2017年3月23日

2011.3.11 フクシマ FUKUSHIMA 福島事変[震災6年 未完の事業]

( [震災6年]2011.3.11 フクシマ FUKUSHIMA 福島事変 の続き)

[震災6年 未完の事業]<2>原発処理費 膨張続ける
2017年3月3日 読売新聞
http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170303-118-OYTPT50075

>東京電力は1~2月、福島第一原子力発電所で炉心溶融(メルトダウン)を起こした2号機の本格調査を事故後、初めて実施した。
>2051年までに終えることを目指す廃炉作業。世界的に前例のない取り組みは「試行錯誤」の領域から抜け出せていない。

[震災6年]汚染水、デブリ…廃炉険し
2017年3月3日 読売新聞
http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170302-118-OYTPT50416

>東京電力福島第一原子力発電所の事故から、間もなく6年を迎える。増え続ける汚染水の取り扱いのめどが立たず、同原発の敷地内にはタンクが林立している。溶融燃料(デブリ)の調査では、ようやく2号機の炉心直下の様子が一部わかったものの、全容解明にはほど遠い。廃炉や除染、賠償など費用は計21・5兆円と試算され、電気代や税金を通じて国民に負担が重くのしかかりそうだ。


福島避難解除 「町のこし」に何をすべきか
2017年3月3日 読売新聞「社説」

 東日本大震災から間もなく6年になる。

 今なお避難生活を強いられる人たちが、一人でも多く古里に戻れるように、政府と自治体は支援の手を緩めてはならない。

 東京電力福島第一原子力発電所事故による避難指示が今春、福島県の川俣、浪江、富岡の3町と飯舘村で新たに解除される。

 除染が終了した地域の生活基盤を整えて、町を再建する取り組みが本格化する。

 避難指示は、3年前から5市町村で段階的に解除されたが、帰還の動きは鈍い。昨年6月に、ほぼ全域が解除になった葛尾村では、村民の1割しか戻っていない。

 医師が不在のために、村が患者を隣接市の医療機関まで送迎している。小売店は休業のままで、村は生鮮食品や日用品の無料配達まで担っている。

 それにもかかわらず、「環境整備が不十分だ」との声があり、小中学校の再開は先送りされた。

 住民が戻らないために、復興が滞るこの悪循環に陥らない工夫が、各自治体には求められる。

 富岡町では今月末、大型のショッピングモールが本格オープンする。避難指示解除を見据えて、町などが、廃屋同然だった旧施設を1年かけて改修した。政府の補助金や交付金が活用された。

 人の流れを呼び込みたい、との期待が込められている。

 浪江町では、役場周辺に診療所や商店、交流施設などを集める。暮らしの場をコンパクトに集約する手法に、町の将来を託す。

 帰還困難区域を抱える浪江町などを対象に、政府は「特定復興再生拠点区域」制度を新設する。自治体の整備計画を、政府が後押しする仕組みだ。町が少しでも再生するよう機能させたい。

 被災地の多くは元々、過疎化や高齢化に直面していた。

 避難した高齢者は、概して帰還を願う気持ちが強い。若年層にも、古里に戻ろうという思いを持ってもらうことが大切だ。子供の学校の都合などで、避難先を離れるのをためらう人は少なくない。

 生活環境の整備に加え、重要なのは、雇用の確保である。

 復興庁は約8000の被災事業者への訪問を続けてきた。再開の意欲がある事業者の求人などのニーズを的確に把握し、効果的に支援する必要がある。

 住民の帰還が進まねば、将来的には、自治体が成り立たない恐れさえある。「町のこし」のために、政府と自治体が連携して、再生の青写真を描いてもらいたい。
http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170302-118-OYT1T50189


もうダメポ、実質的な「自治体崩壊」をしっかり受け止め、それを認識し、より現実的な対処に向かうしかないと思われ…

とくに原発事故で「放射能汚染」を被った地域の「復興再生」は無理筋ではないのか。

フィールドの「除染」は、詐欺のようなものではなかったか…


【社会】除染費累計、2兆6千億円…福島第1原発事故から6年で
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1488574106/

【原子力】原発処理費 40兆円に拡大 税金・電気代転嫁、国民の負担に
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1488068059/



[震災6年 未完の事業]<1>新校舎 児童は戻らず
2017年3月1日 読売新聞
http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170301-118-OYTPT50082

>大きなランドセルを初めて背負い、登校を始めた被災地の子が、もう中学生だ。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から6年。福島県ではこの春、4町村の避難指示区域が相次いで解除されるなど大きな節目を迎える。地域再生の道筋は見えてきたか。被災地の現場から報告する。


読売新聞「東日本大震災」
http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/list_SOCIETY3

NHKニュース「東日本大震災」
http://www3.nhk.or.jp/news/word/0000019.html

NHKニュース「福島第一」
http://www3.nhk.or.jp/news/word/0000020.html

福島県のニュース(NHK福島放送局)
http://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/

福島民報「東日本大震災」
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/
http://www.minpo.jp/news/main



(№246 2017年3月4日)

186 件のコメント:

  1. [震災6年 未完の事業]<1>新校舎 児童は戻らず
    2017年3月1日5時0分

     大きなランドセルを初めて背負い、登校を始めた被災地の子が、もう中学生だ。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から6年。福島県ではこの春、4町村の避難指示区域が相次いで解除されるなど大きな節目を迎える。地域再生の道筋は見えてきたか。被災地の現場から報告する。

              ◎

     建物から余分なものをそぎ落とした。木のぬくもりと、窓から差し込む光が残った。この春から、同県楢葉町の小中学生が学ぶ新校舎だ。福島第一原発20キロ圏内でようやく、子供たちが授業を受けられる。

     町の配慮が際立つ。放射性物質を気にしながら窓を開けなくてすむようエアコンを完備した。冬は床暖房。保護者の要望も受け、未就学児の英語遊びを始める。町外の学習塾による授業も土曜などに開く。「一人でも多く戻ってもらいたい」との思いからだ。関連予算は総額20億円を超える。

     避難先のいわき市にある仮設校舎で学ぶ小中学生は129人だった。しかし、新校舎に通う意思を示すのは90人ほど。震災前にいた児童生徒数の2割にも満たない。計9クラスを想定していた中学の校舎に、小学1年から中学3年までの9学級が割り当てられることになった。2015年9月に避難指示が解除された後、拙速を避けて、再開の準備と周知に1年半かけた結果が、これだ。

     今年3月末に解除される飯舘村が34億円の予算をつけるなど、教育環境の整備に力を入れる自治体は多い。それだけに、楢葉町の試みを注目していた担当者らの表情が一様に厳しい。「現実を突きつけられた感じがする」。極限の少子化という現実だ。

              ◎

     11市町村に設定されていた避難指示はこの春で、総面積の7割近くが解かれ、対象住民8万1000人のうち、5万6000人は避難者でなくなる。ただ、14年10月に大半の避難指示が解除された川内村でさえ、帰還した住民は2割。その後解除された楢葉町、葛尾かつらお村は1割ほどだ。

     子育て世代の動きが鈍い。6年の避難が暮らし方を変えたのだ。解除された5市町村の帰還住民のうち、60歳以上が占める割合は平均で65%。全国平均を30ポイントほど上回る。まちづくりの中核は当面、高齢の住民らが担うことになる。しかし、彼らにも不安がある。

     例えば医療機関。南相馬市小高区には震災前、14施設あったが、昨年7月の解除後、再開しているのは3施設。かつての勤務医でも呼び戻すのは難しい。

     川内村の診療所には内科医が1人勤務するものの、週の半分は不在。救急時に最も早く運べるのは郡山市だが、40キロ以上離れている。

     各地の介護施設も再開の見通しが立たない。募集をかけても法定の職員数を確保できないからという。

     人が消えれば、地域の機能は急速に失われる。停止した機能の再起動には、途方もない労力を要する。住民や行政が向き合う復興とは、だれも経験したことがない未知の仕事だ。

      ◆避難指示区域 =年間被曝(ひばく)線量によって、避難指示解除準備区域(20ミリ・シーベルト以下)、居住制限区域(20ミリ・シーベルト超、50ミリ・シーベルト以下)、帰還困難区域(50ミリ・シーベルト超)の三つに分かれる。2013年に確定した。この春解除されるのは帰還困難区域を除く2区域。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170301-118-OYTPT50082

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    1. [震災6年]待望の故郷 曇る心
      2017年3月1日5時0分

       東京電力福島第一原発事故後、住民の心を縛りつけてきた地図がある。原発を中心に色分けされた避難指示区域図。総面積は最大約1150平方キロ、東京23区の1・8倍に及んだ。避難指示が相次いで解除され、区域はこの春で3分の1にまで縮小する。ただ、帰還の動きはきわめて鈍い。住み慣れたわが家を奪われた6年。避難先で暮らし続けた6年。歳月の重みがのしかかる。

      通院は隣町 84歳夫が運転

      ■飯舘の夫婦

       飯舘村で大工をしていた佐藤文良のりかずさん(84)は昨年7月、妻滝子さん(80)と自宅に戻った。今年3月末に予定される避難指示の解除に向け、生活準備のための「長期宿泊」ができるようになったからだ。

       大工仕事はもうできないが、のみを手にこけし作りに精を出す。夫婦水入らずの田舎暮らし、日常をやっと取り戻した。しかし、佐藤さんはふとさみしくなる。自分が手がけた家々が取り壊されていくのだ。

       20年前まで現役だった。地元住民に頼まれて建てた家があちこちにある。あるじを失った家を眺めてため息をつく。「100年は持つのにもったいねえ」

       滝子さんにとっても、楽しみだった朝夕の散歩が一変してしまった。近くの小学校に通う子供たちの姿を見たり、近所の人と何げない会話を交わしたりすることができなくなった。

       不安もふくらんでいる。

       滝子さんは高血圧や糖尿病を患っている。佐藤さんが車で、隣接する川俣町のかかりつけの病院まで片道30分かけて連れていく。

       運転免許は佐藤さんしか持っていない。だが、その佐藤さんが大声で会話するほど耳が遠くなり、滝子さんは運転が心配だ。車で出かける時間帯を気にするのは、高齢者が子供をはねるニュースが人ごととは思えなくなってきたからだ。

       運転ができなくなったら村唯一の診療所に頼るしかない。ただ、診療は週2日の午前中だけ。原発事故前には、日曜を除き夕方まで診てもらえたが、現在の利用者はまだ少なく、村の担当者は「診察日時は現状が限界」と打ち明ける。

       人生の締めくくりは故郷で。そんな思いの高齢者は少なくない。帰還を決断するポイントは、生活環境がどれほど戻ったかだ。とくに医療機関や福祉施設の再開は大きな指標になる。しかし、患者が少ない地域では医療は採算が合わず、介護職員は慢性的な人手不足となっている。再開のめどが立たない自治体は多い。

      「地元で通学」今春は1割

      ■子育て世代

       避難指示が解除されても、帰還者は期待通りに増えない。子供たちや子育て世代の動きは象徴的だ。

       昨年7月に解除された南相馬市小高区。原発事故後、避難指示区域外の市内に小・中学校とも仮設校舎を整えた。事故前の2割近くにあたる約180人の子供たちが学ぶが、予算8億円を投じて今春再開する地元校舎に通うのは123人。事故前の1割ほどだ。

       「避難指示が出なかった地区とのバランスを考えると、できることには限界がある」と新田正英教育総務課長は声を落とす。

       ただ、20億円の予算をつぎ込んだ楢葉町も苦戦を強いられている。小高区より早い2015年9月に避難指示が解除され、今春から地元で授業を再開するが、通学する子は事故前の1割を上回った程度だ。

       昨年6月に避難指示が解除された葛尾かつらお村や、今年3月末に解除予定の飯舘村も揺れている。地元で早期に授業を再開し、親子の帰還につなげたいと考えてきた。しかし、悩んだ末、同じ結論になった。再開は1年先送りし、来春とする――。

       「避難先から通えない」「放射線の不安が消えない」など保護者からの反発が強かったためだ。葛尾村では、アンケートに答えた78人のうち、村の学校に通うと明確に答えた子供が5人しかいないというショッキングな調査結果が出た。

       この春に避難指示が解除される浪江町の状況はさらに厳しい。来春にも町内で学校を再開させたいが、避難先の仮校舎は約40キロ離れた二本松市にある。子供たちの負担や通学の継続を考慮し、町内での学校再開後も、避難先での授業は続ける予定だ。

       ただ、この避難先の小中学校に通う子供は25人。このまま転入転出がないと、18年度の在校生は小学生3人、中学生4人になる。町に現在も住民票がある小中学生は約1300人いる。

       故郷の友達とのつながりという糸も切れつつあるいま、学校の将来像を描ける関係者はほとんどいない。

      「客いない」帰還断念

      ■県外で事業

       富岡町で手芸店を営んでいた石原政人さん(54)にとっては、生活を一から立て直すための6年だった。

       富岡では、地元住民を相手に、ミシンや布などの手芸用品全般を販売していた。原発事故の後、両親と妻(53)、3人の子供を連れて新潟県柏崎市に避難した。高齢の両親は居間で寝かせ、家族5人は8畳間で雑魚寝する生活。知り合いがいない新潟では、いきなり小売りを再開するのは至難だ。新潟県内や北陸地方の手芸店を飛び回りながら、ミシンの仲卸の契約を取るようになった。

       高校1年、中学3年、小学5年だった子供たちはいま、長女と次女は柏崎市内で就職、市内の中学校を卒業した長男は高校生だ。都会的過ぎず、ほどよく便利な街。「6年もたつと、新しい生活にも慣れて居心地がよくなる」。石原さんは感じる。「まして子供たちにとっての6年は長い」

       福島県内の中学・高校の制服に名前を刺しゅうする仕事は続ける。送料の半額を負担することで、受注は震災前より増えた。ただ、仲卸も刺しゅうの仕事も、1件あたりの経費は高くつく。売り上げは震災前の5分の1、利益は10分の1にまで落ち込んでいる。

       今の商売は順調とは言い難い。それでも富岡には帰還しない、と石原さんは言い切る。「売る相手がいなければ、商売は成り立たない。震災前と同じように富岡の住民相手に商売はできない」。避難指示が解除されても、故郷の未来に希望を見いだせないのだ。

      新しい楢葉町 施設を「集約」 住宅、医療機関、店舗…

       避難指示が解除された自治体では、施設を集約した街づくりも進む。2015年9月に解除された楢葉町が、町中心部約23ヘクタールに計画する「コンパクトタウン」がそれだ。

       ポイントは、津波の被災者らが入居する災害公営住宅。子育て世代の定着にも期待し、町立「あおぞらこども園」(今春再開予定)近くを建設用地にした。計画数は木造平屋123戸。昨年12月から一部で入居が始まった。分譲住宅も整備される。昨年から近くで診療を始めた県立診療所は新設、歯科医院は町の働きかけで、町内の別の場所から移転してきた。18年春には、スーパーやホームセンターなどが入る公設民営型の商業施設がオープンする。

       こども園につながる交流サロン「ふらっと」を含め、高齢者の生活に配慮した街だ。町は「帰還のシンボルにしたい」としている。

      災害公営住宅 受け皿に

       避難指示区域には、東日本大震災によって屋根が損壊したまま放置され、その後の雨漏りで致命的に傷んだ家が多い。屋根は無事でも、動物に荒らされ、人が住める状態にない家もある。そんな自宅を再建できない住民の、帰還の受け皿が災害公営住宅だ。

       帰還者向けの災害公営住宅は、各地で計302戸が計画されている。バリアフリー化や住民が集う広場など、帰還住民のための工夫が目立つ。

       4月に解除予定の富岡町では同月上旬から、沿岸部に近い曲田地区に整備した50戸分の入居が始まる。平屋と2階建てがあり、外壁や間取りなどが異なる14種類のプランを用意した。入居は2人以上で、家賃は月8300~8万9500円と幅がある。

       庭に垣根はなく、住民同士が交流できる広場も設けた。近くにホームセンターや飲食店などが入る複合商業施設、診療所も整備されている。

       2月末現在、50戸のうち34戸の入居が見込まれ、17年度中に残る104戸分も完成させる。町の担当者は「ぎりぎりまで居住先を決めかねている人が多い。まだ全体像は見えないが、帰還者の住みやすい街にしたい」と話す。

       避難指示が昨年6月に解除された葛尾村の11戸はすべてバリアフリー仕様。2階建てにエレベーターが設置されている。3月末に解除される飯舘村でも、半数は高齢世帯向けだ。台所は車いすでも調理ができる設計になっている。

                ◇

       ただ、結びつきが強い地域でも、6年の空白はコミュニティーを一変させる。仮設住宅という人間関係が濃密な場所から、災害公営住宅に転居する高齢者にとっては、同じ故郷でも不安は大きい。

       郡山市の仮設住宅から、川内村の災害公営住宅に転居する猪狩いがり明可あきよしさん(86)も思い悩む一人だ。村は14年10月と16年6月、2段階で避難指示が解除され、避難指示区域はすべてなくなった。このため、村からは3月末までに仮設住宅を退去するよう求められている。

       仮設住宅にはピーク時、他の自治体からの避難者を含めて約150世帯が入居した。顔見知りは数人。妻のナオ子さん(84)には聴覚障害がある。当初は神経がすり減ったが、仲の良い住人ができ、支えてくれた。自分や妻を車に乗せ、買い物や病院へ連れていってくれた。

       山あいにある自宅はもう暮らせる状態にない。3キロ先の災害公営住宅に転居するしかないが、同じ仮設住宅の住民や親しい村民はいないようだ。

       「引っ越し先で一から人間関係を築けるのだろうか。いざというときに頼れる人を作れるのだろうか」。猪狩さんはため息をついた。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170228-118-OYTPT50465

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    2. [震災6年]愛梨の制服できたよ 「中学生の姿 見たかった」
      2017年3月1日5時0分

       真新しい濃紺の上着を広げ、袖を通すはずだった長女の姿を思い描こうとした。東日本大震災から6年。被災地・宮城県石巻市の佐藤美香さん(42)は2月28日、津波で亡くした長女・愛梨ちゃん(当時6歳)がこの春から通っていただろう市立蛇田中学校の制服を手に取った。「愛梨はどんな中学生になったんだろう。制服姿、見てみたかったな」

       活発で身長も園で2番目に高かった愛梨ちゃん。だから、制服も大きめのサイズを注文した。胸元の裏地には、「愛梨」の名前を好きだったピンク色の糸で刺しゅうしてもらった。

       1月23日、妹の珠莉じゅりさん(9)を連れて注文に行くと、店長の鈴木儀子のりこさん(63)が快く引き受けてくれた。「こうした注文は初めてじゃない」という。市内では、沿岸自治体で最多の3600人が犠牲となった。

       あの日、愛梨ちゃんは私立日和ひより幼稚園の送迎バスに乗車中、津波にのまれた。バスは火災に巻き込まれ、他の園児4人とともに命を落とした。

       3日後、美香さんは他の保護者たちとバスを捜し出し、愛梨ちゃんを見つけた。変わり果てた姿だった。炎に包まれ、赤ちゃんのように小さく縮んだ黒い体。崩れてしまいそうで、抱き締めてあげることすらできなかった。

              ◇

       愛梨ちゃんは、小学校へ通うのを楽しみにしていた。この6年間は、愛梨ちゃんの成長した姿を思い描く毎日だった。店先で靴や洋服が目につくと、つい手が伸びた。自宅の愛梨ちゃんの写真立ての下には今、真新しい靴やサンダルが3足並んでいる。

       2月7日、生きていれば愛梨ちゃんが卒業するはずだった市立蛇田小学校の教頭から電話があった。「愛梨さんの生年月日を教えてもらえませんか。卒業証書を作ろうと思います」。学校側の配慮がとてもうれしかった。

       しかしその夜、もう1本の電話が、美香さんを深く傷付けた。見知らぬ番号からの着信。相手の女性は「佐藤様のお宅ですか。6年生の親御さんですよね」。卒業証書の関連かと勘違いし、話を聞き始めると、どうやら塾の勧誘だった。

       どこかで手に入れた昔の名簿を基に電話をかけてきたようだ。「うちは震災で亡くなっているのですが……」と美香さんが答えると、相手の女性は「そうでしたか。でしたら削除しておきます」。唐突に電話は切られ、その場に立ち尽くした。

       削除――。その言葉が頭から離れなかった。我が子の存在が消されるようで、胸に突き刺さった。風呂に入り、悔しくて湯船で水面を何度もたたいた。膝を抱えて泣いた。

       愛梨ちゃんがいないことは分かっている。マイナンバーの通知カードにも「愛梨」の名前はなかった。

       塾の春期講習を宣伝するダイレクトメールも届いている。だが、捨てられない。「宛名に愛梨の名前がある。名簿の中では、愛梨はまだ生きているのかなって思うと……」

              ◇

       数日前、珠莉さんが姉の遺影の下にノートを置いた。表紙に「卒業おめでとう!」と書かれ、切り取ったかわいい熊のイラストが貼り付けられている。「愛梨のためにノート作ったの」。お祝いのメッセージを書き込むためらしい。

       珠莉さんが中学生になったら、愛梨ちゃんの制服を着てもらおうと、ひそかに思っている。2人の名前を並べて刺しゅうしてもらおう。その時は、こう言ってあげるつもりだ。「きっと愛梨が、珠莉を守ってくれるよ。ずっとそばにいるからね」

      被災地 最大30センチ隆起…国土地理院発表

       国土地理院は28日、東日本大震災後に地盤沈下した岩手、宮城、福島、茨城4県の水準点計573地点について、すべてで隆起が確認されたと発表した。昨年行った調査の結果、2011年7~9月の調査時より最大約30センチ高くなっていた。水準点は土地測量の基準で、津波の被害を受け、防潮堤の整備を進める宮城県は約90か所、福島県は8か所について計画を見直し、隆起分を引いた「低い防潮堤」に変更する方針だ。

       隆起した高さが最大だったのは、宮城県石巻市清水田浜と同市荻浜の2地点で各30・6センチ。同県気仙沼市長磯で24・1センチ、岩手県釜石市大町で17・1センチ、福島県いわき市平で9・1センチなどとなった。同院によると、地盤が隆起したのは、地震が起きた海と陸のプレート境界の深い部分で、海のプレートが陸のプレートの下を滑り続けて陸側を押し上げる「余効変動」が原因。

      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170301-118-OYTPT50097

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  2. [震災6年]「最後の卒業式」次へ…福島5高校 休校
    2017年3月1日15時0分

     2011年3月の東日本大震災で被災した福島県で1日、県立高校の卒業式が行われた。東京電力福島第一原発事故による避難指示区域内の双葉、富岡、双葉翔陽、浪江、浪江津島校の5校は、生徒減少などのため、避難先での校舎の間借りを今年度で終え、休校する。卒業生計111人は、母校での思い出を胸に新たな目標に向かって歩み出す。

    双葉高 「夢は教師」野球と歩む

    マネジャー 渡辺陽奈さん 渡辺陽奈ひなさん(17)は、夏の甲子園に3回出場した伝統がある双葉高校野球部でマネジャーを務めた。仮校舎のあるいわき明星大(福島県いわき市)での卒業式を同級生11人で終え、原発事故について「『なぜこんなことに』と怒りもあるが、11人でこの日を迎えられ、よかった」と話した。

     第一原発から約20キロ南の広野町出身で、小6のとき、原発事故が起きた。両親と神奈川県に避難し、中3で地元へ戻った後、仮校舎で授業を行う双葉に進学した。

     マネジャーになったのは2年生の1月。同級生の野球部員2人に「手伝って」と誘われた。生徒の募集が停止され、後輩の入部もない中、たった2人で苦労する様子を見て、「自分にも出来ることがあるはずだ」とテニス部から移った。

     野球はルールもわからない素人だったが、選手2人のノックにもトス役として参加。キャッチボールでうまく捕球できず「役に立っているのだろうか」と落ち込むこともあった。だが、「選手の前向きな姿に元気をもらい、部活に行きたくないと思ったことは一度もなかった」。

     昨夏の県大会は他校との連合チームで出場し、記録員としてベンチに入った。初戦で敗れ、最初で最後の夏はあっという間に終わったが、懸命にプレーする選手の姿を見て思った。「これで高校野球が終わるのは嫌だな」。「教師」という将来の目標に「高校野球に関わること」が加わった。

     地元の社会科教師を目指して東京都内の大学に進学する。「休校は悲しいが、終わりではない。学校再開に向けた始まり」と信じ、母校が事故前の日常を取り戻すことを夢見ている。

     【避難指示区域】 放射線量が低い順に、避難指示解除準備区域、居住制限区域、帰還困難区域の3種類があり、東京電力福島第一原発周辺の8市町村にまたがって設定されている。帰還困難区域以外の2区域の大半は今春、避難指示が解除される。

    富岡高 熱血寮監11年「悔しい」

     富岡高校の生徒寮「桜風寮」で11年間、寮生活を取り仕切る「寮監」を務めた荒木信彦さん(52)もこの日、大きな節目を迎えた。

     2006年4月、サッカー、ゴルフ、バドミントンの有望選手を受け入れる「国際・スポーツ科」が開設されると同時に寮監になった。「世界に羽ばたく選手を育てたい」と考え、妻の春恵さん(43)とともに親元を離れた生徒の面倒を見てきた。震災時は家族4人で住み込んでいた。

     消灯後も騒ぐ生徒を容赦なく叱りつける熱血漢。だが、悩む生徒には愛情を持って接した。厳しい指導を受け、「サッカーも学校も辞めたい」と泣きながら訴える生徒には「期待の裏返しで厳しくなるんだ」と諭し、立ち直った生徒はJリーガーにまで成長した。

     原発事故後は一家で静岡県へ避難。11年5月、富岡高校が再開したときは、家族が一緒に住めなくなることを心配し、帰還を迷ったが、春恵さんに「子供たちが戻って来るよ」と背中を押され、寮代わりの福島市内の温泉旅館に移った。しかし、入校希望は年々減り、14年10月に休校が決まった。「夢を奪われた」と怒りが収まらなかった。家族そろっての住み込みも実現しなかった。

     卒業生らが集まってくれたのは、温泉旅館での寮監生活も残り1か月余りとなった今年1月。「2人がいてくれたから3年間、楽しく過ごすことができました」「本当のパパ、ママでした」とつづられた色紙を贈られ、少し心が軽くなった。

     4月から福島大に転職し、双葉郡の教育支援を担当する。「休校は悔しいが子供たちを応援し続けたい」

         ◇

     1日には岩手、宮城、福島3県の県立高校計226校で卒業式が開かれた。

    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170301-118-OYTPT50283

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  3. [震災6年]復興拠点作り 長期戦…「人がいる街」具体案カギ
    2017年3月2日5時0分

     2011年3月の東京電力福島第一原発事故による避難指示区域が続々と解除されていく中、住民であっても自由に行き来できないエリアがある。福島県内に広がる総面積337平方キロの帰還困難区域(年間被曝ひばく線量50ミリ・シーベルト超)。名古屋市に相当するこの広大な領域で、かつて2万4000人が生活した。いまだ、元いた場所に戻れた住民は一人もいない。

      原発立地の町

     除染と環境整備を先行して進める「特定復興再生拠点区域」(復興拠点)に、いま注目が集まる。帰還困難区域を抱える自治体が計画をまとめ、国に認められれば、国負担で除染が実施され、道路整備などの事業も進展する。

     難易度が高いのは、福島第一原発が立地する大熊町と双葉町。いずれも帰還困難区域の住民が、町全体の96%を占める。狭いエリアの先行整備にどれほど効果があるか未知数だからだ。

     大熊町は、JR常磐線大野駅周辺や、常磐道の新インターチェンジ建設予定地を含むエリアを復興拠点として想定する。周辺町村の拠点病院である県立病院や町役場があり、商店街も栄えた場所だ。ここに産業区域を置く構想も温める。「5年先、10年先、30年先。戻る時期の選択肢を用意する。それがいま町にできること」と町幹部は言う。

     6年も人の流れが途絶えた。帰還をためらう住民にまず、かつて栄えた場所の再起を見せる。産業区域の廃炉関連従業員らを「新住民」として受け入れる。「人がいる街」をどう作り出すか。手探りは続く。今秋、帰還困難区域を除く2区域(町域の38%)の避難指示の解除を目指す。

     双葉町の事情はさらに厳しい。「うちの復興が一番遅れていると感じる」。町のある幹部は打ち明ける。

     復興拠点は、双葉駅東西に広がる地域を軸に、計画を練る意向。大動脈の国道6号線沿いに飲食店や宿泊施設を誘致し、にぎわいを取り戻したいとしている。

     しかし、町域の96%は帰還困難区域、残る4%は津波被害を受けたエリアだ。福島の自治体で唯一、役場ごと県外に避難したため、県外に定住した住民も多い。復興のハードルは高い。

     ただ、双葉、大熊両町とも、想定する復興拠点近くには、汚染土などを保管する広大な中間貯蔵施設があり、さらに海側には廃炉作業中の原発がある。住民たちにアピールする具体的なメニューが鍵を握る。

      異なる事情

     自治体ごとに復興拠点の意味は異なる。

     例えば、双葉町北隣の浪江町。今月31日に中心部の避難指示が解除されるため、復興が加速しそうな印象もあるが、そう簡単ではない。残る帰還困難区域は180平方キロあり、同区域を抱える7市町村の中で最も広く、町域の8割に及ぶ。

     区域は1956年に合併した三つの村域と重なる。いずれも独自の結束力を残す地域で、アイドルグループのテレビ番組で有名になった農村、陶磁器「大堀相馬焼」の発祥地もある。町は不公平感にも配慮し、復興拠点を3か所に設ける計画を立てている。

     浪江町と同様、中心部の避難指示がこの春に解除される富岡町はどうか。

     残る帰還困難区域は面積ベースで12%と広くはないが、人口の割合は3割を占める。桜並木で有名な市街地・夜の森地区の大半が入っているためだ。

     この区域の7割程度が年に1回、一時帰宅しているという調査結果はある。ただ、ひとたび災害が起きると、市街地は人が流出しやすい。海側には115ヘクタールの汚染土の仮置き場がある。

     いずれのケースでも、復興拠点設定後の長期戦略が大きなポイントだ。

    「ここで畜産を」固い決意…大熊に通い 牛の世話

     住民の強い意志が帰還困難区域の故郷を支える。

     福島県広野町に避難する池田光秀さん(55)はこの5年半、故郷・大熊町の帰還困難区域に通い、牛の世話を続けてきた。

     30歳代で父親の仕事を引き継いだ。5頭だった黒毛和牛を30頭に増やした直後、原発事故が起きた。牛を残し、妻美喜子さん(59)と避難した。半年後に戻ると、牛たちは自力で逃げ出していた。方々を捜して20頭を見つけ、養ってきた。原発20キロ圏では震災前、約310戸の畜産農家がいたが、いま活動するのは池田さんら十数人しかいない。

     東電からの賠償があるとはいえ、いま世話を続けても牛が売れるわけはない。それでも池田さんは言い切る。「牛飼いとして生きてきた自分の人生を否定するようなことはできない。この土地で畜産を再開できる復興の日を待つ」

     この大熊町の帰還困難区域では、60歳代の男性6人がつくったグループ「じじい部隊」も、防護服姿でパトロールと清掃活動を続けている。一時帰宅した住民の手助けもする。活動を始めてもうすぐ4年。「町民が戻る日まで活動をやめない」。原発事故当時、町総務課長だったリーダーの鈴木久友さん(64)はそう言う。

     伝統も帰還の原動力だろう。浪江町の帰還困難区域・津島地区で行政区長を務め、郡山市に避難する酪農家の紺野宏さん(57)。五穀豊穣ほうじょうなどを願う地元の旧正月行事「津島の田植踊り」で、紺野家は代々「庭元」と呼ばれるまとめ役だった。10人以上のメンバーが集まって練習を重ね、県内外で披露を続けている。

           ◇

     復興庁が2015年8月~16年9月に実施した意向調査によると、故郷に戻らないと回答した住民の割合が、多くの自治体で5割を超えた。大熊町63・5%、双葉町62・3%、富岡町57・6%、浪江町52・6%。1年前の調査と比べて4・6~7・3ポイント増えた。同庁は「避難先で家を建てるなど、本格的に生活再建に入った住民が増えたからでは」と分析する。

     裏付けるデータもある。双葉町が役場ごと2年余り避難していた埼玉県加須市による調査結果だ。昨年12月の調査で、市内に避難する195世帯のうち、101世帯が自宅を所有していると回答。1年前の42・6%から51・8%に増えた。

     政府は、帰還困難区域の復興拠点の避難指示解除を「おおむね5年以内」と見込む。2022年。東日本大震災から11年というその時期まで、待ち続ける住民はどれほどいるか。

     「多くても町民の1割程度だろう」。渡辺利綱・大熊町長の予測は厳しい。ただ、住民を一様には見ていない。「一度帰還をあきらめても、古里への思いを抱える町民はたくさんいる。いつか帰れる環境を作る努力を続ける」
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    1. [震災6年]天国の父に導かれ
      2017年3月2日5時0分

       東日本大震災の被災地で1日、県立高校の卒業式が行われ、岩手、宮城、福島3県の計226校で卒業生が新たな一歩を踏み出した。小学校を卒業する春に震災に遭って6年。困難や悲しみを乗り越え、故郷の再生とともに歩んできた若者たちは、恩返しや復興への誓いを胸に、巣立った。

      高校卒業 夢は編集者…陸前高田

       岩手県陸前高田市の県立高田高で卒業式を終えた上舘愛梨さん(18)は、自宅に帰ると父親の洋文さん(当時31歳)の遺影に報告した。「今まで、育ててくれてありがとう」。この6年間にも感謝の気持ちを込めたのは、父のおかげで夢に向かって踏み出せたからだ。

       洋文さんの遺体は震災の翌月の2011年4月に見つかった。津波の犠牲になったとみられている。入学した中学校への通学路はがれきが散乱し、家に帰っても父はいない。「何に対してもやる気が出なかった」

       父は友達のような存在だった。「ワンピース」などの少年漫画やアニメが好きで、自宅の本棚には漫画がずらりと並び、愛梨さんも自然と没頭するようになった。休みの日は、キャラクターの絵を描いてもらった。

       中学時代は亡父の漫画を読みあさった。虚無感から逃れられず、進んだ高校。将来の進路が現実味を帯びてきた時、好きなことを仕事にしようと決めた。漫画などの雑誌編集にかかわること。「父がいたから、こんなに好きになれた。未来が見え始めて、前向きな気持ちになれた」。震災遺児の進学を支援する制度に申し込み、打ち込めなかった勉強に励んだ。第1志望だった仙台市の大学に合格した。

       遺影は父の漫画が並んだ本棚の上。お気に入りだった作品の最新刊が出るたびに、そこに新たな1冊を加える。卒業式から帰ると、卒業証書をそっと置いた。「将来は、人が前向きになれるような本を作りたい」。今月、生まれ育った古里を初めて離れる。

       

      「人命守る」 海保学校へ…石巻

       宮城県石巻市の石巻工業高校の卒業式に出席した山下脩しゅうさん(18)は今春、多くの同級生が県内の企業や大学に進む中、海上保安官を養成する海上保安学校(京都府舞鶴市)に入る。

       生まれ育った同県女川町は、津波で家屋の7割が全壊した。両親と姉は無事だったが、自宅を失い、いつもお菓子をくれた近所のおばさんが流されたと聞いた。がれきが漂う海で懸命に行方不明者を捜す海上保安官は、小学6年生にとってヒーローのようだった。

       あの時は海を「憎い」と思ったが、女川の子供は海に飛び込んで泳ぎ、魚釣りをして育つ。「友達みたい」な海を恨むことはできなかった。石巻市に移り住み、津波到達地点に石碑を建てたり、子供向け防災冊子を作ったりする活動をした。

       猛勉強して競争倍率6・8倍の狭き門をくぐり抜けた。1年間の厳しい訓練を終えると、東北を管轄する第2管区海上保安本部(宮城県塩釜市)に配属される。「今度は自分が人命を守る。古里の海に恩返ししたい」。卒業証書を手に誓った。

       

      休校しても「絆消えない」…浪江

       原発事故で福島県本宮市、同二本松市にそれぞれ間借りしている県立浪江高校と浪江高校津島校の合同卒業式に出席した柴田結美さん(18)は、津島校卒業生12人の中で唯一の地元・浪江町津島地区出身。中学時代は避難先で転校を繰り返し、学校も休みがちだったが、「高校では楽しい思い出を作って人生を変えたい」と考え、津島校に進学した。

       高校では生徒会長を務め、先生や友人にも恵まれた。「高校生活がこんなに充実するなんて。自分でも驚いた」と振り返る。

       両校を含む5校は原発事故後、避難先の校舎を間借りして授業を続けてきたが、生徒の減少などを理由に、来年度から休校する。

       式では生徒代表として「ここで結ばれた絆は休校しても決して消えない」と思いを語った。春からは県内の短大に進学する。「同級生や先生が私を変えてくれた。今度は自分が人の力になりたい」
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170302-118-OYTPT50141

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  4. [震災6年]古文書修復 次は脱臭…浸水でヘドロ臭 洗剤・活性炭で試行錯誤
    2017年3月2日15時0分

     東日本大震災で津波被害を受けた古文書などの修復に取り組む岩手県立博物館(盛岡市)が悪臭対策に苦慮している。泥や塩分などを取り除いた後でも、海底のヘドロに起因するとみられる不快な臭いが一部の資料で確認されたためだ。浸水からの修復技術は確立されてきたが、悪臭対策は新たに浮上した難問。同博物館が、医療用の中性洗剤や活性炭などを活用した試行錯誤を続けている。

    岩手の博物館「展示できない」

     震災で中心部が壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市では、市立博物館、海と貝のミュージアム、市立図書館、埋蔵文化財保管庫の四つの文化施設にあった約56万点の展示品や収蔵品が被災した。全国の博物館関係者らの協力による「文化財レスキュー」で約46万点が回収され、県立博物館などが順次、泥や塩分、雑菌を取り除く「安定化処理」を進めている。

     この処理で表面はきれいになったものの、紙を素材とする資料の一部で悪臭が確認された。中には、江戸時代の地元有力者が生活状況を記したとみられる書簡や、大正から昭和初期に発行された昆虫関係の学術誌など、地域史にとって貴重なものが含まれる。昨年6月、赤沼英男・首席専門学芸員が処理を終えた資料1100点を点検すると、5%強の60点が不快な臭いを放っていた。紙の資料は約7万点あり、多くの資料に影響が及んだ恐れがある。

     東京文化財研究所(東京)の分析では、悪臭の元となる物質は腐敗臭が特徴の酪酸やアンモニア、硫化物などで、ヘドロが発する悪臭の要因と同じだった。陸前高田市はカキやホタテなどの養殖が盛ん。調査を担当した佐野千絵・文化財情報資料部長によると、炭水化物や油脂、たんぱく質などヘドロに含まれる有機物が腐敗・分解し、時間をかけて悪臭を発するようになった可能性があるという。

     「たとえるなら卵が腐ったような臭いでした」と赤沼さん。資料は将来の展示に備え、箱や袋に入れて館内の収蔵スペースに積んでいるが、2015年夏頃から異臭が気になるようになった。「このままでは修復が終わっても展示ができない」と、赤沼さんらが対策に乗り出し、今年度から安定化処理の際に医療用の中性洗剤を溶かした水で悪臭物質を除去する作業を追加。すでに処理を終えた資料についても、活性炭などの吸着剤とともに保管し、臭いを和らげる方法を採用した。中性洗剤を使って半年以上経過観察している資料からは、不快な臭いは生じていないという。

     すべての資料の修復には10年以上かかる見通し。赤沼さんは「津波被害を受けた資料の修復は世界的にも例がない取り組み。課題を一つずつ解決し、脱臭の技法も確立させていきたい」と話している。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170302-118-OYTPT50331

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  5. 社説
    福島避難解除 「町のこし」に何をすべきか
    2017年3月3日6時12分

     東日本大震災から間もなく6年になる。

     今なお避難生活を強いられる人たちが、一人でも多く古里に戻れるように、政府と自治体は支援の手を緩めてはならない。

     東京電力福島第一原子力発電所事故による避難指示が今春、福島県の川俣、浪江、富岡の3町と飯舘村で新たに解除される。

     除染が終了した地域の生活基盤を整えて、町を再建する取り組みが本格化する。

     避難指示は、3年前から5市町村で段階的に解除されたが、帰還の動きは鈍い。昨年6月に、ほぼ全域が解除になった葛尾村では、村民の1割しか戻っていない。

     医師が不在のために、村が患者を隣接市の医療機関まで送迎している。小売店は休業のままで、村は生鮮食品や日用品の無料配達まで担っている。

     それにもかかわらず、「環境整備が不十分だ」との声があり、小中学校の再開は先送りされた。

     住民が戻らないために、復興が滞る。この悪循環に陥らない工夫が、各自治体には求められる。

     富岡町では今月末、大型のショッピングモールが本格オープンする。避難指示解除を見据えて、町などが、廃屋同然だった旧施設を1年かけて改修した。政府の補助金や交付金が活用された。

     人の流れを呼び込みたい、との期待が込められている。

     浪江町では、役場周辺に診療所や商店、交流施設などを集める。暮らしの場をコンパクトに集約する手法に、町の将来を託す。

     帰還困難区域を抱える浪江町などを対象に、政府は「特定復興再生拠点区域」制度を新設する。自治体の整備計画を、政府が後押しする仕組みだ。町が少しでも再生するよう機能させたい。

     被災地の多くは元々、過疎化や高齢化に直面していた。

     避難した高齢者は、概して帰還を願う気持ちが強い。若年層にも、古里に戻ろうという思いを持ってもらうことが大切だ。子供の学校の都合などで、避難先を離れるのをためらう人は少なくない。

     生活環境の整備に加え、重要なのは、雇用の確保である。

     復興庁は約8000の被災事業者への訪問を続けてきた。再開の意欲がある事業者の求人などのニーズを的確に把握し、効果的に支援する必要がある。

     住民の帰還が進まねば、将来的には、自治体が成り立たない恐れさえある。「町のこし」のために、政府と自治体が連携して、再生の青写真を描いてもらいたい。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170302-118-OYT1T50189

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  6. [震災6年 未完の事業]<2>原発処理費 膨張続ける
    2017年3月3日5時0分

     東京電力は1~2月、福島第一原子力発電所で炉心溶融(メルトダウン)を起こした2号機の本格調査を事故後、初めて実施した。

     まず、原子炉格納容器内に、パイプの先につけたカメラを入れた。映像から、炉心の真下にある金網の作業用床に1メートル四方の穴と堆積物を確認した。炉心からこぼれ落ちた溶融燃料が突き破った可能性もある。廃炉作業を本格化するには、放射線をまき散らす溶融燃料の場所を特定する必要がある。その後投入した調査ロボットは、堆積物にひっかかり動けなくなった。溶融燃料を探せないまま、調査を打ち切った。

     東電は9月末までに燃料の取り出し方法を決めたいが、溶融燃料の分布もわからない現状では難しい。

     2号機から数百メートル離れた広大な敷地には、容量1000~3000トン級の巨大なタンクが約900基並ぶ。放射性物質を含んだ汚染水を収容しており、数日で1基のペースで増え続けている。今後の汚染水の取り扱いは未定だ。

     2051年までに終えることを目指す廃炉作業。世界的に前例のない取り組みは「試行錯誤」の領域から抜け出せていない。

           ◎

     避難が長引く被災者や風評被害に苦しむ農林業者の生活立て直しも道半ばだ。

     「福島の人々は不十分だと言っている」

     昨年11月末、自民党の「東日本大震災復興加速化本部」の本部長、額賀福志郎・衆院議員は東電ホールディングス(HD)の広瀬直己社長を党本部に呼びつけ、賠償金の支払い方針見直しを要請した。

     東電が避難指示区域内の農協や酪農団体などに18年まで2年分の賠償金支払いを提示したところ、自民党の怒りを買った。地元では賠償を打ち切るとの懸念が高まっていた。

     要請から間を置かず、東電は農林業者に対し、19年まで3年分と20年以降も「事故と相当因果関係のある損害」を支払うと通知した。東電の幹部は「永久に賠償し続けるのは難しい」と本音を漏らす。この先、何年支払い続けるのか、事実上わからなくなった。

     飛散した放射性物質を取り除く除染作業も難航する。当初は田畑の表面の土壌を削り取ることを目指した。放射線量が高く、人が立ち入らないまま放置された農地には、ヤナギなどの草木が根をおろし、大きく成長した。草木を伐採し、地中に張り巡らされた根を掘り起こす作業が加わった。

     廃炉、賠償、除染――。事故が起きてから6年、政府は事故の処理費用を従来のほぼ2倍となる総額21・5兆円と見積もる。最終的に電気代への上乗せや税金を通じて国民が負担する。時間の経過とともに想定を上回る事故の深刻さだけは明確になっており、今後も費用が膨らむ可能性は高い。被災者と同じように国民も長い忍耐を迫られる。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170303-118-OYTPT50075

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    1. [震災6年]汚染水、デブリ…廃炉険し
      2017年3月3日5時0分

       東京電力福島第一原子力発電所の事故から、間もなく6年を迎える。増え続ける汚染水の取り扱いのめどが立たず、同原発の敷地内にはタンクが林立している。溶融燃料(デブリ)の調査では、ようやく2号機の炉心直下の様子が一部わかったものの、全容解明にはほど遠い。廃炉や除染、賠償など費用は計21・5兆円と試算され、電気代や税金を通じて国民に負担が重くのしかかりそうだ。

      96万トン タンク900基林立

        敷地ぎっしり

       本社ヘリで福島第一原発を眺めると、敷地内に汚染水タンクがぎっしりと並んでいる様子がわかる。タンクの数は現在約900基。震災前は森林だった場所が、タンクの森に変貌した。

       1~3号機で炉心溶融(メルトダウン)が起きたため、現在も冷却水を注入しており、原子炉建屋の地下などに高濃度の汚染水がたまっている。ここに周囲から地下水が流れ込んで混ざるため、汚染水の量が増えてしまう。

       タンクで保管されている1~4号機の汚染水の総量は、2月16日現在で約96万トン。原子炉建屋地下などの高濃度汚染水約7万トンや、5~6号機の汚染水約1万5000トンを合わせると、計約105万トンに達する。

        75%は処理水

       1~4号機の約96万トンのうち75%は、浄化装置「ALPS(アルプス)」で大半の放射性物質の除去処理が終わった水で、アルプスで取り除けない放射性物質トリチウム(三重水素)が残っている。通常の原子力施設では国内外を問わず、トリチウム水は基準値まで薄めて海に流している。

       福島第一原発のトリチウム水について、経済産業省の作業部会は昨年6月、海洋放出が安上がりで、処理にかかる期間も短いとの報告書をまとめた。しかし、漁業などへの風評被害の懸念から、放出のメドはたっていない。

       経産省の小委員会は昨年11月から、風評被害を含めた汚染水の影響の検討を始めた。小委員会では、「タンクの存在自体が、汚染されているとの風評被害を招いている現状がある」(開沼博・立命館大准教授)との指摘も出ている。

       地下水の流入を防ぐため、建屋の周囲約1・5キロ・メートルの土壌を凍らせて「凍土壁」を作る作業が進められている。全体の凍結は今夏以降になる見通しだが、建屋への地下水の推定流入量はおおむね減少傾向にある。

       タンクは1日500トンのペースで増設している。ボルトで締めた継ぎ目から汚染水が漏れやすいタイプのタンクを、漏れにくい溶接タイプに交換する工事も進んでいる。

       原子力規制委員会の更田豊志ふけたとよし・委員長代理は「今後も高濃度汚染水の除去などで、タンクの空き容量が必要になる。最終的にタンクが何基必要かはわからないが、廃炉作業を持続的かつ安定的に続ける上で、タンクが満杯という状況は認められない」と指摘する。

      原発事故処理 21.5兆円

        国民が負担

       事故処理に絡む費用総額が21・5兆円と従来の見積もり(11兆円)から倍増したのは、廃炉・除染作業の難航に加え、被災者の避難生活の長期化などが原因だ。東電ホールディングス(HD)が全体の7割以上を負担、約2割を他の電力会社(沖縄県を除く)、約1割を国が賄う。最終的には電気代や税金を通じて国民が支払うことになる。

       経済産業省の有識者会議「東電改革・福島第一原発問題委員会」の委員長を務める伊藤邦雄・一橋大特任教授は、「国難であり、国民の理解を得て費用を回収していく」と話す。

       ただ、事故処理の総費用が試算通りになるとは限らない。例えば、廃炉費用は専門家が福島第一原発より被害が少ない米スリーマイル島原発事故を参考に算出した「推計」に過ぎない。

        電気代に上乗せ

       21・5兆円の内訳は、廃炉が8兆円、賠償が7・9兆円、除染は4兆円、除染などで生じた汚染物質を保管する中間貯蔵が1・6兆円だ。

       廃炉費用8兆円は東電が全額負担する。約40年の作業が滞らないよう、政府は東電があらかじめ費用を蓄えられるようにする。東電は「年3000億円程度」(経産省)とされる必要額を収益から積み立て、政府の「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」が積立金全体を管理し、廃炉作業に使う時に限って取り崩す。家庭の電気料金の3割程度を占める送電料金は国が規制し、利益が増えると値下げされる。東電だけ特例で値下げせずに増えた利益を積立金に回せるようにする。

       賠償費用7・9兆円は、東電が3・9兆円、他の大手電力が3・7兆円、電力自由化で参入した新電力が2400億円を負担する。

       7・9兆円のうち2・4兆円について政府は、国内で原発が運転を開始した時から、将来に備えて用意しておくべき金額だったと位置づけた。過去に原発からの電気を利用した人が皆で負担する仕組みだ。2020年から40年間、沖縄県を除く全国の送電料金に上乗せして回収する。この結果、標準家庭で電気代が月平均18円増える。原発を電源としない新電力の顧客も賠償費を分担することになる。しかし、新電力には「賠償費は原発を持つ大手電力が支払うのが筋だ」(みんな電力)などと不満も多い。

       除染費用の約4兆円は、政府保有の東電HD株の売却益を充てる。これとは別に一部に国費も使う。中間貯蔵の費用1・6兆円は全額国費で賄う。

       巨費の捻出のため、東電は動けば利幅の大きい柏崎刈羽原発(新潟県)を再稼働したいものの、見通しが全く立っていない。政府は他電力との提携・再編による収益向上を求めている。

      2号機調査 深まる謎

        燃料どこに

       東電は今年1~2月、福島第一原発2号機の原子炉格納容器内で溶融燃料調査を試みた。炉心溶融が起きた1~3号機の中で初めて、炉心直下の床の損傷や堆積物などを撮影することができた。しかし、炉心直下から少し離れた場所で高い放射線量が測定されるなど、かえって謎が深まった部分もある。今後の廃炉作業は困難が予想される。

       パイプの先に取り付けたカメラで、直径約5メートルの金網の作業用の床のうち4分の1程度の範囲を観察できた。この範囲だけで、最大1メートル四方の穴が3か所開いていた。残った金網などには、黒っぽい堆積物がこびりついていた。

       堆積物には溶融燃料が含まれている可能性がある。炉心で2000度以上になった燃料の一部が原子炉圧力容器の底を突き破り、作業用の床に落ち、鋼鉄製の金網の一部が溶けて穴が開いたと考えられている。

        毎時210シーベルト

       映像は水分で白く曇り、放射線の影響で時折、チラチラと乱れる。映像のノイズから推定した放射線量は、最大で毎時650シーベルトだった。その後、調査ロボットの線量計で計測した最大値は毎時210シーベルト。人間が1分間あまり被曝ひばくすると死亡する恐れがある高い線量だ。

       その場所は炉心直下ではなく、少し離れた装置交換用のレールの上。東電は「なぜこんなところで高い線量が確認されたのか分からない」と首をひねる。日本原子力学会の廃炉検討委員長を務める宮野広・法政大客員教授(システム安全)も、「圧力容器の内外につながる配管内を溶融燃料が流れた可能性もあるが、燃料が一体どこにあるのか、全く分からない」と話す。

       調査ロボは、後ろ半分を持ち上げて周囲を撮影できるため「サソリ形」と呼ばれる。詳しい調査が期待されたが、走行用ベルトに堆積物が絡まって前に進めなくなった。結局、炉心直下に到達できないまま、格納容器内に放置された。

       その前には、堆積物を掃除するロボットを投入したが、強い放射線の影響で約2時間でカメラが不調になったため回収した。

       これらの調査は、廃炉の最難関工程である溶融燃料の取り出し方法を決めるのが目的。1、3号機は2号機よりも格納容器内の水位が高い。1号機は3月中旬から、水中を撮影できる子機を親機がつり下げる「ワカサギ釣り形」のロボットの投入が予定されている。3号機では水中ロボットによる調査を計画中だ。

       東電は今年9月末までに取り出し方法を決める方針だが、溶融燃料の詳しい状況がわからないため、遅れる可能性がある。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170302-118-OYTPT50416

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    2. [震災6年]津波の痕 保存手探り
      2017年3月3日5時0分

      南三陸「応急補修」/大川小「手を加えず」

       東日本大震災の教訓を伝える「震災遺構」のあり方が、あの日から6年が近付いた今、議論となっている。3日に補修工事を終える予定の宮城県南三陸町の防災対策庁舎は、ペンキが塗り直されて真新しい構造物のように仕上がり、訪れた人からは「庁舎が持つ独特の雰囲気や重みがなくなってしまった」との声も出ている。

       「補修前の姿を鮮烈に覚えているだけに、今はレプリカのように見えてしまう」

       先月下旬、同町を訪れた大阪府の大学院生(23)は、困惑した様子でこう漏らした。同庁舎は、1995年度に完成した鉄骨造り3階建て。震災では、この庁舎から防災無線で避難を呼びかけ続けた女性職員ら43人が津波にのまれ、死亡・行方不明となった。

       昨年11月から始まった補修工事は、赤茶けた鉄骨がむき出しになった震災直後の姿の再現を目指し、庁舎を建てた町内の業者が手がけた。津波による鉄骨への塩の浸食や風雨で劣化が進み、塩分を取り除いてさび止めを施した上で、さびていない部分の色に合わせて通常のペンキを塗った。

       だが、鉄骨は赤、階段は白に塗られ、くすんだ風合いが消えたため、地元からは「新築工事中に見える」「きれいになりすぎてしまった」との意見も出ている。

       同庁舎については、遺構として保存するか、解体するかで町民の意見が割れており、震災から20年後の2031年3月までは同県が管理し、その間に議論を深めることになっていた。

       県は当初、庁舎が持つ風合いを残そうと、さびた状態を再現できる最新の塗装技術の導入を検討。だが、「つらい記憶を思い出してしまう」との住民の声があったほか、費用もかさむため、保存か解体かが決まるまでの「応急処置」としての補修にとどめ、費用も半額以下の約4200万円に抑えた。県の担当者は「我々は町から庁舎を預かっている立場。手を加えすぎない方がいいと考え、最低限の処置にした」と説明する。

       震災遺構を巡っては、津波で児童と教職員の計84人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校の旧校舎について手を加えず、ありのままの姿を残すことを基本方針に決めている。岩手県宮古市の「たろう観光ホテル」は、透明なさび止め塗装剤などを使い、津波の痕跡を残している。

       震災遺構については、〈1〉地元の復興計画と関連が強い〈2〉維持管理費の見通しがある〈3〉住民や関係者の合意がある――の条件を満たせば、1市町村につき1か所、保存にかかる初期費用を国が負担している。

       「減災・復興支援機構」の木村拓郎理事長は「腐食が進む防災対策庁舎を保存するため、最低限の補修をした宮城県の考えは理解できる。ただし、災害の教訓を後世に伝えるためには、震災遺構はできるだけ災害の痕跡をとどめて残した方がいい。年数を重ねていけば、多くの自治体も同様の問題に直面する。保存方法を議論する場を設けたり、国が指針を策定したりするべきだろう」と話している。

       

      原爆ドーム 被爆直後の姿残す

       戦争の悲惨さなどを後世に伝える各種施設には、その保存方法に様々な工夫が施されている。

       広島市の原爆ドームは、解体論もあったが、官民で議論を重ね、終戦から21年後の1966年に市議会が永久保存を決議。最近は老朽化が激しく、市は建築や文化財などの専門家を集めた委員会を2001年に設置し、保存の方法を詳細に議論して決めている。同市によると、被爆直後の姿を残すため、壁に防水剤を塗ったり、ひび割れを直したりしているが、着色することはないという。1954年の水爆実験による「死の灰」が降り注いだ第五福竜丸を管理している「第五福竜丸平和協会」(東京)では、船大工の指導のもと、文化財の木造建造物の補修と同じ手法で、85年から1年3か月かけて腐った部材を取り換えたという。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170303-118-OYTPT50064

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  7. [震災6年]新しい町 見守る
    2017年3月3日15時0分

     岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」は、地震による地盤沈下などで水浸しとなった川原川河口に立つ。震災遺構として保存予定の陸前高田ユースホステルが当時の姿のまま寄り添う=写真、3日午前、許可を得て小型無人機から、飯島啓太撮影=。

     海岸に高さ12・5メートル、幅約50メートルの長大な防潮堤が約2キロにわたって築かれている。壁の向こうでは、津波が奪った高田松原と砂浜をよみがえらせる取り組みが試みられ、陸側では津波復興祈念公園の計画が進む。

     かさ上げされたはるかかなたの高台に建物が見える。ようやく輪郭を見せ始めた「新しい町」を、一本松が見守っている。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170303-118-OYTPT50300

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  8. [震災6年 未完の事業]<3>仮設解消せず 不公平感
    2017年3月4日5時0分

     部屋はホームベース付近、玄関を開けると三塁側のベンチが見える。美容院経営山本明美さん(51)が暮らす仮設住宅は、宮城県女川町の小高い丘にある町民野球場のグラウンドに立つ。わずか約100メートル先には、都市部のマンションのような災害公営住宅「運動公園住宅」がある。町内で最も早い3年前に完成し、約200世帯が一足早く入居した。3~4階建て、最も大きな部屋は4LDKだ。

     「なんだか取り残されたような気がして」。山本さんの胸中は複雑だ。仮設住宅の9棟(189戸)には、いまだ163世帯が暮らす。

     この仮設住宅の設計は著名な建築家が手がけた。山本さんは一家3人で2014年春に入居し、通常の仮設住宅よりモダンな外観がお気に入りだった。しかし、一軒家だったかつてと比べて手狭で、荷物が積み上がる。「精神的に疲れがたまってきた」。希望する約1キロ離れた災害公営住宅の建設は遅れ、完成はまだ1年先だ。「早く安住できる家に住みたい」

     女川町の災害公営住宅は当初計画より半年遅れている。町は津波被害に遭った低地の住宅再建をあきらめ、高台移転を選んだ。だが、山間部の硬い岩盤に阻まれ、連日のように発破するなど、工事が難航した。

     「運動公園住宅」に抽選で当選した坂本礼子さん(48)は、家族と野球場の仮設住宅から移った。目立たないように引っ越し、あいさつも、ごく近所のみ。積極的に関わった仮設住宅のイベントにも、今は足を運べない。「まだ残っている人に申し訳ない」

     南正昭・岩手大地域防災研究センター長は、復興事業が大詰めを迎える現在の課題を挙げる。「住まいを再建した人、まだの人という格差が鮮明になっている。被災者の心理的負担が重なっており、十分なケアが必要」と指摘する。

         ◇

     復興のスピードの差は、自治体間にも及んでいる。

     岩手県大槌町は、旧市街地をかさ上げして再建する。宅地や道路など地区ごと再構築する土地区画整理事業を活用し、961戸分の宅地を造成する。しかし、事業は長引き、進捗しんちょくは半分ほどだ。

     同町赤浜地区で自宅を再建する予定の消防士佐藤巧真さん(21)は、今年1月にようやく土地の引き渡しが実現した。当初予定より約3年延びた。「雨の日も雪の日も続く工事を見れば仕方ない。でも、東京オリンピックで資材が高騰したせいか、建設費は1000万円も上がった」。引き渡しが1年以上先の地区もある。

     一方、宮城県南三陸町は宅地は高台へ、商業地などは低地に配置する「職住分離」を進めた。「津波が来ても逃げる必要がない町」を掲げ、高台に住まいを集約させた。同町は昨年、宅地造成を終えた。

     復興事業の選択によって生まれた格差。女川町の担当者は言う。「計画当初は規模感も計れないし、どれが正しい選択か、誰も分かるはずなかったと思う」
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170304-118-OYTPT50137

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    1. [震災6年]移転か現地か 進捗左右
      2017年3月4日5時0分

       津波の被害に遭った自治体が選択した住宅街や宅地の再建方法は、大きく分けると2パターンだ。内陸や高台への移転と、津波が襲った旧市街地での再建。一から街をつくり直す現地再建は難航し、とりわけ、盛り土をして土地をかさ上げする事業は遅れている。一方、集団移転は順調に進み、再建手法の違いは復興のスピードを左右している。復興が長期化すれば人口の流出が深刻化する。早期に再建できてもコミュニティーづくりに課題が浮上する。進んだ道はそれぞれまだ険しい。

      街を再建 盛り土に時間

      ◇「待つしかない」

       再建でまず立ちはだかったのが地理的な条

      件だ。三陸沿岸は背後に山を抱え、内陸部で思うように住宅用地が確保できない。こうした自治体の多くは、津波が浸水した旧市街地での現地再建に踏み切り、道路や宅地など地区一帯を再構築する土地区画整理事業を用いた。想定される津波の高さ以上に土を盛って安全を確保するためには長い時間がかかる。

       津波で壊滅した街の中心部をかさ上げする岩手県陸前高田市。山を削って東京ドーム9杯分の土を運び、約125ヘクタールを盛り土して宅地を造成する。最も高い地点で海抜16メートル。被災地最大規模のかさ上げ事業だ。昨年末現在の土地区画整理の造成進捗しんちょく率は約9%。「6年も待つとは思わなかった」。仮設住宅で一人暮らす松野昭子さん(81)はこぼす。

       県外にいる娘からは同居を誘われた。だが、かさ上げ地の旧自宅近くに戸建て住宅を再建する。多くの親戚が津波の犠牲になり、県内外からその家族らが法要で訪れた時のよりどころでありたいからだ。しかし、かさ上げが終わるのは早くても1年先。「我慢して待つしかない」

       陸前高田市が現地再建にこだわったのは、地形的な事情のほか、「再び中心部に住民を集め、コンパクトで機能的なまちをつくる」ためだった。ただ、大量の土を積み上げる工法そのものに加えて、元の土地と造成後の土地を交換(換地)する調整にも手間取った。地権者は約2500人。避難してちりぢりになった人を捜し出し、面会を繰り返した。なかには、震災で亡くなった地権者もいる。2018年度までの工期がずれ込む可能性も出てきた。

       陸前高田市の市街地整備課の伊賀浩人主幹は言う。「事業全体の規模感が把握できない中で定めたスケジュールが甘かった。希望的なところもあった」

      ◇復興住宅にも影響

       宮城県気仙沼市のかさ上げ地は川沿い。土が水分を含むため、盛り土は実際より1~2メートル高くして、その重みで水分をしみ出させる計画だった。ところが、しみ出すスピードが想定より遅く、完了は当初の計画より2年遅れて19年度になった。同じように旧市街地をかさ上げする岩手県大槌町は、かさ上げ地の上に災害公営住宅と防災集団移転事業による宅地を造成する計画だったが、かさ上げの長期化で、進捗率はそれぞれ45%、68%にとどまる。

       東北大災害科学国際研究所の松本行真准教授(都市・地域論)は「被災地は、震災前から過疎化が進んでいた地域も多い。復興の長期化で、若者の地元への意識は薄れ、高齢化が一層進む可能性が高い。人口が減れば、町の維持もままならなくなるだろう」と指摘する。

      早さ重視 住宅は高台へ

      ◇開発地を転用

       全壊した家屋が沿岸自治体で最も多い3万戸を超えた仙台市。震災前から進めていた内陸の宅地開発地を移転先に転用できると判断し、内陸部への移転を進めた。これにより災害公営住宅と集団移転の計画の半分ほどをカバーし、早めの再建を遂げた。

       「職住分離」での街づくりを選択した宮城県南三陸町は、「二度と津波で人命と財産を失わない街にする」と、住宅は高台に移転し、低地はかさ上げして主に商業地とした。住宅再建の効率とスピードにも配慮した選択だった。「山を切って家を建て、その土は低地に運んで盛り、店や工場、スーパーをつくる。単純な発想だった」。町企画課の阿部俊光課長は説明する。高台で宅地を造成したほうが、低地のかさ上げより、土地の取得も造成も比較的早いと踏んだ。

       町が高台に造った宅地は827戸分で、昨年末までに造成をすべて終えた。高台や内陸の災害公営住宅も、738戸のうち84%が工事を終えて残りも3月末には完成する。

      ◇車で漁港へ

       このうち造成が終わった志津川東団地には、漁師の千葉勘五郎さん(76)が昨年6月、仮設住宅から引っ越した。子供たちとローンを組んだ一軒家。「震災から5年で家を建てられ、ほっとしている」と喜ぶ。かつての海沿いの自宅と違って車で港に出向かなければならないが、「津波が来ても家が流されることもない」と話す。団地内には病院もオープンし、糖尿病を抱える妻(78)は歩いて通院できる。

       住宅再建を優先し、低地の造成を後回しにした町の選択。低地は対照的に、一部の商店街が完成しただけで、周囲には山を削って運ばれた土が至るところに積まれたままだ。

      「焦らず魅力ある街に」

       住まいの確保だけが復興の指標ではない。再建を急ぐがあまり、コミュニティーづくりが置き去りになる懸念もある。

       宮城県石巻市内で最も遅い18年に完成予定の集団移転地・二子地区は、入居予定者が事前に議論を重ね、震災前に住んでいた地区ごとに入居区画を割り振った。先行した新蛇田地区が抽選で割り振り、見知らぬ人ばかりになったことでコミュニティーづくりに苦労した教訓を踏まえた。二子地区のまちづくり協議会長の阿部良助さん(69)は「隣近所に顔見知りがいる団地にしたかった。再建後の暮らしが大事」と話す。

       岩手や宮城で街づくりの復興を支援している東北大大学院工学研究科の小野田泰明教授(都市・建築学)は、「早さも重要だが、住む魅力がない街になってしまったら、人は街を離れ、結局、後世に負担を残すことになる。震災後に焦らず復興計画を練り上げて、コミュニティーの再生や交流人口の増加を盛り込めた自治体は、今は道半ばでも将来発展し得る」とみる。

      仮設 解消と延長の二極化

       被災地のプレハブ仮設住宅も、解消したり集約したりする自治体がある一方、住民の再建のめどが立たずに使用期間を引き続き延長する自治体があり、二極化している。

       プレハブ仮設住宅の使用期間は本来2年。しかし、仮設住宅を出た後に暮らす災害公営住宅や集団移転先の造成などが長期化し、多くの自治体は1年ごとに期間を延長してきた。復興事業が進むにつれて住民は徐々に減り、岩手、宮城、福島の3県でピーク時には約11万8000人だったのが、今年1月末現在、3万5503人まで減少した。

       3県の6市町は、すでに全てのプレハブ仮設住宅の解体を終えた。14市町村は、今年度中にすでに使用を終えたか、終了する。

       このほか、住民の多くが再建のめどが立ってきたとして、仮設住宅を集約する自治体が目立ち始めた。こうした自治体が用いるのが「特定延長」。再建のめどが立たない住民に公営住宅などを紹介して退去を進め、めどが立っている世帯だけを期間限定で延長。集約を進めて残りを撤去する。

       特定延長は今年4月以降、12市町が実施を決めている。宮城県気仙沼市の担当者は「一人ひとりに寄り添った支援で再建を後押ししたい」と話す。

       一方、住まい再建の進展が遅い自治体は、これまで通り、自治体ぐるみで期間を延ばす「一律延長」を継続する。岩手、宮城の8市町が4月以降も導入。岩手県の釜石市、陸前高田市、宮城県の石巻市、女川町など、被災規模が大きかった自治体で目立っている。

       福島県の場合は、原発事故の影響で避難指示区域となっている自治体、避難指示が解除されても生活再建先の整備が十分でない自治体など計10市町村で一律延長を継続する。

       仮設住宅には、自治体が民間アパートなどの家賃を負担して被災者が入居する「みなし仮設」もある。宮城県では、今年1月末現在で、9808人にのぼる。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170303-118-OYTPT50388

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    2. [震災6年]兄よ弟よ 供養の文具店…「南三陸さんさん商店街」移転
      2017年3月4日5時0分

       東日本大震災の翌年にプレハブの仮設でオープンし、多くの客を集めた宮城県南三陸町の「南三陸さんさん商店街」が3日、海抜約10メートルまでかさ上げされた同町中心部に移転し、常設の商店街として生まれ変わった。兄弟を津波で亡くした文具店の店主も再スタートを切り、明るい声で観光客を出迎えた。

      仮設から常設 再スタート

       「地元や遠方の人、誰にとっても温かい店にしたい」。地元の杉をふんだんに使った店舗で、文具店「フレンズ」の店主、熊谷和平かずよしさん(62)は目を細めた。店内には土産品も並べ、早速訪れた観光客に、南三陸の浜辺の砂で作られた置物を薦めていた。

       兄の吉治よしじさん(当時59歳)が町中心部で営んでいた衣料品店で働いた後、1979年にその隣に文具店を開業した。町役場や学校に事務用品を卸しながら、兄の店も手伝った。吉治さんが商工会副会長で忙しかったからだが、地元のために奔走する兄が誇らしかった。

       6年前、轟音ごうおんを響かせて、津波は町をのみ込んだ。熊谷さんはなんとか高台に逃げたが、吉治さんは亡くなり、町職員だった弟の良雄さん(同54歳)も行方不明になった。半年後、2人の葬儀を行ったが、悔しさは晴れなかった。

       店舗を失い、卸売りだけを続けていたが、「仕事に没頭すれば、悲しみを忘れられる」と、2012年2月にできた仮設商店街に出店した。昔の客が「待ってたよ」と次々訪れ、商品を買ってくれた。涙がこぼれた。

       仮設店舗では、観光客に復興を後押ししてもらおうと、町のご当地キャラクターのペンを置いたり、駄菓子を並べたり、店づくりに知恵を絞った。新店舗の維持費は倍以上となるが、移転に迷いはなかった。

       「自分の店の役割は小さくないと気づいた。ここで元気に商売を続けたい」。それが兄と弟の供養になると信じている。

             ◇

       新しい「南三陸さんさん商店街」は、建築家隈研吾さんの設計で、木造平屋6棟。飲食店や鮮魚店など、仮設からの23店舗と新規の5店舗が入る。事業費約7億円のうち、7割は国の補助金で賄った。年間80万人の来客を目指すという。

       町観光協会によると、昨年末で営業を終えた仮設商店街は、約5年間で県内外から200万人以上を集め、観光名所となっていた。

      仮設営業 なお51か所

       独立行政法人「中小企業基盤整備機構」(東京都)によると、被災3県にできた仮設の商店街は計70か所で、うち51か所(岩手26、宮城12、福島13)が今も仮設のまま営業している。

       仮設商店街の撤去費用は国の負担だが、2019年3月までの完了が条件のため、今後、仮設の閉鎖が相次ぐとみられる。すでに新たな常設商店街の建設が進んでいるところもある。

       ただ、「南三陸さんさん商店街」のように、仮設からほぼまとまって移れるケースは「珍しい事例」(同機構)だという。多くの店主が被災した元の場所での再建を望む一方、その土地の復興後が見通せなかったり、賃料の負担が重かったりという事情で、移転に踏み切れない人も多いからだ。

       4月に閉鎖する宮城県気仙沼市の「南町紫市場」で、とんかつ店を営む小野寺耕さん(49)は、「店があった市街地に思い入れはあるが、賃料が高く、離れた土地への移転も選択肢だ。仮設商店街の近くに環境が整えばいいのだが……」と悩んでいる。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170304-118-OYTPT50166

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  9. [震災6年]海と暮らした街 沈黙
    2017年3月4日15時0分

     人影のない更地に家屋が点在する。ここに集落があったことをうかがわせる数少ない遺物だ。家の中やがれきに残る家財道具だけが、かつての人々の暮らしぶりを伝えている=写真、4日午前、許可を得て小型無人機から、飯島啓太撮影=。

     福島第一原発から約7キロ離れた福島県浪江町請戸うけど地区は、漁業の町としてにぎわい、海水浴場もあった。しかし、津波と原発事故で住民は避難を余儀なくされた。

     海岸沿いの請戸漁港に先月25日、約6年ぶりに漁船が帰還した。今月31日には町の一部で避難指示が解除される。ただ、請戸地区の沿岸部は住むことはできず、防災林や農地として整備される。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170304-118-OYTPT50306

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    1. 福島の漁師 負けぬ姿 3年半の記録 映画に
      2017年3月4日15時0分

       東日本大震災後の福島県の漁村を3年半にわたって取材したドキュメンタリー映画「新地町の漁師たち」が11日から、東京都内で上映される。監督の山田徹さん(33)は「災害に負けない、漁師たちの強い生き方を見てほしい」としている。

       山田さんは震災発生時、都内の映像制作会社に勤めていた。自身は被災しなかったが、福島県で暮らす詩人の和合亮一さんが、津波に襲われた同県新地町の駅の様子を「悪魔が列車となって通り過ぎたのか」と詠んだ言葉に触れた。

       「生死の境にいた人たちの体験を記録したい」と思い、震災の1か月半後、カメラと簡単な荷物を手に同町に入った。

       港では岸壁が壊れ、漁師たちの主な仕事は海中のがれき集め。東京電力福島第一原発事故で生活の基盤を奪われ、「夢も希望もねえべよ」と語る悲哀、そして、その後の試験操業開始による喜びまで、月1回のペースで東京から通い続け、カメラに収めた。

       町から約40キロ南にある同県浪江町では、3月末に避難指示が解除される。山田さんは「全町避難でいったんは離散してしまった人たちがどう団結していくのか。もっと深く福島と漁師の姿に迫りたい」と次回作の構想を練っている。

       映画は92分。上映はポレポレ東中野(東京都中野区)で11~24日。大阪市、福島市でも上映される予定。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170304-118-OYTPT50308

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    2. 弁護士職員 復興に貢献 土地相続や賠償手続き…被災3県 延べ19人採用 
      2017年3月4日15時0分

       東日本大震災や東京電力福島第一原発事故で被災した岩手、宮城、福島県の自治体に任期付き職員として採用された弁護士が、復興の促進に貢献している。被災地では、震災から6年を迎える現在も、補償問題や土地の取得など法的課題が山積のために各自治体からのニーズは高く、これまでに延べ19人が採用されている。

       採用されたのは、岩手県庁1人、宮城県庁2人、福島県庁1人のほか、3県の9市町で15人の計19人。採用の動きは震災2年後の2013年以降に始まり、任期はおおむね2、3年。年齢層は30~40歳代が中心だ。

       被災地では、集団移転での土地取得に伴う権利関係の調整や補償のクレーム対応などの業務が増加。復興に向けて膨大な事務を抱える自治体の職員が、これらの課題に対処しきれずに業務の遅れが深刻化し、採用の動きにつながった。

       土地の相続や登記作業といった権利問題に関する業務のほか、福島県浪江町では、原発事故を受け、東電に土地や建物の賠償などを求めた裁判外紛争解決手続き(ADR)の手伝いのため、町と弁護団の間に入って連絡役を務め、資料作りなどを行ってきた。福島県の担当者は「法的な対応がスムーズになり、復興のスピードアップにつながった」と評価する。

       任期後もそのまま定着する弁護士も出てきている。

       原発事故で全町避難する福島県浪江町で、13年から2年間勤務した井上航わたる弁護士は、同県二本松市に事務所を開設した。京都府出身で、震災当時は長崎県五島市の「法テラス五島」で活動していたが、「避難している町民に寄り添いたい」と、同町の募集に応じた。ADRでは、原告弁護団と町との調整役を務め、資料作成もした。

       井上弁護士は「最初はこなした件数を数えていたが、途中からは忙しすぎて覚えていない。今後は、弁護士の立場で復興の形を模索していきたい」と語っている。

      法テラスへの相談増 15年度5万4000件

       被災地の法的支援を巡っては、2012年4月に特例法が施行されたことを受け、法務省所管の日本司法支援センター(法テラス)での無料法律相談で、依頼者の収入や資産の条件が撤廃された。裁判外の紛争解決手続き(ADR)なども対象業務に加わり、各種係争の終了まで費用の支払いを繰り延べできるよう変更された。

       15年度の相談件数は被災3県を中心に5万4575件あり、14年度より約3000件(約5・9%)増加。12年度比では約1万1600件も増えた。被災3県では、県庁所在地の地方事務所のほか、沿岸部を中心に計7か所の「出張所」を設置しており、この3県での相談が約80%を占める。

       特例法の期限は来年3月まで。延長されなければ出張所も廃止される見通しで、新たな「受け皿」の確保が急務となっている。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170304-118-OYTPT50279

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  10. 住宅すべて流された集落解散へ ふるさとの証しに桜植樹
    3月4日 13時13分

    東日本大震災の津波ですべての住宅が流された福島県南相馬市の集落が今月いっぱいで解散することになり、4日、住民たちが久しぶりに集まってふるさとの証しを後世に残そうと桜を植樹しました。

    福島県南相馬市の沿岸部にある南右田行政区の集落には震災前はおよそ330人が暮らしていましたが、震災の津波ですべての住宅が流され54人が犠牲となりました。

    集落の大部分は災害危険区域に指定され、各地に移って生活を始めている住民たちは元の場所で集落を再建することを諦め、今月いっぱいで行政区を解散することになりました。

    これを前に4日は住民80人が久しぶりに集まり、震災の犠牲となった地域の人たちを悼む慰霊碑の近くで黙とうをしたあと、合わせて30本の桜を植樹しました。
    桜は高さ5メートルほどの若い木で、住民たちはふるさとの証しを後世に残そうとそれぞれの名前を刻んだプレートを添えていました。

    区長を務めていた五賀和雄さんは「ここで暮らしてきたことを次の世代にも伝え、桜の世話をしたり花見をしたりして皆が集える場所にしたいです」と話していました。南右田行政区では地区の歴史や住民の思い出をつづった記念誌も作ることにしています。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170304/k10010898611000.html

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  11. 仮設住宅経験者の7人に1人 “同居家族亡くした”
    3月4日 17時58分

    東日本大震災の発生から6年になるのを前に、NHKが岩手・宮城・福島の被災者などを対象に行ったアンケートで、仮設住宅での生活を経験した人のうち、7人に1人が同居していた家族を亡くしたと回答しました。徐々に健康状態が悪化して亡くなった人も多くいて、復興の遅れで仮設住宅での生活が長期化していることによる影響が広がっています。

    このアンケートは、NHKが岩手・宮城・福島の3県の被災者や原発事故の避難者、合わせて5000人を対象に去年11月から先月にかけて行ったもので、全体の3割近くにあたる1437人から回答を得ました。

    このうちプレハブの仮設住宅や、賃貸住宅を利用したいわゆる「みなし仮設」でいまも生活している人や過去に生活したことがある人、合わせて1137人に尋ねたところ、7人に1人にあたる174人が仮設住宅での生活中に同居していた家族を亡くしたと回答しました。

    家族が亡くなったときの状況について自由記述で聞いたところ、祖父を亡くした岩手県の65歳の女性は「仮設に移ってからトイレへ行くだけの生活でだんだん足腰が弱った」と書いたほか、91歳の母親を亡くした福島県の69歳の男性からは、「見知らぬ場所で好きな野菜づくりなどもできずに閉じこもり、体力が低下した」という回答が寄せられ、仮設住宅で生活するうちに徐々に健康状態が悪化し、亡くなった人が多くいることがわかりました。

    また家族を亡くした人の中には、孤立感を深めたり自宅を再建する気力を失ったりしたなどと答えた人もいて、復興の遅れで仮設住宅での生活が長期化していることによる影響が広がっています。

    「亡くした母の思い胸に帰還へ」

    アンケートに答えた福島県浪江町の佐藤俊一さん(69)は、去年11月、仮設住宅で生活した母親のミツさん(91)を亡くしました。

    浪江町の自宅がある地域は、東京電力・福島第一原子力発電所の事故の影響で「避難区域」に指定されたため、佐藤さんたち家族は事故のあと、しばらく仙台市の妹のマンションに身を寄せたあと、6年前の7月から50キロ余り離れた福島県桑折町の仮設住宅に入居し、生活を続けてきました。

    浪江町の自宅は、山の中の自然豊かな場所で、広い庭もあります。原発事故が起きる前、ミツさんは庭で落ち葉を集めてカブトムシを飼育したり、畑で野菜を栽培したりするなど元気に過ごしていました。
    しかし、仮設住宅には庭や畑がなく農作業もできないため、入居後は外出することがほとんどなくなりました。徐々に足腰が弱り、仮設住宅の中であまり動かず、ベッドの上で過ごすことが多くなっていったといいます。

    当時のミツさんの状況について佐藤さんは、アンケートに「見知らぬ場所で好きな野菜作りなどもできずに閉じこもり体力が低下していった」と記しています。入居して1年後には歩くことも難しくなり、仮設住宅のすぐ近くにある介護施設に入所。その4年後の去年11月、91歳で亡くなりました。浪江町はこの春、一部で避難指示が解除される予定で、佐藤さんの自宅のある地域も含まれる見込みです。

    佐藤さんは、一時帰宅を繰り返して自宅の片づけをするなど帰還への準備を進めています。自宅に戻ったら、ミツさんが愛した自然豊かで四季折々の草花で満ちあふれる、かつての庭に戻したいと考えています。

    佐藤さんは「長期間の仮設生活で母はやることがなく、どんどん元気がなくなっていきかわいそうだった。いつも自宅の話ばかりしていたので戻りたかったんだと思う。地域の見本になるよう先んじて戻りたいと思う」と話していました。

    仮設住宅生活 異例の6年

    岩手、宮城、福島の各県と内閣府によりますと、東日本大震災の被災地では一時、最大で11万4000人近くがプレハブの仮設住宅に入居し、震災の発生からまもなく6年になる今もおよそ3万5500人が生活を続けています。

    仮設住宅での生活が長期化している理由については、津波による被害を繰り返さないよう被災地の各地で地盤のかさ上げなどの大規模な工事が必要になったため災害公営住宅の整備や住宅の高台移転が遅れているほか、福島県では原発事故による避難指示が続いていることなどが理由として挙げられます。

    プレハブの仮設住宅からは、阪神・淡路大震災でも発生から5年を迎える前にすべての被災者が退去しました。東日本大震災では仮設住宅での生活がこれを超える6年になるという異例の事態となっています。

    専門家「継続的な支援が必要」

    今回のアンケートの結果について防災社会学が専門で兵庫県立大学の木村玲欧准教授は、「仮設住宅は仮の住まいであって、ついの住みかではない。それなのに自宅や生活の再建が遅れ、この仮の住まいでの生活が長引く中で、高齢の方や持病を持っている方が多く亡くなっているという今回のアンケートの結果は、非常に悲しく、震災の影響の大きさというものを改めて感じさせられる」と話しています。

    そのうえで、「家族を亡くしたあとも仮設住宅にとどまっている人は孤立感や閉塞(へいそく)感をさらに強める可能性がある」と述べ、行政やボランティアによる支援や見守りを今後も継続的に行うことが重要だと指摘しています。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170304/k10010898761000.html

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  12. 復興事業 契約額が途中で増額相次ぐ 5分の1が2倍以上に
    3月4日 18時37分

    東日本大震災のがれき処理や原発事故の除染など国や県が発注した大規模な復興事業でゼネコンとの契約額が途中で増額されるケースが相次ぎ、全体の5分の1の事業は契約額が当初の2倍以上に引き上げられていることがNHKの取材でわかりました。こうした契約変更について環境省や岩手県はホームページで公表しておらず、専門家は「税金のむだづかいや不正につながりかねず情報公開の徹底が必要だ」と指摘しています。

    NHKは震災後に宮城県と岩手県が発注した「がれき処理」や環境省が発注した原発事故の放射性物質を取り除く契約額1億円以上の「除染」、それに除染で出た廃棄物を処分する中間貯蔵施設の関連工事など合わせて73件の大規模な復興事業についてゼネコンとの契約状況を調べました。

    業者の選定は「価格面」や「技術力」を総合的に判断する方法などで行われましたが、「これまで経験がない震災後の事業で緊急性が高く正確な業務量を見極めるのが難しかった」などとして全体の87%にあたる64件の事業でゼネコンとの契約額が途中で増額され、全体の5分の1は契約額が当初の2倍以上に引き上げられていることがわかりました。

    環境省などは公共工事の契約額を30%を超えて増やす場合、増額分については新たに入札を行うなどして契約し直すことを原則としていますが、NHKが調べた復興事業では全体の60%余りで契約額が30%以上増額されていたにもかかわらず新たに契約が行われたケースはありませんでした。

    こうした契約変更について、宮城県は事前に議会の議決を経たうえでその内容をホームページで公表していますが、環境省や岩手県は情報公開のルールに従ったとして契約変更をホームページで公表せず、岩手県は議会にも変更された事業の契約額を報告していなかったということです。さらに震災から6年となることしに入ってからも除染や中間貯蔵施設など4件の事業で契約額の大幅な増額が続いています。

    大幅増額の復興事業

    環境省がおととし10月に一般競争入札で発注した除染で出た廃棄物を処分する「中間貯蔵施設」の関連工事は当初、5億3000万円余りで大手ゼネコンのグループに発注されましたが、去年3月から先月にかけて4回にわたって契約が変更され、契約額は当初の5倍以上となる27億円余りに膨れあがっています。

    また岩手県が平成23年12月に発注した宮古地区のがれき処理事業の契約額は平成24年3月から翌年2月にかけて3回にわたって契約が変更され、当初の36億円から2.2倍となる81億円に、宮城県が平成24年5月に発注した気仙沼地区のがれき処理事業の契約額は当初の484億円から1.5倍の729億円にそれぞれ引き上げられています。

    また環境省がおととし4月に発注した双葉町の除染事業の契約額は去年8月までの半年間に3回にわたって契約が変更され、当初の22億円から3.8倍の84億円余りに、おととし7月に発注した南相馬市の除染事業の契約額は当初の96億円から2.3倍の222億円余りにそれぞれ引き上げられています。

    環境省と岩手県はネット公表せず

    国や自治体などが発注した公共事業の当初の契約額は透明性を確保するためホームページなどで公表されていますが、その後の契約変更の内容を公表するかどうかは自治体によって対応が分かれています。

    宮城県はがれき処理について「多額の支出を伴う事業でありすべてをオープンにする必要がある」としてゼネコンとの当初の契約を変更する際には議会の議決を経たうえでその内容をホームページで公表しています。

    一方、岩手県は今回、NHKの取材に対し契約変更の内容を初めて明らかにしましたが、それまで変更された事業の契約額を議会に報告せずホームページや県報などでも公表していませんでした。

    岩手県は建設関連の事業については契約変更の理由や金額を公表するよう県のルールで定めていますが、「がれき処理事業は価値のない廃棄物を処理する『役務』であり建設関連の事業ではない」などとして公表の対象にしていなかったということです。

    岩手県の担当者は「県のルールに照らしてがれき処理の契約変更は公表する必要がないということだった。公金は1円であっても大切なお金なので適切に使っている」と話しています。

    また環境省は除染や中間貯蔵施設の整備などの契約変更について福島市の事務所の閲覧室にあるファイルに資料を挟む形で公表しています。しかしホームページなどでは見ることができないため、契約変更の情報を知るには福島市の事務所まで足を運ぶ必要があります。

    環境省の担当者は「書面の閲覧による公表は会計上のルールで認められており方法に問題があるという認識はない」としたうえで、ホームページなどで情報公開を進めるかについて「指摘があったので課題として受け止める」と話しています。

    専門家「契約変更の情報公開が必要」

    公共事業の入札や契約の問題に詳しい上智大学法科大学院の楠茂樹教授は復興事業で契約額の増額が相次いでいることについて「誰も経験したことのない震災後の事業なのでどうしても事前の見込みと違うという状況は発生しうるが、契約額の増額がここまで激しく行われるのには違和感を感じるし契約額が2倍3倍になるのは通常ならありえない話だ。最初の入札では予定価格を1円でも上回れば無効になるのに、お金を使えば使うほど契約変更で予算がつくということになれば歯止めがかからなくなり公金の有効利用の観点からも検証し直す必要がある」と指摘しています。

    また契約変更の情報公開については「最初の契約の透明性は確保されているが、その後、契約がどのように変化したのかについては情報公開が不十分だ。契約額が当初の2倍3倍になっているケースがあるのにその情報が積極的に公表されなければ税金が有効利用されたかどうか議論することもできず市民の不信を招くことになる。不透明な部分は不正や癒着、甘えが生じやすく情報公開を徹底する必要がある」と話しています。

    そして、震災から6年となった今も復興事業で契約額の増額が続いていることについて「これだけ長い期間、事業を行っているのだから、改善が進むはずなのに今も繰り返されているのは不信感を招く。復興事業には現在進行形で税金が投入されており有権者はもっと厳しくこの問題を見ていく必要がある」と話しています。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170304/k10010898821000.html

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  13. [震災6年 未完の事業]<4>子供のため 避難先に定住
    2017年3月5日5時0分

     宮城県富谷とみや市の門沢睦子さん(44)は、住み慣れた土地を一家で離れて間もなく6年になる。高校3年生から小学4年生の4人の子供たちは今、仙台市や富谷市の学校に通っている。次男の将貴君(14)は来年、高校受験だ。

     東日本大震災の前は、夫(49)と子供たちとで同県南三陸町に住んでいたが、津波で新築の自宅は全壊した。夫が経営していた機械販売会社は行き詰まり、門沢さんも学習塾のアルバイトを失った。自宅のローンを残し、育ち盛りの4人を抱えた夫妻は翌月、夫の実家がある富谷市へ避難した。

     移った当初、門沢さんは気疲れや津波のフラッシュバックで体調を崩し、うつ病と診断された。その後、夫妻は働き口を得て一軒家も借りたが、家計は苦しい。それでも門沢さんは「仙台市に近く買い物に便利で、子供の進学先の選択肢も多い。ここを離れることは考えられない」と言い切る。

           ◎

     岩手、宮城、福島3県の沿岸部には震災前の2010年5月、約21万人の小中学生がいたが、16年5月には約18万人に減少した。

     学校の統廃合も進み、3県の小中学校はこの6年間で約70校減った。遠隔地から子供を運ぶスクールバスを運行する自治体も多い。また、3県では1月末現在、24校がプレハブ仮設の校舎を使い、21校は他校などに教室を間借りしている。42校は校庭などに仮設住宅が立ったままだ。

     岩手県大槌町出身の大下広彦さん(51)は震災後、盛岡市の自動車販売会社に転職し、妻(53)、長男(15)、長女(13)と市内のみなし仮設のアパートに移り住んだ。月に1回は残った父母の世話で町へ行くが、子供の姿を見るのはまれで、地元の中学校にも生徒は戻っていないと聞く。

     大下さんは15年秋、盛岡市で中古住宅を購入した。「大槌には仕事もなく、子供の教育も不安。故郷の復興を願っているが、家族を犠牲にはできない」と語る。

           ◎

     避難先で定住しても、落ち着いた生活を取り戻すのに苦労する人も多い。宮城県亘理町で被災し、熊本市に住む柴田祐子さん(44)親子は2度、転居した。

     震災直後、原発事故で出た放射能に対する考え方の違いから夫と別れ、被災者向けに住宅支援を行っていた和歌山市へ長男(15)と移った。アルバイトで食いつないでいたが、長男から「学校で『放射能』と呼ばれている」と明かされ、打ちのめされた。

     さらに西へ行こうと熊本へ。幸い、長男は友達もできて、部活動に熱中した。自身も、熊本で知り合った男性と再婚。昨年4月には熊本地震も経験したが、「熊本で子供が元気になり、夫と出会えた。運が良かったとしか思えない」とホッとした表情を見せる。

     福島県から自主避難した人への住宅支援は、今月いっぱいで打ち切られる。福島で働く夫を残し、小学生と幼稚園児の子供2人と東京都内で暮らす主婦は「一気に生活が苦しくなる」と憤る。「まだ福島に戻ろうとは思わない。でも、物価の高い東京で子育てできるか、不安」とため息をついた。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170305-118-OYTPT50058

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    1. [震災6年]被災地の子供 遠距離通学 バスで片道1時間…女川小・中学校
      2017年3月5日5時0分

       東日本大震災の後、岩手、宮城、福島の被災3県の沿岸部では、小中学生が約3万人も減った。統廃合により学校も減り、遠隔地からスクールバスで長時間かけて通学する子供たちも少なくない。プレハブ仮設の校舎や、他校に間借りをする学校も多く残る。震災後6年たっても、依然として子供たちが不便を強いられている実態を追った。

      「故郷で学びたい」 移住先から登校

       震災で800人を超える人が死亡・行方不明となった宮城県女川町。今も約1500人が仮設住宅で暮らす。町の全域で復興工事が進むが、小中学生は震災前から半減し、計5校あった小中学校は女川小、女川中の2校に統合された。

       同町が、「地域の未来と子供たちをつなぐ懸け橋」(村上善司教育長)と位置づけるスクールバスの運行は、震災の翌月から始まった。現在、町内8地点、石巻市内の2地点を発着する10系統を運行しており、計約280人が利用している。

       2月、記者は午前7時過ぎに石巻市総合運動公園を出発するバスに同乗した。この日、バスに乗ったのは計19人の小中学生。約18キロの道のりを、1時間かけて学校へ向かった。

       同市蛇田へびたに住む女川中3年の山田くるみさん(15)は3年間、このバスで通学した。女川町にあった自宅は津波で全壊。山田さんの一家は、町内の仮設住宅で3年間暮らした後、女川を離れることを決めた。石巻市には両親の勤め先があり、仙台市内の進学校に通う兄(18)の通学にも便利だった。

       だが、山田さんは自宅から近い石巻市の蛇田中ではなく、女川中への進学を選んだ。「震災で大変な時を一緒に過ごした友達と離れたくなかった」と語る。

       バスに乗るには自宅から同公園まで、母に車で送ってもらう必要があり、毎朝5時50分には起きなければならない。早起きを苦痛に感じたこともある。他の生徒が休むなどして“乗客”が自分だけだった時、いたたまれない気持ちにもなった。それでも3年間、バスの窓越しに女川町が復興していく様子を見て、自分の故郷は女川なのだと強く思うようになったという。

       山田さんは4月から、石巻市内の高校へ通う。将来は大学へ進み、管理栄養士の資格を取るつもりだ。「将来は女川に住み、町を活気づけられるような仕事に就きたい」と考えている。

      仮設住宅の子も

       被災した子供向けにスクールバスを運行している自治体は、3県で計23市町村ある。そのすべてで震災後、子供が減少した。

       仮設住宅が学校から離れているため、長時間の通学を強いられる子供もいる。

       宮城県南三陸町立戸倉小6年の後藤大地君(12)は、登米市内の同じ仮設住宅に住む児童や生徒9人とともに、スクールバスで片道1時間かけて通っている。下校のバスは授業終了から約40分後に発車するので、放課後、学校に残って遊ぶことも難しい。自宅にある通信ゲームが、友達とコミュニケーションを取れる数少ない手段になっている。

       故郷の学校へ通い続けることは、大地君だけでなく、父・正和さん(41)の希望でもあった。だが、通学にかかる時間が長いため、大地君が体を動かす時間が少なくなり、正和さんは頭を痛めている。

       4月以降、登米市の仮設住宅からバスに乗るのは大地君と町立志津川中に通う姉・琉月るなさん(14)の2人だけとなる。正和さんは「予算も限られているのに、うちの子供のためだけにバスを走らせてもらうのは心苦しい」とも思っている。

      遊ぶ時間なく

       岩手県大船渡市の赤崎小4年の三浦愛結あゆさん(10)は、同小が津波で校舎が壊れたため、入学から4年間、間借り先の蛸たこノ浦小にスクールバスで通っている。徒歩で蛸ノ浦小へ通う子供と比べ、「遊ぶ時間が少ない」とこぼす。

       赤崎小は今春に再建され、新学期から授業が始まる。通学時間は徒歩で10分になるが、通学路は復興工事の大型車両も多く通り、車道と歩道はほとんど区別されていない。愛結さんを事故から守るため、母の久喜さん(40)は「工事が続く間は、私や愛結の祖父母が登下校に付き添うことになると思う」と話した。(社会部 石橋武治)

      国など経済支援/NPOが受験指導…子供の減少続く

       被災地で子供たちが減るということは、復興しても将来、地域を支える人材がいなくなることを意味する。このため、被災地では今も地道に子供への支援が続けられている。

       震災で就学が難しい世帯の児童や生徒を、国が経済的に支える「被災児童生徒就学支援等事業」には、2016年度に約80億円が充てられ、17年度も約62億円が予算計上された。スクールバスを運行する自治体への補助金もこれに含まれる。このほか、民間でも大手IT企業やメーカーなどがそれぞれ基金をつくり、遺児や孤児への奨学金を始め、幅広い支援を行っている。

       認定NPO法人「カタリバ」(東京)は震災後、宮城県女川町の廃校を活用して、児童や生徒の居場所作りに取り組んでいる。「女川向学館」と名付け、学習支援も行っており、補助金や寄付などで運営。元塾経営者や大学生らが受験に向けた指導も行っている。現在、町内の中学生の約半分、小学生の4割が通っている。

       被災地の教育事情に詳しい東洋大の森田明美教授(児童福祉学)は「震災から時間がたつに連れ、被災地に投じられる資金は減り、支援団体の撤退も相次いでいる。これまでの経済的、学習的な支援の『蓄積』を未来へどのように受け継いでいくかが重要だ。そのための人材育成が欠かせない」と指摘している。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170304-118-OYTPT50411

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    2. [震災6年]復興住宅「つながり」希薄
      2017年3月5日5時0分

      ◇複数の仮設住宅から移住 高い高齢化率

       東日本大震災の被災地では、家を失った住民らが仮設住宅から災害公営住宅(復興住宅)などへ引っ越す動きが進んでいる。ただ、復興住宅の入居者は高齢者の割合が高い傾向で、住民の見守りやコミュニティーの再生など課題も指摘されている。(小沼聖実)

       宮城県沿岸部の女川町中心部にある鉄筋コンクリート造4階の復興住宅には、約200世帯が暮らしている。ここに一人で暮らす男性(67)は「住まいとしては今が快適。だけど、居心地は前の方が良かった」とこぼす。前とは3年前まで住んでいた近くの仮設住宅だ。

       壁が薄く近くの住民の様子もうかがえた仮設住宅だったが、今ではドアを閉めると物音ひとつ聞こえない。毎朝行われているラジオ体操も、参加者の姿はまばらだ。ベランダで参加する人もいるが、終わるとすぐに室内に戻る人が目立つ。

       男性は今でも、前にいた仮設住宅で行われるラジオ体操や茶飲み話に顔を出す。その仮設住宅も移住が進み、ピーク時の150世帯から今春には30世帯ほどに減る見込みだ。

           ◆

       宮城県では、復興住宅入居者のうち、65歳以上の割合は38・4%と、県全体の高齢化率(25・6%)を約13ポイント上回る。岩手県では復興住宅に入居する世帯のうち、一人暮らしや高齢の夫婦2人など高齢者だけの世帯が4割を占めている。

       自力での住宅再建が難しい入居者が多く、高齢化率が高い傾向だ。複数の仮設住宅から集まることから、住民が孤立しやすく、新たな地域作りもなかなか進まない。

       宮城県石巻市の新立野第二災害公営住宅は約100世帯、214人が暮らすが、半数以上が高齢者だ。

       この団地では昨年8月、一人暮らしの80歳代の女性が、数日間食事を取っていない状態で見つかった。隣人が異変に気づいて訪れ、大事には至らなかったが、部屋のなかは賞味期限切れの食べ物や薬がいっぱいあったという。女性は介護施設に入所した。団地会の増田敬会長(65)は「一歩間違えれば孤独死につながっていたかも」と振り返る。

           ◆

       住民の見守りやコミュニティーづくりなどを支援するため、国は、「生活支援相談員」を配置する自治体に補助を出している。同様の職員を独自に配置する自治体もあるが、相談員が減っている自治体が多い。宮城県が昨年行った県内自治体への調査では、見守りや相談業務にあたる職員の数は計573人。2013年の788人から3割減った。

       石巻市社会福祉協議会では11年に約150人いた地域生活支援員が、16年には約70人と半減。同協議会復興支援課の伊藤勝弘課長は「支援員は、被災で失業した人の緊急雇用的な側面もあった。生活再建が進み、なり手が減っている」と明かす。

       復興住宅や孤独死の問題に詳しい立命館大の塩崎賢明よしみつ教授は、「東北は持ち家だった人が多く、慣れないマンション型の復興住宅では、閉じこもりきりになる人も多いのではないか。高齢者が多いと、住民たちだけでコミュニティーをつくるのは難しい。行政が入り、住民全体を巻き込んだ取り組みを支援することが必要だ」と話している。

      ◇住民主体の見守り活動

       被災した3県では、計画の約8割に当たる約2万2800戸の復興住宅が完成し、住民主体の見守り活動に取り組む復興住宅もある。

       約160世帯が暮らす仙台市太白区の「あすと長町市営住宅」では、住民有志が昨年9月から、高齢者や一人暮らしの住民らに月2回程度の家庭訪問をしている。様子が違えば、民生委員に報告する仕組みだ。不在の場合は玄関にマグネットを貼り、帰宅した際にはがしてもらうなど工夫する。

       見守り活動を呼びかけた飯塚正広さん(55)は、近くの仮設住宅で自治会長を務めていた。復興住宅に移って間もなく、同じ棟の男性が「孤独死」したことを機に、取り組みを思いついた。飯塚さんは「行政の見守り体制は目が粗い。住民自らが取り組み、補完すべきだ」と話す。

       石巻市の新立野第二災害公営住宅では、住民を対象に「認知症サポーター養成講座」を開催。サポーターに認定された住民が毎月集まり、地域の情報交換をしている。緊急時の連絡先などを記すカードを全住民に配布し、隣近所を気遣うきっかけにしたいとしている。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170304-118-OYTPT50339

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    3. 【震災6年】「さみしくなる」…富高休校で卒業生ら =福島
      2017年3月5日5時0分

       富岡高校で4日、休校を前に行われた最後の式典には、同高の1期生から休校前の最後の卒業生まで様々な世代が集まり、休校を惜しんだ。

       1期生で、いわき市四倉町上仁井田の高木八四やよさん(80)は、六十数年ぶりに富岡町の同高を訪れた。「駅から友達とおしゃべりしながら歩いて通ったことを思い出した。さみしくなっちまうな」とつぶやいた。

       高木さんの孫でサッカー部だった日向ひゅうがさん(18)もこの春、同高を卒業する。「最後の卒業生にはなりたくない。いつか学校が再開し、後輩が活躍する姿を見たい」と話していた。

       同高はスポーツのエリート教育を行い、サッカーやバドミントンなどで日本代表クラスの選手を輩出した。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170304-119-OYTNT50147

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  14. 「キャバクラ接待」環境省職員汚職騒動でケムにまかれるのは何かな?

    「福島原発」のニュース
    http://www.2nn.jp/word/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E5%8E%9F%E7%99%BA

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    1. 「環境省」のニュース
      http://www.2nn.jp/word/%E7%92%B0%E5%A2%83%E7%9C%81

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  15. 指定廃棄物の処分場 一部の県で建設の見通し立たず
    3月5日 5時21分

    6年前の原発事故で発生し、東北や関東などに残されている放射性物質を含む「指定廃棄物」について、環境省は比較的量の多い5つの県で、新たに処分場を建設し処理する計画でしたが、地元の反対が強いことなどから、一部の県で建設の見通しが立たない状態が続いています。

    環境省によりますと、東京電力・福島第一原子力発電所の事故で発生した放射性物質を含む「指定廃棄物」の量は、先月下旬の時点で、東北と関東など11の都と県で、合わせて18万8000トン余りに上っています。

    環境省は、このうち「中間貯蔵施設」で処理する福島県を除いて、指定廃棄物の量が比較的多い、栃木と千葉、茨城、宮城、それに群馬の5つの県で、新たに処分場を建設し処理する計画でした。

    しかし、茨城県と群馬県では、国の試算で今後、多くの指定廃棄物の放射性物質の濃度が下がると見られることから、今の場所で保管を続ける方針です。

    このほかの3県には、処分場の候補地を示して協議を続けていますが、宮城県でも国の測定の結果、濃度が下がり、指定廃棄物の量が当初の3分の1程度に減る見通しになったことから、今の場所で保管を続けることも視野に協議が進む見込みです。

    一方、栃木県と千葉県については、平成38年の時点で、栃木でおよそ4200トン、千葉でおよそ1500トンの指定廃棄物が残ると試算されていますが、いずれも候補地がある自治体などの反対が強いことなどから、建設の見通しが立たない状態が続いています。

    環境省は「処分場を建設し処理するという基本的な方針は変わっていないので、理解を得るため地元への説明を続けたい」と話しています。

    指定廃棄物の現状

    指定廃棄物は6年前の東京電力・福島第一原発事故で発生した放射性物質を含む稲わらや汚泥、それに焼却灰などで、放射性物質の濃度が、国の基準の1キログラム当たり8000ベクレルを超えているものが指定されます。

    環境省によりますと、指定廃棄物は先月24日の時点で、東北や関東など11の都と県に、合わせて18万8000トン余りに上っています。

    県別では福島県が最も多く16万517トン、次いで栃木県が1万3533トン、千葉県が3707トン、茨城県が3536トン、宮城県が3412トン、群馬県が1187トン、新潟県が1018トン、東京都が982トン、岩手県が476トン、静岡県が9トン、神奈川県が3トンとなっています。

    指定廃棄物は、時間の経過とともに放射性物質の濃度が下がって国の基準を下回り、環境省が指定を解除すれば、一般の廃棄物として処理できるようになります。

    去年は千葉市などで指定が解除されていて、今後も放射性物質の濃度は徐々に下がり、指定の解除が予想されることなどから、各地で分散して保管される状態が続いています。

    ただ、国の試算では、平成38年1月の時点でも、栃木県で4250トン、千葉県で1510トン、群馬県で