」

     住まいの確保だけが復興の指標ではない。再建を急ぐがあまり、コミュニティーづくりが置き去りになる懸念もある。

     宮城県石巻市内で最も遅い18年に完成予定の集団移転地・二子地区は、入居予定者が事前に議論を重ね、震災前に住んでいた地区ごとに入居区画を割り振った。先行した新蛇田地区が抽選で割り振り、見知らぬ人ばかりになったことでコミュニティーづくりに苦労した教訓を踏まえた。二子地区のまちづくり協議会長の阿部良助さん(69)は「隣近所に顔見知りがいる団地にしたかった。再建後の暮らしが大事」と話す。

     岩手や宮城で街づくりの復興を支援している東北大大学院工学研究科の小野田泰明教授(都市・建築学)は、「早さも重要だが、住む魅力がない街になってしまったら、人は街を離れ、結局、後世に負担を残すことになる。震災後に焦らず復興計画を練り上げて、コミュニティーの再生や交流人口の増加を盛り込めた自治体は、今は道半ばでも将来発展し得る」とみる。

    仮設 解消と延長の二極化

     被災地のプレハブ仮設住宅も、解消したり集約したりする自治体がある一方、住民の再建のめどが立たずに使用期間を引き続き延長する自治体があり、二極化している。

     プレハブ仮設住宅の使用期間は本来2年。しかし、仮設住宅を出た後に暮らす災害公営住宅や集団移転先の造成などが長期化し、多くの自治体は1年ごとに期間を延長してきた。復興事業が進むにつれて住民は徐々に減り、岩手、宮城、福島の3県でピーク時には約11万8000人だったのが、今年1月末現在、3万5503人まで減少した。

     3県の6市町は、すでに全てのプレハブ仮設住宅の解体を終えた。14市町村は、今年度中にすでに使用を終えたか、終了する。

     このほか、住民の多くが再建のめどが立ってきたとして、仮設住宅を集約する自治体が目立ち始めた。こうした自治体が用いるのが「特定延長」。再建のめどが立たない住民に公営住宅などを紹介して退去を進め、めどが立っている世帯だけを期間限定で延長。集約を進めて残りを撤去する。

     特定延長は今年4月以降、12市町が実施を決めている。宮城県気仙沼市の担当者は「一人ひとりに寄り添った支援で再建を後押ししたい」と話す。

     一方、住まい再建の進展が遅い自治体は、これまで通り、自治体ぐるみで期間を延ばす「一律延長」を継続する。岩手、宮城の8市町が4月以降も導入。岩手県の釜石市、陸前高田市、宮城県の石巻市、女川町など、被災規模が大きかった自治体で目立っている。

     福島県の場合は、原発事故の影響で避難指示区域となっている自治体、避難指示が解除されても生活再建先の整備が十分でない自治体など計10市町村で一律延長を継続する。

     仮設住宅には、自治体が民間アパートなどの家賃を負担して被災者が入居する「みなし仮設」もある。宮城県では、今年1月末現在で、9808人にのぼる。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170303-118-OYTPT50388

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    1. [震災6年]兄よ弟よ 供養の文具店…「南三陸さんさん商店街」移転
      2017年3月4日5時0分

       東日本大震災の翌年にプレハブの仮設でオープンし、多くの客を集めた宮城県南三陸町の「南三陸さんさん商店街」が3日、海抜約10メートルまでかさ上げされた同町中心部に移転し、常設の商店街として生まれ変わった。兄弟を津波で亡くした文具店の店主も再スタートを切り、明るい声で観光客を出迎えた。

      仮設から常設 再スタート

       「地元や遠方の人、誰にとっても温かい店にしたい」。地元の杉をふんだんに使った店舗で、文具店「フレンズ」の店主、熊谷和平かずよしさん(62)は目を細めた。店内には土産品も並べ、早速訪れた観光客に、南三陸の浜辺の砂で作られた置物を薦めていた。

       兄の吉治よしじさん(当時59歳)が町中心部で営んでいた衣料品店で働いた後、1979年にその隣に文具店を開業した。町役場や学校に事務用品を卸しながら、兄の店も手伝った。吉治さんが商工会副会長で忙しかったからだが、地元のために奔走する兄が誇らしかった。

       6年前、轟音ごうおんを響かせて、津波は町をのみ込んだ。熊谷さんはなんとか高台に逃げたが、吉治さんは亡くなり、町職員だった弟の良雄さん(同54歳)も行方不明になった。半年後、2人の葬儀を行ったが、悔しさは晴れなかった。

       店舗を失い、卸売りだけを続けていたが、「仕事に没頭すれば、悲しみを忘れられる」と、2012年2月にできた仮設商店街に出店した。昔の客が「待ってたよ」と次々訪れ、商品を買ってくれた。涙がこぼれた。

       仮設店舗では、観光客に復興を後押ししてもらおうと、町のご当地キャラクターのペンを置いたり、駄菓子を並べたり、店づくりに知恵を絞った。新店舗の維持費は倍以上となるが、移転に迷いはなかった。

       「自分の店の役割は小さくないと気づいた。ここで元気に商売を続けたい」。それが兄と弟の供養になると信じている。

             ◇

       新しい「南三陸さんさん商店街」は、建築家隈研吾さんの設計で、木造平屋6棟。飲食店や鮮魚店など、仮設からの23店舗と新規の5店舗が入る。事業費約7億円のうち、7割は国の補助金で賄った。年間80万人の来客を目指すという。

       町観光協会によると、昨年末で営業を終えた仮設商店街は、約5年間で県内外から200万人以上を集め、観光名所となっていた。

      仮設営業 なお51か所

       独立行政法人「中小企業基盤整備機構」(東京都)によると、被災3県にできた仮設の商店街は計70か所で、うち51か所(岩手26、宮城12、福島13)が今も仮設のまま営業している。

       仮設商店街の撤去費用は国の負担だが、2019年3月までの完了が条件のため、今後、仮設の閉鎖が相次ぐとみられる。すでに新たな常設商店街の建設が進んでいるところもある。

       ただ、「南三陸さんさん商店街」のように、仮設からほぼまとまって移れるケースは「珍しい事例」(同機構)だという。多くの店主が被災した元の場所での再建を望む一方、その土地の復興後が見通せなかったり、賃料の負担が重かったりという事情で、移転に踏み切れない人も多いからだ。

       4月に閉鎖する宮城県気仙沼市の「南町紫市場」で、とんかつ店を営む小野寺耕さん(49)は、「店があった市街地に思い入れはあるが、賃料が高く、離れた土地への移転も選択肢だ。仮設商店街の近くに環境が整えばいいのだが……」と悩んでいる。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170304-118-OYTPT50166

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